KTOOONZ BLOG

ktooonzのオシラセBLOGです。

夢のパズル

2009-05-29 17:41:09 | 

夢の中、ネットのお気に入りサイトを行ったり来たりしている。

一体私は何を探しているのだろうかと奇妙に感じるが、無駄に見える行為を通して探しているのは
私の、ある心の解放なのだと気づく。

無意識的な何気ない行いこそ、何て面白いんだろう!その驚きと喜びが行為への没頭を薄れさせ、
現実に生かしたいという言語的思考が流れ出した頭は夢から覚めていく。

夢うつつでは何となく把握している、何故それが開放を探す行為に当たるのかが
覚めた頭ではわからない。

私は未練がある。夢の発想法こそ既存でないオリジナルで真っ当で目から鱗で面白くて
快感なような気がしているから。

普通に考えれば寝ぼけて変なことを考えただけ、しかも思い出せすらしないことを
掴みたいだなんて迷い事の人生の無駄と思いつつも浮かれた気持ちがある。

私にとって既存でないものを私が受け入れられたら素晴らしいと思う。

かろうじて覚えている夢うつつは、私が最も無駄と思うような行為の中に、私の探し物が
あるというような感覚。

勿論トリックや無意味、間違い、勘違い、気休めかもしれない。夢なんか物凄く疑わしい。

そして探し物とは何なのか。それも見つかってみない限り今はさっぱりわからない。
わからないのだから、そんなものは初めから無いのかもしれない。


だ・け・ど…私は全くそうとも知らない時にこそ探し物をしている…そんな考え方や見方も
もしかしたらありえるのもしれない…

自分の知らない自分が、自分の中に隠れていたら、ちょっと面白いと思う。


画像は空

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怒りの矛先いらねって時

2009-05-22 06:26:46 | 

夢って本当に変なこと考える。

覚めると掴み難いし、ほとんど奇怪な思考とも言えるのだけど、どうしても気になってしまう。

早寝早起きしはじめると、睡眠時間が随分減って、しかも夢を観る。

夢見はもともと体質で、それも遺伝的要素もあるみたいだから仕方がないけど、
私はちゃんと眠っているのだろうかと疑わしい。

今朝は夢で怒り狂ってる。アホ丸出しの良い怒りっぷりでギャグとして気持ちがいい。

(現実でも、ストレートにバカとして、しかも完全に間違って怒ってる人は、時に気持ちが良くて
愛しい)

怒る夢は何度も観ていて、来ると面白く観察している。夢の中で夢を観ながら考えているのが
興味深い。

何故かと言うと、行動や思考に意識的な制約を行うのが覚めている時よりも難しいから
自分自身の根深い条件づけや、逆にそれの薄いものが感じられる時があるから。

ここ最近は感情や思考の受け手としての対象を自分から切り離してしまったらどうなる?などと
かなり変なことを考えているから、夢で怒る私と、その対象との心内部の関係性を見ていた。

やっぱり…と発見なのか、再確認なのか、あるいはそういう事にしたいだけか、思うことがある。

私の怒りと、その対象とされるもの、この二つは実は関係が無い。

どんなに口や態度で関連付けようと夢の私がしていても、夢を客観している私には
心中の関連付けがどこにも探せない。

なんつか「誰々がこういう事をしたから私は怒っている」というのは、一つの条件反射みたいな
一般的ストーリーであって、誰が何をしたからと、ある個人がどう受け取った上で怒るか笑うかは
その人の自由だからだ。

私個人で抱えきれない感情が起こると、条件反射のようにどこかに、その感情の大きさに比例する
何かをした犯人や事件がいないといけないと、愚かにも思い込んで結果創り出してしまっている。

勿論何かしらの因果関係はそこにあるのだけど、私の感情そのものとは、何も関係が無い。
(関係の無い事にもできる、という意味において)

こんな事は理屈で言えば馬鹿馬鹿しいほど当たり前だけど、正に怒りや悲しみの最中に
そこを見るのは難しい。

で、夢うつつの私は転化の対象の無い私の怒りを感じることになる。それは私の内部だけにある。

赤い火の玉みたいだ。抱えながら笑ってみる。自然に愛しくなってくるようで。

ただ「元気」とでも呼べるような、無垢なシロモノに思えてくる。

怒りは益々フィクションになる。



こういう発想は、夢と現を行き来する、あくまで私個人のみの心内部との付き合いみたいなもので、
私個人のみのカン違いの逆恨みや責任逃れや無駄な感情と創造力の消耗時に気づくために
役立ったり逆に迷走することであり、変人の金のかからない孤独な遊びでもあり、
それ以外の、特に他人の事情には殆ど応用できるものでは無いでしょう。


画像は男

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思い出せても妄想

2009-05-20 06:46:46 | 

少し前の夢を思い出せたような感じだけど、思い出したのは別の夢なのかもしれない。


本質と所有の境界がごっちゃになるということを夢で見ていたのかもしれない。

でも、これは前から私が困ったなあと思っていることで、今に思うことでもない。

例えば「美」を感じながら「この感動を、発見を、或いは対象を、私のものにしたい」などと
思ってしまった途端に美との出会いが薄れてしまう嘆きと通じている。


夢では、「私」と「私の所有、私の欲望、私の対象」の境界がごっちゃになることで、
「私」の方がそうと知らずにわからなくなる、ということを、特に性の方面などからも観ている。

昼間見たものが夢で明確に現れた時に、
「私はこれに魅力を、それもどうやら性的な魅力を感じているのか」と驚く。
夢の中ではイメージとの同化が起ころうとするのだけど、違う視点から違和感を感じる。
言語的発想に戻ったのか、とにかく、イメージと向き合う「私の所有欲」がイメージそのものを
歪めて、その本質と輝きを失わせる瞬間を感じたような気がしたのだと思う。

つまり出会ったイメージは、私の都合(例えば理想とか)のイメージに塗り替えられた時に
本来の魅力を失った、みたいな感じだ。うまく言語化できないので、自分でも今ひとつ判りにくい。

この場合、「私の!」という意識によってわからなくなったのは、「私」ではなくて、
他者、「あなた」的な立場のものになるわけだけど、
その後私が考えてしまったことは「私」と「私の」の境界だ。どっちでも同じ事と思った。

別に「私」と「私の対象」が一つになっても良いと思っている。自然かもしれない。

ただ、「私の!」意識に無自覚だと、その瞬間「あなた」も「私」も、
「私の都合」のフィルターで即座に違うものになっている事に気がつかない。

夢の私がイメージとの同化を図ろうと思った時、もし「自分の都合」を捨てないのならば
それは本来魅力を感じていたイメージとは違う、私の都合の産物を、私に付属させるようなもので、
本来望んでいた同化は起こらない、出会いも結合も無い行為のような気がしたのではないかと思う。

夢でかいまみたのは、「私の都合」という、この場合は目を曇らせて世界を卑小にする
フィルターかもしれない。

それが、夢うつつで、一瞬実感として掴めたような気がした、
それが私の「恐るべき妄想行為」だったのかもしれない。

「私」の「私の欲」のさらに「私の都合」の境界がごっちゃになって、
私が「私」をわからない時、私は「あなた」のことなんか何も見てもいないしわかっちゃいない。


画像は女。

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妄想

2009-05-18 16:37:34 | 

今朝興味深い夢を観ました。殆ど忘れてしまったのですが、夢の中で自分の妄想に気がつくという
内容です。

これは余り観た事の無い夢のように思えます。

特定の間違いや思い込みに気がつくと言うよりも、当たり前だと思っていた認識そのものが
妄想であるという発想を、夢の中で持って驚いて関心しているという感じ。

余りにも当たり前だと思っていたことが、実は思い込みで間違いというか妄想であるという、
その視点というか、視点の持ち方というのが目から鱗と、夢の中の私は思うのです。

「ああそうか。これって妄想だったのか。へえー。」

すると、夢の中の妄想では無いもの、というか妄想でない見方とは何かということになりますが、
さっぱり覚えていない。それどころか、己の妄想を見抜く視点すらも今や忘れています。

まどろむと思い出せそうでやっぱりわからない。
何だったっけ。何がどう妄想なんだったっけ。

何故それを目覚めても捉えたいのか、それは私が自分の現実を見る目も妄想なのではと疑っているから。


変な夢を観て何もかも怪しく信用できなくなってくる…


果たして私の現実を観る目は本当に妄想なのだろうか。
そもそも何故そんな風に自分の事を思うのだろうか。

何をどんなに頑張ったところで心に本物の自信が無いような気持ちがあって
私は大事なものを見落としてばかりいるような気持ちがあって
そんな自分が時に辛く、私の生きる世界について何も知らないことが恥ずかしく恐ろしくて

私の正直な実感と思えるこの視点も、夢で見たかもしれない妄想の一つのような…


ワカラナイしながら仕事をこなしていく。
ワカラナイしている方が私は調子よくゴキゲンで明るい。


画像は笑う口

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