KTOOONZ BLOG

ktooonzのオシラセBLOGです。

夢と現の境界線

2008-09-09 03:00:18 | 

晩御飯終了。仕事で時間がずれています。お茶が美味しい。

先日まどろみながら飛ぶ夢を見て、目覚めスッキリ疲れも取れていたが、
次の日はバッドな夢で寝起きも最悪というかしばらく起きられない。

前の夢では、人を問いつめて追い込んだりすることが間違っていると夢の中で思った。
夢の中で思うというのは現実で思うのと少し違う。

現実では、正しいことを、それが正しいと誰かに聞いて知っているからという理由で
(例えば法律だから、道徳だから、規則だから、伝統だから、家の決まりだからなど)
疑問すら持たずにさも正しそうに説くことが可能だが、夢の世界では自分が本当に
納得していないことは使えない傾向がある。

体験的理解が無くても言葉の意味を知っていると、仮に言葉を知らなくても自分の気づきがある、
という違いだ。

「間違っていることをしない」という事と夢で感じた「自由意志」は深い関係があるように思う。
ある事柄に間違っている限り、それに関して私は囚われている。だから自由とは言えない。


で、次の日の夢は酷い。私は夢の中で間違える。

ロクなことをしてない相手に「あなたには関係ない!」とケンカごしで言われた私は
「あなたそういうことは人の目を見て言いなさいよ!」と偉そうに見下して言い切ってしまう。

途端相手は怒り傷つき心を閉ざし会話の可能性は無くなってしまった。

あ!間違った!

何のためにあんなことを言ったんだろう。私は相手が女性で自分が肉体的にダメージを
追わせられるような可能性も無いだろうと踏んでいた。
つまり身の安全をある程度承知した上で言い負かそうとしたわけだ。うわー醜い。

酷い言葉を言う瞬間までは、自分が正しいことを言っている気持ちがあった。
本来夢の中で問題を解決しようと望んでいたのは相手よりも私のほうだったのに。
私の解決というのは、自分が正しくて相手が間違っていることを証明するのではなく、
先送りされ放っておかれている、見るべき大事な事実を一緒に見ようと思った事だった。

相手を言い負かしても間違っていないのは、ルールに従った議論の場だけ(かな)。

知恵の使い方を完全に間違えると気分がとても悪くなる。
さらに夢は無防備。心のガードができない。


で、思ったのだが、
もし現実の人生で間違いを改め夢で感じた「自由意志」を持つことができたら・・・
今私が思っているような、夢と現実の境界線は一体どうなるのだろう。


私個人にとって二つの世界が同じようなものになる気がする。
間違いを起こさず、自由意志を持ち、つまりそれは自由で、夢だろうが現実だろうが
私は自由に、抵抗を持たず、生きたいように行動するのならば、夢と現の何かが
溶け合うような気がするのだ。

つまり、夢を観る現実の自分のように、現実の自分を冷静に見る更なる自分を得られるのではと
思うからだ。
「間違いをおこさず」「自由意志」を持ち、というのが「客観」なのではと?
そんな風に思っている。

夢と現はどんな感じになるだろう。知ってみたい。体験したい。すごく楽しいような気がする。

そして、大事なことは、人として間違いを起こさない(チャレンジして失敗することは全く別)、
正しい言葉を使うことであって、
夢と現に遊べたるのだとしたら、それはそのついでの副産物みたいなものだろう。

夢と現の境界線だなんて、一般的見解からするとかなり変な発想かもしれない。
それでも私は、私がイメージした世界を体験したい希望と意思をはっきりと持ってしまった。

画像は『DeviLove』セーキとデヴィ。携帯サイト「まんちゅ」他で公開中。

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マドロミドリーム・トイレが改装?

2008-09-07 01:16:49 | 

仕事で疲労を感じ、身体が痛む。

そんな時、効果的な回復法がしばらく「まどろむ」こと。
しかし意識がテンパっていると、リラックスすら難しい。

暗い部屋で虫の声を聞きつつ横になる。とにかく意識的な思考を(意識的に)ダウンダウン・・・
流れるに任せておく。眠気が出てくる。そのまま委ねる。


気持ちよくまどろんでいたが、トイレに行きたくなって、起きてドアを開けてビックリ!
あまりにも清潔でキレイで輝いていた。感動的なくらい。

そしてさらにビックリしたことは、和風に改装されていたことだ。

私は遊びに来ていた妹の仕業がありうると思い、問い詰める事をイメージする。

そして思う。

私がうたたねしている間にトイレを改装することは現実に不可能。
よって、どんな受容れがたい異常事態が起きたとしてもそこにいる人間を問い詰めるのは
間違っている。そしてこれは夢だ。

嬉しくなってくる。やった!夢の中で意識を持った。こういう時には何だってできる。
ためしに2階から飛び降りてみようか。いや、やめとこう。もし間違ってたら怪我をする。
跳ねてみる。飛べるのがわかる。木材などはスルーできて、鉄骨やコンクリはくぐれない。

まだ夢の自由に抵抗を持っているのがわかる。でも外に遊びに行けそうだ。

夢の中の「抵抗」意識について考える。またトイレに行きたくなる。

・・・こういう夢では南極にだって遊びに行けるのを知っている・・・でも我慢しながらじゃ
遊びたくない・・・それにすでに夢の中で起こることに、「疑い」「抵抗」「言語的思考」の
比重が強くなっている。夢の冒険はやめて今日は仕事にもどろう。

ゆっくり覚めながらもどる。

夢で意識を持つ瞬間の感覚を面白く感じている。これが「意識」というものだとしたら
現実の私は「意識」を持っていると言いにくいようにも思う。

夢の「意識」は「自由」と呼べるような感覚と共にある。

覚めながら「意識」「自由意志」「疑い」「抵抗」「言語的思考」への思索が溢れる。

目が覚めきって、思索する意識も消えた。


画像は『DeviLove』セーキとデヴィ。携帯サイト「まんちゅ」他で公開中。

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