
昨日はほとんど立ちっぱなしで、体に疲れが残っていたのだが、なかなか寝付けなかった。こんな時は無理して眠ろうとするのではなく、むしろ眠らないことを考えたほうがいいと思い、読書中の本を開いた。
「八日目の蝉」は、昨年暮れ近くにまとめ買いした中の一冊だ。なぜこの本を選んだか・・・ 「爆笑問題 大田光氏も大絶賛!」という帯の文字も気にならないではなかったが、最近、角田光代さんの本を読んでいなかったという理由だった。そこで、店頭にあったこの本を数冊の本とともにかごに入れた。
刷数をみると、初版から8ヶ月で五刷目となっていた。何となく、よく読まれているのだなあと思ったことを覚えている。2005年11月から2006年7月まで、読売新聞夕刊に連載されていたというのは、先月末に読み始める前に知った。
不倫相手の子を堕胎した女が、その相手の子供を誘拐して逃避行する前半と、誘拐された子供が大人になって、あるきっかけで、誘拐犯とともに暮らした4年間を振り返る後半とで構成されている。
前半部分は、無理だろうと理解しつつ、「どうか逃げ切って欲しい」、「本当の親子になってほしい」と言う気持ちで読んでいた。そう、ドラマ「青い鳥」や映画「顔」を観た時と同じ気持ちで…
そして後半、子供が誘拐犯と暮らした島を訪れようとするところで、その誘拐犯…その当時の「母」との再会を果たして欲しいという思いで読み進めていた。
涙が止まらなかった。途中から嗚咽も混じってしまった。こんな姿を通勤途中では見せられないと思うと、一気に読んでしまって良かった。
たぶん、姪が生まれる前だったらもっと冷静に読むことができたのだろう。逆に、自分の子供がいたら、読むことができただろうか…などと、読了後考えてみた。
恋愛に縁がない僕なので、当然「不倫」という関係にも縁がない。ただ、単に「不倫イコール悪」と単純には語れないということは、何となく理解できる。
とは言え、得るものに対し失うものが余りにも多く、理性が働いているうちは自動的に避けて通るものだと… だが、恋愛は理性の支配する範囲ではない。だから、不倫という恋はあちこちにあり、それを描く小説や映画も作られる。
そもそも、何の「倫」に対して「不」なのだろうかと、根源的な問いをしてみたこともあったが、その時に相手がいた訳でもないし、そのような恋にあこがれるわけでもなかったので、何となく頭の中の書棚に整理しないまま放り込んでいた。
僕にできることは、どこかにいる一人の人を愛して、その悲しみから未然に、いや事後でもいい、救ってあげることくらいだろうか。もちろん、あからさまにそんな気持ちでと言うわけではなく…