戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

死んでも良いと食事療法を止め、猛然と飲み、食べ始まった彼

2010-04-18 15:23:32 | Weblog
私は何もかも嫌になる時がある。仕事や対人関係、どうにもならない自分を含めて身内の病気との付き合い、これは高齢の我々姉妹にとって馬鹿に出来ない問題である。それと病気にならぬように節制を続けている食生活の管理など巧く行っている問題など余り無い。
随分前の事だが、知人で何という病気に掛かっていたか知れないが、勤務を終えて退職したあと、若い頃発病して殆ど治っていた病気が悪化した。病院では特別なメニューを指示し、まるで味の無いような食事にしないと余命は長くないと告げた。
リタイヤして時間が有り余る人の事、自分で徹底的に食事の管理をして、家族とは全く別の食事をしていた。その生活の様子をたまに奥さんから聞く事があったが、自分でいつも計算しながらやっているよ云う事だった。糖尿病でない事は事実であった。何の病気か、他人の事ゆえ言わない事には触れられなかった。数年その状態が続いた。いつでも彼は元気だった。管理は充分だった。家族もそれに慣れ、誰も何もいわなかった。十数年が過ぎ、私は彼の奥さんから夫が死んだ、という訃報を受け取った。
その後訪ねて来た奥さんは、彼はある日を境に食事療法をきっぱり止め、家族と共に同じテーブルで同じ物を食べるようになったのだという。十有余年に亘る薬のような食事、それは“えさ”と云って良いような3食であったに違いない。「好きなビールも飲めず、薬を食む(はむ)ような毎日を捨てて好きな物を腹いっぱい食べて夫はあの世へ旅立ったのよ」と妻は云った。或るアメリカの少女が火事で大やけどをして食道をやられ、直接胃へ食べる物を入れるようになったが、それでは満足が得られないだろうと、一応は口で嚙み、充分味わってから咀嚼した物を胃に入れるという方法を取ったという事を聞いた。直接胃に入れるのを胃瘻(いろう・胃に孔を開ける)と言うが、意識不明でもなければ可哀そうな気はする。まさにアメリカだなあと思った。
私の場合は節制はそれほどでもないから何とか生き永らえる事は出来るだろう・・・


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