戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

人生は苦労の連続だ。  22/04/02

2010-04-02 09:50:12 | Weblog
私の部屋から白木蓮のつぼみがいっぱい見えるようになった。西隣の山裾にあった小さな木蓮が大きくなり、盛りの頃にはベッドから夜でも其処だけ灯りが点いたように明るく見える。窓は箪笥の上の所に小さく明り取りのように小さい小窓があるだけで、空気の入れ替え位にしか使えない。この家を建てた時、母は或る宗教に凝っていた。父は方角とか家相を嫌った人だったが、その頃母に重大なる裏切りをしていて、何の反論もしなかった。発覚はしていなかったが、知らないのは母だけだった。「お母さんの好きなようにさせて・・・」と父は弱々しく小さな声で云っただけだった。だから私の家はナショナル住宅であるが、ところどころ変な間取りがあったり、変な窓がついている。一番日当たりが良く、眺めの良い二階の2部屋の東側はそんなわけで窓が無い。南側の1部屋は南側は大きなガラス戸になっているが、東側は私の部屋のような小窓がついているだけで、北側の部屋の窓からはは崖が見えるだけ。1階の台所の東側も窓が無く、大きなレンジフードがついているだけ。その後、母の考えは変わったけれど、鉄骨の為作り直す事は出来ない。小さな窓から白い木蓮がつぼみを膨らませ始めると、あの頃の両親の諍いを思い出す。現在も私はいろいろな爪あとに悩まされているが、決してそのような事で父を恨んだり、腹立たしく思ったりした事が無いのが不思議で、いつも懐かしく想い出している。人生とはそのようなものなのだ、と思えるようになった。年をとるとこのようになるらしい。母の実家のおばあちゃんも随分母や私達に辛く当たり、私の家を見下し、見栄を張り続けて生きていたが、女の一生として見るならば、これも哀れな女の一生だと思っている。病院の全盛時代、夫に突然脳溢血で倒れられ、その後10数年、夫の看病に明け暮れ、何人もいる子供達を送り出す迄、全盛時代と同じように見栄を張って生きていった女、嶋田せいの一生もいつかは書いてみたい。人生は苦労の連続であるが、どんな事があっても一生は一生だ。 

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