戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

22/09/21 その2  プールに行く日。

2010-09-21 18:46:33 | Weblog
 火傷は未だ治らないが、前より乾いてきた。随分気をつけている。但し手の甲なのでいくらか治りは早い。でもプールの水の中には入れないで右手を出して歩かなければならないだろう。台所に立つ人は手の傷は致命傷だ。切れ味が悪くなると包丁を研ぎに出すので物凄く良く切れる。包丁の角に触っただけで血が滲む。そんな思いを何度もしているが、火傷でこんなに長くかかるとは思わなかった。

22/09/21 お彼岸の入りに思う。

2010-09-21 17:35:46 | Weblog
今日も朝は涼しかったが日中は真夏日だった。車に乗らなければ風は爽やかでさすがに秋を感じる。前の田んぼも稲刈りを始めている。朝のドラマで父親が倒れて娘や妻が嘆くシーンに胸打たれた。一体自分の父や母にどれだけの恩を受けながら死ぬまでに恩返しらしい事をしていたであろうか?私は死ぬ寸前も父に冷たい言葉を放ち、翌日に死なれて愕然とした。その後の私の苦しみは想像を絶する。その事が私に“死の予告”を書かせた。今も悩みは消えないがいくらかは薄らいだ。母にも同様な思いはあるが、常に一緒に暮らし、1番母との生活は長く、特に中学時代に過ごした楽しい日は“花泥棒”にある通りでそれはそれは楽しかった。それで何でも帳消しになるとは思わないが、父親ほどではない。でも悩んでばかりいては父も喜ばない。今は父や母が生きていてそれを見たら喜んでくれるだろうと思われるような事ばかりして生きて生きたいと思っている。が・・・どうかな?