<12/21のつづき>ぼやぼやしているうちに、全公演終了しちゃったよ(汗)。
ミュージカルならではの、ファンタジーな芝居。なのに登場人物は、皆とても人間くさい。それが、背筋に冷たいものを突きつけてくる。明るく歌い語られる、将来への絶望。今の日本には存在しない、知識階級格差。教育を受けずに生きて、考えることが苦手で。報われない上昇志向。常にある、渇えた感情。がっちりはまった配役から生み出される、演技の調和は心地良い。←観劇前は、配役がベタすぎるのなんのと文句をたれてたくせにね。
上演前からふれこみのあった、映画版とは異なる結末。通常推奨される勧善懲悪が、案外舞台では無視される。これだから、舞台好きだったりするんだ。
負の心が招いた結果に、自ら始末をつけるべくオードリーIIに闘いを挑むシーモア。だけど、育ちすぎたオードリーIIには敵わず、あっけなく敗れてしまう。それはもう、あっけなく。物語の最初から、花屋の壁で律儀に時を刻み続けていた時計が。ぱたりと動きを止めて、二度と動かないのが哀しくて仕方がない。
幕を開けた三人娘が、幕を閉じるために現れる。彼女たちの歌はどこまでも、ソウルフルで。あぁ、終わってしまったのだと寂しくなる。それにしても、彼女たちのストーリテラーとしての確かさと、本編での悪ガキぶりが素敵。・・・で、小堺さん。彼女らを指して「大」「中」「小」ってひどくない? 笑っちゃったけどね。ちょっと残念だったのは、その小堺一機氏。声が、まだまだ戻っていらっしゃらないようで。。でも、素晴らしいコメディアンぶりで。ちゃんとシーモアに対する愛があったのが、このひとの持ち味だよなぁと思う。このひとと、上原多香子ちゃんの可愛いオードリーだからこそ。こんなに、かわいい物語になったんだよね。
飲み込まれてしまった、正義。シーモアの願いも、むなしく。人喰い植物は、切り分けられて。栄誉心に育(はぐく)まれて、アメリカ全土に広まっていく。
その後に描かれた、本物のラストシーン。一瞬、驚きのあまり椅子から転げ落ちるかと(←@ヨシモト)。演出の吉川徹氏が、山本耕史氏を起用した意味は、ここにあったのだと思う(←扮装のことじゃないよ、念のため)。気弱なくせに、オードリーIIに闘いを挑み。後始末を自分の手できっちりつけようとし、飲み込まれてしまったけれど。きっと残る強い意志が、いつかオードリーIIを滅ぼすのだと。彼のシーモアだからこそ、信じることができる。
人間の愚かな部分を晒すような物語の、その最後に。どうしても言わずにいられなかったことが、これならば。決着点が、希望と勇気なら。きちんと受け取っておこう、そう思う。
遅くなりましたが、やっと終了です。忙しい時期に連載などすると、こうなることはわかっていたけど。一回では、おさめたくなくて。。愛しい彼らのために通ってくださった、あなた。お付き合いいただいて、ありがとう。これからも、ずっと愛していこうねっ。
ミュージカルならではの、ファンタジーな芝居。なのに登場人物は、皆とても人間くさい。それが、背筋に冷たいものを突きつけてくる。明るく歌い語られる、将来への絶望。今の日本には存在しない、知識階級格差。教育を受けずに生きて、考えることが苦手で。報われない上昇志向。常にある、渇えた感情。がっちりはまった配役から生み出される、演技の調和は心地良い。←観劇前は、配役がベタすぎるのなんのと文句をたれてたくせにね。
上演前からふれこみのあった、映画版とは異なる結末。通常推奨される勧善懲悪が、案外舞台では無視される。これだから、舞台好きだったりするんだ。
負の心が招いた結果に、自ら始末をつけるべくオードリーIIに闘いを挑むシーモア。だけど、育ちすぎたオードリーIIには敵わず、あっけなく敗れてしまう。それはもう、あっけなく。物語の最初から、花屋の壁で律儀に時を刻み続けていた時計が。ぱたりと動きを止めて、二度と動かないのが哀しくて仕方がない。
幕を開けた三人娘が、幕を閉じるために現れる。彼女たちの歌はどこまでも、ソウルフルで。あぁ、終わってしまったのだと寂しくなる。それにしても、彼女たちのストーリテラーとしての確かさと、本編での悪ガキぶりが素敵。・・・で、小堺さん。彼女らを指して「大」「中」「小」ってひどくない? 笑っちゃったけどね。ちょっと残念だったのは、その小堺一機氏。声が、まだまだ戻っていらっしゃらないようで。。でも、素晴らしいコメディアンぶりで。ちゃんとシーモアに対する愛があったのが、このひとの持ち味だよなぁと思う。このひとと、上原多香子ちゃんの可愛いオードリーだからこそ。こんなに、かわいい物語になったんだよね。
飲み込まれてしまった、正義。シーモアの願いも、むなしく。人喰い植物は、切り分けられて。栄誉心に育(はぐく)まれて、アメリカ全土に広まっていく。
その後に描かれた、本物のラストシーン。一瞬、驚きのあまり椅子から転げ落ちるかと(←@ヨシモト)。演出の吉川徹氏が、山本耕史氏を起用した意味は、ここにあったのだと思う(←扮装のことじゃないよ、念のため)。気弱なくせに、オードリーIIに闘いを挑み。後始末を自分の手できっちりつけようとし、飲み込まれてしまったけれど。きっと残る強い意志が、いつかオードリーIIを滅ぼすのだと。彼のシーモアだからこそ、信じることができる。
人間の愚かな部分を晒すような物語の、その最後に。どうしても言わずにいられなかったことが、これならば。決着点が、希望と勇気なら。きちんと受け取っておこう、そう思う。
遅くなりましたが、やっと終了です。忙しい時期に連載などすると、こうなることはわかっていたけど。一回では、おさめたくなくて。。愛しい彼らのために通ってくださった、あなた。お付き合いいただいて、ありがとう。これからも、ずっと愛していこうねっ。
4回も観たのに・・シーモアが食べられてしまった後、時計が止まっていたのに気がつかなかった(汗)
最後、巨大化したオードリーⅡに飲み込まれ、同化してしまったシーモアが、力強く
「エサを与えないで」と歌う意味は、そういうことだったのですね。
暗い結末を明るく終えるための演出だと思っていました。(汗)
ブラックで、楽しくも切なく、愛おしいお話だと思っていましたが、
徒労に思える一途な思いも、いつかは大きな力となるのだと訴えかけるエンディングが、
勇気と希望を与えてくれる作品だったのですね。
そういえば、ラストのシーモアが、力強く凛々しかったのに対して、オードリーⅡは、もはや恐ろしくはなく、ぶよぶよと巨大化し、滑稽に見えました。
いろいろ気づかせていただいて、本当にありがとうございました。
私の中でも、まだリトルショップは終っていません。
これからも、愛していきたいと思います。
3日遅れですが(汗)・・メリー・Xmas
最後の意味をそんなに深く考えてなかったのですが、そうだったのかー!いつもここにきて感心してますよ。わたしも、これからも愛していきます!
私ってば、解かってないこと一杯あったじゃない!!って。
それやこれやを確認したいと思っても、もう公演は終わってしまって、自分の中に残っている場面を思い起こしてみるしかないというのが、悔しいです。
(><)
>彼のシーモアだからこそ、信じることができる。
東京公演では、挑戦する姿は見えたのですが、“もう一息!”という印象も拭えませんでした。
やはり舞台は進化しますね。
こやまさんのレポで、その進化を知ることが出来て、嬉しかったです!
(^^)v
ラストのシーモアは本当に力強くて、なのに本編の気弱さと、一貫してつながるところが彼ならではなのだと思ってます。
こちらこそ、ありがとうございますです!
メリークリスマス☆ & よいお年を☆ (←ちょっと早い?)
ようこそお越しくださいました。コメントありがとうございます!
毎日いらしていただいていたというのに、無駄足が多くてごめんなさい(汗)。
まだ、こういうペースが続きそうですが。ゆっくり楽しんでいただければ、幸いでございます。
m(・・)m
>midoriさま
舞台って、観客に育てられて進化するのが素敵なところですよね。だから目が離せない!
大阪公演では、相当な完成形を観せてもらえたと思っています。
なのに日々薄れていく記憶・・・(涙)。
あ。ご報告をひとつ。グリング、観られませんでした・・・!チケット取ったのにぃ。。
感想も改めて読み直して感慨を新たにしました!
(*ーー*)