ミュージカル Jekyll & HYDE 『ジキル&ハイド』
劇場:日生劇場
原作:R.L.スティーヴンソン
台本/作詞:レスリー・ブリカッス
作曲:フランク・ワイルドホーン
上演台本/詞:高平哲郎
演出:山田和也
出演:鹿賀丈史,マルシア,鈴木蘭々,石川禅,浜畑賢吉 他
ドクタージキル。精神コントロールを失調した父のため、人間の内の「善」と「悪」を「分離」する薬を作り出す。父に試そうとする彼の行動は、理事会の審議にかけられ却下される。人類の幸せと科学の発展にも寄与できるとの訴えも、死神よりも危険な論理だと否定され。。失意のうちに紛れ込んだ、場末のパブ。出遭った娼婦・ルーシーが彼を誘う台詞、「自分で試して」に。他人への実験でなく、自分自身に投薬することを思いつくジキル。
人の心から悪を分離させれば、争いは消えて幸福な世の中になるはずだった。薬は、ほどなく効きはじめ。身体のなかで、分離されていく精神。切り離されて、現われたのは。残忍な人格者、エドワード・ハイド。彼は、まず。理事会の面々の殺害を実行しはじめる。
善良なジキルを歌う鹿賀氏の歌声は、澄んでいて。分離されて取り出されたハイドの歌声は、まるで裏にジキルがいることを示すように二重に嗄(しわが)れる。迷うことなく人を殺めるハイドの、いで立ちは力強く。けれど、ジキルは闘うことを諦めない。善良なはずの自分の中から取り出された悪への、嫌悪。ハイドを打ち消す投薬を繰り返すあいだ、せめぎあう二つの人格。錯乱し力尽きて倒れ伏すまで続く、激しい人格の入れ替わり。眼前で展開される迫力としか言いようのないそれを、見つめ続けるのは。とても辛くて、とても哀しくて。ひどく消耗する。やってる役者さんの消耗って、計り知れない。。
ジキルが愛する、聖母のようなエマ。ハイドが気に入る、ルーシー。こんなところにも違いは顕著で。ラストだけ反転にて→ハイドは、そのルーシーさえも手にかける。そして、打ち消されたはずが。ジキルとエマとの結婚式に現われる。正気が狂気に変わる様(さま)、エマさえ傷つけるであろう人格を。見つめる親友・アターソンに。「撃ってくれ」と請う声は、なぜだか二つで・・・! そのままでは撃てはしないであろう、実直な親友への切なる懇願。やっと、おとずれた安らかな時。願い叶って倒れた彼に囁く、エマの。許しを告げる「おやすみなさい」の台詞は優しい。(ここでの鈴木氏の声が幼くて、唯一の残念ポイント←辛口ごめん)
カーテンコール。思いのほか、キャストが少なくて驚いた。この人数で、あのアンサンブルの厚みは素敵。再び、カーテンコール。指揮者が、舞台奥から出てきて驚いた。そうだった、始まるときにはオケピが見えないなぁと思っていたんだった。舞台裏から流れる音楽は、とても自然に体に響いてた。別れがたさに続く、カーテンコール。。観劇当日の興奮した感想は→こちら。嗚呼、も一回でいいから見に行きたいっ。空席があるなんて、もったいないよ。
劇場:日生劇場
原作:R.L.スティーヴンソン
台本/作詞:レスリー・ブリカッス
作曲:フランク・ワイルドホーン
上演台本/詞:高平哲郎
演出:山田和也
出演:鹿賀丈史,マルシア,鈴木蘭々,石川禅,浜畑賢吉 他
ドクタージキル。精神コントロールを失調した父のため、人間の内の「善」と「悪」を「分離」する薬を作り出す。父に試そうとする彼の行動は、理事会の審議にかけられ却下される。人類の幸せと科学の発展にも寄与できるとの訴えも、死神よりも危険な論理だと否定され。。失意のうちに紛れ込んだ、場末のパブ。出遭った娼婦・ルーシーが彼を誘う台詞、「自分で試して」に。他人への実験でなく、自分自身に投薬することを思いつくジキル。
人の心から悪を分離させれば、争いは消えて幸福な世の中になるはずだった。薬は、ほどなく効きはじめ。身体のなかで、分離されていく精神。切り離されて、現われたのは。残忍な人格者、エドワード・ハイド。彼は、まず。理事会の面々の殺害を実行しはじめる。
善良なジキルを歌う鹿賀氏の歌声は、澄んでいて。分離されて取り出されたハイドの歌声は、まるで裏にジキルがいることを示すように二重に嗄(しわが)れる。迷うことなく人を殺めるハイドの、いで立ちは力強く。けれど、ジキルは闘うことを諦めない。善良なはずの自分の中から取り出された悪への、嫌悪。ハイドを打ち消す投薬を繰り返すあいだ、せめぎあう二つの人格。錯乱し力尽きて倒れ伏すまで続く、激しい人格の入れ替わり。眼前で展開される迫力としか言いようのないそれを、見つめ続けるのは。とても辛くて、とても哀しくて。ひどく消耗する。やってる役者さんの消耗って、計り知れない。。
ジキルが愛する、聖母のようなエマ。ハイドが気に入る、ルーシー。こんなところにも違いは顕著で。ラストだけ反転にて→ハイドは、そのルーシーさえも手にかける。そして、打ち消されたはずが。ジキルとエマとの結婚式に現われる。正気が狂気に変わる様(さま)、エマさえ傷つけるであろう人格を。見つめる親友・アターソンに。「撃ってくれ」と請う声は、なぜだか二つで・・・! そのままでは撃てはしないであろう、実直な親友への切なる懇願。やっと、おとずれた安らかな時。願い叶って倒れた彼に囁く、エマの。許しを告げる「おやすみなさい」の台詞は優しい。(ここでの鈴木氏の声が幼くて、唯一の残念ポイント←辛口ごめん)
カーテンコール。思いのほか、キャストが少なくて驚いた。この人数で、あのアンサンブルの厚みは素敵。再び、カーテンコール。指揮者が、舞台奥から出てきて驚いた。そうだった、始まるときにはオケピが見えないなぁと思っていたんだった。舞台裏から流れる音楽は、とても自然に体に響いてた。別れがたさに続く、カーテンコール。。観劇当日の興奮した感想は→こちら。嗚呼、も一回でいいから見に行きたいっ。空席があるなんて、もったいないよ。
帰り道にエマとルーシーがヘンリーを思って歌う場面にさしかかり、涙ぐんでたりして...ああ、ますます変なヤツになってました。でも暗い道で誰も見てないのよ、だから大丈夫なのよハハハ(^^ゞ
リンク、とっても光栄でございます。
ぴかちゅうさんの、さすがの文章に、またまた熱が上がって参りました。なにより、鹿賀さんの言葉が嬉しくてうれしくて(涙)。。
ジキルのCDは持っていないんですよぉ。どうもメディア購入には、シリが重くていけません。。
話題のエマの最後の台詞ですが、千穐楽に私が観たところでは許容範囲に入ってましたよ。けっこうホンワカムードのエマってそれでいいのかもと思ってしまいました。
4演もあると鹿賀さんがカテコで決意表明しちゃいましたから次回もこのメンバーでやってもらいたいと思ってます。
そうそう、こやまさんってジキルのCD持ってますか?そちらの感想も教えてくださいませm(_ _)m
結婚式のシーン、そのドキドキわかりますっ!
ほんとにね。すべてを焼き付けて覚えていたいのに。ぜんぜん思い出せなくて、悔しいところがいっぱいあります。
何かがおこるハズ・・・・・とドキドキでした。
『ジキル・・・』は、もう見ることができないので
自分の記憶だけが頼りなのですが、たよりなくてね~~(汗)
反転のところ、読ませていただき蘇りましたわ♪
ようこそお越しくださいました!コメントありがとうございます。嬉しいです。
鹿賀さんの演技は。ふたつの役、ではなくて。元々ひとりだった人格が分裂してしまったのだということが、すごく納得できました。
だからこその切なさがあって。。いまだに余韻に浸ってます~。
ほんっっっとこんな良いミュージカル、空席があるなんてもったいなすぎです。
ジキルの中にいるハイドの存在、それを感じさせる芝居をしているのが、私も凄い、と思いました。
こちらこそ、出てこなかった言葉「装う」を読ませていただいて、すっきり爽やか気分です。
ラストはねぇ。途中「いけるやん~」なんて思っていただけに・・・。どんどん変化していかれれば、良いのですけどね。
なんとか、もう一度観たいのですけど。なんせ年末、関西からでは辛いです~。
声が二重・・・なるほど、そういう風に聞くとまた解釈が増えますね~。こちらではいつも新しい解釈の要素をいただけますm(_ _)m
エマのラストの台詞はやはりちょっと残念でしたね・・・。若手の女優の台頭を望みます。