Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

音のデリカシー/商人の心

2005-11-30 08:30:31 | 雑記
寒い。信州の朝は相当冷えこんだ。昨日の夜も木枯らしのようになっていたが。諏訪の寒さとしてはまだまだ序の口ではあるのだが、序の口だろうが序二段だろうが相撲取り、である。こちらに帰ってくるたびに東京というのはいかに湿潤で温暖なところだろうと思う。こちらの空気はとても乾燥しているし、寒冷である。それだけでなく気温の日較差が大きいので服装や暖房の装備を一日の中で幾度も変えないといけない。

昨日帰郷。特急の中では前の席に韓国人、後ろの席に日系ブラジル人らしき人が座っていた。なぜわかったかというと、二人ともいきなり座席で携帯電話をかけ始めたからである。前の席の韓国人男性は一度きりで甲府で降りていったのでそう気にもならなかったが、後ろの席の中年女性は携帯を弄び始めて着歌を鳴らしたり始めたので「静かにしていただけませんか」と思わず注意した。こういう音のデリカシーに関する文化の差というものは大きいのだろうなと思う。寛容になろうとは思うが、毎週往復していると特急の中も生活空間の一部である。異物は排除したくなるのはある意味しかたがない。彼女は慌てて音を下げたが、私が降りるまでずっと低音で携帯遊びを続けていた。世の中いろいろな人がいるものだなと思う。

FMを聞いている。これは誰の曲か。さっきはベートーヴェンかな、と思ったが、今聞いている部分はピアノの非常にメロディアスな曲で、見当がつかない。

午後から夜にかけて仕事。人手が足りないのは覚悟していたが、目の回るような忙しさ。ただ、休むかもしれないと思っていた人が来てくれたので助かった。私以外のところでは相当しわよせが行ったようだが。

電車の中では居眠りをしながら『「相場に勝つ」株の格言』を読んでいたが、実際いろいろな面白い格言が多いなと思う。株式投資は商人の心で行うべし、という話が一番印象的だろうか。つまり、株というものは安いときに買って高いときに売れば儲かるわけだが、ある意味それは商売と同じである。つまり、株が暴落したときに安値で買占め、株が暴騰したときに高い値段で売ることばかりを考えていたらだめだ、ということで、適切な値段で購入してそれに正当な利潤を上乗せするくらいの感じで売るのがよい、ということである。どうしてもこういうものはマネーゲームになってしまうが、自分だけよければよい、というスタンスでは長続きしない、ということだろうと思う。やはりこういう鉄火場的世界でなければ出て来ないさまざまな含蓄がこういう格言にはたくさん含まれていて、面白いなと思う。読了。

後は何だろう、英作文、古文単語、ラテン語、ドイツ語と少しずつやった。寝る前には疲れていてあまりたくさんのことはできなかったな。

ベアボーンで数年前につくったパソコンの調子が悪いのでノートで日記を打っている。こちらはネットへの接続の具合があまりよくないので、今日はまだネットもメールも見ていない。

ピアノは、ベートーヴェンの『皇帝』だった。
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ミキモトの真珠/ポゴレリッチとターシャ・テューダー/西村真悟と鈴木宗男

2005-11-29 09:07:23 | 時事・国内
昨日語学。ラテン語はようやく8課までの復習を終え、9課に入る。接続法現在と未完了過去。今朝起きたら頭の中で寝ぼけながら動詞の活用を唱えていた。語学というのはどうしてもこういう段階がある。フランス語も9課。こちらは弱点や覚え忘れの再強化という感じ。『現代フランス語基礎演習』というテキストを使っているので文法ということもあるが語彙が豊富に出てきて勉強になる。語学というものははまりだすとはまるものだなと思う。

午後出かけようとしていたら置き薬の業者から来訪の連絡があり少し待つ。3ヶ月間何も使わなかったのが申し訳ないようだが、まあ重畳というべきか。それにしても日の短い季節だ。まず東京駅に出て切符を取り、東京中央郵便局の前を通って線路から一つ目の通りを南下。最近このあたりもお洒落になっているので、入ってみたい店がいくつかある。有楽町のビックカメラのところでガードをくぐりプランタンの横に出、松屋の前で中央通りに出る。

最近このあたりはブランドショップが増えたが、特にミキモトがいくつもビルを建てている。真珠も宝石も買ったことはないが、中学生のころ三重県にいたので御木本幸吉の真珠養殖の苦心談はよく読んだ覚えがある。子供のころは宝石というものがどういうものかもよくわからず、大人になったら御木本さんから買って「あげよう」と思っていたものだが、そういえばまだ一度も真珠というものは買ったことがない。

山野楽器に行ってポゴレリッチのCDを探す。夜たまたま見ていた番組でインタビューを受けていたのを聞いた際、断片的にその演奏を聴いて欲しくなったのだ。輸入版で2000円あまりのショパンの「4つのスケルツォ」(1998年録音)を買う。ショパンコンクールで落選した際、審査員の一人が彼こそが本当の天才だといって辞任したというエピソードにふさわしい世界が展開している。本当に美しいものしか目に入らない種族の人だなとインタビューを見て思ったが、新しい演奏も聴いてみたいと思った。

久しぶりにどこかでお茶をしようと思い、いろいろ考えたがリーズナブルなところということで教文館の6階のカフェに行く。コーヒーと小さな御菓子で680円という値段は銀座ではなかなかない。スタバなどはどうも落ち着かないので、安くて落ち着く雰囲気のよい喫茶店は貴重だ。もちろんここも教文館という組織の一部だからこそこの値段でやれるのだろう。ほかの銀座の好きな喫茶店で1000円以下というわけにはなかなか行かない。

一息入れて隣の絵本・童話の店に入り、そういえば、と思ってターシャ・テューダーの作品を探してみる。4冊見つけたが全て輸入物。いろいろ考えた結果、"The SPRINGS of JOY"という大判の絵本を買う。しかしこれは童話ではなく、春や人生に関するさまざまな文章を引用し、それにターシャが絵をつけたというもの。"Nothing can bring you peace but yourself."というエマーソンの言葉など、なるほどなと思う。ジョン・ダンやソロー、シェークスピアと並んでオマル・ハイヤームのことばもいくつかあった。ちょっと高かったがこれは「何かいいもの」だ。

いろいろやっていたら昨日も夜更かし。書き物はどうしても夜のほうがはかどる。しかしあまり遅くなると翌日に差し支えるので、仕事の仕方を考えなければと思う。

***

西村真悟代議士が逮捕された。弁護士法違反ということだが、それにしても何でこんなのに引っかかったか。示談交渉などで報酬を得るにしても、ほかの弁護士を雇えば済んだことなのに、と思う。中国はこの逮捕を報道して悪罵を投げつけているが、まあそっちの筋の何かが動いたのだろうなとは思う。それこそ「国策捜査」だが、日本の大事にすべきものと国益とを損なわないようにやってもらいたいものだと思う。

夜はテレビタックルに鈴木宗男代議士が出演しているのを見たが、なかなかすっきりしたクレバーな印象を受けた。発言内容それ自身は佐藤優が書いていることが多いのだが、対ロシア政策のスペシャリストたち、佐藤の言う「地政学派」が復活しつつあるのかもしれない。やはり対米一辺倒では解決するものは少ないが、小泉首相の対中強硬姿勢を基本的に維持するとするとあとはロシアに接近するしかない。

こちらによるとロシアはむしろ日本に対し接近のシグナルを出しているのだそうで、北方領土問題以外では中国を共通のライバルとして戦略を組みなおそうという意思があるような感じさえする。もちろん日本は北方領土問題で譲歩することは有り得ないわけだが、お互いに何か現実的な線で協力を深めることで拉致問題へも強い関与を実現し、北方海域での安全を確保していくことが可能になるだろう。交渉次第では北方領土返還にもこぎつける可能性もあるかもしれない。日露が友好平和条約を結んだら北東アジアのパワーバランスはかなり変化する可能性がある。シベリア抑留問題などで野蛮な印象はまだ強く残っているけれども、中国などとよりは気持ちのよい関係が築けるのではないかという気がする。

まあこのあたり、どこに最善の一手があるかということを自信を持って言うほどの材料はないが、シベリアの潜在主権を主張する勢力さえ存在する中国(笑)に比べれば、日本が進出した方がよりありがたいと本音のところではロシアも思っているのではないかという気がする。

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福永祐一騎手/裸の貴婦人/民主化と反米

2005-11-28 09:14:09 | 雑記
福永祐一がテレビで喋っているのを見たが、京都の人という感じで、勝って有頂天になっていたときは祇園で豪遊していたという。調子に乗りすぎて落馬し馬に踏まれて片方の腎臓を摘出したというが、全然懲りていない感じが面白かった。「男の子」がそのまま「大人の男」になったような、という人は最近なかなか見ないが、この人は面白いと思った。福永洋一騎手の遺児ということでなんとなく悲劇的な印象があるが本人に全然そういう翳がないのがいい。御曹司という印象をもたれずに20歳過ぎで自力で豪遊できたわけだからむしろそんなこともプラスにしてしまっているのかもしれない。武豊のような天才とはまた違うが、こういう遊び人タイプのジョッキーが強いのも競馬という競技らしくてよい。

日中はラテン語フランス語。最近は語学力の全般的向上に熱中している。相撲をチラッと見ていたら小泉首相が観戦に来ていた。年6場所制覇したら表彰式に行くと朝青龍に約束していたのだという。本当にやってしまうところがすごい。もちろん朝青龍が、である。優勝も琴欧州の大関昇進もほぼ確定的なので途中で見るのをやめて出かける。

新御茶ノ水の総評会館の出口のエレベーターで地上に出ると、5時前だというのにもう暗い。神保町まで歩き、三省堂へ。古文の単語と文法の参考書を買う。古文も読める気でいたが実は結構怪しいということに気がついた。語学力の全般的向上作戦の一環。語学書のコーナーで河野一郎『誤訳をしないための翻訳英和辞典』(DHC、2002)と英作文の本を買う。大学生向けの語学テキストの巻末の注釈が間違いだらけだという話があってこれは非常になるほどと腑に落ちた。どう考えてもおかしいだろという注釈があっても学生時代はそれが正しいのかなと渋々それを受け入れて珍妙な訳文を作っていたものだ。有名な英文学者でも、著名な小説家でも、時には辞書でさえ、誤訳がある。それはもちろん承知してはいたが、具体的な例が挙げられていると腑に落ちるものだと思った。

特に、植物の名前にa morning-glory(×朝の栄光、○朝顔)、a pink(×ピンク色、○撫子)、a naked lady(×裸の貴婦人、○アマリリス)などがあるのはつい間違えてしまいそうだ。もっとも最後のヤツは状況を考えれば分かりそうな気もするが。

民主党西村真悟代議士が逮捕されそうだ。平沼赳夫氏だけでなく拉致問題解決に熱心な議員が狙い撃ちされている感があるのはやはり政府内で日朝国交回復最優先派がイニシアティブを握ったのか。官房長官の安倍氏の表情がこのところ冴えないのはこの問題と皇室典範問題があるだろう。官房長官というポジションに祀り上げることでむしろ動きを封じるというのが小泉首相の作戦なのかもしれない。安倍氏には何とか状況を打開してもらいたい。

エジプトでイスラム原理主義運動の元祖とも言える「ムスリム同胞団」の系列の候補が国会に大量当選しているという。アラブ諸国の民主化というのは、当然一般に潜在的に大きな支持を受けている原理主義勢力が多数の候補を当選させるということを意味する。開発独裁的に反対勢力を封じてきた強権的・近代化政府か全く民主化を認めなかった絶対王政の産油国がアラブにおける親米勢力だったわけだが、「民主化=反米」という方程式を、どうしてもアメリカは解けないのだろう。原理主義勢力はそのままイコールでテロリストではない。むしろテロリストグループと原理主義勢力の分断を図ることの方がより重要な課題だと思うが、アメリカにはそういう手先の器用なことは出来ないのだろうなとも思う。

ミャンマーでアウンサンスーチーの軟禁が延長され、首都がピンマナという中部の都市へ移転を急いでいるのだという。一応地図には出ているので昔からあった都市のようだが、全く意図が不明だ。どうも平清盛による福原遷都が思い出されてならない。相変わらず動きのよくわからない国である。
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姉歯問題:検査機関の民営化はよいことか

2005-11-27 12:56:54 | 時事・国内
西友にお昼の買い物に出かけた帰りに、緑道公園を歩きながら姉歯-イーホームズ問題について考える。

ひとつ大きな問題なのは、こうした巨大な費用がかかる物件のフェイルセイフの体制が全く杜撰だったことだろう。姉歯建築士の偽造を見抜けなかった検査機関の存在は、大きな問題である。イーホームズはほとんどが自治体の検査関係者の天下りだということで、自治体の検査体制自体もまた検証されなければならないかもしれない。

そういう意味では行政による検査も問題がないわけではないのだろうが、やはり検査というものを民営化してよいものだろうかということを思う。検査機関が民営化されれば、当然ユーザーのニーズにこたえる機関に注文が増えるだろう。建設会社にしてみれば、長期にわたり厳密な検査をされるよりはなるべく早く、安く、甘くやってもらった方が納期の関係などから助かるという方向に流れることはないとは言えないだろう。こうした事態が起これば検査機関の優秀性もマンション価格に反映するようになるかもしれないが、これも喉元過ぎれば熱さを忘れるの弊を繰り返すような気がしないでもない。

検査者たちは、専門の建築士が公認のソフトを使って行った構造計算に欠陥があるとは思わなかった、といっているらしい。それではチェックの名に値しないだろう。つまりは相手は専門家で間違ったことはしないだろうという悪い意味での性善説に依拠して盲判を押したに等しい。検査機関は、消費者の側からすれば注文主に嫌われるくらいの性悪説に立って徹底的に調べてもらいたいものだが、それでは注文主から敬遠されてしまうだろう。性悪説に立っても成り立つ機関というのは、やはり国や地方行政の機関でなければしかたがないのではないか、という気がする。

もうひとつ思うのは、もともとこういう検査というものが日本の風土にあまり根付いていなかったということである。つまりは現場のワーカーが自らプライドにかけてチェックをすることでそれ以上のチェックが必要ないくらいの完成度をもともと上げていて、検査自体はおざなりになる、ということが普通だったように思う。トヨタに代表される日本のメーカーが強さを維持しているのもそういうところが多いだろう。しかしフランスなどでは労働者はおしゃべりしながら不良品をいっぱい作って平気でいて、それをカードルと呼ばれる検査担当者が厳密に検査して合格を出す、というやり方でやっている。カードルはエリートであり、労働者とは給料も人事体系も違う。いわば「違った世界の住人」であり、彼らの世界が交わることはめったにない。

それだけ彼らは検査する立場のエリート意識と責任感を持っているわけだが、そのあたりが日本とはかなり違う。現場がいい加減になってきてもカードルの責任感は向上しないのが現状の日本なのだと思う。

どちらの方向に進むべきなのかといえば、私の好みとしては現場主義に回帰してもっと質の向上を目指した方がいいと思うが、いわゆるグローバリゼーションの流れの中では難しいかもしれない。いずれにしろ、一番大事なのはどこのポジションでも責任感なのだが、潔癖なまでに強い人もまたまだまだ日本には多いのだけど、ネジが何本か抜けているとしか思えない人も無数に存在する。結局はそうした人をいかに責任あるポジションから排除していくかしかないのだと思うのだけど、無駄に平等主義が蔓延している日本ではなかなか難しい。そういう無駄こそ今最もリストラして欲しいものではあるのだが。
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日本に漂着するさまざまなもの/ターシャ・テューダーの庭

2005-11-27 10:11:59 | 雑記
いろいろやっているとなんとなく夜更かししてしまうパターン。自分の体調がよくつかめないときに起こりがちだ。昨夜は入浴したのが1時過ぎで就寝したのは2時前。これでは6時に起きられない。7時過ぎに起きて洗濯したり数年ぶりに炬燵を出したり。足元が冷えやすいので炬燵でフランス語をやってみたが、やはり暖かくてよい。しかし、押入れにしまいっぱなしだったせいか炬燵布団が埃(黴?)っぽく洟とくしゃみに襲われたので使用を中止し、ヴェランダに干す。最近では実家でも母が足が悪いので炬燵を使わなくなっている。私も6年前にぎっくり腰をやってから椅子の生活にしていたので、炬燵は本当に久しぶりだが、やはり風情はあるなと思う。

満洲の吉林で化学工場が爆発し、松花江にベンゼンが大量に流れ込んだ事件で、下流のハルピンでは水道水の供給が止まったというが、さらに下流の黒竜江、すなわちアムール川にも被害が及びそうになっていて、中国側がさっさとロシア側に謝罪したという。しかしその被害は実は中露に留まらない。アムール川の河口は樺太に向かい合うところにあるが、そこに大量に吐き出された川の水は冬季に凍り、その氷は流氷となって海流にのってオホーツク海を南下し、網走に流来するのである。冬のオホーツクの豊かな海が汚染される可能性は少なくない。この問題は日本政府側も早く情報収集を行って被害が拡大しないように協力した方が日本自身のためになる。もちろん中国側には謝罪もきっちり要求すべきである。

反日暴動が起こった重慶でも化学工場が爆発し、ベンゼンが流出したという。その被害の実態は分からないが、揚子江流域が汚染されると最終的には上海なども危ないし、その水が流れ込む東シナ海も汚染されることになる。日本海でのエチゼンクラゲの大量発生は中国の経済発展に伴う東シナ海の汚染・温度上昇との関係が指摘されているし、日本海側には毎年10万トンを超えるごみが漂着している。もちろんその全てが中国の責任というわけではなく、ハングルが書かれたものの漂着も多い。日本は東アジアのゴミ捨て場かと言いたくなる。

現実問題として、日本列島は太平洋の海流も日本海の海流も西北からのシベリアの冬の季節風の影響もあって人も物も流れ着きやすい場所にあることは確かであるし、「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」と島崎藤村が歌ったことはよく知られている。海洋の道、ヤポネシアといった言葉もそうした事情を表している。日本という国の成り立ち自体がそうして古代よりさまざまなものを吸収しつつ成長した国柄であると言うこともまた事実だろう。

しかし近代、いや東アジア諸国の経済発展以降、漂着するものはあまりよいものではなくなっている。ごみも然り、密入国者然りである。地形上そうしたものの漂着を防ぎにくいことは事実で、相当のコストは必要だが東アジア諸国に取締りを要求するだけでなく日本自身でも対策を立てなければならないだろう。

地政学的に、日本のポジションは良い面と悪い面が同居していることは否めない。しかしこうした問題は座視していれば良いというものではないと思う。

***

昨夜テレビを見ていたらターシャ・テューダーの庭を特集した番組をやっていた。最初はまあ見てみようかな、という程度の気持ちで見始めたのだが、結局最後まで真剣に見てしまった。アメリカも、バーモントと言うと私の行ったことのある南部や中西部、またロッキー山中とは全然違う。何と言うか、自然が決め細やかな感じがし、日本などの自然に近い感じがする。その中で庭造りに精を出す90歳の絵本作家の一年は、私の知っているアメリカ人たちとは全然違う、非常に親しみやすい人柄を感じさせた。人を驚かせるようなチューリップの植え方をしているのを見たが、一つの大きな穴に球根を密集させて植えていて、へええと思っていたら春になると本当に見事な満開で、すごいなと思う。究極のナチュラルガーデン、というのも最初は話半分に聞いていたが、番組の終わりころには本当にそうだなと感心した。番組中には彼女の長男や孫の夫婦が出てきていたが、素朴な男たちとかわいらしい孫のお嫁さんもとても感じが良く、アメリカにはこういう人たちもいるのだなとしみじみ思う。

グラハム・ベルがルピナスの種をいつもポケットに入れていて、アメリカ中を旅行するたびにそれを蒔いていた、という話は以前聞いたことがあったが、生態系を乱す不届きな男だとどちらかというと反感を持っていたのだけど、ターシャがその話をすると何と言うかベルはアメリカ中を自分のガーデンだと思っていたのだろうなという気がしてくる。その行為の当否はともかく、アメリカ人らしい夢の描き方だなとは思う。彼女は近代的な機械を使おうとはしないのだが、ベルや電機を発明したエジソンを素朴に尊敬していて、そのあたりもなんだかアメリカ人ぽいし、日本の老人たちにも確かにそういうものを素朴に喜ぶ人たちが昔はいたということを思い出した。

私はガーデニングの趣味もないが、しかし確かにこういうものを見ていると真似をしたくなる気持ちは分かる。あのチューリップの植え方はいつかやってみたい。

***

朝青龍が7連覇、勝ち名乗りで泣いていた。彼にとっては本当に重要な一勝だったのだろう。素直に素晴らしいと思う。千代大海や魁皇はもっと頑張って欲しいところだ。来場所は普天王の復活も期待したい。

夕方日本橋に出かけて丸善で本を物色。何も買わなかったが、この店くらいの規模がちょうどいい感じがする。帰ってきて知ったが、昨日は丸善の丸の内本店で佐藤優の講演があったらしい。惜しいことをした。山本山で煎茶を買う。会計を待っている間、お茶を一杯いれてくれたが、ブラジル産の煎茶だと言う。まだそんなに値段はついていないが、思ったより美味しかった。次回は買ってみても良いなと思う。COREDOの地下のプレッセで紅茶やらコーヒーやらを買ってみる。さてどんなものか。小舟町日月堂の白玉大福も売っていたので買ってみたが、これはとても美味しかった。次はお店を探して行ってみようかなと思う。

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何で負けるんだよ/姉歯建築士/女って何だろう

2005-11-26 11:42:39 | 雑記
昨日もよい日和だった。なんとなくドイツ語に熱が入って練習問題をこなしていく。やはりいい加減ではあったが第2外国語で学習した経験は残っていることがわかる。ラテン語はジュニアのときに2、3コマ出てやめてしまったので、実質的にゼロからのスタートだ。やはりそこらは違う。考えてみれば、曲がりなりにもツァラトゥストゥラやトーマス・マンまで読んだことは読んだのだから。驚くが。

午後から夜にかけて仕事。目の回るような忙しさ。特急に乗って上京。東京もだいぶ寒くなってきたが、深夜になってもマフラーも手袋もなくても歩けるのは、信州とは違う。

朝青龍が琴欧州に負けたというのをネットで見て深夜1時15分からの「大相撲全取組」を見る。琴欧州もだいぶ相撲取りらしくなってきた。今まではなんとなくレスラー臭さが抜けなかったが、体格や姿勢が相撲取りらしくなっている。ここ(相撲界)でやろう、という腹が決まったのではないかという気がする。朝テレビを見てたら朝青龍が「何で負けるんだよ…まだまだ足りないな。」と悔しそうに言っていたのが印象深かった。双葉山が七〇連勝を阻まれたときに「我いまだ木鶏たり得ず」と言ったことを思い出す。相撲は、勝負の世界は、奥があまりにも深い。佐渡ヶ嶽親方の定年に伴い琴ノ若が引退し、部屋を継ぐことになった。横綱や大関で引退するのでなければ十両に落ちたら引退、というパターンが多かったが、37歳まで幕内で取り続けた琴ノ若はすごいと思う。最後の相撲は残念だったが、大相撲ではいろいろなことが交錯した一日だった。

帰りの特急で週刊文春を読む。姉歯建築士の記事は彼個人の人間としての奇妙さを浮かび上がらせているが、もちろんこれは彼だけの問題ではない。そういうことを断れない人間的な弱さに安全性を無視したコスト削減という野蛮な資本制原理が襲い掛かったという面は否定できない。レーニンはロシアを「帝国主義の最も弱い輪」と呼び革命を実現させたわけだが、こうした猛獣のような金の力の圧力も、弱いところに最も強い力がかかるのだろう。蟻の一穴から堤防が決壊するように、建設業への信頼性も崩れていく。アメリカと同様の不動産バブルを日本でも狙う人々があるようだが、この体たらくでは難しかろう。日本人全体に蔓延しているんなんともいえない倦怠感から来ている自分の仕事への一人一人の責任感の低下がこうした失態を生んでいるのだと思われてならない。

猪瀬直樹のページに、彼が新人のとき国民金融公庫で金を借りてデビューを果たした、その融資してくれた人と再会した話があった。いま猪瀬はそうした政策金融機関を統廃合させる急先鋒の一人になっているわけで、微妙なものがあった。

酒井順子のページに、手芸と女性の関係性についてのエッセイがあって、昔は婦徳の育成のために奨励されていた手芸に、今は「結婚もせず子どももおらず」の友人たちがはまっている、ということが書いてあった。フェミニズムとかジェンダー論というものはなぜこれだけ女性の関心を集めるのか私には理解できなかったのだが、要するに現代は女性の方が自分の性について、「女ってなんだろう」と考える時代なのだなと思った。少し、と言っても数十年前なら、男も「男とは」ということをまじめに考えていたように思うが、今そんなことを考えていそうな人はそう多くないように思える。

しかし、女性の方は「女ってなんだろう」ということが、社会的に求められるものが変化してきていても考えている人が多いということなのだろうなと思う。その答えがフェミニズムやジェンダー論にあるとは私は思わないが、しかしそのあたりを模索する人が存在するということ自体は理解を超えたことではないなと思った。つまりそれだけ、女性の方が「自分探し」が困難なのかもしれない。男性の方は、「男はどう生きるべきか」というような言説は右も左も力を失っている。つまり好きに生きればいいとしか条件付けられていなくてそれだけ生物としての力が失われているのではないかと思う。

フェミニズムの言説というものは私は嫌いだし見るだけでいらいらすることが多いのだが、心の底では無視できないものを感じるのは、その奥の奥のほうにある種の衝動を感じるからだろう。仏教的に言えば無明というか、理性の光を浴びる前の生きようとする盲目的な意志、のようなものがある。男にはそれ自体が感じられないロボットみたいな思想の持ち主が多く、全く折り合える場所がないことがあるのだが、女性のさまざまな言説には聞きたくない聞くまいと思いつつつい聞いてしまっているというようなところがある。だからといって全く賛成する気にはならないが。

今朝の東京もよく晴れている。十階から眺める並木道では、信州ではもう全て落ちてしまった桜の葉が、色づいたまま晩秋の彩りを見せている。

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マンションの鉄骨を抜くことを指示する建設会社と日本国の屋台骨を抜くことを指示する誰か

2005-11-25 11:30:58 | 時事・国内
昨日はかなり充実した勉強も出来たし物も書けた。その代わり物を読む時間が少なくなっている。学ぶ(吸収する)こと、考えること、表現すること、それぞれがそれぞれに自分の生の重要な一部分だが、今は学ぶことと表現することがその存在感を増しているようだ。夜の仕事はそれなり。まあまあ成果の出ているところも有るし、まあこれから、というものもある。ルーチンワークも無事終了し、まあ軌道に乗って動いているということか。
今朝は朝から仕事の準備とルーチンの片付け。別納で郵送するものがいくらかあったが郵便局の時間外窓口で別納も扱ってくれるということを知る。民営化も具体化し、殿様商売ではやっていられないということなのだろう。

皇室典範の改正問題についてはあれこれ言う気もしないが、本質は伝統というものをどうするか、ということだけだ。伝統が伝統であることに、論理的な理由などない。ただ伝統として守られてきた事を守るからこそ「それ」が「それ」である、ということだけなのだ。「日本」が「日本」であるということもそういうことに過ぎない。何かを変えれば確実に失われるものがあるということを、もっと意識しなければならないだろう。破壊と創造だけを繰り返すだけのアメリカのような国になりたいのなら、別にアメリカの領土になれば良い。日本が日本であることに価値を置くのなら、守らなければならない伝統は守らなければならないのである。

しかし、伝統を平気で踏みにじる人々が「有識者」などと済まし返っていられる世の中であるから、結局は何もかも失われていくだけなのかと絶望的な気持ちにもなる。あまり道理が通らなくなったら、フジモリ政権が復活した後にペルーにでも移住しようかとそんなことすら考える。故郷が、故国があまりに変わり果てていくのを見るのに、私の神経が耐えられるかどうか、良く分からない。

マンションの鉄骨を2、3本抜くことを設計者に指示した建設会社があるというし、その会社かどうかは知らないが倒産を申請している建設会社もある。建設業界に一体何が巣食っているのか、これもまた一つの闇を小泉政権が解体しようとしているのかもしれないが、今回の皇室典範改悪案は日本国の屋台骨を二、三本抜くような指示であろう。それを法的には何の権限もないロボット学者やフェミニストにやらせる。誰の差し金かは知らないが、最終責任が首相にあることは間違いない。

東方紅の彼方に、日出る国はただただ海に沈んでいくのだろうか。(一言書いておきたいが、こうした表現は「自虐的」なのではない。そうなればいわゆる「憂国的」な表現は全て自虐である。)

***

世の中不愉快というか不愉快では済まないことが多いのだが、今朝買ったビックコミックはまたまた何度も泣かされた。『小早川伸木の恋』『兄帰る』も良かったが、いちばん感動したのは『天上の弦』だ。陳昌鉉の製作した3000円のバイオリンで芸大を受験する学生がいる。彼は並み居るヨーロッパの100万円クラスのバイオリンを使った受験生を抑えて合格する。製作上の悩みをバイオリニストに打ち明けると、バイオリニストは言う。「悩んでくれたまえ、陳君。我々演奏者もバイオリンに命を託すんだ。いいものを作るため、もっともっと悩んでくれたまえ。」受験生は合格し、主人公もまた思いを新たにして製作に取り組む。「物を作る人間」と「物を使う人間」の『いのち』のリレー。それこそが人を「生かす」のだ。何を使う際にも、物を生かしているかを考え、何を作る際にも、物にいのちを吹き込んでいるかを考えなければならない。「もの」や「こと」を通してこそ、人は生きることができる。

『本居宣長』をまた少しだけ読む。宣長の宇治十帖の解釈は、匂宮と薫という対照的な人物像を描くことに紫式部の主意があるのではなく、浮舟という本当に主体性のない女性を描き出すための道具立てに過ぎないのだ、ということだと言うことで、これには全く意表を突かれた。「こんな女にも生きる理由がある」という小林秀雄の表現はどうも現代的過ぎるような気もしなくはないが、ややロボット的なイメージがあった薫と匂宮の存在の意味がこれで自分の中では解けたように思った。「ご覧の通り、この女は子供だが、子供は何も知らないとは、果たして本当の事であろうか」と小林は書く。主体性がないからこそ、「もののあはれ」のみがただただ浮かび上がってきてしまう、ということかと思うが、そのように言われると全面降伏としか言いようがない。

ネットの調子が、というよりPCの調子が悪く、更新が遅くなってしまった。
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文化というものは弱いもの/全的な存在へのノスタルジア

2005-11-24 08:35:31 | 雑記
なんとなくFMをつけていたら、先ほど流れていたのがベートーヴェンの一番。今がメンデルスゾーンのチェロソナタ。あんまり妥当な言い方ではないのだろうが、19世紀前半の作曲家はベートーヴェンのエピゴーネンというか非常に強い影響下にあるのだなということを感じる。現代でも、ある時期の歌はポップスでも歌謡曲でも音作りに一つの傾向があるわけで、そういう意味でのオリジナリティというのは厳密には存在しないのだろうなと思う。ただメロディとか歌詞とかについては類似性がはっきりと証明できるから問題になるが、編曲にまで踏み込むとそういうことは言えないのではないかと思う。著作権という制度がなければ著作者の権利は保護されないが、いろいろと微妙な問題が含まれる問題ではある。文化というものが持つ本質的な資本主義的な経済性と相容れない部分があるということなのだろう。もちろん、資本主義制度を維持する以上、それに適合した文化の経済化が行われなければ文化は衰退してしまうわけだが。文化というものは弱いものである。弱いものだからこそ強い意志を持って維持しなければならない。蛇足ながら、皇室制度も同断である。

昨日は松本から帰ってきたのが三時過ぎでそれから昼食。このところ朝食は抜いているので昼が遅れるとこたえる。各地の農協がやっている販売所が多くの客を集めている。このあたりではりんごの収穫時期なので、贈答用の受付をやっているさなかであった。試食したりんごは甘くおいしかった。

昨日は仕事が休みだったので勉強も書き物も捗った。『西郷隆盛の生涯』を少し読んで、「児孫の為に美田を買わず」の漢詩などを読む。西郷という人は革命家でもあり軍人でもあったが、非常なロマンチストであり詩人でもあったのだなと思う。その日本的、あるいは東洋的ロマンチシズムがあまりにも強く、西欧的な文明概念を受け入れにくかったところがあるのではないかという気がする。その後の軍人やあるいは国粋主義的な政治運動に強い影響を残しているが、彼のように革命家でもあり政治家でもあり軍人でもあり詩人でもあるそうしたいわば全的な存在は現れることはなかった。西郷という人の生涯は、いわば一つの詩として受け入れるべきものなのではないかと思う。そいういうとどうしても「滅びの美学」的な方向に傾くが、必ずしもそういう方面だけではない。楠木正成などもそうだが、もちろん報国の精神は彼らに強くあったわけだが、それだけでもなく叙事詩的な生き方が彼らにはある。一言でいえば、「人として美しい生き方を貫いた」ということではなかろうか。これは柴門ふみの『小早川伸樹の恋』に出てくる言葉なのだが。

こうした「人として美しい生き方」といった詩的な部分が生かされないところが歴史学というものの不全性を感じるところでもある。ただ、歴史学は全ての学問を超えた存在だという「歴史学帝国主義」の立場に立たなければ出来ないことは出来ない、と割り切ることも可能だろうが、もちろんそのぶん魅力も減退することはやむをえない。

『源氏物語』を読んでいると、光源氏という全的な存在が死んだ後、出てくるのは薫にしても匂宮にしてもある一面的な人間性を持った存在になる、という話を吉本隆明が書いていたが、そういう神的な全的存在の分化、という変化はお能などにもあるのではないかという気がする。翁という全的な存在が引き取り、さまざまに修羅、夢幻などに分化していく。これは白洲正子が書いていたことだったか。

進化ということは分化であり細分化であるのかもしれない。全的な存在というパラダイスに戻ることは許されないのかもしれない。しかし、進歩という方向と同時に人間には復古の、あるいは伝統保守の欲望があるのは、そうした全体的なものを希求するこころがあるからであり、ノスタルジアともなんともつかぬ、ある憧れや欲求のようなものがあるからではないかという気がする。
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学力と常識

2005-11-23 10:41:52 | 雑記
昨日帰郷。出るのがぎりぎりになってバスに乗る。結構こんでいた。東京駅で弁当を買い、中央線に乗る。御茶ノ水で快速線が豊田駅で信号機故障との連絡。緩行線に乗り換えて各駅停車で新宿に。特急は2分遅れで出て10分遅れで到着した。実質的な影響はほとんど無し。

電車の中で『丹田を創って「腹の人」になる』読了。呼吸法はいろいろ興味深い。ただ、朝目が覚めたときに腹に少々筋肉痛を覚えたのは、いろいろ試してみたせいか。からだと相談しながらちょっと研究してみたい。

『本居宣長』14節まで進む。要約はしないが、契沖から藤樹、仁斎から徂徠へ話が行ってようやく宣長に戻ってきた。「もののあはれ」についての話が続く。多いに引きつけられるものがあるが、うまくまとめて書けない。書こうとすると、また長大なものになるだろう。「歴史意識」と「道」の話には大いに感ずるところがあったのだが、これもまたうまくまとめては書けない。何度も読み返しながら考えることになりそうだ。

高校生などで、古文は出来るが現代文ができない、という人が多いのはなぜだろうということを少し考えていて、古文や漢文は語法はもちろん勉強しなければ分からないが、内容は(特に初学者があたるものは)そう難しくないし、常識で類推すれば分かるものが多い。しかし、現代文で扱う文章は深く哲学的であったり文学的であったり、つまりあまり常識的な内容ではなく、挑発的であったり突飛であったりイデオロギー的であったりする、ということもあるからではないかと思い当たった。自分が現代文が不得意だと感じたことがなかったのでその感覚は理解しにくかったのだけど、常識をわきまえていればいるほど現代文が不得意になる、ということは逆説的だがあるのかもしれない。私などはまあ相当非常識だったのだろうと思う。

と、そんなことを考えたのは、「もののあはれを知る」ということが本来子どものころに持っていたみずみずしい感覚を保持するための「道」だ、というようなことが書かれていたので観念操作の得意不得意ということを連想したからのようだ。ここのところずっと古文に属する文章を読むことが多くなっているせいか、もう少し古典文法やら古語の語義語源などをまともに勉強しなおしてみたいという気持ちも出てきている。受験は今思うとかなり適当な勉強のしかたで乗り切ってしまい、そういうその場しのぎの要領のよさが後で祟るということが私の人生にはあまりに多くて何だなと思う。

『20世紀の歴史家たち』は徳富蘇峰と白鳥庫吉の項を読み終わる。蘇峰は別の本で読んだときの方が感銘があった。白鳥は東洋学者として日本の東洋学を西欧の研究レベルに引き上げたという功績が大きいのだということを再認識。昔の歴史家たちの仕事や努力には頭が下がり、感動を覚えることが多い。

仕事はまあまあ忙しくも有り忙しくもなく。就寝前に少しドイツ語をやる。

ダイヤルアップで接続しているこちらの回線も電話料金が高いのでADSLにした方がいいかと思っていろいろ調べてみたが、今より安くなることはなさそうだ。それよりNTT東日本のi-アイプランというのが1200円で3000円までかけ放題、というのがあってこれだと月々1800円安くなる計算になる。遅まきながらいろいろと工夫。

朝は寒かったが、10時を過ぎてだいぶ暖かくなってきた。今日は勤労感謝の日。これから松本に出かけ、仕事は休みなのでそれぞれの仕事の準備と勉強とかきものをしようと思う。

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心理学による人間関係のマニュアル化/チーズうさぎ

2005-11-22 10:19:40 | 雑記
昨日。『「人たらし」のブラック心理術』読了。久々に「読了」の文字が書けると気持ちいい。最近そう簡単に読了できない本ばかりと取り組んでいるとちょうど通じがあったような気持ちよさが読了の文字にはある。内容は昨日書いたような人付き合いのマナーと、ちょっと気がつきにくいことを心理学的な統計を使って説明してあるもの。怒りっぽい気分になるのは糖分の取りすぎが原因である場合があるとかの話はへえと思う。

説得しようとするのではなくレッテルを貼る(「きちんとしなさい!」ではなく「あなたはきちんとした人なんだから」、という言い方をする)とか、「なぜ?」という質問は相手の気分を害させるとか、「ブーメラン法」(「この商品はいかがですか。」「高い…」「それが品質の証明なんですよ」など、相手の否定的な言辞をとらえて買うべき理由にするというセールス方法)などの話を読んでいると、なるほどこの手の心理学と言うのはこういうことをマニュアル化して商売にしているのだと了解した。セールスマンや売り子にもこの手の訓練を受けていると思われる人は確かに多い。心のケアやトラブル、すなわち医療分野以外で心理学と言うのは何がどう役に立つのかと言うことがよくわからなかったが、この手の心理学(何主義と言うのか不明、ビジネス心理学とでも言うべきものが学問分野としてあるのだろうか)というのはこういう需要があるのかと納得。しかし人間関係がマニュアル化されすぎるのはどうもという感じはある。取るべき態度がきちんと取れる、ということは大切なことではあるが。マニュアルよりマナー、ということだな。

午後東京駅に出かけ、切符の予約を取ったあと丸善で本を物色。歴史のコーナーで立ち読みしていたら今谷明ほか編『20世紀の歴史家たち(1)』(刀水書房,1997)を読んで雷に打たれたような衝撃を受ける。この衝撃の内容は今は書けないが、自分の進路行く末に大きな確信を得ることが出来そうに思った。少し高かったが、購入。このシリーズは4冊あるが…

八重洲側に出て大丸の地価で「チーズうさぎ」というロールケーキを買い、中央通まで歩いて地上に出、日本橋の丸善に入って米長邦雄『人間における勝負の研究』(祥伝社黄金文庫、2005第7刷)を購入。家に帰って様々なこと。『丹田を創って「腹の人」になる』の呼吸法をやってみるが、これはなかなかよさそうだ。息を吐く時に上腹と下腹を分け、上腹の息を吐ききる工夫。上と下を分ける意識は今まであまりはっきりなかった。ちょっとしばらく試してみようと思う。チーズうさぎ、まあまあ美味しい。

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