Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

タリウム少女と「自分らしさ神話」(続き)

2005-11-08 10:30:45 | 時事・国内
しばらく前に文章の構想は考えていたのだけど文章化していなかったものをちょっと書いてみる。「タリウム少女」と「自分らしさ神話」の話である。

タリウム少女についてはさまざまな側面から情報が出てきているが、学業面では相当優秀な生徒だったようだ。しかし小学校段階から毒殺犯を尊敬する人物に挙げるなどそうした志向があったことは確かだろう。また母親に飲ませる前に自分でも飲んでみたというが、このあたり効果を確かめるためだけではないと思う。自分でも毒を少量だけでも体験してみたかったに違いない。そういう毒性をもった化学物質に対する偏愛のようなものを感じる。

いずれにしても、もともと少女はそういう性向を持っていた、というか何かをきっかけにそちらの方に惹かれて行ったことは間違いないだろう。そういう意味では特殊なケースではあるから一般論的な「自分らしさ神話論」で片付けられる範囲を逸脱しているのは確かだが、そうした風潮のようなものによって自分の性向が肯定され得ると考えていただろうことはあるのではないかと思う。

先日書いた「自分らしさ神話」が、この少女や酒鬼薔薇少年などの「幻想性非行」のひとつの誘引になっているということはいえると思う。自分の中に鬼を飼っている、という表現があるが、人間というものは自分の心内にとんでもないものを飼ってしまうことはあると思う。しかしそれはそれと対決しそれを押さえ込みそれを殺していかなければいわゆる「人間」としては生きていけないものだと思うのだが、「自分らしさ」という言葉を免罪符にしてそれらのものを生かしておき、またさらには成長させてどんどん怪物化させてしまう、ということはあるのではないか。移民少年たちのフランスや、あるいはドイツやベルギーにも飛び火した暴動も、彼らの中で押さえきれないほど成長してしまった「何か」がついに暴れだしたのではないかとこちら・11月7日を読むと思う。そうした現象の発生の原因はもちろん違うが、人間というものがよい部分ばかりを持っているわけではないということは改めて押さえておかなければならないことだと思う。

酒鬼薔薇のときも彼に憧れる少年が多く、私の勤めていた高校でも本気で憧憬していた生徒がいたが、そういう「発揮することが許されない自分らしさ」を自分に代わって実現していくヒーローのようなものなのだろうと思う。自分らしさを体現してくれるヒーローとして正の面ではイチローがあり、あるいは千葉ロッテ球団自体などもまたそうした身代わりヒーローとしてあるのだろうと思う。正負は不明だが普通はやれそうもないことをやってしまうほりえもんや小泉首相もまたそういう意味でのヒーローである。そして、明らかに負であるけれどもそれゆえの強烈さを以て「自己実現」を貫いた酒鬼薔薇やタリウム少女にはそれだけでカリスマが生じてしまうのだと思う。

普通に、伝統的に考えれば、「自分らしさ」というのは自分の努力によって作り上げていくもので、何かを作り出すことによってしか得られない。しかし、「消費」によって「自分らしさ」を身近に置けるようになった世代にとっては、もっと簡便に入手可能なものなのだろう。最近読んでいる分野で言えば、中古・中世の天台教学の「本覚思想」である。つまり、人間は生まれたときから仏性を持っている、悟っている、ということに気付けばいいのだ、的なものを感じる。そういう意味でいうと「自分らしさ神話」というのは日本においてはあんがい深い根を持っているのかもしれない。しかし、それが迷妄であることに、鎌倉仏教の祖師たちは困難な知的苦行の末にたどり着いたといってよいのだろうと思う。しかし本覚思想そのものが完全に消えることがなかったように、「自分らしさ神話」はクラスを超えて蔓延していると思う。

団塊ジュニア世代の女性が子どもに最も求めていることは、国際的に通用するマナー、上品な振る舞いなのだ、という話が『下流社会』に書いてあったが、現代の「上」のクラスの女性が男に求めるものは「階級性」であって、以前はあったと思われるインテリジェンスでは必ずしもない、と思った。そのような形で「自分らしさ」を自己実現しようとする人々を非難したり留めたりするものはもちろん誰もいない、当然だが。

自分を鍛えるとか、自分を善導するという考えがないかあっても極めて弱いまま、自分の中にある強烈な悪に引かれ、それを見つめすぎると、人はそこから逃れられなくなってしまうということがあるのではないかと思う。酒鬼薔薇もタリウム少女も植物や草食動物に生まれたかった、というようなことを吐露しているらしい。攻撃性を持つという宿命を持たずに生まれてきたら苦しまずに済んだのに、という思いを持っていただろうことはある意味悲しささえ感じさせられる。

こうした非行・犯罪において社会が悪いという言い古された言い方で言えば、「自分らしさ」神話・幻想を振りまく全ての学者・媒体・商品生産者がこうしたもののそんなに遠くない責任を負っているということも一度考えてみてもいいのではないかという気がする。

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換気扇のフィルター交換/マイナス思考も入れ替える

2005-11-08 09:57:52 | 雑記
今朝もよく晴れている。起きたのは5時半だったが、このくらいの時間だとまだほとんど真っ暗だ。さすがに暦の上では冬なので、そのあたりは致し方ない。しかしこの時間から起きているといろいろなことが片付けられる。昨日は10時前に寝てしまったので洗い物が残ってしまったのだが、それを片付けていると流しの上の棚が気になりだし、それを片付ける。よく見ると、台所周りはこのところ手を入れていないということがはっきり見えてきた。大丈夫だと思っていた換気扇のフィルターも油まみれ。食器や調理器具などを整理しフィルターを交換したりしたが、まだ抜本的な手の入れ方が必要だ。私はこういうところに手を入れるのが下手なのだが、徹底的に整理すると相当すっきりするような気がする。今度の土日にでも何とかしてみようと思う。

ここのところ『日本思想史入門』を読み続けているが、黄色のソファに寝転んで読んでいるのが姿勢と目によくないのか、ちょっとかったるく朝起きたら目が痛かった。なるべく早く読もうとして許容量を超えた読み方をしているのかもしれない。世の中には早く読める本と読めない本がある。最近読もうとするのはどうも後者が多くて読書時間がどうしても長大になるか、途切れ途切れになるか、途中で長期中断ということになる。『アールデコの世界』などは20年くらい中断したが、先日読了した。しかしきっと読み終わらないものも結構あるだろうなと思う。

語学も初めて勉強するラテン語に最も力が入っているために一度はやったドイツ語とフランス語がなかなか進まない。それでも一応修論まで書くのに使っているフランス語は結構記憶が残っているけれども第二外国語だったドイツ語は冠詞の活用程度のことは懐かしくやっていたけれども語彙が乏しいのが結構響く。しかしここに来て一度はやった言語というのがほかにもロシア語(学部の授業でロシア革命の文献を読んだ)やスペイン語(ヨーロッパ旅行の際で唯一使い物になった外国語)もあることを思い出し、そのあたりにも手を出したくなってきたが、少なくともどれかひとつの文法書を終わらせてからにしたいと抑えている。英語も含めて、これだけの言語が「きちんと」できれば結構役に立つだろうなとは思う。しかし、まだイタリア語やインドネシア語、台湾語などやりたいものもある…バベルの塔の後に生きることは大変なことだ。

昨日は午前中は友人と電話で話し、夕刻に出かける。東京駅で帰省の切符を取り、丸の内丸善で本を物色。いろいろ考えたが、西野武彦『「相場に勝つ」株の格言』(日経ビジネス人文庫、2005)というのを買う。相場というものに興味があるということもあるが、社会の動きというのも相場のようなものだなと最近思っていて、ちょっとそういう方向から社会を見てみたいという気もしている。10年位前から社会というものをあまり好きでなくなっているのは事実で、だからといって背を向けていては自分の身を立てることも十全には出来ないし、そういうマイナス思考というかそういうものが自分自身の思考や行動を負の方向に引っ張っているなということは気付いていた。少し関心の持ち方を変えてみると、家の中の不具合や手入れの行き届いていない洋服などをもう少しどうにかしようという気持ちにもなる。人によっていろいろな自分の保ち方というのはあるだろうけど、私の場合は身の回りをはじめとして世界のそれぞれの個別的なあり方に関心を向けることが必要だと丸善を歩きながら考えた。

その後半蔵門線で神保町に出て、何件か書店を物色。三省堂の語学書コーナーでインドネシア語の辺りにいたらスカーフを巻いた女性が男連れで来た。インドネシア人というのはぱっと見では日本人と見分けのつかない人が時々いるが、その女性もそうだった。神保町に行って何も買わないで帰ったのは久しぶり。西友で夕食の買い物をして帰る。
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『日本思想史入門』:中世思想の世界性と近世思想の秩序性

2005-11-08 08:27:22 | 雑記
昨日は「正法眼蔵」の感想を書いたところで息切れしたが、昨日朝の時点では『日本思想史入門』は「説教集」の途中まで読んであった。その後「葉隠」伊藤仁斎「童子問」と読了し、現在は荻生徂徠「弁道」に入ったところである。

昨日読んだ分の感想も少しずつ。「歎異抄」では、阿弥陀信仰の根拠が「大無量寿経」であり、その中で法蔵菩薩が阿弥陀仏になる前にたてた四十八の誓願のうち第十八、十九、二十願がその根拠となっていて、中でも十八願「たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して、わが国に生まれんと欲して乃至十念せん。もし生れずんば、正覚をとらじ。ただ、五逆と正法を誹謗するものを除かん」というものを悪人正機説の根拠としているということを知る。宗教の改革運動というものがこのように経典の解釈の中から生まれてくると言うのは面白い。解釈を純粋化したり本来の字義に戻ろうとする言わば復古的な営みの中から全く新しいものが生まれてくるのは、プロテスタンティズムでもよく見られる。

「徒然草」は通読したのはバロン吉本の『マンガ日本の古典 徒然草』だけ。中世隠者文学というが、隠者というのは喜撰法師の昔からあったのではないかと思ったが、若年の遁世者が出てくるのは平安末期以降であり、彼らは寺院に属して信仰に生きるわけでなく、したがって身分として僧籍に入るわけでもない(在家の沙弥という形態)。僧形になっても歌会に出席し、また「遁世」自体が王朝的美意識を反映したものだという。「無常」を感じ尋常一様の出世から離れはするがそれは自らの心の平安を求めるものであり、一種の自由人であると解釈できるという。このため彼らはのちには「数寄者」の名で呼ばれ、風狂の思想とその系譜を生み出していくのだという。

私などは確かに西行などの存在がどうも不思議でならなかったのだが、そのように整理してもらえると分かりやすい。寺院に入るいわゆる出家と、西行のように気ままに生きるスタイルはどう考えても全く違う。比較するならばポリス社会崩壊以後のストア派やエピクロス派あるいは犬儒派の哲学者たちのようなものか。しかし日本の風狂の思想は哲学にもならず信仰を深めるわけでもなく教理体系を打ち立てるわけでもなく、つまりは文学的なものであり、「彼らの残したのは、自らのありようをめぐる観念や感情がさまざまに動き交錯する、その内面のドラマそのものであり、それゆえそれらは随筆や歌集といった私的な表現の形態をとった」のだという。このあたりちょっと類例を思いつかないが、その辺に日本文化の独自性の大きな部分があると言うことだろうか。まだうまくまとまらない。
本文で一番印象に残ったのは「死は前よりしも来たらず。かねてうしろに迫れり。」という言葉である。確かに、死は生きようとして向かっていく先に待ち構えているのではなく、ある意味見えないところから近くに来ているものだと思う。人は刻々に死んでいる、それを人は刻々に生きている、と歪曲することが文化の本義だと野口裕之氏は言っているが、そんなことを思い出した。

「説教集」。親兄弟という情の論理を重視していて、家族の中で誰かが欠けているという家族の欠損の状態(父の不在・あるいは子の不在を埋めるために神仏に祈願して生まれた「申し子」)から物語が生まれ、「情」という内的・極私的な論理が救済の論理に転ずるという構造を持っている、というところをふむふむと読むが、今のところこれが日本の思想全体にどのような意味を持ちうるのかはまだ深く考えていない。

「葉隠」。先日読んだ『男の嫉妬』の中でずいぶん貶されていたのでどうもそういう先入観からいちいち引っかかる箇所が多くなってしまったが、なんというかまあそういうものだと思いつつ読むようなものだなと改めて思った。一番大切だと思うのは「兼ての覚悟」というものだろうと思った。戦場で主人が危なくなったら第一にその前に立ちはだかり、命を落とすことを普段から意識していることが武士道の全てだ、というわけである。なんというか、ある意味徹底的な反知性主義で、「出来るやつほど死を惜しむ」から「出来ないヤツの方がよい武士だ」というくらいの徹底性を持っている。

これは確かに日本人の精神基盤に今でもあるわけで、できる社員よりも忠誠心だけは厚いという人間の方が評価されたりする。それを面倒に感じる人は多いだろうが、日本人の精神性のひとつの特徴だし、そういう人間がいて始めて組織が成り立つくらいには日本の組織はもともと弱体なのだとも思う。「無能な人間の忠誠心」こそが、実は日本的経営の中核だったのではないかと、まあそういうものがなくなりつつある現在思ったりする。アメリカ的経営に換骨奪胎することはそういう意味では日本的組織と日本社会をいったん全面的に崩壊させることにつながる可能性があるというくらいには思っておいたほうがいい。
「童子問」。伊藤仁斎の著作を部分的にでもきちんと読んだのは初めて。「葉隠」もそうだが、中世の乱世の時代にはある意味世界的なスケールを持った思想が生まれ得たのだが、安定した封建社会が成立した近世にはむしろその秩序性のなかから世界を解釈するような思想が生まれてくるのだと思った。そういう意味で、儒教が近世の主要思想になるのは政策的にも社会の必要からもしかるべきことなのだろう。私の友人で、なぜ日本にはロシアのトルストイやドストエフスキーのような芸術上の巨人が生まれないのだろう、と悩んでいる人がいたが、日本は19世紀ロシアのような徹底的な社会矛盾を抱えた恐るべき社会ではないからなのだろう。そう考えてみると、日本中世の「乱世」というものがどのようなものであったのか、ちょっとぞくっとする。

仁斎を貫いているものは朱子学批判であるといってよい。孔子・孟子を徹底的に研究することで性理論を否定し、山崎闇斎らの主張する「敬」(かしこまった態度・厳格性といえばよいのか)よりも人間性の根本にあると考えた「已むを得ざるもの」としての「誠」を重視した。また朱子の思想を「理が先にあり気が後にある」思想とし、「理」は後から作られたもので、先にあるのは「気」であると考えた。まあ朝鮮朱子学なら存在を許されない異端である。このあたりからはっきりと日本と朝鮮の思想的対立ははじまっているのだなあと思うが、もちろん顕在化するのは数百年後のことである。

近世儒学は自分にとって最も知識も理解も欠けているところだなあと改めて思う。逆に言えば、戦後的な倫理教育にとって、中世の思想というのは非常に適合していたと言うことが出来るのかもしれない。そういうものが自分の思想理解の中でも明らかに投影されているように思う。自己の世界理解の体系を与えられたものではなく自分自身の意思によって再構築していくということは大変なことだなと改めて思う。
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