Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

「バルテュス展」を見に行って、思ったこと。

2014-06-03 19:47:19 | 雑記
ユリイカ 2014年4月号 特集=バルテュス 20世紀最後の画家
クリエーター情報なし
青土社


6月1日日曜日に、東京上野の東京都立美術館へ『バルテュス展』を見に行った。

バルテュスは以前から好きな画家ではあったのだが、本格的に関心を持ったのは2011年、震災の年のことだった。震災以前から少し画集などを読み始めていたのだけど、震災でささくれ立った心にすごくしっとりと入ってきたのが、『バルテュス、自身を語る』で語られたバルテュスの言葉だった。当時のブログを読むと、本棚が倒れて前面のガラスが粉々に破れ、散乱した破片を片付けたりしていた当時の記憶が甦ってくる。その時に、「私はつねに絵とは「素晴らしいもの」の追求、イエスの誕生時にベツレヘムに向かった東方の三博士が夜道を歩いているようなものだと思っていました。導いてくれる星に従い、そうして出現にたどりつかなければなりません。」という震えるくらい美しい言葉を読んで、何か自分の心が彼の作品に向かって開かれたような気がしたのだった。

またバルテュスが「不穏な画家」であることについても考えたことがあって、それはこちらに書いている。当時、精神状態がやはり不安定な部分があって、その中で数か月をかけて彼の本を読み切ったことは、たぶんそこで自分の感覚や精神状態のようなものを再構築する意味があったのだな、と今にして思う。

だから、もちろんバルテュスの本格的な回顧展が東京で見られることはとても心が動いていたのだけど、あれからもう3年もたったこともあって、その頃の彼の言葉や彼の作品との「特別のつながり」のようなものはもう忘れている部分があった。だから何となく都美館に行くのも気が進まないところがなくはなかったのだが、やはり行けば行っただけのことはあるだろうという気がして、ようやく昨日行くことができた。

でも、彼の作品にはやはり自分が忘れていても強い思い入れのようなものがあったのだなと思う。バルテュスの絵を実際に見るのは多分初めてだったのだけど、なんだか懐かしい人に会いに行くような、そんな気持ちが美術館に行く道すがら、湧き上がってくるところがあった。久しぶりに会って、変わってないか、あるいは自分が変わってしまっていて、そのせいで印象が変わってしまいはしないかと。そういう不安。

だから、館内に入っても、先ず自分の見たい絵から順番に見て行った。回顧展だから彼の画業を理解するための、まだバルテュスがバルテュスになる前の作品もいろいろとあったのだけど、そういう作品はまずは飛ばして、まずは彼が彼であるたるゆえんの絵たちを見て行った。地下から見て、一階に上がり、二階に上がり、外に出る前にもう一度エレベーターで地下に降りて、もう一度見る。結局そんなふうにして延べ三回転見た。混雑していたら迷惑な鑑賞の仕方だが、それが許される程度には空いていた。思ったより混んでいなくて助かった。

何度も見ているうちに、思うことがいくつか出てきた。一言で言うと、思ったより面白くなかったのである。

上に書いたように、バルテュスは自分にとって特別なところがある作家である。その作品をはじめて見て、思ったより面白くなかったと感じたのはなぜだろうか。それは多分、かなり深刻な問題なのだ。

まず、いろいろな絵を見ているうちに、タブローよりもその前の素描の段階の絵、あるいは素描のみの絵がすごく強い印象を持っていることに気がついた。やはり素描というものは特に、実物を見ると印刷物とは全く違う印象を与える。たとえば1968年に描かれた『読書するカティア』という作品の習作としての素描。まだ顔は適当で、おもに焦点があてられているのはその素晴らしく肉感的な脚だ。膝で折られた左脚の、その太もも、ふくらはぎ、すね、足首、足の甲、爪先。伸ばされた右脚の少し折られた膝と、脚の美しさ。これは凄いと思った。

しかし完成品は、なぜか膝の曲げ方が左右反対になり、両脚は肉感的というよりはかくっという曲げ方になっていて、どう見ても素描の方が存在感が凄い。バルテュスは、デッサンの段階では「描きたいもの」は明らかに「脚」であったのだと思うが、タブローにする際にもっと違うものを描きたくなったのだ、と思った。

しかしこの完成したタブローを見ても、顔は本の影になる形で、光が当たっていない。光が当たっているのは本と、脚と、背景の壁や床なのだ。

バルテュスは何のために、つまり何を描くために、このタブローを描いたのだろうか。そんなことを思いながら、館内を歩く。

二度目に見たとき、バルテュスのアトリエを再現したコーナーの前で、バルテュスのインタビューを撮影したビデオが流されていた。そのインタビューの中でバルテュスは「絵を描く上で大切なのは光と静けさと、そのほかにはなんですか」という質問をされて、彼は「何よりもまず光です」と答えている。そしてアトリエに置かれた絵、1994年から95年にかけて描かれた『モンテカルヴェッロの風景(Ⅱ)』を見ながら、「もうすぐ、素晴らしい光が入ってきます」と言っていた。彼はアトリエで、自然光のみで絵を描いていたということは、インタビューを読んで知っていた。

そしてはたと気づいた。彼は、光を描きたかったのではないか。バルテュスはアトリエで光を待ち、その自然の素晴らしい光の中で、作品を描いた。ということは、彼の作品をベストの状態で見るためには、自然光の中で見なければならないということになる。それなのに、実際に宛てられている光は、普通の美術館の普通の、危なげのないライトなのだ。あまりに普通だからそういうものだと思ってしまっていたのだけど、それは画家自身が見たい光だとは、到底思えない。バルテュスはどう考えても「危ない」画家なのだから。

もちろんこれは無理難題なのだと思う。油絵なのだから、日本の6月の強い自然光など当ててしまえば絵は確実に傷むだろう。しかしそれは叶わないまでも、絵に当てる光をもっと工夫することはできたのではないか、と思う。バルテュスの絵は絶対、光の当て方ひとつで全然見え方が変わる作品なのだ。自分が物足りなさを感じたのは、この光の当て方、絵の見せ方なのだと気がついて、かなり合点が行った。

彼の戦前戦中の不穏な絵たちは、光の当たり方に緊張感が高い。特にポスターにもなっている『美しい日々』などはそうで、舞台で言えばサスペンションライトのような緊張感の高い光が描き込まれている。この絵も、いわゆる泰西名画を見せるようなライトではなく、もっと緊張感が際立つような光の当て方をしたら、非常に際立つ印象を与えたに違いない。もちろん初めて見た人たちには強い印象があったとは思うのだけど、印刷物で何十回も見ているものにとっては「画集と同じ絵がそこにある」ではつまらない。という印象になってしまったのだ。

そしてそれと関連するけれども、この展覧会ではあまりにもバルテュスが巨匠扱いされ過ぎている。もちろん巨匠であることは疑いのない事実であるけれども、バルテュスはルーベンスではないのだ。むしろカラヴァッジョ、つまり異端の画家であるはずなのだ。(そういえばカラヴァッジョも光と闇の魔術師だった)

今回の展示のコンセプトで弱いところがあるとしたら、そういう異端性の表現の部分であったのではないかという気がする。もともとこの画家は、たとえば昔の西武美術館のような最先端の前衛や異端の画家が取り上げられ、とんがったスノッブな人たちや頭でっかちな学生が見に来て面白がったり彼女に威張ったりするような画家であるべき(あるべきというのも変だが)なのが、「20世紀最後の巨匠」という感じの、つまりは「美術史のお勉強」的な感じで取り上げられ、真面目な顔をして絵を見に来るたくさんの中高年を動員することに成功した、という展覧会になっている、ということなのだと思う。

もちろんそれで商業的にはかなり成功した、と言っていいのではないかと思う。しかし、出口で年配の女性同士が「ああ、今日はたくさんお勉強した」と喋っているのを聞くと、「勉強するような絵じゃないだろ」と思ってしまう。たとえば描かれている女性の裸体を見て、「きのうの女の身体に似ている」と思ってしまうような怪しからん野郎どもが何食わぬ顔をして見る、そんな絵だという側面が、捨象され過ぎてしまっている。春画を見て多色刷りの鮮やかさに感嘆するのもいいが、それだけじゃないだろうというのと全く同じ話だ。

村上隆さんもどこかで描いていたが、現代美術では性の問題はむしろ取り上げられるべきテーマの一つであって、やはりその点においても彼の作品は現代性を持ち続けているのだし、そこをスルーするのは本来展示の仕方としてださい。しかし逆に言えば、日本でバルテュスという作家の作品が「見てもいい」絵になるためには、こういう展示の仕方もされなければならないのだろうな、とも思う。だから逆に、痛々しさとか不自然さを感じてしまうのだろうな、と思ったのだけど。

展示についてはいろいろ思うところはあったけれど、最後に展示されていたバルテュスの蔵書や愛用の品を見ていて、「年を取ったら銀の杖の似合うジジイになりたい」と思った。バルテュスはやはり、若い時も年を取ってからもかっこいい。あのかっこよさがなければモデルをだまして脱がして(失礼)絵を描いたりはできなかったのではないか、とつい妄想する。

さて、いろいろと書いてきたけれども、これらはもちろん個人的な意見だ。敢えて強い表現を取ったところもあるけれども、基本的には、やはり作品の真価、作家の真価が十全に受け取れるような形で見てみたいと思うからこそ書いたことなので、失礼の段はお許し願いたい。

バルテュスはインタビューで、言っている。

「絵を描く仕事に虚栄や自惚れを見てはいけません。まさにその反対、いかに自分を守り、前進するか、なぜなら、常に、何においても重要なのは歩くこと、進歩することだからです。そのために私は常に誰かれの忠告、ましてや現代絵画で目につきやすい流行や妙な癖は無視していました。心に留めていたのは己を信じて、まだ不明でわけがわからず、震えでしかないものを日の当たるところまで持っていくことだった。絵としてもっとも正しいものに正確に到達するために、仕事、また仕事。なぜなら絵には絵の正しさというものがあるからです。」

絵には絵の正しさがある。それを彼は確信している。だからその「正しさ」が十全に感知できる示し方で見たい。この文章も批評というには拙すぎるけれども、批評にも批評の正しさがあるだろう。それはやはり、その作品、その作家の真実をとらえることだろう。少しでもそれに近づく手掛かりになることを意識して、この文を書いた、わけなのだが。

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徹底的にやることで深さが出てくる/書き続けることで世界が広がる/進撃やまど☆マギの凄さを改めて感じる

2014-04-15 09:26:43 | 雑記
【徹底的にやることで深さが出てくるようだ】

このところずっと忙しくて更新できなかった。なんとかマンガブログだけは更新していたのだけど、マンガブログだけだとたとえばこのブログからの流入や、ツイッター・フェイスブック経由の流入も減って、むしろマンガブログにもいい影響は出ない、という感じになってしまうようだ。少し余裕があるときにマンガブログ以外のものもきちんと更新するようにして行こうと思う。

しかし、マンガブログを毎日4回(朝7時台、12時前後、5時過ぎ、9時過ぎ。4回と言っても忙しい時は予約更新にしているのでせっかくコメントしてもらってもフォローできないこともある)更新していると、マンガやアニメというものについていろいろ考えることが出てくるなあと思う。

こういうふうに、ある意味徹底的にやるということが、ただ好きだから感想を書く、ということとは違う何かの深さを生み出してくる、ということはあるのだなと思う。それぞれ作家さん自身や編集者の方にツイートで返信をいただいたりすると、ああ読んでいただいているんだな、伝わっているんだなと思うとそういう意味で身の引き締まる思いもする。むしろ最近は一般の読者より関係者の方々のレスが多く、(笑)もっと読者よりの目線で書かないといけないなと反省したりもするのだけど。


【アクセスカウントの金鉱はどこに】

それにしても、ある程度のアクセスを毎日出し続けるということは本当に大変なことだと思う。先日の『進撃の巨人祭り』のころ、つまり4月の9日10日のころは、アメブロで1000を超え、先月つくったばかりのFC2のサイトでも870もアクセスが出たのだが、数日たっておそらくは検索エンジン経由での来訪が激減したこともあって(つまり、もっと新しい感想の方が上位に表示されるようになった)13日のFC2のアクセスは101まで減ってしまった。

検索エンジン経由のものは、何かニッチな情報でほかに触れている人がいないようなことを書いているとそれに関しては上位に残り続けるので、そういうエントリがいつもあることがある程度以上アクセスを減らさないためには大事なことなのだが、そこまでの金鉱はまだ掘り当てていないということなんだなと思う。


【書き続けることで世界が広がってきた】

こういうことを書いていることで、改めてマンガやアニメについてそれなりに意欲的に見ていく気も出てくるわけだけど、そのあたりになるとまたアーティスティックな面だけでなく、経営的なことやトレンド的なことも視野に入れた考えが出てきたりして、結局マンガやアニメと言っても読む側にとっては単なるエンターテイメント、自分の心を楽しませたりものを考えたりするきっかけにしたり、あるいは心の中の宝物にしたりするものであっても、つくる側にとっては当然ながら人生をかけた「仕事」であり、経営を成り立たせたりイベントを打って集客したりということも大きな仕事になるわけで、そういう方がより見えてくるということはあるなと思った。まさに『重版出来!』の世界だ。

昨日もココイチで持ち帰りのカレーを待っている間、置いてあった『OnePiece』の単行本を読んだりしていたのだが、やはりおもしろいんだなと思った。まだ5巻だからそんなに設定も複雑化していなくて、連載初期のダイナミックさがよく出ていた。読むならやはり1巻から再トライして行くといいのだなと思う。

アニメについても去年『進撃の巨人』をネットや、特にニコ動でも追いかけたことによって、アニメの情報の集め方のようなものが分かってきたところがある。


【進撃やまど☆マギの凄さを改めて感じる】

それでほかのアニメも少し見るようになったのだけど、いろいろなアニメを比較しながら見ていると『進撃の巨人』のように「原作もアニメも両方面白い!」というのはやはり「幸運な作品」なのだと思う。原作の「癖」が生かし切れてないかな、と思うような作品も結構あるし、アニメ界や声優の人たちの「お約束」に流れてしまうような作品(部分的にしろ)もあったりして、『魔法少女まどか☆マギカ』や『進撃の巨人』、あるいは『新世紀エヴァンゲリオン』といった作品がいかに斬新で突出した作品であるかが逆に分かったりするところがあった。

漫画・アニメを通して現代の社会や世界が見えてくるということは、実際のところあるなというのがこのところずっとそれに関する文章を書いていての感想。でもそんなに理屈っぽいことはマンガブログの方には書かない方がいいかなと思うので、そんなことを今日ここで書いてみたのだった。
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昨日は『進撃の巨人』祭りだった/まんがブログのアクセスが一日2000を超えた

2014-04-10 18:10:52 | 雑記
【昨日は『進撃の巨人』祭りだった】

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昨日4月9日は『進撃の巨人』関係の出版物が大量に投入される日だったので、朝のうちに『別冊少年マガジン』と『週刊少年マガジン』を買って第56話を読んでおいた。

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朝のうちにAmazonに注文してあった『進撃の巨人』13巻限定版が届いたのだが、昨日は松本に出かける日だったので、帰ってから読むことにした。高速で松本まで行ったのだが、消費税率の引き上げと同時に高速道路の昼間割引が廃止になったために、今まで450円で行けていた区間が750円になって、かなりの負担増という感じになった。

ここのところ頑張ってマンガブログを更新しているけれども、操法で見てもらったら一月前に比べると身体はましになっているそうで、一番忙しい時期は過ぎたということなんだろうなと我ながら思った。

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そのあと食事の場所を探して少しうろうろしたのだが、諦めてなぎさライフサイトのツタヤに行って『悔いなき選択』1巻と『Before the fall』2巻を買った。それから母を信州大学病院に送る途中で『一茶』という手打ち蕎麦の店を見つけたので、そこで昼食にした。ざるもかつ丼も美味しかったが、少し量が多かった。次回行く機会があったら天ざるとか蕎麦系のものにしようかと思う。

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帰った後、まず13巻を読む。4ページ追加があるということだったのでどこかなと思いながら読んだのだけど、いきなり最初の51話にその書き足しがあって、ヒストリア(クリスタ)の性格付けにかなり重要なことが書きたされているなと思った。

うちに帰ると、呉智英さんが阿部洋一さんの『バニラスパイダー』と並べて『ダビンチ』で批評していた小説の大坪砂男『探偵クラブ 天狗』(国書刊行会、1993)が届いていた。

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その日のうちに限定版付属のOAD(オリジナルアニメーションDVD)まで見て寝たのだが、今朝は職場に資源ごみを出しに行くとき、セブンイレブンでモーニングとビッグコミックを買った。朝の更新はOADについてに決めていたが、昼の更新を『Before the fall』にしてじっくり読んだのだけど、結構ラノベ版の内容から変更があるという印象だった。

夕方の更新は『悔いなき選択』1巻に決めて、これで一通り昨日買った『進撃の巨人』関係のことに関する紹介・感想は終わりという感じ。夜の更新はまた別のことを書こうと思う。

この間にも会社の決算関係のことやらなんやらかやらで結構走りまわっていて、ときどき疲れが出てひっくり返っていたりした。


【まんがブログのアクセスが一日2000を超えた】

ただ最近更新を頑張っているのと、昨日の『進撃の巨人』祭りのおかげで、昨日はブログすべてのトータルでアクセスが3000を超え、まんがブログ二つの合計も2079になって四月中に2000を超える、という目標を9日に達成することが出来たのはよかった。もちろんまだコンスタントに2000を超えるというところまでは行っていないからこれから次第だけど、一度でも越えれば二度も三度もあるだろうからこれを定着させられるようにして行きたいと思う。

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古いサイトを掘り起こしたり、雪に埋もれた庭のサツキを掘り起こしたり

2014-03-12 10:18:17 | 雑記
【古いサイトを掘り起こしたり、雪に埋もれた庭のサツキを掘り起こしたり】

昨日帰郷。朝はいろいろ昔作った古いサイトを掘り起こしてまた起動できるようにしたりしていたのでブログが少ししか更新できなかった。知らない間にサービスを終えているのとかもある。サーバーのスペースを借りたまま放置して何年も経っているところもあったりして、そういうものを有効に利用できるようにしようといろいろ考えている。

いろいろなブログにいろいろなことを書いているので自分が今どれだけ何をやっているのかということがよくわからなくなっているのだけど、ちょっと立ち止まって整理してみないといけないなあとは思う。何となく始めて何となく放置しているものとかが結構多くて、というのは子どもの頃からそうなのだけど、『ちょっと手を付けてみる』というのが好きな子供だったのだ。古道具屋に行って小箪笥などを見ててついどれも引き出しをあけてみたくなってそうしてしまうのだけど、店の人に「何も入ってないよ」と言われて恥ずかしかったりした。

いろいろなことに興味があるから、「ちょっと手を付けてみる」というのが多分最大の娯楽であり、気分転換なのだけど、そんな感じのものはなかなか続くということがない。私がマンガが好きなのは、まさに「ちょっと読んでみる」のにちょうどいいものだから、ということもあるんじゃないかなとふと思った。

先日の大雪はまだ郷里の方ではだいぶ残っている。日常生活に支障が出ない程度には片付いているのだけど、思いもかけないところに支障が出たりしていてい、先日書庫の庇が落ちたことを書いたけど、工務店に頼んだのだけどまだ見に来てくれてない。消費税が上がる前だからどこも忙しいのだろうと思うけれども。

昨年、庭のサツキの葉の色が赤っぽくてどうしたんだろうと庭師の人に聞いてみたら、雪焼けをしたんだろうという話だった。今年はだいぶ積もっているのだが何となくそのうち消えるだろうと思って放っておいたのだけど、そのことを思いだして今朝は思い立って雪を落としてみた。

しかしこれが、実はかなり難物だった。雪自体の暑さがかなりあるし、もうひと月近く経っているわけだから完全に締まっている。ほうきや雪かきでは落とせないので、鍬を持ち出して雪を耕す感じにして、その小片を一枚一枚剥いで行った。小片を剥いで行くと言っても小さめのカツオみたいなサイズの雪の固まりで、それを剥がして放り出す。その度にサツキの新芽が剥がれてしまうわけで、落とすのと放置するのとどっちがいいのか迷ったのだけど、やはり雪の重みにそのままにしておくのもよくないと思って、多分それなりに傷んでしまったとは思うのだけど、とりあえずどけられるだけはどけた。

裏庭は枯山水様式なので、岩が川の流れのように配置され、サツキが水流のように配置されているのだが、雪に隠れていて場所がわからなかったサツキも結構あったのでいくつも踏んづけてしまった。全く、雪が降ってからあまり日にちが経たないうちに、手をつけるだけはつけておけばよかったのにと思う。

田舎の仕事というのはまあ、そういう自然とどう付き合ってくかみたいなことが多いし、思ったより大変だったり簡単だったり、なかなか予定通りには行かない。

ああ、もう10時を過ぎてしまった。
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今日は行き当たりばったりの一日だった。

2014-03-09 21:54:55 | 雑記
今日は行き当たりばったりの一日だった。

今日のお昼は、少し早い11時ごろ、たまたま目についたとんかつ屋で新潟名物だというタレかつ丼を食べた。薄い衣で揚げたかつがご飯の上に載っている面白いものだった。

午後、横浜に出かけたが、どこもやたら混んでいた。もう春休みなのだろうか。それにバーゲンも重なって、ルミネなどもあり得ないくらい混んでいた。いろいろ探して日本維新の会が支部大会をやっていたホテルの1階の喫茶店に入ったら、ゆっくり座れてよかった。ここはいつも、いろいろなところが混んでいても入れなかったことがないところなのだけど、そういうところを一つ確保していると気持ちの上でだいぶ楽だ。

西口地下街の有隣堂のマンガ王国へ行ってマンガを見て、ヨドバシカメラでiPadAirのアクセサリでも見ようと思ったら入り口のauのところが爆発的に混雑していたのでやめた。地下街に戻って有隣堂の書店の方で少し本を見たけどやはり買わなくて、さてどうしようと歩いているうちに道に迷ってよくわからないところを歩き、気がついたらジョイナス地下の南口の方へ行ってしまっていた。地下街のメインストリートに戻って、時計を見たら5時だったのだけど、何となくおなかが空いていたのと目の前の満天餃子に呼ばれた気がして、餃子ライスを食べた。

東海道線のホームに上ると、普通電車が止まっていて特急踊り子の待ち合わせをしていた。踊り子の自由席で座っていくという手もあるなと思って検索してみたら自由席特急料金は500円だとYahoo!知恵袋に書いてある。普通車グリーンの休日事前割引だと550円(平日だと750円)だから、踊り子に乗るという手もあるなと思ったらもう目の前で発車してしまった。結局普通電車の自由席で乗車券のみの料金で帰ってきたが。

東京駅で降りて成城石井へ行って朝ご飯のパンとクリームチーズ、トルコ産の干しいちじくを買い、丸善に行って本を見たがどうも買う気にあまりならなくて、そのまま帰ってきた。

帰ってきてブログに何を書こうかと迷っていたのだが、行き当たりばったりに今日食べたものなどについて書いているわけだ。
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ウクライナの歴史とか宇宙の距離梯子とか今やってることの全般的見直しとか

2014-03-04 19:21:14 | 雑記
昨日は日本橋から帰ってきたあといくつかブログを更新。最後の一つ『生きている気がするように生きること』だけは最後まで文章を書く時間がなくなって、下書きを全部Google Driveにアップしておき、それを特急の中で読み返して、字句を修正しつつ更新することになった。高嶋さんの本で読んだこと(GoogleDriveを使うこと)を早速使わせていただいた。

今日火曜日の午前中に松本に行く用事があったので、いつもなら火曜日に帰郷するのだけど今週は月曜夜の帰郷になった。新宿駅の売店で駅弁を買い、午後9時新宿発のあずさに乗り、高尾あたりまでいろいろやりながらなんとか更新して、それから夕食となった。

夕食後、車内では主に『物語ウクライナの歴史』を読む。まだ18ページ、古代ギリシャ時代に相当する遊牧民スキタイ支配下の時代を読んでいるが、知らなかったこともいくつかあり、面白いと思いながら読んでいる。

郷里の駅には23時半頃到着。もう気温は零下になっていた。東京の暖かさにもう身体がなじんでしまっていて、とても寒く感じる。母が迎えに出てくれていて、車で帰れたのはやはり助かった。

入浴などしたあとに何となくテレビをつけたらBSで『コズミックフロント』という宇宙を扱った番組の再放送をやっていた。テーマは『コズミック・ラダー』、宇宙で距離を測るための『梯子』をいかに見つけてきたかという内容だった。

途中から見たのだけど、そこではセファイド型変光星(ケフェウス座δ星に代表される脈動変光星)の発見によって1000光年以上の距離(年周視差を用いた従来の方法では測定できない距離)の恒星や島宇宙(銀河)の距離の測定に成功した話から見た。

この偏向の周期と明るさの関係を発見したのがハーバードの女性研究者、(というか助手)のヘンリエッタ・リーヴィットだったのだということも初めて知った。

この宇宙がすべて我々の銀河内にあるのか、あるいは我々の銀河以外にも銀河が存在するのかということをめぐって、『大論争』が行われたということは初めて知った。

その次に出てきたのがエドウィン・ハッブルだったので、銀河の赤方変位を測定することで後退速度を測定し、その速度に比例するドップラー効果の話が出てくるかと思ったら、それは『距離梯子』の例としては出て来なかった。私は年周視差とセファイドと赤方変位しか距離測定の方法を知らなかったので、意外に思ったのだけど。

この番組では、ハッブルは『大論争』に決着を付け、我々の銀河以外にも多くの銀河が存在するということを証明したという文脈で出てきた。

そのほか、1a型超新星爆発と宇宙の膨張速度の測定によるダークエネルギーの存在の発見とか、ガンマ線バーストの観測による130億光年までの宇宙の測定といった『距離梯子』が紹介されていて、大変興味深かった。

しかしこういう番組をつい見てしまったので、テレビを見終わって12時45分、自室に戻ってすぐ寝ようと思ったのだがMacBookAirがOSXをアップデートしろと要求してきたので軽い気持ちで実行したら、インストール中の表示が全然動かない。

私はMac使いでもあるしWindows使いでもあるがMacは初心者なので、こういう予期せぬことが起こると焦ってしまう。公式のサポートページを見てもよくわからないのでいろいろググってみて再起動してみたらインストラーがちゃんと動き出したのでほっとしたのだが、おかげで寝たのは3時前になってしまった。

で、今朝は7時前には起きて松本に出かける準備をすることになった。寝不足で高速を運転するのがやや心配だったが、とりあえず運転している間にしゃんとしてきたので何とかなった。しかし、操法を受けると「休まってないですね」とまたいわれた。

帰ってきて昼食を食べ、一休みして、自分のいまやっていることを一度ちゃんと把握しようと思ってそのことについて考えながら書き始めたら、なんというか意外な展開になった。またそのことについては書くことになると思うし、サイトの運営自体を何らかの形で変えるかもしれないのだけど、とりあえず今のところは『変わるかもしれない』ということにしておきたい。
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人の意識の地殻変動

2014-03-02 13:31:21 | 雑記
【人の意識の地殻変動】

どうも朝から調子が悪く、ぐずぐずしている。

ということを書いて、そうか、私のブログのアクセスが伸びないのはこういう社会性のないことを書くせいかなと少し合点が行ったり。調子がよかろうが悪かろうが、発信すべきことは発信する、ということをやっているブログの方に人はつくのかなと思う。私自身がそうではないので、そのあたりのことは分からないのだけど、まあ確かに人の体調の話を読まされてもそんなに面白いとは思わないかもしれない。

ただ、どうなのだろう、むかし、というか数年前まではそうでもなかったな、と思う。日々起こる日常雑記や体調の変化、その日に思ったこと、そういう本当に『日記』みたいなことを書いて、それなりに読む人がいる、という文化が、ウェブ上にはあった。今はあまりそういうものを感じないのだけど、まだあることはあるのか、それともその辺のウェブを読む人のメンタリティが変化しているのだろうか。

毎日いろいろなことを考えながらいろいろな文章を書いていると、そういう大きな人々の意識の地殻変動みたいなものがあまりよくわからなかったりする。

むかしはなんだかんだ言っても、自分と同じレベルの人というか、自分と似たようなことをしたり、似たようなことを考えたり、あるいはまったく想像外のことをしていたり、というような人の生活というものに、ある程度興味を持っている人が多かった気がする。

最近は、どちらかというとまたプライベートはプライベートで、仕事は仕事、という感じがウェブ上でもしてきているのかもしれない。

なぜそういう変化が起こったのかはわからないけど、たとえばいわゆる中産階級に属する人たちの生活上の余裕のようなものがよりなくなってきたということなんだろうか。昔は人のふり見てわがふり直せ、ではないけど、人の日記を読んでそうだなあと思ったり、それを読んで自分の考えを考え直したりする程度の余裕はあった気がするのだけど、今は人のことよりも自分のことというか、先ずは自分の生活を何とかしたい、という感じになってきたというか。

ということは逆に言えば、読むことよりも書くこと、影響を受けることよりも自ら行動すること、を主にする人が増えてきたということなのかなとも思う。

それは決して悪いことではないなあとも思う。

こうして自分があまり調子が上がらない日に、そういう動きのことを考えていると、ああ、こういうことを書くのもなんだか時流に遅れてるんだろうなあというふうに思ったりもするのだけど、自分の気持ちが時流とはちょっと離れているからこそ、見えたり感じたりすることもあるんじゃないかと思ったりした。
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銀座、京橋、日本橋は、いつまでたっても古くて新しい街だった

2014-02-25 09:35:34 | 雑記
昨日は日本橋から京橋を通って銀座まで散策した。

その真ん中の京橋あたりが、いま再開発でいろいろ新しいものが出来てきている。八重洲口近くのブリジストン美術館とかパイロット万年筆の万年筆博物館とか、もともとこのあたりにはいろいろ面白い施設があるのだけど、一つの「街の中心」だった明治屋が今工事中で、散歩の途中にぶらりと立ち寄れないのは少し痛い。

しかし商業ビルなども新しいのがいくつもできて、でも湾岸とかと違って基本的に古くからのオフィス街なので、家族向けや若者向けでなく、働く人相手の落ち着いた施設が多いのが好感が持てる。

新しいレストラン、あるいはカフェのようなお店もできて、料理も美味しくてリーズナブルな価格で、インテリアも素晴らしかったしWi-Fiも使えるという、今一番求められているという感じのお店に入ったけれども、大変良かった。

かなり前だと思ったが、イナックスが京橋に住まいの関係の書籍だけ集めた書店を開いて、いまはリクシルに受け継がれているのだけど、相変わらず大変充実している。

そこから足を伸ばすとすぐ銀座で、ルイヴィトンやカルティエ、シャネルやブルガリの並んでいる通りをアップルやミキモトの方向へ抜けて、教文館や木村家、山野楽器へと歩く。

教文館のカフェは言われて思ったけれども、というか思っていたけど書くほどのことでもない気がしていたのだけど、お客には確かにキリスト教関係というか、「教会に行っていそう」な感じのご婦人方が多い。なんとなくそういう雰囲気が、私などには落ち着く感じがあるのだけど、それは誰もがそういうわけでもないだろうなあと思った。

さらに新橋まで中央通を下って行くと、新しい店、なくなった店、懐かしい店、工事中の店、それぞれが銀座の華のように咲いている。

銀座、京橋、日本橋は、いつまでたっても古くて新しい街なのだなあと改めて思った。
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お稲荷さんの初午とか備前焼の本とか

2014-02-24 19:40:29 | 雑記
昨日は初午。近所のうちからお稲荷さんの祠まで行き、そこでお神酒と油揚げと目刺しを供え、お参りし、お神酒をいただいて家に戻り、直会。こちらの希望で、質素にしていただいて、ゆっくりお話などし、1時過ぎに辞去。また来年はうちの当番となる。

狐の像がそちらのうちに一対と、うちに一対。年に一度、初午の時だけ顔を合わせることになる。こういう形で続いていくことで、地域が守られるということもあるんだろうなと思う。

2時13分発の電車で上京。途中、富士見駅あたりは凄い残雪で、1メートル以上の高さがある駅名標がほとんど埋まっていた。甲府盆地に入るとそれほどでもなかったが、大月駅より少し東京寄りの初狩の駅では、富士見と同じくらいは残っていた感じがする。

都内でも八王子や日野のあたりはかなり残っていたが、都心に近付くとほとんど消えていた。地元でもほとんど雪は見なかったが、日陰に少しだけ残っているところが何カ所かあるという感じだった。

窯別ガイド 日本のやきもの 備前 (窯別ガイド日本のやきもの)
文・上西節雄
淡交社


今日は昼過ぎに都心に出かけ、日本橋あたりを散策。京橋の書店で本を物色して、文・上西節雄『窯別ガイド日本のやきもの 備前』(淡交社、2002)を買った。喫茶店に入ってからじっくり読んだが、私はやはり備前が好きだなと思う。いくつか買ってはあるのだけどやはり今出来のものはどうしても雅趣が勝ってしまって備前本来の野性味とか火の力を感じさせるところが足りない。こういう本を読んでいると、備前本来の魅力が分かる。いつか実際に窯に見に行きたいものだと思う。
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『草子ブックガイド』3巻:幸福な終わりかたをした幸福な作品】

2014-02-21 21:33:08 | 雑記
【『草子ブックガイド』3巻:幸福な終わりかたをした幸福な作品】

何を書くか考え始めるとなかなか書きだせないので、更新が遅くなってしまう。そうなると過去のブログをリライトして更新するものも更新するのが遅くなって、多くの人に読んでもらえる時間に更新できないと言う悪循環に陥ってしまう。やはり完全に新しいことを考えて書くのを毎日いくつも書くのは難しい。それを一日のうちどの時間帯にやるのかも難しい。

昨日は疲れていたこともあって早めに寝て、6時間以上睡眠を取れた。FMで『古楽の楽しみ』を聞いてモーニングページを書く。7時過ぎに出かけて職場のゴミを捨て、サークルKに回る。昨日発売の『モーニング』だけでなく、今日発売の『週刊漫画Times』もあったので2冊とも買った。物流はだいぶ正常化してきたようだ。

家に戻って朝食。母と俳句の話をして、家のゴミを捨て、部屋に戻って『モーニング』と『週刊漫画Times』を読む。連載再開の『宇宙兄弟』が割合シビアなネタ。

『週刊漫画Times』もよく読んでいる連載の作品が掲載されている週で、割とだだだっと読んだために印象に残ってない部分もあるのだけど、『かわうその自転車屋さん』はまた例によって魅力的だった。あと『信長のシェフ』が面白くなりそうな予感。

週刊漫画Timesは蘊蓄系のマンガが多いので、なんとなく気ぜわしいときには蘊蓄を吸収したり楽しんだりする余裕がないんだなと思う。時間があるときにゆっくり楽しむという手もあるが。午前中に二つブログを更新したが、このメインブログを更新しないうちにどんどん時間が経ってしまった。

草子ブックガイド(3) (モーニングKC)
クリエーター情報なし
講談社


昼食後車で出かけて、職場に何冊かの書籍を運んだ。それからガソリンを入れに行き、TSUTAYAへ行って本を探したら、今日発売の玉川重機『草子ブックガイド』3巻があったので買った。これも連載で読んでることもあり、全体にぱらぱらと読んだが、やはり最終話が感動する。雑誌連載のマンガというのは何らかの外部的な理由で終わりになることもよくあるけど、最終話にきちんと力が入っている作品かどうかで、だいぶ読後感が違ってくる。最終話に感動する作品というのはいい作品だったと思うし、幸福な終わりかたをした幸福な作品だと思う。

そのあといちやまマートへ行って少し買い物をし、本棚を見に少し離れたニトリまで行く。80cm幅で5段くらいある本棚が欲しいと思うのだが、自分で持ち帰って組み立てられるものではなさそうな感じだった。学生時代から使っている生協で売っていた軽いスチールの本棚のようなのがないかなと思って探したのだけど、なかなかそう言うものは見つからなかった。
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