なんとなくFMをつけていたら、先ほど流れていたのがベートーヴェンの一番。今がメンデルスゾーンのチェロソナタ。あんまり妥当な言い方ではないのだろうが、19世紀前半の作曲家はベートーヴェンのエピゴーネンというか非常に強い影響下にあるのだなということを感じる。現代でも、ある時期の歌はポップスでも歌謡曲でも音作りに一つの傾向があるわけで、そういう意味でのオリジナリティというのは厳密には存在しないのだろうなと思う。ただメロディとか歌詞とかについては類似性がはっきりと証明できるから問題になるが、編曲にまで踏み込むとそういうことは言えないのではないかと思う。著作権という制度がなければ著作者の権利は保護されないが、いろいろと微妙な問題が含まれる問題ではある。文化というものが持つ本質的な資本主義的な経済性と相容れない部分があるということなのだろう。もちろん、資本主義制度を維持する以上、それに適合した文化の経済化が行われなければ文化は衰退してしまうわけだが。文化というものは弱いものである。弱いものだからこそ強い意志を持って維持しなければならない。蛇足ながら、皇室制度も同断である。
昨日は松本から帰ってきたのが三時過ぎでそれから昼食。このところ朝食は抜いているので昼が遅れるとこたえる。各地の農協がやっている販売所が多くの客を集めている。このあたりではりんごの収穫時期なので、贈答用の受付をやっているさなかであった。試食したりんごは甘くおいしかった。
昨日は仕事が休みだったので勉強も書き物も捗った。『西郷隆盛の生涯』を少し読んで、「児孫の為に美田を買わず」の漢詩などを読む。西郷という人は革命家でもあり軍人でもあったが、非常なロマンチストであり詩人でもあったのだなと思う。その日本的、あるいは東洋的ロマンチシズムがあまりにも強く、西欧的な文明概念を受け入れにくかったところがあるのではないかという気がする。その後の軍人やあるいは国粋主義的な政治運動に強い影響を残しているが、彼のように革命家でもあり政治家でもあり軍人でもあり詩人でもあるそうしたいわば全的な存在は現れることはなかった。西郷という人の生涯は、いわば一つの詩として受け入れるべきものなのではないかと思う。そいういうとどうしても「滅びの美学」的な方向に傾くが、必ずしもそういう方面だけではない。楠木正成などもそうだが、もちろん報国の精神は彼らに強くあったわけだが、それだけでもなく叙事詩的な生き方が彼らにはある。一言でいえば、「人として美しい生き方を貫いた」ということではなかろうか。これは柴門ふみの『小早川伸樹の恋』に出てくる言葉なのだが。
こうした「人として美しい生き方」といった詩的な部分が生かされないところが歴史学というものの不全性を感じるところでもある。ただ、歴史学は全ての学問を超えた存在だという「歴史学帝国主義」の立場に立たなければ出来ないことは出来ない、と割り切ることも可能だろうが、もちろんそのぶん魅力も減退することはやむをえない。
『源氏物語』を読んでいると、光源氏という全的な存在が死んだ後、出てくるのは薫にしても匂宮にしてもある一面的な人間性を持った存在になる、という話を吉本隆明が書いていたが、そういう神的な全的存在の分化、という変化はお能などにもあるのではないかという気がする。翁という全的な存在が引き取り、さまざまに修羅、夢幻などに分化していく。これは白洲正子が書いていたことだったか。
進化ということは分化であり細分化であるのかもしれない。全的な存在というパラダイスに戻ることは許されないのかもしれない。しかし、進歩という方向と同時に人間には復古の、あるいは伝統保守の欲望があるのは、そうした全体的なものを希求するこころがあるからであり、ノスタルジアともなんともつかぬ、ある憧れや欲求のようなものがあるからではないかという気がする。
昨日は松本から帰ってきたのが三時過ぎでそれから昼食。このところ朝食は抜いているので昼が遅れるとこたえる。各地の農協がやっている販売所が多くの客を集めている。このあたりではりんごの収穫時期なので、贈答用の受付をやっているさなかであった。試食したりんごは甘くおいしかった。
昨日は仕事が休みだったので勉強も書き物も捗った。『西郷隆盛の生涯』を少し読んで、「児孫の為に美田を買わず」の漢詩などを読む。西郷という人は革命家でもあり軍人でもあったが、非常なロマンチストであり詩人でもあったのだなと思う。その日本的、あるいは東洋的ロマンチシズムがあまりにも強く、西欧的な文明概念を受け入れにくかったところがあるのではないかという気がする。その後の軍人やあるいは国粋主義的な政治運動に強い影響を残しているが、彼のように革命家でもあり政治家でもあり軍人でもあり詩人でもあるそうしたいわば全的な存在は現れることはなかった。西郷という人の生涯は、いわば一つの詩として受け入れるべきものなのではないかと思う。そいういうとどうしても「滅びの美学」的な方向に傾くが、必ずしもそういう方面だけではない。楠木正成などもそうだが、もちろん報国の精神は彼らに強くあったわけだが、それだけでもなく叙事詩的な生き方が彼らにはある。一言でいえば、「人として美しい生き方を貫いた」ということではなかろうか。これは柴門ふみの『小早川伸樹の恋』に出てくる言葉なのだが。
こうした「人として美しい生き方」といった詩的な部分が生かされないところが歴史学というものの不全性を感じるところでもある。ただ、歴史学は全ての学問を超えた存在だという「歴史学帝国主義」の立場に立たなければ出来ないことは出来ない、と割り切ることも可能だろうが、もちろんそのぶん魅力も減退することはやむをえない。
『源氏物語』を読んでいると、光源氏という全的な存在が死んだ後、出てくるのは薫にしても匂宮にしてもある一面的な人間性を持った存在になる、という話を吉本隆明が書いていたが、そういう神的な全的存在の分化、という変化はお能などにもあるのではないかという気がする。翁という全的な存在が引き取り、さまざまに修羅、夢幻などに分化していく。これは白洲正子が書いていたことだったか。
進化ということは分化であり細分化であるのかもしれない。全的な存在というパラダイスに戻ることは許されないのかもしれない。しかし、進歩という方向と同時に人間には復古の、あるいは伝統保守の欲望があるのは、そうした全体的なものを希求するこころがあるからであり、ノスタルジアともなんともつかぬ、ある憧れや欲求のようなものがあるからではないかという気がする。