Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

銀座再開発/『本日の雑談』/下の階級ほど太る国

2005-11-06 11:10:38 | 読書ノート
昨日は午前中友人に電話をしたら3時間も話し込んでしまった。その中で『下流社会』の話題が出、あまり読む気がなかったのだがとりあえず読む気になった。昼過ぎに出かけて地元で食事を取り、地元の書店を物色した後、銀座へ。教文館で三浦展『下流社会』(光文社新書、2005)を購入。銀座の町をぶらぶらしながら旭屋書店に移動。土曜の銀座ってこんなにこんでたっけなあ、と思う。晴海通りのディオールのビルの隣に大きな空き地があって、工事をしていた。ここは何があったのか。ディオールのビルは確か近藤書店の跡だと思ったが、ここはなんだろうか。銀座もどんどん再開発が進む。それなりのセンスのビルが出来るからまだいいようなものだが、古いビルはなるべく残してもらいたいものだと思うのだけど。

旭屋書店で小林よしのり・西部邁『本日の雑談 8』(飛鳥新社、2005)を見つけて購入。これは買う予定ではなかったのだが、やはり読んでおきたいと思い買った。もうひとつ目当てのものがあったのだが、見つけられず。銀座コアのブックファーストにはあるかと思い、移動。コアの前に来て、巨大なユニクロのビルを発見して仰天。いつ出来たんだこれ。以前は確かニューメルサの中に入っていたと思う。それですらここにユニクロが?と思ったものだが、もう鳩居堂の隣の隣がユニクロだというのだからびっくりだ。郊外で買えばいいものをわざわざ銀座まで買いに来る人がいるのか不思議だが、結構人が入っているようで、よくわからない。

ブックファーストでも探すが発見できず、そのまま地元に戻り、文教堂をのぞく。結局ここで大河原遁『王様の仕立て屋』8(集英社ジャンプコミックスデラックス、2005)を購入。家に帰って早速読みにかかる。

まずは『本日の雑談』を読了。最近はこのシリーズも双方が発言を押さえ気味だったのだが、今回はややはじけているというか暴走気味でかなり面白かった。南京事件に関してゲリラか何かを処刑する写真で、日本人はもともと有数の首狩族だ、と小林が言っていてぎょっとしたが、考えてみれば戦国時代は論功行賞のために戦場では首を取って回っていたし、『大将首』など取り合いになったのだ。戊辰戦争のときでさえ、司馬遼太郎の『燃えよ剣』の描写ではあるが、会津の武士たちは戦場で敵を倒すと相手の首を取り、腰にぶら下げていたのだという。いくつもぶら下げると重くて戦闘能力が落ちるので、土方が首を捨てろと命じていやいや従う、というのがあった。確かに相当首を切っていたことは確かだ。江戸時代でも処刑は斬首・切腹・磔などあったが、打ち首のあとは獄門で首を晒すわけだし、現代人の感覚から言えば野蛮でもそう昔のことではない。

しかしこれも考えてみればつい数十年前まではフランスでも死刑はギロチンだったのだ。またアメリカ兵も戦争に行った記念に日本兵の髑髏などを持って帰って恋人にプレゼントしたりしているし、日本人だけがそうしたことをしていたわけでもない。

日本の支配下の時代の南洋の人たちはやせていてスマートだったのに、アメリカの支配に入ってから異様にぶくぶく太りだしたというはなしもさもありなんという気がした。カトリーナ来襲の後の被災者たちもどうしてあんなにみんな太っているのだろうと思っていたが、あれは「黒人だから」ではなく「アメリカ人だから」なのだと思えば納得できるのだ、と思った。ハワイでもそうだが、アメリカ人になって、社会の下のほうに組み込まれると、太りやすい社会構造に組み込まれるということなのかもしれない。インディアンで太っている人はあまり見たことがない…と思ったが自分の記憶の中を探したらやはり太っている人もいたな。インディアン、ネイティブアメリカンの社会で一番問題になっていることはアルコール中毒だとどこかで読んだが、社会的上昇の意思のない人たちがアメリカ社会に組み込まれると、その歪みの部分だけをもろに受けることになってしまうのだなと思う。そういえば、沖縄でも占領下で育った世代の人たちは肥満や成人病が広がっていてすでに長寿県ではなくなりつつあるという話もテレビで見たことがあった。7時ころ読了。

『王様の仕立て屋』を読み始める。主人公織部悠の日本帰国編。学生服をジャストフィットするように仕立てなおす話、茶室に利休鼠のスーツを合わせる話、コードバンのベルトの話など相変わらず面白い。8時半ころ読了。夕食の買い物へ。

今日は書き出したら長大になり、話題も多岐にわたっているのでとりあえずエントリを三つに分けた。後二つのエントリにわたって今朝書いたものです。普段からそうしたほうがいいとは思っているのだが…
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『下流社会』/タリウム少女と「自分らしさ神話」

2005-11-06 11:06:59 | 読書ノート
夕食後少しドイツ語をやり、『下流社会』を読み始める。アンケート項目の統計数字の羅列の部分が多く、その部分はかなり飛ばし読み。ちょっと外れかなと思う。女性の階層を上昇志向と職業志向の二つの座標軸を取って図化し、お嫁系・ミリオネーゼ系・かまやつ女(手に職)系・ギャル系と分類し、中央に普通のOL系と分類している。そういえばおたく系がないがどんなもんだろう。男性の階層分類は同様の軸でヤンエグ系・ロハス系・SPA!系・フリーター系と分析している。ロハスとはLifestyle Of Health and Sustainabilityの略だそうでなんだか地球に優しい感じだが、要するに非出世志向のインテリ層ということのようだ。この四つの中では私などもこれに近く分類されるのだろうなあと思うがまあある意味鼻持ちならないタイプという感じではある。

まあこうした分類を始め、要はマーケット屋さんが書いた階層論だな、と感じた。要するに、客層をどのように絞ってどのターゲットにどういう商品開発をしたらいいか、という発想が根本にあり、それに問題意識っぽいものをちりばめて商品化した本、と言うことだ。社会学者や教育学者が書く本とはその辺が根本的に違う。だからいいとか悪いとか言うことではなく、そういうバイアスがかかっているものだと思って読めば期待もし過ぎないし消費欲望から見ればそういうふうにとらえられるのねという感じである。

ただ指摘の内容として興味深いしその通りだと思ったのは、『団塊の世代』では「自分らしさを大事にする」ことが社会的に上の階層に属する人に強く、団塊ジュニア世代では下の階層に多いということである。これは「自分らしさ」という概念が団塊の時代に上で起こった志向であり、それが何世代かを経るうちに下のほうにまで普及してきた、と筆者は分析をしている。私はこれに関しては、団塊の世代においては「自分らしさ」という概念というか信仰というか神話は、積極的に常識を打ち破り今までにないことをするためにそれを正当化する理念として使われていたのが、団塊ジュニア以下においては何事においても無気力で社会に参戦していかないことを正当化するための言い訳として使われているということではないかと思った。下の階層ほど『自分らしさ神話』にとらわれていると言うのはアメリカンドリームをなんとなく信じ込まされているアメリカの下層階級ともイメージ的に重なるものがある。

団塊ジュニアの女性の上層に「国際的に通用する子どもに育てたい」という希望が多いというのもちょっと引っかかるものがある。国際的に通用するといっても結局は英語が出来るとかアメリカに留学させるとか言うことを指しているのなら、要するに植民地型の知識人になって貰いたいということで、もうこれ以上そういう人は要らんと私などは思う。日本文化の基本をきちんと身につけ、外国人とも伍して日本の美意識や主張や国益を主張できる明治や大正のインテリたちのような人々を育てるというのなら大賛成なのだが。

日本も結局、アメリカと同じように上位4分の1で全体の4分の3の国富を稼ぐような国になりつつあると筆者はいい、またこれもまたアメリカと同じように上の人たちは夜も寝ずに働き、下の人たちは歌って踊って毎日を楽しく過ごす国になりつつあるという。極論だと思わなくもないが、そのような「下流階級」が増えつつあるということはたぶん事実だと思う。

そうした下流階級に社会的上昇のチャンスを与えるために筆者は親の所得によって東大の入試に所得の低い学生には下駄をはかせる、アファーマティブアクションを行うことを提案しているが、これにはあまり賛成できない。「東大生のレベル」というのは、社会が違っているから一概に比較は出来ないが、やはり低下していると見てよいのだと思うし、アファーマティブアクションというのは必然的にそのレベルをより低下させることを結果すると思う。そうすると、結局は「頭脳流出」が高校・大学段階から促進され、東大出身よりアイビーリーグ出身の方が幅を利かす、という更なる屋上屋を架す階層化が出現するだけで、より植民地的な社会構成が強化されるだけになるのではないかという気がする。

まあ、マーケッター的な分析で全てが把握できるほど階層化の問題は単純ではないと思う。消費性向だけでなく、もっとさまざまな側面から現状をしっかり把握する調査が必要だと思う。有田芳生氏がタリウム少女や酒鬼薔薇少年について「幻想型非行」(11月3日の日記参照)という分析をなさっているが、「自分らしさ神話」の行き着く果てが自分の隠された攻撃性・嗜虐性をまじまじと見つめてしまった彼らの「自分らしさの表現」として行われたのではないかという気がする。「自分らしい」ことが客観的に見て本人の幸福につながっていない点で、同じ病を病んでいるように思う。

結局は、人間を各方面から分析する学問や手法は発達したが、全的な存在として人間をとらえる「人間学」のようなものがあまりにも未発達であることに問題があるのかもしれない。あまりに細分化した医学が身体を適正に把握しにくくなっている感があるのと同様、機械的人間科学の行き着く先がこうしたことにつながっているのではないか。

前近代では、たとえば仏教の「修行」のシステムや、商家などにおける丁稚「奉公」のシステムなどがこうした全体的な人間性を育てるシステムとして機能していたと思う。今後考えられ組み立てられるべきそうした人間学的な体系がそうしたさまざまな伝統に依拠して組み立てられるべきかどうかについては議論が予想されるが、そうした意味での文化遺産もまた評価し直されてもいいのではないかと思う。

1時過ぎに読了。やや寝付けず。2時就寝。6時におきて「談志・陳平の言いたい放題」を見た。その後ゆっくり入浴。休日の朝の入浴が一番のんびりするような気がする。談志が芸人を分類するのに酔っ払ったら下半身を露出してしまうタイプと出来ないタイプがいる、といったのにはなんだか奥の深いものを感じた。前者は談志、たけし、鶴瓶などがおり、後者は三枝、上岡竜太郎、などがいるという。ありのままの自分をさらけ出せるタイプと最後までかっこつけてしまうタイプということか。そういえば昔、とある暗黒舞踏と演劇をミックスした様な集団の公演を見に行ったとき、白塗りの女性が下は晒せるが胸は出したくないといっていてそんなものかと思ったことがあった。あまり関係ないか。
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フランス大暴動/ブッシュの拍手

2005-11-06 11:04:44 | 時事・海外
パリの暴動。移民の若者が起こしているらしいが、サルコジ内相の高圧的な鎮圧策も反発を招いているらしい。もとからのフランス人もトリコロールの襷をかけて治安を維持し暴動に対する抗議の意思を表すデモを行ったりして、なんだかフランスっぽい。若者たちがアフリカ系といわれていていわゆるブラックアフリカからの移民なのかアルジェリアなどマグレブからの移民なのか分からなかったが、どうも両方あるらしい。フランスの植民地がいかに広かったかを反映しているともいえる。しかしやはりイスラム系が多いようで、ドビルパン首相はイスラムの宗教指導者に協力を呼びかけていた。シナゴーグが襲撃されるなど、イスラム教徒の反ユダヤ感情にも日がつきだしているようだ。フランスで反ユダヤといえばドレフュス事件で、20世紀初頭以来ドレフュス支持派がフランスの進歩主義・左翼勢力を形成してきたのだが、イスラム系のユダヤとの敵対となるとオールドカマーのエトランジェとニューカマーのエトランジェの対立という感じにもなり、なかなかフランスの伝統的な進歩思想でも対処しにくい事態になりつつあるのではないかという気がする。ドイツも大変だがフランスも大変だ。そういえばアゼルバイジャンも総選挙か。

で、アメリカも大変らしく、アルゼンチンの米州機構会議ではブッシュ非難で大騒ぎになったらしい。今度はブラジルを訪問しているが、早速抗議の洗礼を受けている。アルゼンチン大統領のIMF非難(要はアメリカ非難)の演説に周りの首脳が拍手しているのを見てブッシュ大統領自身も拍手をして、失笑を買っていたという。彼はスペイン語が出来るといわれていた気がするが、あれ?まあそういう間抜け振りを晒せるのがブッシュJr.の愛嬌という気もしなくはない。談志による芸人の分類に入れるとすれば…やめとこう。

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