信州の朝は寒いが、窓から見る山はきれいだ。朝日を浴びて茶色がかった赤とオリーブの入り混じったような色合いの山の上に、白い雲がひとひら浮いている。上には青い空。山に至るまでの町並みが白くまぶしい。
昨日帰郷。東京駅で山手線開業80周年記念弁当という表示を見つけ買おうとしたがちょうど売切れだった。特急の中では『日本思想史入門』と『「相場に勝つ」株の格言』を読む。八王子と大月の間、30分ほど寝入っていた。
夕方から夜は仕事。忙しいような、そうでもないような。良い結果の知らせがあり、祝福。なべてこう行きたいもの。
『株の格言』まだあまり読んでいないが、面白いと思ったもの。「お金を愛するだけではお金持ちになれない。お金があなたを愛さなければならない。」ユダヤの格言だそうだ。お金に愛されるためには、お金を大事にすること、つまり上手に貯め、上手に増やし、上手に使わなければならないという。最近思うが、お金だけでなく物も、例えば洋服なども上手に来て上手に手入れをし上手にしまっておくとご機嫌が良く、洋服に愛されている感じがする。何物も人間と同じで、手間を惜しまないことが大事なのだなと思う。
「ブルは時々儲ける。ベアも時々儲ける。だがホッグだけは儲からない。」ブルは強気の牛、ベアは弱気の熊、ホッグは欲深な豚。相場では強気は強気なりに、弱気は弱気なりに儲けることができるが、欲を出すことによって損をする、のだという。これも万事に通じるものがありそうだ。
『日本思想史入門』は荻生徂徠「弁道」、本居宣長「直毘霊」、吉田松陰「幽囚録」と読み、現在福沢諭吉「学問のすすめ」の項を読んでいる。徂徠が礼楽主義とも言える考え方だったのは初めて認識した。その「礼楽」が朱子学の性理論を否定するために用いられているところが徂徠の、というか日本的な考え方なのだなと思う。朝鮮朱子学では、私が知る限り礼は人倫の基本であって、それを為すことで気が純粋化され性が本然の理を取り戻すから礼を行っているものが理に生きている証拠であるというくらいの原理主義的性格を持っている。日本では結局「礼」は単なる観念に過ぎず実行されていなかったために、こうした矮小化された解釈を許したということだろう。この時代に朝鮮ともっと深い学問的交流があったらどのようなことになっていただろう。
朱子学が理想とする「聖人」になることは不可能であって、人は「君子」であることを目指すべきであるとか、「先王の道」は天を敬し天と父母とをもって大本とすることによって、全てのものを敬するということだ、という主張はわかりやすい。また朱子学は理を極めることによって先王・聖人を凌駕しようという傲慢さが感じられるため、間違っている、という主張は「論理の持つ破壊性」を嫌う部分を日本人は持っているのだなあと感じた。また「敬天」という言葉は西郷隆盛を思い出させるのだが、そのあたりがどのようにつながるのかはわからない。
仁斎にしても徂徠にしても、こうした古学派の儒学は朱子学に対する日本的なアンチテーゼなのだが、朱子学というものの有りようが中国と朝鮮と日本とそれぞれにまた違うので、比較思想学のような視点を持たないと彼らの主張の意味合いや本質、その価値などを定めることはなかなか難しい。
本居宣長「直毘霊」。江戸中期の社会的動揺が生の根拠を揺るがし、また異民族王朝の成立によって中国の存在も権威を失って、それに対する不安から国学=和学、日本独自の精神のあり方を探る試みが生まれてきたという著者の説明はなるほどと思う。
もともと「道」というものは必要の無いもので、人間は天然自然に生きていればいいのに、中国からさかしらな「からごころ」が伝わり儒仏などの「道」が導入され、神ながらの道も影響を受けた、という主張も実に日本的な感じがする。日本はそうしたさかしらさを必要としない「神ながら安国」であるという主張で、皇国思想というのは本来そういうものだったのだなと思う。
また「もののあはれ」を知る、という心も世のありさま、人の情を知るということから発しているといい、その「もののあはれを知る心」がさらに国を治める道にもつながる、という考え方は、ある種通俗的な真理として現代でも語られているし、無意識にそう考えられている。こうした通俗道徳の根源のようなものも江戸期のさまざまな思想の中にあるのではないかと思えてきた。こうした考え方はやはり日本独特の部分であろうし、現代の現場主義の考え方や人情重視の経営などにもつながっているのだと思う。
吉田松陰『幽囚録』。ペリー来航という国難に対し、近世社会の分離の構造を乗り越え、再び統合するための論理が必要とされていたという指摘はその通り。彼は二十一回猛士と称するようにエキセントリックな面の印象が強かったが、誠であろうとしありつづけることによって強烈な自己確信を保持していたとする点は改めて確認した。また国の尊厳というものを深く主張するその表現の中の、「それ水の流るるや自ら流るるなり、樹の立つや自ら立つなり、国の存するや自ら存するなり」という主張の確信の深さも動かされるものがある。
しかし特になるほどと今回見直したのは松陰の行動や主張の合理性である。諸外国への留学生や制度調査官の派遣などの主張はいわゆる攘夷主義者の主張ではない。また信義を以って通じようとする国に対しては信義を以ってこたえ通じるべきであるとか、主張は一貫している。国際的な対立状況における自国の冷静な相対化の態度があると筆者は言うが、全くそうだなと思う。彼が狂でありエキセントリックであるのはその主張の故でなく、それを性急に果たそうとするその行動の故なのだということは考えてみれば当たり前のことだが見落としていたなあ、と思った。
今日は朝のうちに松本に出かけ、帰ってきてお昼。日記は早朝に書き始め、帰ってきてから続きを書いている。とにかく読むのに専念したため十分に考え尽くしていないところも結構ある。「学んで思わざればすなわち暗く、思いて学ばざればすなわち危うし」と孔子も言っているが、学んでもよく考えていないのでいまいち消化不良だ。仁斎・徂徠あたりをどういう問題意識を持って読みなおせばいいか、いまいち見当がつかない。
きょうはかなりいい天気になった。紅葉も美しい。
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昨日帰郷。東京駅で山手線開業80周年記念弁当という表示を見つけ買おうとしたがちょうど売切れだった。特急の中では『日本思想史入門』と『「相場に勝つ」株の格言』を読む。八王子と大月の間、30分ほど寝入っていた。
夕方から夜は仕事。忙しいような、そうでもないような。良い結果の知らせがあり、祝福。なべてこう行きたいもの。
『株の格言』まだあまり読んでいないが、面白いと思ったもの。「お金を愛するだけではお金持ちになれない。お金があなたを愛さなければならない。」ユダヤの格言だそうだ。お金に愛されるためには、お金を大事にすること、つまり上手に貯め、上手に増やし、上手に使わなければならないという。最近思うが、お金だけでなく物も、例えば洋服なども上手に来て上手に手入れをし上手にしまっておくとご機嫌が良く、洋服に愛されている感じがする。何物も人間と同じで、手間を惜しまないことが大事なのだなと思う。
「ブルは時々儲ける。ベアも時々儲ける。だがホッグだけは儲からない。」ブルは強気の牛、ベアは弱気の熊、ホッグは欲深な豚。相場では強気は強気なりに、弱気は弱気なりに儲けることができるが、欲を出すことによって損をする、のだという。これも万事に通じるものがありそうだ。
『日本思想史入門』は荻生徂徠「弁道」、本居宣長「直毘霊」、吉田松陰「幽囚録」と読み、現在福沢諭吉「学問のすすめ」の項を読んでいる。徂徠が礼楽主義とも言える考え方だったのは初めて認識した。その「礼楽」が朱子学の性理論を否定するために用いられているところが徂徠の、というか日本的な考え方なのだなと思う。朝鮮朱子学では、私が知る限り礼は人倫の基本であって、それを為すことで気が純粋化され性が本然の理を取り戻すから礼を行っているものが理に生きている証拠であるというくらいの原理主義的性格を持っている。日本では結局「礼」は単なる観念に過ぎず実行されていなかったために、こうした矮小化された解釈を許したということだろう。この時代に朝鮮ともっと深い学問的交流があったらどのようなことになっていただろう。
朱子学が理想とする「聖人」になることは不可能であって、人は「君子」であることを目指すべきであるとか、「先王の道」は天を敬し天と父母とをもって大本とすることによって、全てのものを敬するということだ、という主張はわかりやすい。また朱子学は理を極めることによって先王・聖人を凌駕しようという傲慢さが感じられるため、間違っている、という主張は「論理の持つ破壊性」を嫌う部分を日本人は持っているのだなあと感じた。また「敬天」という言葉は西郷隆盛を思い出させるのだが、そのあたりがどのようにつながるのかはわからない。
仁斎にしても徂徠にしても、こうした古学派の儒学は朱子学に対する日本的なアンチテーゼなのだが、朱子学というものの有りようが中国と朝鮮と日本とそれぞれにまた違うので、比較思想学のような視点を持たないと彼らの主張の意味合いや本質、その価値などを定めることはなかなか難しい。
本居宣長「直毘霊」。江戸中期の社会的動揺が生の根拠を揺るがし、また異民族王朝の成立によって中国の存在も権威を失って、それに対する不安から国学=和学、日本独自の精神のあり方を探る試みが生まれてきたという著者の説明はなるほどと思う。
もともと「道」というものは必要の無いもので、人間は天然自然に生きていればいいのに、中国からさかしらな「からごころ」が伝わり儒仏などの「道」が導入され、神ながらの道も影響を受けた、という主張も実に日本的な感じがする。日本はそうしたさかしらさを必要としない「神ながら安国」であるという主張で、皇国思想というのは本来そういうものだったのだなと思う。
また「もののあはれ」を知る、という心も世のありさま、人の情を知るということから発しているといい、その「もののあはれを知る心」がさらに国を治める道にもつながる、という考え方は、ある種通俗的な真理として現代でも語られているし、無意識にそう考えられている。こうした通俗道徳の根源のようなものも江戸期のさまざまな思想の中にあるのではないかと思えてきた。こうした考え方はやはり日本独特の部分であろうし、現代の現場主義の考え方や人情重視の経営などにもつながっているのだと思う。
吉田松陰『幽囚録』。ペリー来航という国難に対し、近世社会の分離の構造を乗り越え、再び統合するための論理が必要とされていたという指摘はその通り。彼は二十一回猛士と称するようにエキセントリックな面の印象が強かったが、誠であろうとしありつづけることによって強烈な自己確信を保持していたとする点は改めて確認した。また国の尊厳というものを深く主張するその表現の中の、「それ水の流るるや自ら流るるなり、樹の立つや自ら立つなり、国の存するや自ら存するなり」という主張の確信の深さも動かされるものがある。
しかし特になるほどと今回見直したのは松陰の行動や主張の合理性である。諸外国への留学生や制度調査官の派遣などの主張はいわゆる攘夷主義者の主張ではない。また信義を以って通じようとする国に対しては信義を以ってこたえ通じるべきであるとか、主張は一貫している。国際的な対立状況における自国の冷静な相対化の態度があると筆者は言うが、全くそうだなと思う。彼が狂でありエキセントリックであるのはその主張の故でなく、それを性急に果たそうとするその行動の故なのだということは考えてみれば当たり前のことだが見落としていたなあ、と思った。
今日は朝のうちに松本に出かけ、帰ってきてお昼。日記は早朝に書き始め、帰ってきてから続きを書いている。とにかく読むのに専念したため十分に考え尽くしていないところも結構ある。「学んで思わざればすなわち暗く、思いて学ばざればすなわち危うし」と孔子も言っているが、学んでもよく考えていないのでいまいち消化不良だ。仁斎・徂徠あたりをどういう問題意識を持って読みなおせばいいか、いまいち見当がつかない。
きょうはかなりいい天気になった。紅葉も美しい。
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