Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

「理解」することによって起こる漠然とした強い不安

2006-07-31 13:02:40 | 雑記
丸山真男を読み終わり、彼の基本的な主張を理解したと思っていたら、しばらくしたら何か理由のはっきりしない不安に付きまとわれるようになった。

散歩しながら自分のこころの中をいろいろ検証しているうちに、この不安が丸山真男を「理解」したと思ったことと関係があることがわかり、なぜそうなるんだろうと考えているうち、そういえばはっきりと認識はしていなかったが、こういうことはいままでも何度もあった、ということに気がついた。何かを理解したり、あるいはずっと考えていてこれはこういうことだという結論に達した、つまりこれもやはり「理解」したときにそういうことが起こるようだと。

そういうことが起こるのが私だけなのか、よくわからないのだが、どうなのだろう。

さらに考えているうちに、それは「理解することは言葉を失うこと」だからだ、と思った。あることを理解しようとしていろいろな概念を駆使してものを考えていくうちに、本質と関係ない言葉はどんどん失われ、本当にテーマに肉薄した言葉しか残らなくなってしまう。そしてそれが最後に解決がつくと、それすら自分から離れていってしまうのだ。だから理解することによって、言葉は失われてしまう。その喪失感が不安の原因かもしれない、と考えた。

丸山真男に限らず、歴史関係の本や社会科学関係の本は読み終わった後にそういう不安に襲われることが多い。その本が面白ければ面白いほど、そういう不安が起こるのである。「理解した」という実感があればあるほど、不安に直結するということだろう。

しかし、文学作品を読んだ後にそういうことは絶対に起こらない。それはなぜだろうと思ったが、要するにそれは言葉が残るからだろうと思った。文学作品は、読み終わった後に言葉やイメージが自分のこころの中に残る。文学を読むということは、少なくとも知性によって理解するということとは違う営みなのだということがわかる。

同じ言葉を読むのでも、「理解」を目指す読書が言葉を、あるいは言葉に付随するイメージを削ぎ落として行くのに対し、「鑑賞」する読書はイメージを獲得していく。読んだあと豊かな気持ちになるのは明らかに後者だろう。

「理解」するとなぜ不安になるのか。このことについて、近いのではないかと思ったのが、囲碁で言う「定石を覚えて下手になり」という格言である。定石を覚えることで理屈は理解するのだが、実践でそれを使う例を見ていくうちに覚えるのではなく、英単語を覚えるように覚えるために広がりがないのだ。だからそれをうまく使おうとして試行錯誤したり、それに振り回されたりすることによって一時的に囲碁が下手になってしまう。そういう混乱と「理解」がもたらす不安というのは似ているのではないかと思った。

「理解」には抽象がつきものだからだ。同じ言葉でいっても、たとえば料理人が先輩の料理をする手際を見てそのコツを盗んだりするのは、明確なイメージがあって模倣することが出来るから、そこに必要以上の抽象はない。しかし社会科学のような抽象度の高い議論は、イメージが伴わないまま頭の中で言葉だけが渦巻くということになりがちである。そういう状態で不安を感じないというのも危険だが、不安の理由がわからないというのも別の意味で危険で、このことについては昨日考えていてちょうど思い当たったのでよかった。

私の場合、この理解した後の不安というのが実際長くて深いことが多い。結局社会科学方面に進まなかったのはこの不安を漠然と避けたということなんだろうなという気はする。歴史だと具体性があるからいい、と思ったのだけど、やはり抽象性は全く避けるわけにも行かないし、避けているとフラストレーションになる面もある。こういう不安の根源を正面から向き合って探ることによってしか、本当に不安を乗り越えることは出来ないのだろうなと思う。

ただ文学について連想しつつ思うのは、要するに社会科学的な理解というのは直接には「表現」に結びつかないからなのだと思う。つまり理解したことが同時に即表現やそのほかの行動に結びつくのであれば、不安など生じる隙間はないだろう。話が頭の中で終わってしまうから、不安が生じてしまうのだと思う。

文学も別種のさまざまな芳しからざる感情が喚起されるものではあるが、まあそれはそれとして、なんだか楽しい、と思う。
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「人間は群居する性質を持っている」/『自民党改造プロジェクト650日』

2006-07-31 09:53:02 | 読書ノート
やることが一杯ありつつも考えなければならないこともたくさんあり、さてどんなふうに作戦を立てていくのか考えたり考えなかったり。このところ目が覚めるのが早いので朝は散歩に出かけるようにしているが、昨日の朝は短く、今朝は少し長い距離を歩いた。6時前に目が覚めると朝からいろいろできて充実する。

夕方一息入れた後、丸の内に出かけ丸善で本を物色し、さらに丸の内のブティック外を歩いて有楽町から銀座に抜け、有楽町の三省堂・西銀座の旭屋と物色したあとで教文館に行って世耕弘成『自民党改造プロジェクト650日』(新潮社、2006)とチャンドラー『大いなる眠り』(創元推理文庫、1959)を買う。世耕氏は自民党代議士だが広報担当でネットの一部では「自民党のゲッペルス」と書かれていた人。祖父は戦後の隠匿物資摘発に辣腕を振るい「世耕機関」として恐れられた世耕弘一だ。小泉内閣の広報戦略の成功は昨年の総選挙によって証明済みだが、その実態がどのようなものだったのかという興味から買ってみた。チャドラーは、最近政治・歴史・思想系のものを読んでいるとこころの中の潤いというかイメージの広がり的なものが枯渇してくる感じなので買ってみたのだが、まだほとんど読んでいない。

大いなる眠り

東京創元社

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夏休みの日曜日の晴れた銀座は最近見たことがないくらいの人出で賑わっていた。東京は人が多いなあとあたりまえの感想を持つ。渋谷とかより、家族連れで来られるだけ人出が多いのかもしれないなと思う。表通りも裏通りも人が溢れていてすげえなあと思う。こういう日はよく行く喫茶店も込んでいるに決まっているので早々に帰宅。

読みかけだった『一票の反対』を読了。第一次世界大戦の参戦に下院で反対したジャネット・ランキンが、ベトナム反戦運動にも参加しているのに驚く。90歳前後になってもその活動が衰えなかったというのは驚きだ。第二次世界大戦中からガンジーの活動に関心を持って戦後たびたびインドを訪れたがガンジーが暗殺されたため会うことは出来なかったらしい。ネルーとは何度か会っている。このあたり古典的な「平和活動家」というものだなあと思う。

ランキンはジョージアのコッテージで一人暮らしのとき、ヒッピーのような青年と同居しているが、彼女もほとんどヒッピーのように暮らしていたもののドロップアウトは絶対に許さなかったという話がなるほどと思う。青年はジョージア大学の大学院生だったというが、ランキンは死ぬときにも学資を残していて必ず卒業するようにといったという。そういう時代を超えた頑固さのようなものが妙に心を打つ。

ランキンは生涯独身だったが実は「淋しがり屋」だったといい、人間は群居する性質を持っているものだ、としみじみと語ったという。そういえばマルグリット・デュラスも死ぬ前には青年と同居していたし、テレサ・テンもかなり年下の男性と同棲していた。彼女らにはそういう存在が必要だったのだろうと思う。彼女らは彼らの才能を伸ばすことにかなり精力を傾けているが、その中でものになった(まあ何が基準かによるが)男性はあまり聞いたことがない。そういう例があるのかどうか、なんとなく興味は引かれるのだが。

この本は実際ジャーナリストの作品だなと思う。学者のような深め方も、作家のような精神の解明もないが、回りから見たジャネットがどんな人間だったのか、とてもよくわかるように描いている。いろいろなアプローチがあるものだなと思うが、ジャーナリスティックな視点のいいところが実によく表現されている作品だと思った。

一票の反対―ジャネット・ランキンの生涯

文藝春秋

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読み終えてから、世耕弘成『自民党改造プロジェクト650日』を読む。この本は実に面白い。一般企業では当たり前のようなことが自民党という組織では全然行われていなくて、世耕氏ら一般企業での勤務経験者が中心となって大雑把でどんぶり勘定的な自民党を「組織として戦う」ことが出来る組織に改造していく過程がとても面白い。いうまでもなく、自民党というのは実に義理人情的な組織で、いまなお丸山真男の言う農村共同体的なメンタリティによる支配が色濃く残っているところである。それを少しずつ現代的なメンタリティにかなった組織に替えていこうとする中で、私自身と同年である世耕氏がさまざまな壁にぶつかって出来たり出来なかったりする過程が非常に興味深く書かれている。

自民党改造プロジェクト650日

新潮社

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特に面白かったのは、日歯連事件をきっかけにモチ代配布を廃止したり、県連の「不戦敗宣言」ではじめて公募候補が擁立できたりと、なにかの失敗やエラーを埋めていく形で改革が進められていく過程だった。こういうのが日本的なんだろうなと思いながら読んでいたが、よく考えてみたらたとえばイギリスなどでも実際はそういう形で改革が進められた例は少なくない気がする。どこの国でもベテランはやり方を変えたがらない。危機を「改革」によって挽回することによってようやくその必要性・有効性がみとめらるわけで、そのプロセスで推進者たち自信も信頼と威信を獲得していく。そういうプロセスの中心に幹事長・幹事長代理であった安倍晋三がいたということも世耕氏は強調している。

世耕氏によると、安倍氏の功績は拉致問題に代表される北朝鮮問題への対処だと一般に認識されているが、こうした「党改革」こそが彼の最大の功績だということになる。確かにこうした改革全体が派閥の必要性を減少させ、小泉首相の独断人事とあいまって発言力の低下を招いていることは事実であろう。首相は最初はあまり党改革に関心を持っていなかったが、それが派閥解消につながることを世耕氏らにより理解させられてからは積極的に党改革を言い出した、という記述には、なるほどそういう過程があったのかと不思議に思っていたところが納得できた。そうした車の両輪があって始めて現在のような「派閥の影響力低下」が実現しているのだとうなずけた。

これを読んでいてもう一つ思ったのは、政治記者の勢力関係図も相当変化しつつあるだろうなということだった。いままでは特定の政治家に食い込むことによって(いわゆる番記者)政局の情勢をつかむことこそが政治記者の役割という感じだったのが、そうした農村共同体的な取材だけでは自民党内すら把握できない時代になりつつあるだろうということである。永田偽メール問題に代表される民主党の危機管理の弱さと自民党の世間知の健在振りなど、こうした改革路線だけでは足りない部分があることは世耕氏も十分認識しているようだが、自民党の作ろうとしている政治組織としての枠組の問題などを議員自身によってではなく政治記者たちがもっと観察し分析し表現して言ってほしいと思う。今までのところ、そういう分析が実はあまり得意ではないのかと思われるような人たちが政治記者になる傾向がある気がするが、次世代の政治記者の育成がいま急務になっているように思う。

農村共同体的な、鎖国的なメンタリティというものは私には本当にはわかっていないと思うが、確かにそれは日本という社会の特徴の一つであることは確かで、丸山真男が分析した時代に比べると遙かに弱まっているとは思うが、それに変わる規範の育成が不十分だということは自民党内での派閥の機能に取って代わる代議士育成機能の不足にも現れているように思う。無派閥新人議員の会の研修会に11人しか参加しなかったというのはいろいろ事情があろうが党側がなかなかバックアップできないあいだにかなり派閥に取り込まれつつあるということではないかという気がする。

自民党の党改革というのもなかなか前途多難だが、改革が出来なければ自民党という政党が持たないだろうということもまたいえると思う。そのときに民主党に取って代わる力があるのか、それもなかなか不安だ。

しかしまあ、だいたいの方向性として改革というのはこういう方向に進んでいくものだしそうであるべきなのだろうと思う。自民党が共産党や公明党のような「鉄の組織」になることはまあありえないし、開かれた政党であるしかないと思う。政治と社会との係わり合いは、市民団体と革新政党のつながりだけでなく、保守の側からももっと積極的に社会とかかわりを持っていったほうがよいと思う。最近はイデオロギー的な動きが結構強いが、そういう面だけでなく、日常的な場面の問題解決に政治が出来ることがもっとあるような気がする。

ま、正直言って面白かった。自民党といえば脂ぎった爺さんたちの権力闘争だけだと思っている向きにはこういうのもあるというお勧めではある。権力闘争は権力闘争で面白いことも事実なんだけどね。読了。




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アメリカの政治風土/小泉首相と同じ穴の狢/第二バイオリンを弾けない性格/プリンシプルのない規律

2006-07-30 10:27:57 | 読書ノート
一昨日帰京。昨日は疲れて余り使い物にならなかったが、連絡が取れずに困っていた人と連絡が取れたり、懸案になっていた散髪に行ったり、切れていたコーヒーとお茶を買ってきたりと雑用がずいぶん片付いたのでまあ良かった。散髪も、ひげを伸ばしているので顔をあたってもらわなかったため、先に座っていた人より早く終わり、ずいぶん楽だった。しかも安い。ひげを自分で整えるのはまあめんどくさいのだが、散髪が早く終わるのは楽でいい。

大蔵雄之助『一票の反対 ジャネット・ランキンの生涯』(文藝春秋、1989)を読み進める。大蔵氏はTBSの元モスクワ特派員だが、大学のときに講義を受けたことがある。ソ連の政局を分析した話が主だったが、政策や政治論より政局論が中心で、ブレジネフ死後アンドロポフが書記長に就任することを的中させたとかその当時ホットな話題が中心だった。

一票の反対―ジャネット・ランキンの生涯

文藝春秋

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ジャネット・ランキンという人はこの本で初めて知ったがアメリカ初の女性下院議員であるだけでなく、選挙で選ばれた国政レベルの議員としては世界初であった人物だという。もともとは女性の参政権運動からはじめたがのち平和運動が主体になり、第一次世界大戦のアメリカ参戦に反対票を投じたため次の選挙では婦人団体の支持も得られず落選したとか、そのあたりを読んでいる。20世紀前半のアメリカの政治風土というものはあまりよく知らなかったが、この本はかなり具体性を持ってそのあたりを知ることが出来、興味深い。

そういえば19世紀のアメリカの政治風土について一番印象に残っているのはテレビ朝日開局当時「ザ・ビッゲスト・イヴェント」と銘打って放送されたアレックス・ヘイリー原作『ルーツ』だった。南北戦争後の反動の時期、黒人は選挙権を得たものの実際にはなかなか行使できなかった実情など、深く印象に残っている。そういえば昔はアメリカでもこういう「社会派」の作品というのは多かったなと思うが、最近は全然知らないな。あってもムーアの『華氏911』とかとても見る気にもならない作品だし。あれはまず題名がブラッドベリのパクリであるところが最低だ。ああいうカマシ的な野郎(失礼)が信用できないということもあるのだが。

『一票の反対』はまだ読書中。

ルーツ 1 (1)

社会思想社

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丸山真男『日本の思想』(岩波新書、1961)は読了。結論から言うととても面白かった詩読みがいがあった。福田歓一『近代の政治思想』は6枚ノートを取ったが『日本の思想』は15枚もノートをとってしまった。

戦後民主主義の偶像という感じでずっと敬遠していたのだが、丸山は「進歩的文化人」であるとはいえなくはないが単純な左翼では全くない。おそらくむしろ保守的なところがあるといっていいのではないかと思う。その彼が進歩的文化人の代表のように語られ、また確かにそういっていい部分を持っているのは、彼の「戦争体験」の感じ方なのだろう。彼の「軍国主義批判」は原則論的で、「軍国主義批判」からその思想構築・論理構築が始まっているために「軍国主義」といわれるものの何が不当に貶められているかといった、客観的な遠くから見た評価が出来ないというところがあると思う。しかしそれは時代の制約から仕方のないことだと思うし、現在は彼の日本社会の構造分析を評価しつつ、彼の時代観・軍国主義観は批判的に乗り越えていくべき時期だと考えるべきなのではないかと私などは思う。

日本の思想

岩波書店

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つまり日本社会に変わらない、「規範意識の希薄さ」というものはわれわれ自身が大いに受け止め、それをどう評価し「日本的な規範」をどう構築していくかが一つの重要な問題であると思うと同時に、その当時の時代的なバイアスにどうしても流されてしまっている部分を批判し思想史に位置づけていくことが要請されているのだと思う。

「近代日本の思想と文学」の稿で三木清の「知性の弾力は仮説的に動き得るところにある。この点で知性は空想に似ている」という言葉が引用されているが、全くその通りと膝を打つ思いだった。知性の弾力性のなさという点が戦後民主主義の最大の欠点であったと私などは思っていたのだが、それはむしろ戦後民主主義というよりその衣鉢を継いだいわゆる左翼の人々の問題点と考えるべきなのだろう。

「思想のあり方について」の稿では有名な「タコツボ型」と「ササラ型」の話が出ているが、それが近代日本の西欧の学術の摂取の仕方に由来しているという主張をきちんと認識したのは初めてだったと思う。そしてこういう問題を乗り越えるのはマスコミの力では無理だ、それは「本来マス・コミは孤立した個人、受動的な姿勢を取った個人に働きかけるもの」で、「組織体と組織体との間の言語不通という現象を打開する力には乏しい」からだ、という主張もとても納得がいく。その結果、どのジャンルにおいても自分たちが持つイメージと食い違ったイメージはみな誤りだと認識されるようになり、それを打開するためには啓蒙しかない、という発想になるためによけい言語が通じなくなるという現象を生むという話は全くその通りだと思った。これはほとんどネットで展開されている議論の食い違いを説明しきっているといっていいわけで、つまりこの当時から日本は「オレ様社会」だったのだなと妙に感心した。

「「である」ことと「する」こと」の稿は最初は前近代社会が「である」社会、近代社会が「する」社会であるといった話で退屈な印象だったが、後半に至って俄然面白くなった。丸山という人が一筋縄で行かないのは、分析をして二つの対立する概念を提出したとき、凡百の論者だと一方が正しく一方が間違っていると二項対立を「正義による邪悪に対する糾弾」に直結させるのに対し、両者の存在意義を必ず浮かび上がらせ、中庸の議論にもって行くところであると思った。

そしてそれが「解釈に過ぎない」とか「実践性がない」とか批判される元になっているのだが、つまりそれはそうした論者が社会構造の解釈は常に善悪二元論でなされるべきであると考え、そうした概念が政治的・思想的敵対者の攻撃に使えないことをもって「実践的でない」と考えていることを暴露しているわけで、現代のよくテレビに出ている凡庸な政治家やコメンテーターの精神的先祖がそこにいるなと思っておかしかった。彼らは小泉首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を批判できないし勝つことも出来ない。なぜならば、結局彼らは方法論において小泉首相と同じ穴の狢であって、小泉首相の方がより洗練された技法を用いているに過ぎないからである。

そうした連中と丸山は全然違う次元にいる。最近丸山真男の再評価が進んでいるようで、昨日もそういうムックを立ち読みしたのだが、埴谷雄高との対談だったか、「私は第二バイオリンを弾けない」(つまりおしゃべりのでしゃばりだ)といっているのを読んで、ああなるほどそういう人だったんだなと思った。だいたいそういう性格を「第二バイオリンを弾けない」と表現するところなどもう今では失われてしまったように思われる抜群のセンスではないか。そういうのを読んでもまだまだ結局は「保守」や「右翼」との対抗のために原点である丸山真男に帰れ、というような感じがするだけで、御本尊様をもう一度あがめたところで何も変わらないだろうなという気しかしない。

むしろいま必要なのは、いわゆる保守の側が丸山を再評価することだと思う。彼の議論のうち、時代に制約されている部分は、もはや十分乗り越えることが可能である一方で、不易流行の不易の部分は日本思想史の善き部分として必ず摂取すべきものがあると思う。

彼の議論を読んでいると、戦後民主主義とは健全なる常識、日本人に欠けていた、そして今でも欠けていると思われる健全な「規範意識」の再構築こそがそのもっとも核心の部分であったと思われてくる。そしてそういう意味ならば、時代の制約性を批判した上で、必ず評価しなければならない思想であると思う。

どこで読んだのか忘れたが、中曽根元首相が白洲次郎に「ディシプリンdiscipline(規律)が重要なのか」と聞いたら「いや、プリンシプルprinciple(原理)が重要なのだ」と答えたというような話があるが、規範意識というのはそのプリンシプルということになるだろう。プリンシプルを持てば常に臨機応変に対応できるが、ディシプリンしかなければ想定外の出来事には全く対応できず、硬直化があらわになる。日本人のディシプリンは農村共同体的な人情意識に基づくものと(愛の鞭とか涙の折檻とか)官僚的な杓子定規な規律に基づくものとに走りがちなのだが、その両者を乗り越える国民的な規範意識のようなものが十分に形成されていないというのが国政運営上も外交上も非常に大きな桎梏になっているように思う。

この問題点は、いまだに克服されていないどころか、問題としてまだ十分意識されていないように思う。丸山を再評価するなら、そういうところからしなければならないと思う。




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実感信仰と理論信仰/プリンシプルのない国

2006-07-28 08:34:21 | 読書ノート
昨日。丸山真男『日本の思想』を読む。この新書は「日本の思想」「近代日本の思想と文学」「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」という四つの文章が収録されているが、うち「日本の思想」を読了し、「近代日本の思想と文学」を読んでいる。

日本の思想

岩波書店

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昨日も書いたが、丸山という人は凡百の戦後民主主義論者と違い、非常に切れがいいし、論理の構築もすごいと思うところがある。議論は最終的に西欧文明の直輸入に由来する「理論信仰」と農村共同体の人間関係から立ち上がる「実感信仰」についての議論となり、政治、なかんずくマルクス主義の理論の強烈さと「実感信仰」の文学の対比という図式が出来てしまい、そこに議論が集中した、ということはあとがきを読んで知った。まあそれは可笑しいのだけど、そういうふうになることは理解できる。現在の文学でも「戦争の悲惨さ」をうたうような意味での「実感信仰」はなくなることはないし、日本の思想傾向はどこまでも「理論信仰」と「実感信仰」の二分論は有効でありつづけるのではないかという気が、少なくとも現状ではする。
これはたとえばサッカーでも一部に「戦術信仰」、3-4-3とかそういうフォーメーション、戦術のことばかりを問題にする人たちが(それも多数)いることなどを考えると、形を変えて現在でも強く存在するなと思う。彼らはトルシエを支持しジーコを排斥したわけだが、実に皮相だという印象を私などは免れ得なかった。かといってサッカーにおける実感というものはおそらくは子どものころからの貧しいストリートでのボールの奪い合いで育ったマルセイユのジダンやリオデジャネイロのブラジル選手たちなどでなければなかなか生まれないだろうし、そのあたりでの自然発生的な実感というのは日本では弱いのは実情だろう。だからこそ戦術至上主義に思考が傾くのも、ある意味わからないことはない。しかしそれも一つの極端主義だと思う。

結局丸山が何を言いたかったのか、というと、わたしは要するに日本には「規範意識」がない、ということに尽きるのではないかと思う。つまり、あらゆるものを判断するのに基準になる規範、クラッシック、というものである。議論が積み重ならず、ただ平面的、空間的に配置されるに過ぎないことなど、「規範」というものも歴史の中で少しずつ新しきを取り入れ古きを捨てるものであるが、少なくとも思想に関しては日本には規範というものが欠けている、ということはまあそうだろうと思う。その規範意識をどのようにつくっていくかという建設に関してはおそらく私と見解は一致しないと思うが、強靭な規範が育たず、「理論」と「実感」の二つの信仰の間を揺れ動いているのが日本の姿だ、という指摘は相当な度合いでその通りだと思う。

それは別の言葉で言えば最近評判になっている白洲次郎の言う「プリンシプル」だろう。原理原則、と言ってもいい。白洲には『プリンシプルのない日本』という著書があり、これは読んではいないのだが、いいたいことはそういうことではないかと思う。

ジーコは自分で考えるサッカーと言い、オシムは日本らしいサッカーと言う言い方をするが、つまりはそういう日本的なプリンシプルに基づいたサッカーと言うことだと思う。逆にいえば日本にプリンシプルがないのだとしたら、サッカーを通じてそれを作っていくということになるのではないかという気が私にはする。
実際これは根深い問題であって、現段階でも日本人はその分裂についてあまりに自覚していない。つまり、実感を取るか理論を取るか、の二分法が今でも使われていると言うことである。昔はマルクス主義理論に対してイエスかノーか、であったが、現代は市場主義に対してイエスかノーか、になっている。市場主義が必要なら日本的現実に合わせてそれをどう実施していくかということに「汗をかく」ことが必要なのだが、そういう努力はほぼ官僚に任せられていて、それじゃあ官僚が自分たちは日本運営の要諦を握っている権力神殿の司祭だと思い上がってしまうのも無理はない。だからと言って本当にそれがうまくいっているかというともちろん現状にはさまざまな問題が発生しているのだが。

つまり実感にもつきすぎず、理論にもつきすぎないためには現実主義と理念に基づいた規範、伝統と言うものが欠かせないのであり、そうした中庸を採ること、常識の重要性というものを丸山はいっているのだろうと思うし、そのあたりは全く同意できる。また常識という言葉の常識的な意味があまりよくなかったりして、そのあたりはなかなか表現に困るのだけど。

まあしかし分析は分析として、現実問題としては、現在の戦後の現状より戦前の方がまだ規範意識がしっかりしていたと思う。「規範」を完全に殺したのはやはり「戦後の混乱」だと思うし、占領軍に拭い去り難く押し付けられた「敗者意識」であったと思う。そのあたりのところを脱しなければ、日本が現状の混迷を本当に抜け出すことは難しいだろう。

しかしそれにしても丸山の著作はどのように受け取られているのだろうか。『「日本の思想」を読む』とかいう本もあるようだし、そういうのを見ると丸山自体が聖典化されて神棚に祀られているような気もしないではないが、少なくとも丸山が言っていることの射程は長いし、拳拳服膺してひれふすのではなく、問題提起として受け取らなければ意味がないと思う。

もう一つ読んでいて思ったのは、天皇制に言及している個所は私なりに考えたり勉強したりして一定の考えをもっているので内的な会話が成り立つのだが、農村共同体に言及しているところではちょっと途方に暮れてしまうところがあった。自分の体験を寄せ集めただけでは農村共同体のイメージというものを再構成することは出来ないし、そういう意味では勉強が足りないなと思わざるを得なかった。つまり反駁したいような気も賛同したいような気もどちらもあるのだが、「あまり知らない」ことによってそれ以上内的会話が成り立たなくなってしまうのである。文章になっているもので知識を得ることは出来ても、どういうものだったかという実感を得るのは難しいだろうなあと思う。そのあたり、私の中の「実感信仰」の部分が刺激されているなと思うのだが。

ただ、社会階層の頂点(天皇制とそれを取り巻く部分)と基底(農村共同体)が実感信仰で、その間の広い範囲が理論信仰が幅を利かせているというのはまあおおむね当たっていると思うし、そうなると頂点と基底の部分を理解することが日本社会を理解するキーになることはいうまでもない。

まあ、いろいろ考えさせてくれる本であることは確かだ。

***

仕事はまあまあ忙しい。少しずつ軌道には乗ってきたか。


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幻の革命の制度化としての戦後民主主義/丸山真男『日本の思想』

2006-07-27 08:05:05 | 読書ノート
昨日は後片付けをいろいろやったりもしたが、大体福田歓一『近代の政治思想』を読んでいた。午後から夜の仕事はまあまあ忙しくなってきていて、結構いいかもしれない。

『近代の政治思想』読了。ルソーの部分を読んだが、今までルソーの思想でよくわからなかった部分が少し結びついたような気がする。この本を読んで最も強く思ったのは、福田の考えは必ずしも賛成できない部分が多いのだが、しかし自分のまわりの多くの人々が実に福田の考え、あるいは福田に代表される思想、つまりそれがいわゆる「戦後民主主義」というものだと思うのだが、に強い影響を受けていて、世界認識の仕方から行動パターンまで、こういう思想に基づいてそれが血肉化して動いているのだということだ。それはある意味面白いことなのだが、深刻なことでもある。

近代の政治思想―その現実的・理論的諸前提

岩波書店

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福田の思想は簡単に言えば「自然状態」において権力を捨象して考えることによって、権力という非人間的に見えるものが生身の一人一人の人間によって担われているということを過度に強調している。エンタープライズの乗組員に呼びかけた小田実や反戦デモ鎮圧の兵士に花を差し出した女を称揚しているのはある意味笑ってしまうが、つまりそこには「同じ人間だ、話せばわかる」という思想が貫徹しているわけである。最終的に人間的に一人一人に対する議論に持ち込まなければ相手の思想や行動を変えることが出来ないことなど当然だが、それに過度な期待をかけるのもやはりナイーブだというべきだろう。そしてその「話せばわかる」人間観が持つ弊害というものに、多くの戦後民主主義者は無頓着だ。その態度もまた一つの傲慢であるということを自覚していればいいのだが、なかなかそうは行かない。

また近代国家を「革命の制度化」と規定し、そうした国家においては「憲法という機構をそれ自体信仰の対象にしようとする努力」が行われている、と書いているのは先日読んだ大塚秀志の発言を思い出した。この表現自体はおそらく、社会主義国において社会主義国家体制自体を「信仰の対象」にしたりアメリカにおいてアメリカ民主主義を「信仰の対象」にしたりすることを指しているのだろう。だから日本においても権力者は日本国憲法を「信仰の対象」にして当然だ、という含みがあるのだが、馬鹿げている。

福田も言っているように、憲法は革命を制度化したものであるわけだから、革命を担った主体がその憲法の制度化を図るのはある意味当然で、名誉革命を担った国教会勢力が「権利の章典」を聖典化しようとしたり、独立革命を成し遂げた勢力が合衆国憲法を聖典化しようとするのは当然である。しかし、日本国憲法にはあまりに「出生の事情」がありすぎるわけで、事実においてGHQに押し付けられたものであることを否定する人はいないだろう。それを「帝国議会」が「明治憲法」の規定に基づいて可決したことによって「発効」したわけだが、芦田修正をはじめ数々の修正が加えられたとは言え、それが「敗者の抵抗」であったことは明らかだ。日本国憲法は日本の権力機構が勝者に「飲まされた」ものであって自らが希望に燃えて作り上げた国家体制に対して作り上げる主体になった勢力は存在しない。その主体になった勢力こそが憲法を維持する原動力になるはずなのだが、日本にはそういう勢力は存在しないわけである。草案を作成したのがアメリカの若い兵隊たちなのであるから。

憲法が革命の制度化であるならば、革命を担った勢力とそれを継承しようとする勢力が護憲勢力なのである。そのあたりは明治憲法においてもややねじれた関係になっていたが、日本国憲法においてはそのねじれは回復不可能なほど大きい。何しろ憲法作成を担った勢力が外国人なのだから。しかし、一般にはその憲法に実際熱狂的に賛同した人びとも一定数はいたわけで、現在の「護憲」勢力はそういう人びとの末裔だろう。つまり憲法作成に主体的に関わった記憶がないままあたえられたものを「良いものは良い」と受け入れた人々である。しかしこのような不完全な主体性で、憲法及びそれが表現したとされている幻の「革命」を継承することが出来るとは思えない。ありえるのは、「憲法」及び「革命」をひたすら「信仰する」ことによって守ろうとすることだけだろう。そして戦後の歴史はその不自然な形を再生産しつづけた歴史だとも言える。

福田の主張に同意は出来ないが、そういう意味で、日本が現在に至る迄なぜかくも深き思想的分裂・混迷状況に陥っているのか、それを探る手がかりとしては非常に面白い一冊であった。しかし今だからそう思うが、20歳前に読んでいても何がなんだかわからなかったのはあたりまえだなあという気がする。

***

読み終わったので丸山真男『日本の思想』を読み始める。最初にあとがきを読んでこの本が書かれた状況を知らないとこれらの文章が何を言おうとしているのか分からない。今のところ、その「あとがき」と表題論文「Ⅰ 日本の思想」の「はじめに」を読んだだけなのだが、はっきり言って面白い。現代の凡百の論者の議論に比べて、丸山のシャープな自然や問題の指摘の仕方などは、読んでいて感心するところがある。後年の丸山の文章を新聞などで読んだことがあるけれども、その時には何が言いたいのか分からない退屈な文章だった気がする(自分が力不足だったという理由は大いにある)が、この文章は手ごわいけれども読みがいがある。それは、この論文が書かれた1957年という時期にも関係あるのだろう。この時期には、保守傾向の強い文壇・論壇と戦後民主主義論壇とが共通の土俵を持ち、議論することが可能だったのだと思う。現在では蛸壺的に(笑)それぞれの論壇誌に閉じこもり、聞くに堪えない悪口雑言をぶつけ合うばかりで全く生産的でないのだが、日本が「国際社会に復帰」してから「六〇年安保」を迎えるまでの短い間、鳩山・石橋・岸政権初期の時期は、硬直化しない自由な議論が可能だったのではないかなと思った。丸山が小林秀雄の文章に論及している内容について真剣に弁解しているところを読むと、そういう意味ではいい時代だったのだなと思わずにはいられない。

私は丸山にももちろん賛同は出来ないだろうと思うが、凡百の思想家とは違い、ぶつかりがいのある(と言っても著書を読むだけだが)存在だということは強く感じた。

日本の思想

岩波書店

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キプリング短編集/『近代の政治思想』

2006-07-26 12:39:12 | 読書ノート
昨日帰郷。なんとなく雨っぽかったが、今日はからりと晴れている。晴れていると安心する。近くを流れる川も、先週はひどく濁って激流だったが、今日は深さ30センチくらい、そこまで透き通って見える。ただ、先週の雨で流されたのかコンクリートの波けしブロックのようなH字型の大きなやつがそこここの川床に引っかかっている。激しい流れがあったのだなあと改めて思う。

出かける前に東京駅の丸善で何か気分転換にできそうな本をと思い、『キプリング短編集』(岩波文庫、1995)を買った。少しだけ読んだが、まあ今の視点からすれば人種主義的だといわれかねないような主題や表現が目白押しでさすが帝国主義時代のイギリス作家だと妙に感心した。ストーリー・テラーとして優れているとは思ったが、この作家がなぜ文学史的に高く評価されいるのかはまだよくわからない。

キプリング短篇集

岩波書店

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特急の中では主に福田歓一『近代の政治思想』(岩波新書、1970)を読む。そういえばこれは高校のときの世界史の先生に勧められた本である気がする。26年目にしてようやく読んでいるということになるか。私はその気になるまで時間がかかるということは往々にしてあることなのだが、26年はちょっと長い。

内容的には、啓蒙時代にいたる思想史的な背景を説明する「一 中世政治思想解体の諸相」「二 近代政治思想の現実的前提」の二章については、非常にわかりやすく、よく整理されているし、また構想も雄大で読んでいて気持ちがいい。現在の研究成果からすれば古いところもあるが、それを差し置いてもよく出来ていると思う。しかし、「三 近代政治思想の原理的構成」になるとどうも納得の行かないところが多い。なぜ人権思想が大事なのか、なぜ重視されるようになったのか、というテーマについて、社会が「個人」の集合体と考えられるようになったから個人のもつ「自由」が積極的な意味を持つようになった、という説明で、中世的世界像が転換し「個人の存在」の重視をもたらした、というのだが、それだけではどうも納得しにくい。いずれにしても、社会は「自然」でなく「人間」に属するからいかようにも変更可能だし、あらかじめあたえられたものでなくその時の構成員がいつでも変更を加えてよい、ということがポイントだと思われる。

このあたりはヴィーコとは全く逆で、ヴィーコは自然には科学的な「真実」があるが、人間社会には「本当らしい」ものしかない。人間はその「本当らしい」ものをそう簡単に変えてはいけない、という主張になる。ヴィーコは徹底的に反デカルトなので、全然折り合えないが、このあたりを読みながら私はヴィーコを読んだ時の感動を思い出していた。

もう一つ、ホッブズやロックのいう「自然状態」というのが歴史的な実在とはまったく無縁な思考実験だということが確認出来たのは良かった。あらゆる権力関係、身分関係、そういう社会関係がない状態を想定する、というのは思考実験でしかないのだが、そうなると「万人の万人に対する戦い」になるというホッブズも「勤勉かつ理性的」な人間は富の総量を増加させることにより争いを避けるというロックも、まあその思考に共鳴する人がどれだけいるか、というところから話は始まるわけで、つまりはイデオロギーである。

いずれにしてもまだ読了してない。しかしこのあたりが人権思想とか民主主義といかいうものが生まれてきた奥の院、秘儀的な部分であることは間違いないと思う。そのあたりのところがもう少し理解できるようになるといいなと思う。




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社会とか国家とか/対日宣戦にただひとり反対した女性議員

2006-07-25 08:27:21 | 雑記
昨日は特段外出しなかった。『オシムの言葉』を読んで、後は本棚の整理をしたり今調べている分野の本を参考文献のデータベースに打ち込んだり。どのくらいだろう、結局200冊くらいにはなるのだろうか。自分の持っている本の中身をきちんと把握するだけで相当しっかりした見解を持てるようになるなと当たり前のことながら思った。結局国家とか社会とかを構成するその基本となる「考え方」、つまり社会契約論とか国体論とかそういうものが自分の中でうまく折り合いがついていなかったから物が見えないという意識が強かったのだなと思う。そうした考え方というのはいわばすべて人工物、架空のものであって、ある意味では現実面での有効性しかその選択の基準はないのだと現実主義的に割り切ってみるとものがはっきり見える気がする。おそらくマキャベリとかが「見えた」感じがしたのもこういうことなんだろうなと思う。

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

集英社インターナショナル

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で、昔から読もうと思ってどうも読めなかった福田歓一『近代の政治思想』とか丸山真男『日本の思想』、カー『歴史とは何か』、レーニン『帝国主義論』なんてものを読みかけている。それぞれ古いといえば古い感じはあるのだが、自分が成長した時期がやはり戦後民主主義の真っ只中であったから、こういうものたちを批判的に位置づけることが出来ないとやはりだめだなと思う。で、なんだか読んでいて楽しいし、ああいまではこういう説は(左翼の立場からも)否定されるだろうな、なんてものも見つけるとそっち方面の思想傾向の変化のようなものも理解できて奥行きがでてくる。こういう分野は結局結構好きなんだなと思う。

近代の政治思想―その現実的・理論的諸前提

岩波書店

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買ったまま読んでなかった本を一つ一つ確かめているうちに大蔵雄之助『一票の反対』(文藝春秋、1989)にぶつかった。読んで仰天したのだが、日米戦争開戦の際、アメリカでひとりだけ開戦に反対した議員がいたのだ。それがジャネット・ランキンという初の女性下院議員だった。その議会での彼女に対する妨害や非難は相当なものだったようで、中身を確かめただけなのでまだきちんと読んでおらず、読むのが楽しみである。大蔵氏には学生時代、経験と分析に基づくソ連の権力構造の解説の講義を受け、優れたジャーナリストだと認識している。

一票の反対―ジャネット・ランキンの生涯

文藝春秋

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今朝は雨もよいだったが、久しぶりに七分丈のジャージにポロシャツでウォーキングシューズをはいて歩きに行った。やはりそういういでたちで歩くのは日常着での歩きとは違うなと思う。曇ってはいたけど緑がきれいで、やはり森っぽい緑道公園を歩くのは、眼のも頭のもストレスを消す力があると思った。子どもが集まって、ラジオ体操をしていた。夏休みなんだなあと思う。




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『オシムの言葉』(続き):「自信など不要だ」と「ナショナリズム」

2006-07-24 15:40:48 | 読書ノート
『オシムの言葉』を読んでいる。以下、『オシムの言葉』/昔の手紙を引っ張り出して読む:読書ノート / 2006-07-24 11:33:59のエントリの方を先にお読みください。

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

集英社インターナショナル

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『オシムの言葉』を熟読している。先のエントリでは歴史との絡みのことを主に書いたが、サッカーと人生の哲学のようなこと、ボスニアでオシムがどのような存在か、ということについて読んでいると目頭がなんども熱くなる。

昨日の『情熱大陸』に出てきた言葉を思い出した。「自信など不要だ。相手にどう見えるかが大事なのだ。相手という鏡に映った自分を見て、自分の足りないところを向上させていくのだ。」正確ではないが、このようなことを言っていた。

この言葉は私にはすうっと来た。「自信を持て」、とはよく言われるが、自信など不要だ、ということを言う人はなかなかいない。それは私が、「もっと自分に自信を持たなければいけないな」と思うことが、というより「思ってしまう」ことが多いからに違いない。つまり「自信を持て」ということ自体が囚われになって自分を縛ってしまうということである。無意味に自信過剰な人間が溢れている現代は、ある意味危険だ。つまり、そうでない人間がその無意味な自信に圧倒されてしまうことが往々にしてあるのだ。そしてその結果、負けないようにまた無意味な自信を持つ、つまり「自信という名の思い込み」を持とうとして、せっかくの成長のチャンスを失ってしまう危険性が高い、ということなのだと思う。

本当に力のない状態で、力以上のものを出すためには、あるいは自分がうまくコントロールできない状態で集中するためには、「自信」self confidenceというものは大きな力を発揮することは確かだ。「自信を持て」とよく言われるのは、本来そういうことだろう。しかしいったんそういう状態を脱し、自分のリズムで動くことが出来るようになったとき、自分自身の根拠を「自信」に戻って確かめようとすることは帰って動きを硬直化させてしまう。つまりそこで成長のチャンスを失ってしまうのだ。

「自信を持つ」ということは一つの神話である、というより一つの「段階」であると言うことなのだろう。それよりステージが上がったら、「自信」などにもうこだわるべきではないのだ。人の目に映った自分を検証し、さらに自分を高めていく工夫だけが必要なのだ、ということを彼は言っているのだと思う。そういう意味では「自信」は一つの「罠」ですらある。

私はこれを聞いて、ふっと「ナショナリズム」というものもこれに似ているな、と思った。力がないときに、何とか集中しようとしてその糧になりうるのが国家の場合はナショナリズムだ。ある危機になるとそれが燃え上がるのは国家としての生存本能の現われだろう。しかし、ある程度以上強力になった国家にとって、ナショナリズムはなにか別の形に転換していくべきなのだと思う。韓国や中国を見ていて思うのは、弱小国家だった時代にナショナリズムが強いのは理解できるのだけど、現在のようにある程度以上強大な国家になってもそれにこだわっているのがあまり気持ちよいものには見えない、ということなのだ。中国では「ナショナリズム」というにはあまりに「大国意識」や「被害者意識」など攻撃的な感情が煽られすぎている。韓国政府にも「北朝鮮重視・日本敵視」の言動ばかりがあるがそれがどのくらい本当なのかわからない見えにくいところがある。建前としての朝鮮民族主義と本音としての生活保守主義というか、そういうものが極めてアンバランスになっている感じがする。

日本はどうだろうか。現代の日本にナショナリズムが必要だとすれば、それは「力不足」という点にあるわけではないことはまあだいたい一致できるだろう。つまり、自分たち自身の力をうまく活用し、コントロールできない状態にあることが根本的な問題なのだと思う。

それは外交上の問題をうまく処理できないことに端的に現れているわけで、先日の北朝鮮安保理決議にしても、あれくらいのことは日本の力があればもっと簡単に出来てもおかしくないことだと思わないだろうか。それが出来なかったのは「土下座外交」に代表される、「外交上の自信のなさ」に端的に現れていたわけだし、たとえば拉致問題にももっと打つべき手段があるということ、またイラク人質問題に現れるように何が国際的に評価される行為で、どういう行為が不信を呼ぶかという認識が不十分なところにある。

つまり、中国との問題に対しても、一方的にやり手の中国の外交にいいようにやられるのではなく、じっくり交渉しないと手ごわいぞと思わせることが大事なのであって、中国がそういうふうに振舞うようになれば日本人自身のセルフリスペクトも相当改善されることは間違いない。そうなればナショナリズムの必要性を云々する必要性もそうはなくなるだろう。ただ日本人は、慢心しやすい。それも、増上慢になることよりも、卑下慢になることが往々にしてある。卑下という慢心に付け込まれているのが日本の弱さや混乱の原因なのだということも理解しておいた方がいいだろう。

『オシムの言葉』を読みながらそんなことを考えた。




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『オシムの言葉』/昔の手紙を引っ張り出して読む

2006-07-24 11:33:59 | 読書ノート
昨日はいろいろなことを考えながらなんとなくテレビをずっと見てしまった。相撲とかオールスターとか、夜は『情熱大陸』でオシムをやっていたし。

夕方気分転換に駅前まで散歩したときに、最近ずっと気になっていた木村元彦『オシムの言葉』(集英社インターナショナル、2005)を買った。読み始めてこの本は「当たり」だとすぐに思った。オシムという人のインテリジェンスと人間的魅力というものが本当によく描かれている。

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

集英社インターナショナル

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たまたま『情熱大陸』でもオシムを取り上げていたので途中からだがしっかり見た。両者とも、ユーゴスラビア監督としてのオシムがどれだけ優秀で、高い支持を受けていたかということもよく描いていた。

しかし何より印象的で衝撃的だったのは、ユーゴスラビアが全盛時代だった90年代初めにオシムは代表監督だったのだが、ちょうど同じ時期にユーゴスラビアが解体していったことだ。マスコミは自らのエスニックの選手ばかりを報道し、彼らを使うようにオシムに圧力をかける。PK戦になったとき、ほとんどの選手が蹴るのを断った。失敗したらどうなるかわからない。ホームでの試合がまるでアウェイになり、ベオグラードではクロアチアの選手らにブーイングが浴びせられる。極めつけは、兼任していたベオグラード・パルチザンの監督采配中、故郷のサラエボが戦火に巻き込まれ、二年半以上奥さんと娘と音信不通になったことだ。そして采配を取るパルチザンは、サラエボを攻撃していたユーゴスラビア人民軍のチームなのである。彼はユーゴスラビア代表チームをヨーロッパ選手権に出場させ、パルチザンをカップ戦で優勝させた日、代表監督とパルチザンの監督を退いた。スウェーデンに到着した代表チームは出場権を剥奪され、そのまま強制的に帰還させられた。

最強の代表チームを率いる監督という栄誉ある立場にいながら、自らの祖国がまるで大地が崩れていくかのように四分五裂しなくなっていく。ユーゴスラビア紛争というのはどうしても私自身にとって遠い出来事だったが、このオシムの体験を読んでいると、これがいかに悲惨な出来事であったかがひしひしと伝わってくる。そしてストイコビッチも言っていたが、ヨーロッパやアメリカでのこの紛争の語られ方がいかに偏っていたかもよくわかる。この当たり、「戦争広告代理店」だったか、NHKの番組で「民族浄化」という言葉が作られた過程などを見たことである程度は認識していたものの、「祖国が崩壊していく」という感覚のおそろしさとやりきれなさというものはオシムのような立場の人間が一番強く感じただろうと思う。

改めて90年代というのがどういう時代だったのか、と考えさせられた。私などは、一般的にどうかはわからないけれども、90年代初頭の冷戦終結から、オウムや阪神大震災など大変な事件が起こり、またバブル崩壊後の「失われた10年」の多難な時期でありながらも、2001年の911以降の方がより大変な時代だと感じていたけれども、たとえばヨーロッパという角度から見れば社会主義体制の崩壊がどれだけの混乱をもたらしたか、たとえソ連という国家がどんな存在であれ、その崩壊がどれだけの困難をもたらしたのか、ということをもっと考えなければならないと思った。ヨーロッパでの戦争は第二次世界大戦後ユーゴ紛争までなかったわけだし。

50年代の朝鮮戦争、60年代のベトナム戦争はもとより、80年代のイランイラク戦争など、困難な事態はどこかで生じている。80年代は先進諸国が本格的な戦争に巻き込まれていないからやや能天気な時代だったが、90年代の東欧の困難、00年代の「テロとの戦争」などを考え合わせて見ると、ポップスシーンでも80年代のアート志向な音楽に比べ、90年代以降はメッセージ性の強いものになってきているというのもそういうふうに考えれば合点がいくなと考えた。われわれ80年代に20代を過ごした人間というのは、そういう意味では幸運だったのだろう。『気分はもう戦争』とか言っていれば済んだのだし。

『オシムの言葉』は現在p.125まで読了。これは損をしない一冊、お勧めです。

***

必要があって昔の手紙をひっくり返していたら、2000年以降に来た手紙の数がそれ以前に比べて激減していて驚いた。1999年に退職し離婚しているからそういう理由もあるにしても、ここ数年いかに人付き合いを断って来たかということに改めて驚いた。もちろんe-メールを使うようになって気軽なやり取りをする部分は増えているといえなくもないが、それにしても少なくなっている。しかし昔の手紙を見ているともう記憶の底にしまわれてしまったものがいろいろでてきてちょっとびっくりする。手紙の主の一人は日本ホラー小説大賞を取ってるんだからなあ。今ではやり取りも途絶えているが。こっちも頑張らないと。





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小林よしのり編集『わしズム』夏号/民主主義というウソ話/「話をまとめる能力」に対するこだわり

2006-07-23 16:57:33 | 読書ノート
昨日。午前中、昼食の買い物に西友に出かけ、三階の本屋で小林よしのり編集『わしズム』2006夏号(小学館)を購入。わしズムを買うのは3号ぶり。最近は『新ゴーマニズム宣言』の単行本も買ってない。ただこの号はこうの史代が巻頭カラーで書いていてそれに引かれた部分もあり購入した。こうのの作品は凄い。ただどのように凄いかは書いてしまうとネタばれになるので暫くは書かない。しかし、こういうのは少なくとも私は初めて見た。

この号は「戦争論以後」と題し、1998年の『戦争論』発売以降の世論の変化、いわゆるネット右翼の隆盛等についていろいろな議論が展開されていてなかなか興味深い。こうの史代の作品掲載もその一環なのだが、「自称愛国者」への失望を語り、今までいろいろな形で離れて行った切通理作や西尾幹ニの一文も載せ、対極にあると思われた大塚英志や香山リカを招いて鈴木邦男・富岡幸一郎と五人で座談会を行い、これが相当充実していた。

大塚英志は「戦後憲法が自分にとっての(宗教に変わる意味での)超越性だ」と言っていて、彼は確かに筋金入りの戦後民主主義者だ。そこまで言い切っている人は評論家や作家を含めてなかなか聞いたことはないが、彼の立論はすべてそういうところに論拠を置いていて、どうも私などはチャンチャラおかしいと思ってしまうけれども、憲法をそこまで深く掘り下げて――超越性というからには、憲法を守るためには命を投げ出しても惜しくないと言う意味だろう――確信の根拠におくというのは、一つのあり方だろうとは思う。鰯の頭も信心から、と思ってしまうのはもちろん私がそう思わないからに過ぎない。

で、小林よしのりもそういう大塚のあり方を実は結構感心して共感を持って聞いている。小林が依拠するのも結局は神仏ではなく、おそらくは公共性でもなく、「情」であるから、戦争論がたまたま悪者にされている「出征した老人たち」を擁護するのが目的で描かれたために右翼とレッテルを貼られたにすぎない。小林は自らの作品の作家性に強くこだわる人物で、そういう意味で文学的であるから、基本的には近代人であって、超越性の問題にはそんなにとことん深い関心を持ってはいないような気がする。そういう点ではかなりフレキシブルで、表現が強いから「極右」だとか誤解されやすいけれども、表現ほど極端な思想性を持っているわけではない。

最近の作品ではずっと『嫌韓流』に代表される韓国人バッシングに強い忌避感を表明しているし、特にイラクの人質(男二人女一人)バッシングにショックを受けていた。彼の主張は結局イデオロギーではなく「情」であって、元兵士の老人たちにも、関東大震災で襲われた朝鮮人たちにも、政府の警告を無視して行動して危機に陥ったイラクの人質たちにも同様に「情」を持って描いているに過ぎないのだ。ただそれぞれの際に徹底して論拠を積み上げて描くのでものすごく堅牢な思想性を持っているように誤解されてしまい、「敵」はビビリ「味方」は浮かれてしまうために後で違う面について発言し始めると「裏切られた」と言う印象を持つのだろう。まあそれはそういう作家性の持ち主だと割り切っておいたほうがいい。

そのほか遊就館の特集や戦没した若い兵士の手記なども載せられ、いろいろな意味で充実した一冊だと思う。

***

「超越性」の問題と言うのは最近よく考えているのだが、結局私と同じような思考をする人とはまだ出会ったことがない。私が日本国憲法がちゃんちゃらおかしいと持ってしまうのは、(だから全く無効だ、と言う意味ではない。現憲法に変わるものを自分が持っているわけではないから「より少なく悪い」ものとして現状では甘受すべきものだろうとは思っている。部分的にはもちろんどんどん替えてよりベターなものにしていくべきだと思う。それは教育基本法等についても同様。)結局はこの憲法が社会契約論に立脚して成立しているからである。

子供のころ―多分中学生のころだろう―だが、私はなぜ自由とか平等とか権利とかそういったものが「絶対」のものとして存在しているのかと言うことがどうしても納得できず、とにかくいろいろ調べてみて、これは学校で言葉だけ出てきた社会契約論というものに基づいているらしいと言うことがわかり、ホッブズやロックの言うことを自分なりに考えてみて(せいぜい高校生向けのものだと思うが)どうしても納得できなかった。つまり、人間が「自然状態」にあると「万人の万人に対する戦い」が起こったとか、お互いの公共の利益のために自らの権利を委託して政府を作ったとか、そういう記述が納得できなかったのだ。

そのころから歴史に関しては強い関心を持っていたので、簡単に言えば歴史上「自然状態」が存在したことなどないのだし、そこで「社会契約」を行ったことなどないではないか、と思ったのだ。簡単にいえば「自然状態」も「社会契約」も「ウソ話」だ、と思ったのである。しかしそのことを断言して保証してくれる人も本も見つからず、私の発見したこの考えが本当に正しいのかどうか、ずっと不安だったのだ。だからと言って民主主義を否定したりすれば居場所がなくなることくらいは中学生や高校生のころの私だって理解できたし、自分の考えが間違っているのか、みななぜ平気で民主主義など主張できるのか、いつも不安に思っていた。

後になっていろいろ考えたり歴史を調べたりして、たとえばピルグリム・ファーザーズによる「メイフラワー誓約」が「社会契約」とみなされていることとか、フランス革命でも1790年の「連盟祭」が国王・貴族・ブルジョア・民衆のそれぞれが参加しての「社会契約」のイベントだったことを知ると、彼らは実際に「社会契約」の行事を行って彼らの国家を再組織したと納得した。その伝で行くと日本国憲法は衆貴両院の議決が「社会契約」の手続きであったことになるだろう。そんなことをいう人は聞いたことはないが。

まあ要するに西欧において契約国家観は「完全なウソ話」ではなく、いちおうの(十分とは思えないが)手続きを踏んで成立しているということはある程度納得のいくものだった。逆に日本において誰もそんな認識を持っていない以上、日本国憲法の架空性はさらに高まるものと思われた。

最近またそのあたりのことをいろいろ考えていて、要するに聖書に基づく「王権神授説」に対抗するためには聖書に全く依拠しない、キリスト教的な根拠を持たない「自然状態」という新たな「神話」を仮構することがどうしても必要で、現代国家というのはそうした啓蒙主義時代の人々が考えた『「世俗的な」「神話」』と言う全く相矛盾するアイデアに基づいてようやく成立すると言う歴史的過程をたどったのだと言うことを今になって理解した。

つまり、王権神授説がいわば「聖書のウソ話」によって成立しているのと同様、民主主義も自然状態と社会契約という「啓蒙主義者のウソ話」によって成立しているのであり、人権概念もまたすべてそういう「空から林檎を取り出したような手品」によって成立していると言うことになる。もちろんそれらの概念はもっと古く、ローマ法から続く実定法上の歴史の中で形の上では考えられていたものもあろうが、少なくとも現存の人権概念は手品によって生まれたものだと考えるべきだろう。

このあたりは私の理解力が不足しているためかようやくこの年になって把握したのだが、同様に天皇の「万世一系」という考え方が一種のイデオロギーであると言うことも最近になってようやく理解した。いままでは単純に「事実」として私は受け止めていたし、天照大神から暫くの系譜をそのまま信じていたわけではないにしても、まあ聖徳太子くらいからは続いていたわけだし8割くらい万世一系なんだからそれでいいんじゃないの、位に考えていたのである。

まあ国体論に関しては「だいたい万世一系」位のいい加減な考えだったが、科学と言うものに対してはこれもかなり不信感を持っていて、「科学は絶対に正しい」というのは事実ではなくてイデオロギーだよな、と考えていたし、今ももちろんそう思っている。しかし、まあ「科学のいうことは結構当たってるよな」くらいのことは思っているわけで、そのあたり「だいたい万世一系」というのと似たようなものである。だから「科学が絶対に正しい」というのがイデオロギーなら「絶対万世一系」というのもやはりイデオロギーだ、とようやく腑に落ちたのである。

まあここまで書いてきて改めて思うが、こういう考え方をしている人間というのは私の他にそんなに多くはないだろうなあと思う。ひょっとしたらゼロかもしれんなあ。

まあしかし、進歩派が「万世一系はウソだ」というと「何で?私はそうは思わないな」と返答して嫌な顔をされたものなのだが(だいたいそれで人間関係が気まずくなることも多かった)、彼らのいうことが国体論、「万世一系」説がイデオロギーだ、ということを意味しているなら、それはそうだな、というくらいには思う。だがそれは、契約国家論がウソ話だ、というのと同じくらいのことでしかなく、つまりどういう考え方を取ろうと「真実性」ということに関しては全然変わらないんじゃないかと思うのである。それなら別に私が結構いい加減ではあるが「万世一系」説に立ったっていい訳で、とやかく言われる筋合いでもないな、と思う。もちろん議論はしたっていいし、こういう人間がいるからこそ「聖徳太子はいなかった」みたいな「万世一系」説破壊に狂奔する人々が出てくるんだろうなとは思うけれども。

***

家庭用ファックスを買おうかと久しぶりで秋葉原に出かける。銀座線神田駅で降りて万世橋の方へ。しかしなんというか、浦島太郎状態。知っている店がどんどん模様替えしたりテナントがまるっきり変わったりしていて、特に家電はどこがいいのか全然勘が働かない。しかも出かける前に価格コムを見ていってしまったために13000円以上のものを買う気がしない。結局探すのをあきらめ、神保町に向かった。須田町で竹隆庵岡埜の出店を見つけ、和菓子を買う。久しぶりにやなか珈琲店の前を通る。焙煎の匂いは魅力的なのだが。

三省堂、ブックマート、東京堂などをうろうろする。グランデの周りに人が並んでいたのでなにかと思ったらラジオに出る人のサイン会らしい。よく知らない人だが人気があるんだなあと感心。

帰りにコンビニでグレープフルーツジュースとおにぎりを買い、何をしにいったのかわからない外出ではあったが、帰って来た。

今朝もまたいろいろやっていたら友達から電話がかかってきて話し込む。人は社会とどう折り合いをつけているんだろう、という話をしていて、「全然気にしない人もいるよね」、ということでは一致したが、「そのほかのみんなはどうしてるんだろう」というと、「そのほか」を「みんな」って一くくりに出来ないんじゃないの、と指摘されて虚を突かれた。そのほかの人たちはみんなそれぞれで、社会との折り合いに悩んだりうまくいったりいかなかったり、そのあたりのところはそれぞれに工夫してやってるんじゃないの、グラデーションになってるんじゃないの、といわれてああそうか、と思った。指摘されてわかったが、私は一まとめに出来ないものを無理にまとめようとして苦労して、それで思考が不自由になるということが実に多いのだなということに気がついた。「話をまとめる能力」に対するこだわりが私の場合どうも異様に強いらしい。そのあたりのところ自覚して現実や人生に対処していかないとまずいなどうも、と思った。




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