Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

村上春樹『女のいない男たち』を読んでいる。

2014-05-14 16:31:52 | 読書ノート
女のいない男たち
村上春樹
文藝春秋


村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋、2014)を読んでいる。

読んでいる、というのはまだ読了してないからで、前書きと最初の『ドライブ・マイ・カー』、それに『イエスタデイ』というビートルズの曲から題名を引用した二作を読んだところだ。

作品としては、『ドライブ・マイ・カー』は落ちがぴたっときまった、という感があるが、『イエスタデイ』の方は何となくもにゃもにゃした感がある。ただ、『イエスタデイ』の方は村上春樹自身の自画像に近い何かが書かれている部分がある気がして、そのあたりで面白いと思った部分が大きい気がする。

ただ、ここではそういう真っ当な作品批評というよりは、この作品を読んで気がついたこと、という形で書いてみようと思う。

最初の『ドライブ・マイ・カー』を読んで、村上春樹の小説って、自分自身のことについて考えているいいわけみたいなものに正当性を与えてくれるところがあるんじゃないか、と思ったのだ。

それはある意味、読む人の弱みに付け込む小説だと言えるかもしれない、と。

『ドライブ・マイ・カー』はなくなった妻がほかの男と寝ていることを知っていた男が、なぜあんな「大したことない」男と妻が寝たのか、ということがどうしてもわからない、と専属ドライバーの女性に吐露すると、彼女は「奥さんはその人に心なんか魅かれてなかったんじゃないですか。だから寝たんです。」と答える。そしてそれを読んで、私はああなるほどと思う。そして、そういうことってあるよなあ、と思う。

そういうことってある。かもしれない。「心なんて引かれないからこそ、寝た」という逆説。欠損してしまった自分の何かを埋めるために、(作中では原因不明で生まれたばかりの娘を失ったことがきっかけのように描かれている)空っぽの相手と寝る、という行為。確かに、わかるような気がする。

しかし、それを「わかる」と言っていいのだろうか?

いままでだったら私は、「わかる気がする」と言って肯定していただろう。そして、そこにある問いかけ、「だからと言って空っぽの相手と寝るのはいいことなのか?」という問いかけに向き合うのではなく、無意識のうちに無条件に肯定していたような気がする。

もちろんこれが、誰かの相談ごととして持ち込まれて告白されたら、「だからと言ってそういう相手と寝るのはあなたにとっていいことだとは思えない」と答えていただろう。でも、これが村上春樹の小説だから、そしてまるでその結論だとでも言うような形で語られているから、思わずそれを肯定してしまう、そんな心の追いやり方が、彼の小説表現にはあるのではないかと思った。

小説を読んでいない、普段の私なら、それは少なくとも無条件で肯定できることではない。むしろかなり強く否定する気がする。しかし、村上春樹の土俵に上がってそのことについて読んでいると、そのことについて考えたつもりになっているうちに思ってもいない結論に導かれてしまう、というところがある。

たぶん、つまりそれは、人の弱さというか、弱さに弱さを重ねて肯定してしまうところが村上春樹の小説にはあって、そしてそのようにして自分を許すことがとりあえずは必要だったり、ないしは許して終わりにしてしまいたい人がとてもたくさんいて、その人たちにとってはすごく強い肯定のメッセージになっているのではないかと思ったのだ。それを「読者の弱みに付け込んでいる」という言い方をしたのだけど。

もちろん、それが悪いことであるとは、一概には言いきれないことは私にもわかっている。どんなに危なっかしい新興宗教でも、それに入信することで本当に救われる人がいないとは限らない。怪しげな遺伝子操作技術で一週間寿命を延ばして、それがその人の為すべき仕事を達成させて人類に大きな利福をもたらすことだってないとは言えない。

しかし、村上春樹の小説には「そういうところ」がある、ということは、自分自身としては理解しておきたいと思ったのだ。

もちろん、小説というものは多くの場合、そういう部分があると言えなくもない。明治や大正時代にも、漱石の『それから』や『こころ』を読んで自分のあり方を肯定し、ほっとしている青年は多かっただろう。だからこそ、文学に耽溺することがろくでもないことのようにいう人がいたわけだけれども。

小説を読んでいるとき、人は必ずしも前向きではない。もちろん常に前向きである必要はないけれども、小説は面白いからこそ、読んでいて自分がどちらの方向を向いているのか見失うことも多いのだと思う。

だからときどき、小説に耽溺している自分にふと気がついて、はっとしてみるのもいいのではないかと思ったのだ。

『ドライブ・マイ・カー』を読み終えて、そんなことを考えていた。
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夢と希望と活力が湧いて来そうな三冊を買った

2014-05-07 10:21:50 | 読書ノート
【夢と希望と活力が湧いて来そうな三冊を買った】

One piece (巻15) (ジャンプ・コミックス)
尾田栄一郎
集英社


昨日買った本三冊。なんというか当てもなく書店を見ていて、とりあえず買ったのがまず尾田栄一郎『One Piece』15巻。ワンピースも『個人的な感想です』に感想を書き続けているのだけど、昨日のうちに15巻を読了して、すでに次の島に行っているところ。内容はまた今までとは違う展開で、ルフィの成長がみられる。いちいち面白いなあと思う。

宇宙はなぜこのような形なのか (角川EPUB選書)
KADOKAWA / 中経出版


それから、NHK「コズミックフロント」制作班『宇宙はなぜこのような形なのか』(角川ePub選書、2014)。時々見ているNHKの凄い宇宙番組、「コズミックフロント」で放送されたことがまとめられているらしい。私は子供のころは天文少年だったが、そのあとはあまり追いかけていないので知らなかった新しい宇宙理論について、詳しく解説されていて大変わかりやすい。何が分かっていて何が分かっていないのかも面白い。

ダークマターというのが実際に存在するということを確かめるために(もしそれが素粒子として存在するとしたらキセノンと同じくらいの質量を持つはずだというのもすごいと思ったが)実際に観測が行われているということも初めて知った。ダークエネルギーになるとさらに良くわからないが、このあたりは結局「エネルギー保存の法則」という大原則が成り立つことを前提にアインシュタインのE=mc^2の公式から導かれているらしく、なるほど理論物理学というのはそういう言うものなのかと思った。この辺は先日少し読んだ山本義隆『新物理学入門』に書いてあったことでもあるのだが。

チョコレート工場の秘密 (ロアルド・ダールコレクション 2)
評論社


それから別の書店に行って買ったのがロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』(評論社、2005)。この本も評判はきいていたが読む気になっていなかったのだけど、昨日は頭と心をリセットしながら探していたらこの本に行き当たった。

3冊とも、夢と希望と活力が湧いて来そうな本で、しかつめらしい顔をして社会や人間の不条理に触れる本ではなく、今後ともこういうコンテンツを自分の仕事のメインにして行きたいという感がある。まあもともと、私の歴史への関心というのも社会経済史的なものではなかったんだよな。その方面で面白い先生がいたからそういう方向にずれて行ってはしまったのだけど。

『チョコレート工場の秘密』、絵も文章も面白そう。それに特に、主人公のチャーリー少年がおなかをすかせているのがいい。やはり主人公は思い入れを持ちたくなるところがないといけないなと思う。
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このところ読んだ本。御厨貴『知の格闘』町山智弘『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』など。

2014-04-22 06:39:26 | 読書ノート
【このところ読んだ本。御厨貴『知の格闘』町山智弘『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』など。】

ここのところ全然更新できていないので、今日はこちらから書くことにした。

毎日いろいろなことがあるし、またその中でもとにかくマンガブログの方の更新だけは毎日4回続けていたから、他のブログまでは全然書けないというのが現況なのだけど、さすがにたまには更新しておこうと思う。

知の格闘: 掟破りの政治学講義 (ちくま新書)
御厨貴
筑摩書房


マンガ以外でこのところ読んだ本と言えば、まず御厨貴『知の格闘』(ちくま新書、2014)。日本近代政治外交史の御厨さんの東大先端研における最終講義を収めたもの。最終講義と言っても御厨さんの活動は多岐にわたる。マスコミへの露出も多いし、著作も多い。またオーラル・ヒストリーの第一人者でもある。ということで御厨さんは、最終講義を6回のシリーズに分けて行い、大学院の授業の単位にもなるようにしたそうだ。時期は2011-2012年でまだ民主党政権時代。野田内閣の時期だ。

特に印象に残ったというか知らなかったのは、彼が公共政策が専門で、また権力の場という観点から政治家の絡む建築というものに対する仕事があるということ。その辺についてのことが読めたのはよかった。

アメリカのめっちゃスゴい女性たち
町山智弘
マガジンハウス


またもう1冊は町山智弘『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』(マガジンハウス、2014)。日本ではあまり知られていないがアメリカでは有名な55人のアメリカ女性を取り上げてそれぞれ3ページほどで論評しているのだけど、アメリカとはこういう国なのだなあということがある一面からすごくよくわかる本だった。まだ39人目までしか読んでないけど、どん底からゴージャスの極みまで、アメリカという国がある視点から見通せる本だと思った。表紙は中村佑介。

シドニアの騎士(3)
弐瓶勉
講談社


マンガの方で言うと尾田栄一郎『One Piece』がすでに8巻まで読んだし、弐瓶勉『シドニアの騎士』はいま3巻途中を読んでいる。新しく読み始めた灰原薬『応天の門』も面白い。これは在原業平と菅原道真というコンビで平安京の市中の事件を解決していくというミステリー。彼らが同時代だというのもそういやそうかという感じだが、設定自体が意表をついていて面白かった。

応天の門 1 (BUNCH COMICS)
灰原薬
新潮社
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近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される

2014-04-01 10:04:49 | 読書ノート
【近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される】

五色の舟 (ビームコミックス)
近藤ようこ
KADOKAWA/エンターブレイン


昨日はどうも近藤ようこ『五色の舟』にすごくマインドが侵食されていたらしく、なんだかずっといろいろなイメージが湧いてきて自分を見失いそうになる感じすらあった。その時の感想はこちらこちらに書いてあるのだけど、幼児期からのいろいろな記憶とないまぜになるというか、こちらの心の感覚器官のようなものとすごく引っ付きやすい面があって、手を洗ってもなかなか取れないぬるぬるのような、自分と区別のつけにくい他者みたいな感じがあった。

私はもともと自我の境界線が弱いというか、意識していないと呑み込まれやすいところがあって、だからこそ多くのことを感じられるし、逆に人に伝えるときにも何か言葉以上のものが伝えられるという感じがあるのだけど、こういう意識しにくい、無意識の領域から侵食してくるような作品というのにはなかなか対処できなくて、すごく苦労してしまう。ただそれによって、自分の中を洗いざらい点検できるチャンスというか、そんな感じでもあったのでうまく方向性を出せるような対処の仕方が出来ればいいなと思う。

仮想恋愛 (1982年)
近藤ようこ
青林堂


もともと近藤ようこというマンガ家は最初に読んだ『仮想恋愛』のときからすごくずどんとくるところがあって、自分がしっかりしていないときには読みにくい感じがあったのだけど、『小栗判官』で完全なフィクションの世界を描き出すようになってからは自我が侵食されるというよりは自分がそのフィクションの世界に飛翔しやすい描き方の人、という印象に変わっていた。

説経小栗判官 (ちくま文庫)
近藤ようこ
筑摩書房


実は最近、新刊を見ても必ずしも買わなくなっていたのだけど、この本はネットで見てやはりおもしろそうだと思って買うことにしたのだけど、面白いでは済まなかった。(笑)やはりこういう出会いがあるから本、特にマンガというものは面白い。

思えば『進撃の巨人』も最初読んだときは全然受け入れられなくてすごく困ったのだけど、何度も読み返し、繰り返し考えているうちにストーリーが理解できてきて、そうなると一場面一場面の位置づけもできてくるから、逆に侵食性はなくなってきた。物語を物語として客観視できるようになってきたということだろう。

最終的にはそうなるにしても、少しずつでも自分が変化していく、そのためのよすがとして働くところがこういう作品はあるわけで、まだまだそういう意味では『五色の舟』は「機能」している最中なんだなと思う。

TVアニメーション 進撃の巨人 原画集 第3巻 #8~#11収録
ポニーキャニオン


昨日は夕方出かけて、桜並木を見ながら駅まで。日本橋で降りてプレッセが閉店していることを確認し、丸善でちょっと本を見た後銀座まで歩いた。もうあたたかくなっていて、夕方の日本橋・京橋・銀座を堪能したという感じ。ショーウィンドウもじっくり観察する余裕が出てきた。いつも行くいくつかの店を回って、山野楽器でバッハのチェンバロ曲の廉価版を買い、教文館で本を見ていたら『TVアニメ進撃の巨人原画集』3巻が出ているのに気がついて買った。すでに2月末には出ていたようだったが気がつかなかったなあ。

そのあと松屋の地下に行って夕食の買い物をして帰った。

ミス・ポター [DVD]
角川映画


昨日は午前中、ビアトリクス・ポターの伝記映画『ミス・ポター』の感想を書いていて、これもすごくいろいろと考えさせられたので、昨日はものすごく頭を使った感じだった。
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大河原遁『王様の仕立て屋 サルトリア・ナポレターナ』6巻を読んだ。

2014-03-24 10:04:15 | 読書ノート
王様の仕立て屋 6 ~サルトリア・ナポレターナ~ (ヤングジャンプコミックス)
大河原遁
集英社


昨日は忙しくて、このブログを更新する時間がなかった。夜は家族というか一族というか(母と弟妹甥姪の範囲を言うのに適切な語はあるんだろうか)の集まりに出て、帰ってきてから少し書こうとトライはしたのだけど、PCの前で何度も寝そうになって断念した。

久しぶりに出た大河原遁『王様の仕立て屋 サルトリア・ナポレターナ』6巻を昼間に丸の内の丸善で買った。これは紳士服の仕立てのマンガなので、こういうものを読むとお洒落に対する関心がやはり呼び起される。先ほどツイッターを見ていたら『隠居系男子』の鳥井さんのツイートで


というのがあり、リンクを見に行ったら面白くて、ついそこで言及されていた靴磨きクリームをamazonで注文してしまった。

[サフィールノワール] SaphirNoir ビーズワックスポリッシュ 100ml
SaphirNoir(サフィールノワール)
SaphirNoir(サフィールノワール)


磨き方も忘れるといけないので自分の為念でリンクを張っておこう。

この巻のストーリー、というか主要登場人物は、ロンドンの仕立て屋街、サヴィル・ロウ(「背広」の語源と言われている)のウェストコート(三つ揃えの中に着るベスト)仕立ての名職人、パウエル親方がナポリのサルトリアの主となった主人公の織部悠のところに、「匿ってくれ」と頼ってきたところから始まる。

パウエルの仕立てるウェストコートの名声を聞いて、世界中からネット経由で注文が押し寄せるようになり、居所のわからないパウエルの情報を教えれば懸賞を出すという人物まで現れて、しばらくほとぼりが冷めるまで匿ってくれと言ってやってきたのだった。

物語は結局、サヴィル・ロウの後援者として以前も出て来たウォーレン卿とジラソーレの知略家・ベアトリーチェの作戦によって懸賞主を陥れることによって解決するのだが、それまでの間、パウエルの腕を鈍らせないために受けたいくつかの仕事が返って目立ってしまい、ナポリのサルトリアたちの保護者であるベリーニ伯やカモッラ(ナポリの犯罪組織)から逃れて転々とする展開になる。

服飾的にはダブルのスーツと三つ揃え、またウェストコートに関する薀蓄が語られる。私はきちんと仕立てたスーツを持ってないので、知らないことが多くていつもこのマンガは面白いなと思うのだけど、ウェストコートという一見地味な、また三つ揃えを着る人が少なくなっている現代に、これだけの狂想曲が起こるという展開が面白いと思った。

紳士服は死なず、とでもいうのだろうか。

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岡崎二郎『アフター0 Neo』は、当たり前のことを本当にそうなの?と問いかける短編集だった。

2014-03-17 16:46:23 | 読書ノート
アフター0 neo 1 (ビッグコミックス)
岡崎二郎
小学館


岡崎二郎『アフター0 Neo』1巻(小学館、2004)読了。SFとファンタジーの短編集と言っていいか。と言っても、ファンタジーは第3話の「夢への道標」だけで、あとはSFと言えるだろう。

何だろう、手塚治虫の『ライオンブックス』とかに似ている感じがした。なんというか、ペシミスティックな世界観。こういうのもなんだけど、理系の人の頭のなかってこういう感じなんじゃないかな、と思うことがある。

多分これ、小学生のころ読んでいたら、すごく面白かったのではないかなと思う。今私が求めているものはもっと前向きな感じのものだけど。

と書いてみて別に一概に前向きならいいわけでもない、と思った。たとえば、五十嵐大介の『話しっぱなし』などは、わりと孤独感が吹きすさぶような感じがあるのだけど、そんなにいやじゃない。何かそこにある手触り感というか、あたたかいものが感じられる。

SFのこういうペシミスティックな短編というのは、手触り感がない。岡崎二郎の作品では、そういう意味では『宇宙家族ノベヤマ』だけが異質なのかもしれない。あの作品は理屈っぽくはあったけど、何というか人類の未来を、人類がもともと持つ性質を信じよう、という姿勢があった。

私が一番好きなのは、第7話の『顔』だろうか。

むかしの男に未練のある女が主人公と出会うと、どういうわけか主人公の顔がその男の顔に見えてしまうという特殊能力を持った男の話だ。それを利用して主人公は女性の間を渡り歩いているが、ある時一人の女性と出会い、その女性に恋をしてしまう。

主人公はその女性と関係を深めるが、思いつめた女性はついに主人公を殺そうとしてしまう。しかし刺されたその時、主人公は急に「能力」を失い、女性は「あなた、誰?」という。

主人公は、正気に戻った女性とやり直そうと図る。

という話だ。

この短編集のストーリーの組み立ては、基本的にこういう感じの長さのショートストーリーだ。

これはSFというのとは少し違うかもしれない。SFと言える例を一つ上げると、8話の「永遠の天使 ピオ」だろうか。

「行動遺伝子」を操作することで、人間にとって都合のいい遺伝子を持った動物を作り出す「特許ペット業界」が飽和状態にまで普及した時代。主人公はチベットモンキーの遺伝子を操作して外見が人間の子どもそっくりのサルを作り出す。しかし、このサル=ピオは人間の外見を持ちながら、人間ほどの学習能力がなく、主人公が苛立って調教しようとすると爪を立てて反抗し、主人公は大怪我をしてしまう。

大けがをして「助けて」という主人公に、言葉を理解したピオは屋根に駆け上り、大声で「助けて!」と叫ぶことで主人公の窮地を救う。

これなどは、「科学が進歩することで明るい未来が来る」という古典的な科学観を否定するという伝統的なSFのパターンを踏襲しているともいえるが、それが「人間らしさとは何か」という問いに結びついているところで斬新だ、と言える。

そうだな、つまりこの作品集は全体に、「その人らしさ」とか「人間らしさ」とか「運命とは何か」とか、ある意味自明と思われたものに対し、「本当にそれらは思っている通りのものなのか?」と問いかける作品が多いと言っていいだろう。

そう考えてみると、まったく違うようにこの世界が見えてくる、かもしれない。そういう可能性を、この短編集は提示しているように思った。
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浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』は19世紀音楽史を知るのに大変良い一冊だった

2014-03-16 18:00:23 | 読書ノート
フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)
浦久俊彦
新潮社


浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書、2013)読了。題名から感じる雰囲気とは全く違い、19世紀中盤の音楽史・文化史を概観し、またリストという巨大な天才の生涯を概観することができる素晴らしい本だった。

リストはイメージとしてはショパンのライバルという感じで、だいたいショパン(シンパ)目線で書かれた本を読んできたので、何となくいけ好かない感じのイメージになっていたのだけど、実際にはかなり違ったようだ。

ショパンはポーランドの魂、という感じにまでポーランドとの同一化が進んでいるのに対し、リストとハンガリーの関係はもっと複雑で、そのあたりも名前が知られている割には作品があまり演奏されないこととも関わっているのかもしれない。この本では、リストは「故郷のない人間」として書かれていて、子孫もまた「リストはヨーロッパ人でした」と言っているのだという。彼はロシア・トルコからポルトガルまで、全ヨーロッパをまたにかけた演奏活動を何年も続けていて、そういう意味でコスモポリタンな演奏家の走りだったようだ。

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に出てくるリストの『巡礼の年 第1年』の「望郷」ないしは「ホームシック」とでも訳されるべき"Le mal du pays"などを聞いていると、確かにショパンのような華やかさはなく、また深い精神性を感じさせて、そういう意味でとっつきにくい作品であるように思った。

ヨーロッパ文化史の解釈もなるほどと思うことがあり、たとえば「エレガント」というのは貴族の美意識で、モノよりも精神性を重んじ、「シック」というのはブルジョアの美意識で、「もの」を重視する、というのもなるほどと思った。

リストはベートーベンの弟子だったツェルニーの教えを受けていて、そういう意味ではベートーベンの孫弟子にあたる。ベートーベンの後期のピアノ曲を演奏会で盛んに取り上げて、その素晴らしさを世間に知らしめたのもリストであり、「リサイタルを開くピアニスト」という存在が市民権を得たのもリストの功績だったようだ。

また同時代の音楽家の誰よりも長命だったリストは、後進の音楽家を励まし、新たな道を切り開いている。リストの娘のコジマはワグナーの妻になったが、そのワグナーよりもリストは長生きし、たまたまではあるが小島の尽力もあってワグナーの殿堂となったそのバイロイトでリストはなくなり、今でも葬られているのだという。

そのほかいろいろなことが書かれていて、すべてのことを吸収しきれていないが、この本は本当に力作だと思う。帯に「音楽の見方が一変!」とあり、誇大広告だろうと思って見過ごしていたけれども、実際音楽史の知識が足りない私にとっては、それくらいのインパクトはあった。

読んで、また聴いてみないと、この本の内容は味わい、吸収し尽くせない感じがする。

お勧めできる一冊だった。
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【エコバッグとかGoogleDriveとかウクライナの本とか】

2014-03-03 17:47:17 | 読書ノート
朝のうちは元気だったのだが、どうもこの時間になって眠気が押し寄せてきた。明日の朝、松本に行く用事があるので今日は最終の特急で信州に帰郷の予定。それまでの時間を東京でいかに過ごすかだけど、昼過ぎに日本橋に出て本とかいろいろなものを買ってきたので電車に乗って出かけることはしない。更新できるだけブログを更新しておこうと思う。

丸善日本橋店で買ったのは、「オズの魔法使い」のエコバッグと『Google ドライブ Perfect Guide』(ソフトバンククリエイティブ、2012)、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、2002)。



このエコバッグは単純になんとなく気に入って買ったのだけど、わりといい気がする。

GoogleドライブPERFECT GUIDE (パーフェクトガイドシリーズ)
石井英男他
ソフトバンククリエイティブ


Google Driveは最近、高嶋美里『あなたの一日を3時間増やす「超整理術」』を読んでこれはいいかなと思って使い始めたので、その解説本として。2012年刊というのは少し古いのだが、もっと新しいものが見当たらなかったので、とりあえずこれを買うことにした。残念なのはこの本が出た時点でまだiOSに対応のアプリが出てなくて、iPhoneやiPadでの使い方が出てないことで、この点でこの本を買うかどうか迷ったのだけど、amazonで見ても他によいのがありそうでもないので、とりあえずこの本を買った。ほかのガジェットでの使い方を参考に、iOSでの使い方などを研究してみたいと思う。

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)
黒川祐次
中央公論新社


『物語 ウクライナの歴史』は、昨今のウクライナ情勢について何か書きたいなと思いながら、どうも問題の本質がどこにあるのか今ひとつわからないので、歴史から勉強しなおしてみようと思って買ったもの。ロシア帝国やソ連、またその後継国家連合である独立国家共同体というものの複雑さというものが、話をすごくわかりにくくしている面がある気がする。

ユーゴスラビア解体のときはセルビアが一方的に悪者になったが、今回はロシアがその役回りになるかというとそんな単純なものでもなさそうだ。ウクライナの民族主義者はクロアチアの民族主義と並んでナチスとのかかわりがあった(ロシアやセルビアの影響力排除のためにドイツに接近した)ことでも共通しているが、今回の問題でその要素がどれくらい問題になってくるか、興味深いところがある。

ロシアとウクライナの関係というのは、どこまで同じでどこまで違うのかという根本的なところから始まる。自分の印象では京都中心の朝廷と関東の武士政権の違いくらいなんじゃないかという気もするんだが、まあそのあたりから認識が分かりやすくなるといいなと思う。

今日は午後、桃の節句らしい、良い天気になった。
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美輪明宏さんの語る原爆や憲法やそのほかの話

2014-02-28 19:40:49 | 読書ノート
BRAVA DIVA MIWA
美輪明宏
キングレコード


月刊MOKU3月号の対談は、美輪明宏さんだった。私は美輪さんの本は何冊か読んでいるのだが、読んだことがないこともいくつかあって、特に印象に残ったのは原爆に被爆したときの話だった。

当時美輪さんは縁側で宿題の絵を描いていて、全体の様子を見ようと2,3歩下がったときにすごい閃光が走ったのだそうだ。美輪さん自身、後年原爆の後遺症と思われる症状に苦しんだが、美輪さん自身は「原爆の影響だと思いたくはなかったんです。原爆で、もっと、もっと苦しんでなくなって行った方をたくさん見ているから。」と答えている。

また、鈴木安蔵らが作った『憲法草案要綱』がGHQ原案の作成のたたき台になっていることも初めて知った。(しかし、戦力や交戦権の規定はこの要綱にはなかったから、この部分が加えられたのはGHQの意図であることは間違いないだろう。)

また法華経の諸法実相の思想の根拠となる「十如是」の概念も初めて認識した。「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」の因果律によってものごとの真実を解き明かそうという考えで、美輪さんはこの考え方で戦争の本質を考えたのだという。

また、諸行無常の世の中の中で、変わらないものは自分の信念や心だけであり、変わらないでいることは大変な修行だけれども、自分の人生でそれをやってみようと思ったのだという。これは正直すごいと思った。

結局、自分の知をもとに、自分の持つ信を貫いて生きようという生き方。それで、愛というものを歌い続けているのだと思った。

私は何度かジァンジァンのライブで美輪さんの歌と話は聴いたことがあるのだけど、何と言うかあまりに特異で、まだやはりよくわからないところが多いのだなと思ったのだけど、出発点はすごく知的で、意志的であることは、改めて感じたのだった。
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京都造形芸術大学理事長・徳山詳直さんの「縄文ー弥生ー近代を結ぶ」日本復興構想の熱さ

2014-02-23 10:31:13 | 読書ノート
昨夜は早めに寝たのだが、寝てしまってからSleepCycleをセットしてないことに気がついて起きてセットしたら眠れなくなってしまい(笑)、読みかけで気になっている本を読んだら本格的に眠れなくなって、1時間ほどばたばたしたあとに寝たようだけど、6時頃目が覚めておきようかと思ったのに二度寝してしまい、結局8時間以上ぐずぐずした割りにはあまりちゃんと寝てないと言うどうなんだこれは的な睡眠になってしまった。

考えてみると睡眠時の基本的なルールをいくつも破っていて、忘れたら忘れたでかまわないSleepCycleにこだわったり、寝る前に読まない方がいい本を読んだり、一度起きたらすっと起きるべきなのに二度寝したりと、睡眠に上手くけじめが付けられていないのがよくなかったと思った。

起きてから少し活元運動をしてモーニングページを書き、職場に行って用事をして戻ってきて朝食を食べてから、今日の初午の用意をしたり脚湯をしたりして、部屋に戻ってからまた横になることになった。

昨日は京都造形芸術大学の専務理事の徳山豊さんについてこちらこちらに書いた(内容は同じです)のだが、この人も高校からアメリカのミリタリー・スクールに留学したりして凄い人だなと思ったのだけど、この人のお父さん?と思われる徳山詳直さんというこの大学の理事長のインタビュー記事が月刊MOKU2012年5月号に出ていて、こちらがまたなんだか凄い人だった。

同志社在学中に日本共産党員として何度も逮捕され、獄中で吉田松陰の伝記を読んで、「昭和の松下村塾をつくる」と決意し、岩倉の山中で牛や豚を飼って牧場をして資金を稼ごうとしていたが、そこに国際会議場ができるということで土地の値段が暴騰し、それで得た資金で京都芸術短期大学を作ったのだと言う。

京都では「ゲイタン」と略称されるこの短大のことは、大原由軌子『京都ゲイタン物語」(文藝春秋、2009)で読んだことがあり、何となく親近感があったが、そんな凄い人がつくった大学だとは知らなかった。

京都ゲイタン物語
大原由軌子
文藝春秋


1991年に四年制の京都造形芸術大学となり、姉妹大学の東北芸術工科大学もつくったのは、「弥生の都」である京都と「縄文の都」である山形を結ぶことで日本列島に中心的な心棒を通し、「アメリカの植民地としての」首都東京の神宮外苑に、学徒動員の御霊を慰める外苑キャンパスをつくったのだと言う。

この大学の活動については今までよく知らなくて何で京都の大学が外苑に、と思っていたが、一人の理事長の執念と言うか(ある種妄想に近いような)巨大な思い(込み)によってそんな壮大な(縄文ー弥生ー近代という)三角形が描かれたのだということはある意味では現代の奇蹟に近いと思った。

この歴史観だとか構想だとか言うことに、学問的な立場からケチを付ける人はいくらでもいるだろうけど、この人の「日本を復興したい」という思い自体は全く否定できないものだと思うし、「縄文ー弥生の対比」と言う日本文化の形成の構図も今現在どれくらい有効なのかも私自身にはよくわからない(個人的には稲作文化そのものより、もっとあとにやってきた大陸の直接的文字文化の影響の方が大きい気がするのだが)のだけど、ある時代、ある世代の日本間のようなものが反映されている構想であることは間違いなく、多くの検証は必要とするだろうけれども、その志の篤さ(熱さ)のようなものだけは、まず素直に驚くべきものであると思う。

藝術立国
徳山詳直
幻冬舎


我々、ないし我々以降の世代には、なかなかこの種のとんでもないエネルギーのようなものはなかなかなく、この世代のそういう信念のようなものに、納得いかないまま振り回されて迷惑だと思う面は確かにある。

しかし彼らの世代は日本が一個独立の国として、どうやったら生きて行けるのかというのを真摯に問いかけてきた歴史があることは確かで、我々の世代も、安易に現状に妥協するのではなく、根本的なところから我々がどうして行くべきかを考えて行く必要はあるだろうと思う。

デフォルトをふまえた上で、デフォルトをも見直し、歴史もふまえた上で、未来に進むべき道を冷静に見極める。人一人の望むことと、多くの人の望むこと。

人間は、多くの、解決の難しい問題と今後とも向き合って行かなければならないと思うし、それを耐え抜く強さと、その解決に少しでも近づいて行く、あるいはそれとなんとか付き合って行く方法を見いだすことを楽しみとする、根本的なエネルギーをこれからも必要とするだろう。

これからのそういう大志が、今までと同じような徒手空拳の志で成し遂げて行けるものなのか、私にはよくわからないけれども、前の世代の熱い志を一つの鑑として、新たな時代をつくって行かなければならないと思う。
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