Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

幸福な状態を描くことの難しさ/『その時歴史が動いた』

2006-08-31 08:33:43 | 読書ノート
朝方寒くて目が覚めた。郷里にいるときは夏掛けで寝ていても寒くなってもいいように掛け布団を横に置いて寝るのだが、今朝も途中で布団を掛けた。今朝はどうもそれでも寒く感じ、いよいよ本格的な秋になってきたようだ。窓を開けると虫の声がする。今朝は仕事があって6時に起きたので、いっそうそれを感じたのかもしれない。今は7時20分過ぎだが、外はだいぶ明るくなり、日も差してきて、日中はまだまだ暑くなる雰囲気が漂っている。コスモスはすでに満開に近い。

『ローマ人の物語』25巻読了。ハドリアヌス時代の途中。ハドリアヌスが治世のかなりの部分を費やして全国を巡行し、防衛体制を再構築しているということは初めて知った。またローマ法の集成も彼の時代に行われているということも。塩野によればハドリアヌスはローマ帝国の再構築=「リストラクション」を成し遂げた皇帝ということになるが、なるほどと思う。ディオクレティアヌスのような末期症状の中での再構築でなく、全盛期に再構築を行ったというのがなるほどと思われる。王安石の新法のようなドラスチックなリストラクションではなく、問題点を洗い出し本来の機能が回復するような手当てをするというやり方だからリストラクションというよりはメンテナンスと言った方がいいのかもしれない。

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しかしハドリアヌスはトライアヌスに比べれば面白いと言えば面白いが、やはりハールーン・アッラシードというか、全盛期の君主であって彼自身の物語性には乏しい。五賢帝時代を「人類史上最も幸福な時代」といったのはギボンだったか、「幸福な人々はみな似ているが、不幸な人はそれぞれ違う」とトルストイも言うように、アンナ・カレーニナが幸福であったら物語にはなりにくいということだろう。私は読みながら『源氏物語』の光源氏の絶頂期のあたりを思い出していたのだが、その時期が話として面白くなっているところが源氏の物語としての凄さなのだろうと思ったことがある。塩野の叙述法では勝手なフィクションを挟むわけには行かないが、皇帝の個性だけでなく同時代の文芸等にももっと触れることによって「全盛期のローマ」を描き出すことは可能だったのではないかという感想も持った。

クッツェー『少年時代』を少し読む。相変わらずこの著者の形容し難い斜に構えた記述は変にこちらに訴えかけるものがある。この人はある意味天才なんだろうな、多分。あと未読のものは『海辺のカフカ』だが、読み出すとそっちに関心が奪われそうなので仕事が一段落するまで封印した方がいい気がしている。秋からの仕事の準備はそれなりにすらすら進み、その日の仕事もそれなりに忙しく進む。

少年時代

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夜は『その時歴史が動いた』で「寛大な講和」を目指す吉田茂の戦略、というようなことをやっていたが、冷戦が激化する前に講和条約が結ばれ日本が主権を回復していたらどのようになったかと思った。当時は賠償をなるべく少なくするというのが吉田の課題だったというけれども、賠償を支払うことで心理的な負い目のようなものを払拭しておいた方が後々変にこじれなかったのではないかという気がする。冷戦を利用して安全保障上の日本の地理的条件をアメリカに高く売るという戦略もあまり共感できるものではない。

もちろんそういうことは後知恵に過ぎず、吉田の戦略によって戦後日本が成立してしまった以上取り返せない部分が大きいし、もし賠償の足枷が重く、共産圏に対抗する再軍備の必要を自力でやらなければならなかったら経済がどのような状態になったかは想像できないが、その「よき敗者」であるとか「戦争で負けて外交で勝つ」といった考え方にやはり浅薄な部分があったのではないかという思いは拭いきれない。

番組全体としては中ソ同盟が日本を仮想敵国にしたこと、米ソ対立が講和の成立を長引かせたこと、池田ミッションが米軍の日本駐留を申し出るものだったことなど、戦後の日米関係の構図の起源を上手く説明していたと思う。吉田の評価が高すぎるのがどうかと思ったが、最初に「む。」と思ったけれど最後まで見て収穫があった番組ではあった。

空は秋の雲だ。





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『読書三昧』/皇帝ハドリアヌス/整理問題/5歳の女の子のけなげさといじらしさ

2006-08-30 09:01:51 | 雑記
新しいサイト『読書三昧』をつくりました。そちらの方もよろしく。このブログで取り上げた本を中心に、書籍ごとに書評や感想や妄想?を書き綴ったものです。著者順に読めるようにしましたが、ジャンルごとのほうがいいかな。まだ少ししかアップしていませんが、徐々に充実させていくつもりです。Googleの広告も載せてみましたが、思いがけないものが表示されたりして少し目の覚めるような思いをしたりしています。

***

昨日。朝から銀行や区役所へ。区役所はロビーが工事中で窓口が5階に移っていて、階段を駆け上がる。用事を済ませて帰りに西友によって飲み物などを買う。

***

塩野七生『ローマ人の物語』(新潮文庫、2006)24巻読了。皇帝トライアヌスの巻。トライアヌスのダキア戦役でルーマニアの住人が総とっかえになったということは知らなかった。パルティア戦役の失敗と死。これも興味深い。『プリニウス書簡集』で読んでいた小プリニウスのビティリア属州の総督としての派遣の背景が説明されていて、なるほどと思う。トライアヌスは『至上の皇帝』と呼ばれたというが、あまり史料がなく、プリニウスとのやり取りの中に彼の性格が現れているというのはそうだったのかと思った。

現在25巻に入り、ハドリアヌスの話を読んでいるが、これがトライアヌスの巻に比べると異常にすらすら読めてしまう。ハドリアヌスというのはトライアヌスに比べると性格に偏りのある人で、そこが「お話」になりやすいということのようだ。塩野の筆もかなり乗っているように感じる。

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***

仕事関係の書類を整理し始めて、すぐにいろいろな問題に突き当たる。日ごろからの整理の不足は、仕事に対する真剣度の不足によるのではないかという気がした。発想が重要な仕事に関してはある程度のちらかり方は仕方がないのだが、事務的な内容の書類はもっときちんと揃えておかなければならない。記憶や記録の資料としてとってあるさまざまなパンフレットや入場券の類も、記憶のよすがとしてとっておくということは相当大変なことだが、たとえば入場券の「コレクション」をつくる、というような形でとっておくという方向に保存の仕方を変えた方が上手く整理がつくかもしれないと思った。

いずれにしてもいろいろな面で整理がつかず保存方法が混乱している資料が家の中に溢れていて、居間にいくつもダンボールが積んであるという引越し後状態になってしまっていて、ちょっといいかげん何とかしたほうがいいと思ってはいるのだが。

***

昨日帰郷。妹は現在出産で帰省中なのだが、その5歳の娘が幼稚園の宿泊旅行に出るために一時的に埼玉に帰っていたのを、新宿駅で義弟から預かって、妹の元に連れて行くことを頼まれたので、昨日は郷里の方の仕事を休んで夕方7時の特急に乗って帰った。姪は最初はパパから離れるのがイヤでぐずぐずしていたが、弁当を食べさせたりしているうちに落ち着いてきて、八王子を過ぎたあたりで塗り絵を始め、お絵かきをしたりしながらだんだん会話もはずんできた。最初は車内も込んでいてあまりまわりに迷惑にならないように試用と思っていたのだが、八王子でずいぶん降りた。自由席に乗ったから通勤客が多かったのだろう。で、あまり回りに神経質にならずに済んだので、気が楽だった。

子どもの絵の描き方とか、もう自分自身のことは当たり前だが全然忘れていたので、見ていて面白かった。家は屋根から描き、猫は胴体から描いて顔はおまけ。人間は髪の毛から描く。その順番に、子供の見ている世界が反映されているんだろうなあと思う。

2時間もするとだいぶだらけてきて横になったりおてんばなことを始めたりしたが、すぐに郷里の駅に到着した。駅には妹が迎えに来ていたので、めでたしめでたしであった。それにしても、パパから離れるのが淋しくて、それを我慢する5歳の女の子というものはいじらしくてけなげだと思った。

というわけで車中では全く本は読まず。仕事も休み。『ローマ人の物語』を少し読み進めて就寝。



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読書三昧

2006-08-29 23:06:43 | 雑記
新たに「読書三昧」というサイトを立ち上げました。内容は、このブログで書いた書評(というか感想とか連想とか妄想とか?を書籍ごとにまとめたものが中心です。まだつくりかけなので徐々にコンテンツを増やしていく予定です。御笑覧いただければ幸いです。
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ネットのコミュニケーション/靖国神社の花嫁人形/『金閣寺』とか『白鳥の歌』とか

2006-08-29 10:32:01 | 雑記
何日か前の日記で「世界に罰せられた人」ということを書いたが、世の中には「人生に罰せられた人」というのもいる。自分の人生を切り開いていくことに脇目も振らずに邁進していく人たちだ。そういう人たちは概して成功者になるのだろう。私はそういう人間の近くにいたことがあるが、本来わたしの周囲にはあまり見られないタイプで、圧倒された。ある意味非常にわがままなのだが、自分の目指すものを明確に意識し、それを確実に実現していく。まあそれが生物としての人間のあるべき姿なのかもしれない。

その姿のあまりの余裕のなさが「罰せられた」という印象を与えるのだが、本人はそうは思っていないのだろう。私などとのメンタリティと相当かけ離れているので、なかなか理解は難しいのだが、そういう人がいなければ世の中は動かないし、まあ凄いものだとは思う。ちょっとそんなことを思った。

***

ネット右翼ということについて考えていたのだが、ある意味それを煽るのは、既成知識人の側がそういう人たちに対してあまりに冷たいということもあるのではないかという気がした。つまり、知の世界に対してもう少し扉を開くというか、こういうことを勉強した方がいいと言うような方向に「良導」することをもう少しした方がいいのではないかということだ。ネット上の議論を読んでいて、あるいは実際にしてみて一番うんざりすることは、多くの場合人間的なやりとりが全く欠けているということだ。どんなに稚拙な議論であっても相手は人間なのだから、工夫次第では言葉が通じる可能性もある。完全な確信犯は説得は不可能であるにしても、言葉を通じさせようという努力は見せておいてもよいのだと思う。

この問題もそうなのだが、結局そういうふうになってしまうのは、いわゆる知識人といわれる人たち、特に若手の人たちのかなりの部分で「人間的共感」(あるいは人類としての類的共感といってもいいが)のようなものを軽視する人々が多いからなのではないかという気がする。その原因は、無神論とか人間にたましいがないとかいうような議論に代表されるような人間観の影響の強さにあるように私には思われてならないのだが、そうではあっても人間の共感の可能性のような部分にもう少し重点を置くことはむしろネットにおいては可能なのではないかと私は思う。ヴァーチャルな空間なのだからうざったいことはあっても殺されることは(ある程度気をつけていれば)ないだろうし、言い捨て的なものに対する対応は不可能かも知れないが、わたしの感覚かもしれないけれども、もう少しそういうことが出来るのではないかという気がする。

ネット右翼というのはおそらく若い層が多いのだろうから、コミュニケートする技術も方法ももちろん未熟であろうし、逆に言えば知識人の側がそういう技術も方法も、普通の人格を持っていれば持っているはずであって、もちろん精神的時間的な持ち出しになることではあるが、ネットなり日本言説なりの社会を維持していくためにはある程度の責務があるのではないかという気がする。

戦前の日本社会ではいきなり若者が年配の知識人や政治家を訪ねて議論を吹っかけたり懇談したりしたらしいことがよく書かれている(もちろん門前払いも多かっただろうが)が、どういう時代でも「若者は礼儀知らず」でもあり、もう少し相手をしてやる度量が現代の知識人にあってもいい気がする。「ネット右翼は云々」という議論は「いまどきの若者は云々」という議論とあまり変わらない。

***

昨日。岡崎久彦の干渉で靖国神社の遊就館に展示されている「大東亜戦争」に至るアメリカの政策についての見解の記述が書き換えられるという話を聞いていたので、その前に一度見学しなければと思い、午前中に出かけた。遊就館は2002年に新装開館したのだが、今の施設になってからは実は一度も行ったことがない。1999年にシスアドの試験を飯田橋の東京理科大で受けたとき、昼休みになんとなく遊就館を見学したいという気になって九段まで歩き、戦没学生の手記を読んで涙で頭がぼおっとしてしまって午後の試験に苦労した、というとき以来、靖国神社に行っても遊就館を見学することはなかった。

そういうわけで昨日は始めて新しい展示を見たのだが、ペリー来航や西欧列強の帝国主義的侵略から語り起こし、「維新殉難者」に関する遺品などの展示から始まっていてちょっと面食らった。第1室の展示が「武人の心」ということで本居宣長の和歌が掲げられたりしていたが、ちょっとなかなかそういうのはこそばゆいという感じが私などはしてしまうのだけど、「本当に何も知らない人」に対してはそういう展示も必要なんだろうとは思った。その後は要するに「日本の軍事」に関する一大博物館であって、そういう意味ではそういうジャンルのものとしてはかなり勉強になるところだと思う。実際には、どうもわたしは軍事というジャンルはあまりぴんと来ないところが多く、きちんと理解できたとはいいがたいのだが、内戦から日清日露戦役など、さまざまな展示によって日本の軍事が体感できる施設ではある。

問題の記述は第二次世界大戦における「アメリカの参戦の動機」が不景気を克服するために「有効需要」を創出するのが目的だった、というような意味内容のことらしいが、このあたりはちょっと難しいなと思う。ルーズヴェルトのニューディールは理論的にはケインズの主張に適ってはいるが、ルーズヴェルトが戦争こそが「有効需要」を創出するということをどのくらい意識していたかということを検証する史料はあるのだろうか。結果的にアメリカの経済が戦争によって立ち直ったことは事実だが。

しかしなんといっても圧巻なのは「大東亜戦争」に関する膨大な記述、遺品、兵器、それに関連するさまざまなものである。これを収拾し、敬意を持って陳列し、人々に示すことが出来るのはやはり「靖国神社」という存在にしか出来ないことだと改めて思う。水筒などの遺品が膨大に積まれた展示。胸を突かれる。如何ともし難い強烈で膨大な悲しみが私を襲う。今回もっとも印象に残ったのは終戦時の阿南陸相の「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の血染めの遺書。あまりの悲しさ、痛さのために直視できなかった。彼と同様終戦時に自決した軍人は数多いが、彼らが振り返られることは現代ではほとんどないだろうと思うと、それも哀しい。

もう一つ強く印象に残ったのが「花嫁人形」である。戦死した兵士の多くは20代前半の未婚の男子であり、結婚もしていないし子孫もない。父母が没したあとその彼らの霊を慰める子孫はいない。だからその祭祀は国家の義務だという主張は私には納得できる。「たましいなど存在しない」という人には嘲笑い話なのだろうが。花嫁人形は、戦死した兵士の母が息子の「花嫁」として靖国神社に奉納した日本人形である。それが三つ四つ並べて展示されていたのが心に刺さった。

考えてみれば、死んだ息子の花嫁に人形を奉納するなど、極めて土俗的な行為なのだろう。なにか民俗学的にその行為について説明できることがあるのかもしれない。しかし結局、靖国神社が「神社」でなければならないのは、そういう土俗性を含めて引き受ける度量が「神社」でなければ持てないからである。日本は都市と農村、近代と土俗が合している国であって、そこがアメリカのリベラルから見れば封建的と指弾するところになるのだろうが、日本がそういう国であるということは認めるべきであろうと思う。

そういう土俗性を含めた文化伝統はだんだん衰退していくのだ、という考え方もあるのかもしれない。確かに、農村社会では昔なら起こりえなかったような猟奇的な犯罪が農村部にも広がりつつあるのは事実だし、高齢化や過疎化の問題も含めて緩やかに日本が日本である部分というのは消滅しつつあるのかもしれない。

私などに可能なことはそういう流れをいかにして食い止めるかというある種の蟷螂の斧的なことに過ぎないのかもしれない。まあ、日本が日本でなくなってしまったら、靖国神社もその存在が必要でなくなるだろうし、そこまでは私もわからないが、そのときが「彼ら」の最終的な勝利なのだと思う。

結局、遊就館を出たときは胸が一杯になってしまって頭がぼおっとしてしまった。館内には子どもや若者もたくさんいたが、夏休みの自由研究で靖国神社を調べました、という子どもたちも結構いるんだろうなと思った。「サヨク」的な先生方がその研究にどういう態度をとるのか、まあ見えているようないないような。

家に戻って昼食。三島由紀夫『金閣寺』読了。最後まで「仏に会うたら仏を殺し、…」という「禅の公案」が支配する構造になっているとは思わなかったが、それが三島的な構造の美学ということになるのだろうと思った。ある意味スタティックな力学である。しかし物語の構造は単純なほうが力強い、ということを改めて確認できるような作品で、それがこの作品の「傑作」という評価につながっているのだろう。イシグロの『わたしを離さないで』の構造に少し似ているものを感じた。

金閣寺

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そのあと少し仕事をし、休憩。夕方銀座に出かける。FMの「ミュ-ジックプラザ」で聞いたシューベルトの『白鳥の歌』のCDが欲しいと思い、山野楽器に行く。フィッシャー・ディースカウの1982年録音のものを買う。そのあと教文館で本を物色するが、買わず。カフェで夕方の銀座通りを見る。整然とした町並み、清潔な人の流れ。街灯。ある種の幸福感がそれをみていると立ち上ってくる。年配の婦人が店の人と会話している。やはりこの店は教会関係の人のお客が多い。

シューベルト : 歌曲集「白鳥の歌」
フィッシャー=ディースカウ(ディートリヒ), ブレンデル(アルフレッド), シューベルト
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日本的無神論/こうの史代「こっこさん」/塩野七生「賢帝の世紀」

2006-08-28 09:37:00 | 読書ノート
無神論の起源は敗戦にあるのだと思う。敗戦とそれに伴う混乱は、多くの日本人に「神も仏もあるものか」という感想を持たせた。昭和天皇の人間宣言もそれに拍車をかけた。言葉をかえて言えばこの時代の日本的無神論は「アプレゲール的無神論」といってよいと思う。

それが様相が変わってきたのがわれわれの世代、すなわち1960年前後に生まれたいわゆる「新人類」と呼ばれる世代以降であると思う。アプレゲール的な無神論は、神、ないし天皇の神性が失われたところをどことなく引きずっているところがある。そこにルサンチマンがあるのだが、新人類的な無神論はもっと根本的というか、ドライなもので、三無主義(無気力・無責任・無関心)とか四無主義(+無感動)とかいう言葉に代表される、虚無主義的な無神論である。おそらくはアプレゲール的な無神論のいさぎよくないところに対する反発心がそのような形で神的なものの全否定につながっているのだと思う。われわれの世代がニューアカデミズムの隆盛と重なるのは理由のないことではないと思う。

そういうわれわれの世代が40代、いわば社会の責任世代に入ってきたということで、実質的な無神論の蔓延はかなり本格的な段階に入っているといえる。われわれの世代の無神論はアプレゲール的なルサンチマンとは無縁である一方、科学主義的なアメリカ的無神論とは近く、村上ファンド的資本主義とつながりが深い一方で、オウム的な洗脳宗教とも親近性がある。それは共産主義(つまり「科学的無神論」)崩壊後のロシアでオウムが流行したこととも関連性があるだろう。社会のさまざまなところで無神論的な秩序崩壊が起こっている根本にはそういう虚無性があることと無縁ではなかろう。

もちろん無神論自体は敗戦以前にも個々のケースとして存在してはいたが、無神論が公然と表に出て主張できるようになったのは戦後ではないかと思う。旧制高校的な教養主義には超越者への憧れのようなものがあるし、ある傾向の無神論として存在し得たのはマルクス主義者だと思うが、鍋山貞親が「転向」後にかなり強力な天皇主義者になったように、マルクス主義者の無神論にはそういう神感覚への抑圧のようなものが感じられる。

しかし敗戦後、あるいは現代に無神論が蔓延する影には日本の歴史的な背景と言うものもある。多くの国家で『政教分離』が宗教の政治への影響力を排除する、という意味があるのに対し、日本では国家による宗教への関与を排除する、というふうに考えられがちなのは、日本においては政治の宗教に対する優位の歴史が長いということの反映である。

具体的にいえば、16世紀に織田信長が比叡山焼き討ちや一向一揆の撲滅などを行い仏教勢力を政治的に無力化し、豊臣秀吉や徳川政権がキリシタンの撲滅を行って彼岸的な宗教勢力が政治に関与することの徹底排除に成功した。秀吉も家康も自らの権力の荘厳化は神道(神祇と言うべきか)によって行った。豊国大明神や東照大権現などがそれだが、いずれも現世的権力の来世への敷衍とも言うべき祭祀である。

明治維新の思想的原動力はいうまでもなく国学だが、これは儒学的な意味での「学」であって宗教ではない。もちろん宗教的側面はないわけではないが、政治の宗教への侵食という形で成立した宗教自体の超越性が確保された信仰ではないことはいうまでもない。いずれにしても、日本の近世以降の宗教の超越性の弱さと穏健性とはそれが日本社会の強みでもあり弱みでもあったのだと思う。

そうした背景があったからこそ戦後公式的な皇室崇拝の現実的な基盤が崩れるとぽろぽろと崩れていくように無神論を唱える人たちが増えていったのもそうふしぎなこととはいえない。

しかし、もともと日本には超越的な信仰よりもむしろ多神論的・アニミズム的な「神」観のほうが強かったのだと思うし(この当たりいかにも勉強不足の記述だが)、近世初頭の宗教勢力の崩壊により政治の宗教に対する優位の基盤の上にそうした「神」観が蘇り、現世優位の価値観の中で現世利益的な民間信仰が繁栄したといえるのではないか。

そういう鳥瞰を得て考えると、現在の無神論の広がりもその方が現世的な利益がある(と当人たちは思っている)からだと考えればそうふしぎなものというわけでもないことになる。

無神論の広がりはもちろん現代の世界的な現象(特に白人プロテスタント社会と東アジアに顕著だ)であると思うが、歴史的・文化的基盤はそれぞれに異なると考えるべきだろう。事例研究も集めなければと思うし、この問題には取り組んでいかなければいけないと思う。

***

昨日。ここ二三日、東京は曇っていて過ごしやすい。ようやく東京も秋の気配が出てきたということだろう。晴れたら暑いのはわかっているが、真夏なら曇っていたら暑くないとは限らない。

しかし習慣上出かけるのは夕方になった。久しぶりに新御茶ノ水で降りて神保町まで歩く。通りの様子が少し変わった気がする。ブックマートに寄り、こうの史代『こっこさん』(宙出版、2005)を買う。それにしても聞いたことのない出版社からよく出しているな。まだ読みかけだが、品のいいギャグ漫画の王道と言うか、才能をぺろっと出すだけでこれだけ面白いものが書けるというのは凄いことだと思う。

こっこさん

宙出版

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三省堂に行く。検索の機械で「無神論」で検索してみても、日本的無神論を分析したものはない。キリスト教社会における無神論の問題ばかりで、要するに日本社会においては無神論が問題化されたことはほとんどないということなのだろうと思う。しかしまあ研究の基礎にはなるだろうからと思いアンリ・アルヴォン『無神論』(白水社クセジュ文庫、1970)を購入。

無神論

白水社

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それから、やはり長編作家としての村上春樹の現在を知っておく必要があるということから読まなくてはと思いつつ読んでいなかった『海辺のカフカ』上下巻(新潮文庫、2005)を購入。ここ二三日でずいぶん本を買ってしまったのでいつ読めるのかよくわからないが、手元にあれば読むだろうという感じだ。

海辺のカフカ (上)

新潮社

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これだけ買ってしまうともう本屋めぐりをすると後難が恐いので帰ることにする。財布もお守りのように樋口一葉が残っているだけ。恐い恐い。

三島由紀夫『金閣寺』は寺を出奔したところ。おみくじで旅行は凶、を引き特に西北が凶と出て西北に向かって旅を決意するところなどは実に三島っぽいがよくわかる気がする。老師とのエピソードはあまり心に響いては来なかった。

金閣寺

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塩野七生『賢帝の世紀』はトライアヌス帝の第一次ダキア遠征が終わったところまで。一次史料が残っていないので「トライアヌス円柱」に刻まれたレリーフを描写するという手法を取っているが、さすがに読みにくい。こういうところはもっと「文学的」に描写してもらった方がいいのだが、塩野はそういう面ではこの作品においては禁欲的で、トライアヌス円柱がどういうものかはわかるのだが、「読者」としては歴史家の苦労を強制的に偲ばされている感じがしなくもない。

ローマ人の物語 24 (24)

新潮社

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そしてなかなかトライアヌスの「個性」というのが浮かび上がってこない。もちろんこれは、カエサルやアウグストゥスなど強烈な個性がそこここに見られるローマにおいて、個性という点ではトライアヌスは残念ながらあまりはっきりしてこない人物だということなのかもしれない。有能な司令官であり政治家、ということはわかるのだがそれ以上でもそれ以下でもない感じが、今のところはしている。そういう政治家の時代のほうが、人々は幸福だということなのかもしれないが。鼓腹撃壌というか。




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無神論/子猫殺し/こうの史代

2006-08-27 13:33:37 | 読書ノート
ナチスの思想の最大の欠陥は、無神論だろう。神を恐れ、生命を畏れる思想があれば、数百万人のユダヤ人を虐殺するなどということは絶対におこるはずがない。スターリンの虐殺、毛沢東の無慈悲、ポルポトの虐殺も彼らがコミュニズムという無神論に基づかなければ起こりえなかった。

ナチスは徹底した科学主義であり、合理主義である。虐殺したユダヤ人の皮下脂肪から石鹸を作るなどという発想が出て来るのは、人間の体というものを物質としてしか見ていないからであり、最後にヒトラーがエヴァ・ブラウンと自殺して石油をかけて焼かせたということと思想としては通底している。ユダヤ人問題の最終的解決という彼らの発想は極めて合理的に遂行されているが、つまりはガス室というのが効率化の極致なのだろう。

同様に、無神論を肯定する傾向が強く徹底した科学主義・合理主義であるリベラリズムとナチスとの違いはなにか。それはもちろんデモクラシーとか人権思想を肯定するか否かというところにある。しかし生命倫理の問題など、科学主義・合理主義が人権思想を侵害する可能性がでてくるような局面を見ると、リベラリズムとナチスというのも実はそんなに遠くないところに存在するのではないかと思われる。だからこそあんなにまで偏執狂的にリベラリズムはナチスあるいはネオナチを排撃するのだろう。リベラルとコミュニズムが案外親和性が高いのも、アンビバレントではあるが似たところに原因があるのだろうと思う。20世紀はファシズムとコミュニズムの時代、「極端の時代」とホブズボームは描出したが、アメリカン・リベラリズムも含めてエクストリームズとするべきなのではないかという気はする。リベラリズムとナチスはネガとポジの関係なのだと思う。核兵器がアメリカで、化学兵器がドイツで開発されたのは偶然ではないだろう。

小林よしのりがアメリカを左翼国家と分類するのはそういう観点に立ってのことなのだが、私などはよく腑に落ちるその議論をなぜ多くの人が支持しないのか疑問に思っていたのだが、何だそうだったのかと最近自分の認識不足に苦笑している。相当な度合いで、日本はすでにアメリカン・リベラリズムに侵食されていたのだ。諸星大二郎『地獄の戦士』のラストシーンのような感慨である。

地獄の戦士

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まあそういう観点から言えば清沢冽ではないが『暗黒日記』くらいしか書くことはないのかもしれないが、リベラルの侵食というのは都市の若年エリート層が中心であって、昔で言えば左翼の浸透した階層とそんなには違わないような気もする。まだまだ日本は、あるいは世界は大丈夫だと信じたいが、さてどうか。なんとなく自分の中で小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』のなかの童貞青年たちの増殖がイメージされている。

ゼウスガーデン衰亡史

角川春樹事務所

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昨日は土曜日にありがちな体調の悪さであまり動けなかったのだが、肉体よりも精神に意識を集中して動かしてみると案外動かないこともない。本当に疲れていると意識は雲散霧消して、というか体の各地にいろいろな形で分散する印象になる。それが徐々に統合されていくイメージが起床のときにはある。

こうの史代『夕凪の街・桜の国』を何度も読み返す。読み返せば読み返すほど彼女の漫画表現のさまざまな実験的な試みが、非常に折り目正しく絵の中に反映されている、そのテクニックに驚かざるを得ない。正岡子規は「一行を読めば一行に驚き、一回を読めば一回に驚きぬ。一葉何者ぞ」と樋口一葉を評しているが、そんな驚きを持った。これは高三から大学の初年に高野文子をバイブルのように読んでいたころの印象に重なる。全面降伏イエスである。

夕凪の街桜の国

双葉社

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で、どういうわけか近藤ようこ『見晴らしガ丘にて』(ちくま文庫、1994)が読みたくなって読み返す。この短篇集の中では「見晴らしガ丘にて」と「なつめ屋主人」が好きだ。女性から見た恋愛や男女関係というのが自分にはよくわからないから読むのが面白いということはあるのだが、自分にとって本当に面白い作品というのは文学性、言葉を替えて言えばある種の偏りがあるものだから、これらの作品を読むことによって女性が理解できるとは全然思えない。何がしかはあるかもしれないが、生兵法は大怪我のもとみたいなところである。

見晴らしガ丘にて

筑摩書房

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三島の『金閣寺』をさらに読む。第7章に入った。『金閣寺』は名作だといわれているが、それだけのことはある。題材と作者の資質、そしてそのときの作者の年齢とがこれだけ幸福な化合をした作品もないかもしれないと思う。一期一会というか。

金閣寺

新潮社

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作中で金閣寺の老師が敗戦の日に寺中の者に講話をする。その内容は有名な「南泉斬猫」の公案についてである。

余談だが、坂東眞砂子というタヒチ在住の直木賞作家が子猫殺しについてのエッセイを書いたという話を読んだとき、わたしはこの「南泉斬猫」の公案を思い出してなにか深遠な動機でそんなことをしたのかと思ったのだが、なんだかよくわからない話だった。引用元はほかに全文引用のところが見つからなかったので「きっこのブログ」だが、まあきっこ氏の言うことは表現はきついが一般的な感想だろう。避妊手術をあえて避け、生まれた子猫を殺すという選択もよくわからないし、それについてさらに非難されることを覚悟でエッセイに書くというのはもっとよくわからない。生物にとって「産む」ということが大事だからそれはさせるが「育てる」ことはしない、させないというその取捨選択の根拠はおそらく坂東氏の文学的な何かがそれをさせているのだろうと思うが、それを同人誌ではなく日経に載せる必要があるのかどうかちょっとよくわからない。

「南泉斬猫」はもっとある意味人間本位の話なのだが、子猫をめぐって寺中が争っているのを見た老師・南泉が子猫を斬って捨てる。そのあとで高弟の趙州が帰ってきてその事を話すと、趙州は頭に履(くつ)を載せて出て行った。それをみた南泉が「今日お前がいたら、あの子猫も助かったのに」と言った、と言う話である。

この話、すなわち公案をどう解釈するかと言うのは古来難問とされているのだが、この終戦の日の老師がある解釈を下し、のちに出会った柏木と言う悪友がまたこの公案について耽美的な解釈を下す。また柏木の解釈はこれも有名な「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、…父母に逢うては父母を殺し、…始めて解脱を得ん」という公案との関連からでてくる。こういう禅の公案、あるいは公案集については一時よく読んだので私も『無門関』や『臨済録』を読み直してみたのだが、こういうものをテーマにして小説が書けるということに新鮮な驚きを感じた。というか、禅の公案というもの自体がある意味非常に文学的に考えることが出来るということは発見だった。解釈が気になる方は『金閣寺』を参照されたい。

無門関

岩波書店

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臨済録

岩波書店

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夕方になってから丸の内の丸善に出かける。こうの史代のほかの作品を読みたいと思って出かけたのだが、塩野七生『ローマ人の物語』24~26巻(新潮文庫、2006)が出ているのを見つけてその場で買った。

ローマ人の物語 24 (24)

新潮社

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話しはトラヤヌス帝、すなわち五賢帝時代なのだが、この時期はタキトゥスらの同時代の記録が欠けているので書くのが大変だ、という話から始まっていて、そうだったのかと思う。私の印象のトラヤヌス帝は「ローマの最大版図」を実現した「初の属州出身の皇帝」で、ネルヴァの養子指名による「養子相続時代」=五賢帝時代の最良の時代を作り上げたという世界史の常識以外には小プリニウスが『書簡集』に書いている彼らの書簡のやり取りに出てくるトラヤヌス帝の短く的確なコメントくらいしかない。まだ24巻の最初の70ページしか読んでいないが、塩野の統治者論が展開されていて面白い。結局こういうものを面白がる人が塩野の読者なのだなと改めて認識する。

プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条

講談社

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こうの史代は何冊かあったが、結局「どれにしようかなそれは神様の言う通り」で、『長い道』(双葉社、2005)を買った。これは読了。なんというか、ストレートに幸せな夫婦というものを描く人ではないのだが、ある意味幸せな夫婦でもある。まあなんというかその偏りがこうのという作家なんだなあと思う。絵のテンポ、台詞のテンポが絶妙なのだが、あまりに折り目正しくまた独自の感性を持っているために、かえって雑誌などでは使いにくい作家なのだろうなあと思わざるを得ない。『夕凪の町・桜の国』のような重いテーマを扱う方が、かえって彼女の力を浮き彫りにするというのは実際、並みの作家ではないと思う。小林よしのりが「反戦漫画でもいいから描いてくれ!」とまで言って『わしズム』に漫画を載せたがったというのもよくわかる。商業主義とは全く無縁のところに生まれた鬼才なのである。

長い道

双葉社

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夜『世界ふしぎ発見』を見るかどうか迷っていたのだが、「ボイブンバ」というアマゾンのお祭りをやっていて、これがかなり面白かったのでみてしまった。青森のねぶたと札幌の雪祭りとリオのカーニバルを合わせたものというか、これは相当面白いし盛り上がるだろうな。

人はなぜ歴史を学びたいと思うのだろう。私のことを考えていたら、それは混沌でしかない世界を認識によって秩序づけることが出来るからだ、ということに気がついた。これは小学校に入る前のころからずっと同じだったと思う。今でも世界はある意味混沌でしかないが、私が思う歴史が秩序付けることによってわたしの中では世界はそれなりに生きることが可能なものとして認識されているのだと思う。

岡田英弘氏が「歴史の本質は認識だ」、と言っていたが、その意味は何重にも味わうことが出来る。





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精神と肉体が別のものだと考えること/世界に罰せられているということ

2006-08-26 12:48:05 | 雑記
昨日帰京。午後から夜にかけての仕事は忙しく、すべてをこなしきれなかったが、こういうのも久しぶりだ。特急の中では久しぶりに週刊文春を買って読む。午前中に再度歯科医の検診を受け、歯磨きの指導を受ける。何回も受けているのだが、結局いい加減になってしまう。自分の歯は、思ったよりがたがたになっているらしい。強くしっかりした咀嚼機構を持つということの幸せをもう一度思う。

大月を過ぎたあたりから、またアンジェラ・アキの「Home」を聞き始めた。昨日はなにか余り音楽の世界に入って行かない感じがした。ここのところ、音楽の世界の中に住む感じになって、そこでまどろんでしまう、つまりは「癒されている」感じになっていたのだけど、昨日は癒しというよりも、隣で歌を聞いているような、親しみはあるが一体化はしていない、そんな感じで聞いていた。

Home (通常盤)
アンジェラ・アキ
ERJ

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仕事をしているときから、ここにある肉体とは別に、精神というか霊というか、あるいは魂といってもいいのだけど、そういうものが自分の肉体の中に別にある感じがしだした。霊肉二元論とよく言うが、私は肉体と精神が別のものであると感じたことは少なくとも自覚的にはなかったと思うのだが、肉体という外殻のうちに精神という目に見えない存在が別にあるという感じがしだした。今までは多分、肉体の大きさと精神の大きさが全く一致していて、肉体=精神であり、肉体に現れるもの=精神の反映と当然のように見做していたのだが、初めてそうでもないのかなという感覚を味わいながら仕事をしていた。肉体と精神は一体であって分離できない「身体」としての存在であるという身体論を、自分は実感としてそのほかの感じ方は出来なかったのだけど、なぜだか初めて違うものとして認識した。

おそらくそう言うものがなければ一般的には本当の意味での宗教的な体験というのは出来ないのだろうと思う。肉体と精神が別のものでなければ、肉体の美しさに気を使い、装うことは出来ても、精神の美しさを考えようとは思わない、と思う。精神が実在として存在するということを認識してこそ、精神の美しさを磨こうという気になるのではないか。そういうのが解脱ということなのかもしれないが、今までそういうことを感じたことも考えたこともなかった。精神の美しさというものに、あまりに無頓着であったと思う。

まあそれはそれとして、精神と肉体が別のものと考えると、いろいろなことが楽になる気がする。肉体についてあまりいろいろと思い悩まなくて済むからだ。それはこの年になって肉体のさまざまな衰えを実感する中で一つの解決として無意識のうちに選択した考え方なのかもしれない。そしておそらくは、もっと若いうちに肉体をいろいろな形で酷使することによって肉体の限界を知っている人たちになら、もっと容易に到達できる認識なのだと思う。極端な話、子供のころから生きるのに困難な状況の中でそれと戦いつつ生きるか死ぬかの生き方をしていたほとんどのわれわれの祖先たちにとっては、当たり前の認識だったのかもしれないと思う。「たましいはあるに決まっているじゃないですか」と小林秀雄は言っていたが、本当にはその言葉の意味をわかっていなかったなと思う。靖国の英霊に関しても、何かを感じてはいてもそれが本当に理解していたかというとやはり必ずしもそうではない。

昨日は朝生でナショナリズムを議論していたようだが、メンバーを見て見るのをやめた。保守派を代表する形になっているのが最近どこにでも出てきてアングロサクソン従属史観の宣教師となっている岡崎久彦ではいつもと同じ見解が繰り返されるだけで収穫はない。彼は「つくる会」の教科書から「反米的な記述」を一切削除し、それを誇っていた。最近では靖国神社の遊就館の展示の記述の反米的な部分に難癖をつけ、それを「訂正」させることに成功したらしい。「小泉―安倍」的な外交路線を単純な親米と解釈する風潮が彼に力を持たせているのだと思うが、小泉にしろ安倍にしろそんなに単純なものとは思えない。

しかし岡崎の難癖に靖国神社側が応じたというのはおそらくは何らかの戦略があるのだろう。英霊を祭る靖国神社が大東亜戦争の正当性を主張し極東軍事裁判の不当性を主張するのは一環性があるが、その中の米国非難を別の形にすることによって米側にもそれを許容させやすくさせようということなのだろう。それはアーミテージの靖国神社への論及と呼応するものだと思われるから、ある程度のアメリカ側の同意が既に取り付けられているのかもしれない。勢力均衡論的な思考から言えば中国共産党政府の存在はステータス・クォと考えざるを得ないけれども、単独行動主義的な考えから言えばそれは最終的には滅ぼされるべき存在である。そのあたりの方向性に乗っかって中国やロシアの弱体化に成功したあと、アメリカの寛容を引き出して第二次世界大戦の再評価を行いたいと思っているのかもしれない。第二次世界大戦において中国やソ連と組んだことは失敗だったと考える人々はアメリカにも必ずいるはずなので、その線での再評価というのはありえないことではないかもしれないとは思う。

しかし、日本人は基本的にアメリカという国に対してはアンヴィヴァレントな感情を持っているわけで、いかにしても日本を焦土とし、大量破壊兵器を実験的に二つ投下させて何十万人もの命を奪った国であるという事実が消えることは永遠にない。むしろ心の奥底で、アメリカをこそ「戦争犯罪国」であるという感情を持つ人々は少なくないと思う。岡崎の戦略はそれを軽減し麻痺させることによって成立するものだが、そのいかがわしさもまたそこにあることを醒めた目で見ている人はいるだろう。

最近人として理解しあうことの不可能性を思い知らされるような議論をしたせいか、なんだか心が弱くなっているようなところがあったのかもしれないが、そういうときに読みたくなることが多いのがダンテの『神曲』だ。一つには冥王星が惑星から外されるという議論の展開で海王星以遠天体についてちょっとwikipediaなどでしらべて、プルートーやらカロンやら「地獄」「冥界」関連の名前を思い出したこともあるかもしれない。ギュスターブ・ドレが銅版画で描いた『神曲』では地獄の渡し守・カロンは圧倒的な存在である。カロンといえばあのイメージしか浮かばない。私は心がくさくさしたりじめじめしたりするときにはドレの版画集かそれを漫画化した永井豪の『神曲』を読むと、不思議に気持ちが楽になることが多い。

神曲

アルケミア

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昨日もそれを読もうと思ったのだが、ちょっと考えを変えてこうの史代『夕凪の街・桜の国』を読み返した。

夕凪の街桜の国

双葉社

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最初読んだときはそうでもなかったのだが、昨日読み返すとどうも泣ける箇所が多くて困った。表現の鋭さに最初は目を奪われていたのだが、その表現の根拠となるたましいの深さのようなものがとても感じられたからだろう。親戚のうちに疎開して被爆を免れた旭が、結局胎児のときに被爆して「とろい」といわれた京子と結婚するくだりで、旭の母が「あんた被爆者と結婚する気ね?」「母さん…」「何のために疎開さして養子に出したんね? 石川のご両親にどう言うたらええんね? 何でうちは死ねんのかね うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」という直球の表現にぶつかると、涙が止まらなくなる。そしてその答えが旭と京子の娘である七波が「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」言うことによって結ばれる。これを読むときに溢れる涙はどう説明していいのかよくはわからない。

『夕凪の町』の前半の主人公である皆実は昭和30年に原爆症で死ぬのだが、打越という同僚に求婚された直後であった。打越の優しさに触れ、橋のたもとで口付けしようとしたとき、原爆の日の悪夢がいきなり蘇る。「わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ 思われたのに生き延びているということ」。誰かが「死ねばいい」と思って投下した原爆によって自分もまた10年後に死のうとしている。「嬉しい? 十年たったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」皆実にとって、それは「原爆を落とした人」の義務であるべきなのだ。

皆実にとって、原爆の風景のフラッシュバックは「世界」から自分に与えられた罰である。そして被爆という罰を与えられたあとにさまざまな「罪」を重ねざるを得なかったことを恐れている。罰と罪との倒錯した関係。

世界から罰せられる、というこの場面を読みながらこれはどこかで読んだことがあるような気がした。柳生連也斎が放浪の果てに一人の女性と結ばれようとしたとき、いきなりその脳裏に彼の叔父、柳生十兵衛の到達した孤高の境地の情景が浮かび上がる。連也斎はその場を去り、一生女犯とは無縁の修行を続ける。彼もまた世界に罰せられた人間である。

朝起きてから三島由紀夫『金閣寺』を読み進める。第5章の終わりで、柏木の世話した下宿の娘とそういう行為に及ぼうとしたときのこと。「そのとき金閣が現れたのである。/威厳に満ちた、憂鬱な繊細な建築。はげた金箔をそこかしこに残した豪奢の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮かんでいるあの金閣が現れたのである。」


金閣寺

新潮社

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この主人公も、「金閣」という美、「金閣」という世界に罰せられている。ここで三島の文学的思考が優れていると思ったのは、「わたしはむしろ目の前の娘を、欲望の対象として考えることから遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生はわたしを訪れぬだろう。」というところで、世界に対峙するものとして「人生」を提示しているところである。「世界」に罰せられている、罰を受けている主体は「人生」なのだ。そう考えると何もかも納得がいくし、私自身の罰せられ方も理解できるように思った。

愛とか結婚とか欲望とかの場面で語られているように、人生というのは肉体的なものの象徴だろう。人は世界のことなど考えなくても生きていける。ただ世界と人生が無関係ではないだけのことだ。しかしある種の人間にとって、世界を自分の存在から切り離すことが出来なくなってしまうことが起こるわけで、それが罰に他ならない。こういう場面になぜわたしが引かれるのかよくわからなかったが、結局は同じような罰を自分も受けているからなのだろうと思うに至った。

結局自分の人生を語ろうとしても人生を通して世界を語ってしまうことなどある種の病気に他ならないのだと思う。考えてみれば常にそういう書き方しかしていないわけで、結局何かの運命というか宿命としか考えられない。

突然蝉時雨が聞こえる。マンションの十階、それも向かい合うマンションとの間の駐車場で、一体どんな蝉が鳴いているのだろう。

とりあえず思考は中断した。一度鳴きやんでいた蝉がまた鳴きはじめた。

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歯槽膿漏/小説を読まなかった理由/三島由紀夫『金閣寺』/靖国の夕陽

2006-08-25 08:22:56 | 雑記
昨日。こちらの方のご忠告をいただき、歯科医で診察を受ける。歯槽膿漏が少し進んでいて、その影響である可能性が大きいとのこと。言われてみたら最近噛み合わせも今ひとつだったし硬いものをあまり好まなくなっていたので、無意識のうちに自覚していたことに思い当たる。腫れが出て、ご忠告をいただいて初めて受診する気になるようでは口中のケアが足りないなと反省する。そうさん、ありがとうございました。

それにしても虫歯に比べ、歯槽膿漏というのはどうも現実感がないというか、危機感があまりわかない。虫歯は子どものころにいろいろな目に遭った記憶があるので切実感があるのだが、歯槽膿漏も放っておくと大変なことになるということはわかっていてもなんとなく無防備になってしまう。ちょっと気をつけて歯磨きと定期的な歯石除去をしないといけないなと反省した。

受診した歯科医が図書館に近いので、帰りに寄ってクッツェー『少年時代』(みすず書房、1999)と小田切進編『日本近代文学年表』(小学館、1993)を借りる。クッツェーの方は小説なのか自伝なのかよくわからないが、なかなか読ませる感じ。まだ読み始めたばかりだが。

『年表』のほうは仕事の参考資料という感じ。ただ年表を読んでいるだけでその時代の雰囲気がよくわかる気がする。私は大学に入学した頃なぜあまり現代文学を読まなかったのだろうと思っていたのだが、どうもあまりいいのが、というか自分が読みたいと思うのがなかったのだなということが改めてわかった。1981年のところにはたとえば青島幸男『人間万事塞翁が丙午』だとか井上ひさし『吉里吉里人』、大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』、堀田あけみ『1980アイコ16歳』などがあるがどうも読みたいという触手が動くものがない。わずかに戯曲でつかこうへい『蒲田行進曲』があり、これは読んだというより観劇した。そのように考えてみると、私は主体的に演劇を選択したと思っていたけれども、つまりは1980年代初頭は小説より演劇の方に勢いがあり、自分はそれにひかれたのかもしれないという気がしてきた。私も思ったより「時代の子」なんだな。基本的にはミーハーでもあるしなあ。

三島由紀夫『金閣寺』を読み進める。今、主人公が大谷大学に入り、柏木という男に出会ったあたり。陽の象徴である友人鶴川と陰的な柏木の対比というのは図式的ではあるが面白いと思う。現実問題として、二人の方向性の異なる友人の、どちらにつくかというようなことはよくあったことだ。そしてその選択はいつも正しいとは限らない。しかしなにかひかれるもののあるほうに近づいてしまうのだが、その動機が自分の中の暗い何かだったりすると、結構厄介である。三島の書くことは観念的で自意識的なのだが、私自身の中の観念や自意識と符合することが多いらしく、変に思い入れをしてにっちもさっちも行かなくなって読み進められなくなってしまうことがある。この作品は今のところそういうことはないが。

なんとなくふと、靖国神社が懐かしくなった。売店の店頭でなぜか三線を弾いて歌を歌っている小父さん。蝉時雨。大村益次郎銅像の頭に止まった鳩。石畳。神保町から夕日の方角に見える、浄土に続くみちを示すかのように見える大きな鳥居。桜の季節。数々の連隊の戦友会が植えたおびただしい桜の木。散る桜の中で、「きれいだな、きれいだな」とはしゃぎながらぴょんぴょん跳ねて、ぐるぐる回っていた白いワンピースの女の子。靖国神社にはなにか記憶のどこかに置き忘れたような大切なものがある。それを…

いや、やめよう。大切なことは、より多くの人が靖国神社に触れることによってそうした大切なものを思い出したり気づいたりすることにあるのだと思う。それを捨て去ろうとか縁を切ろう、あるいは最初から縁を持たないと決めている人に呼びかけてもあまり意味のないことかもしれない。むしろ無言で提示して、それを感得してもらうことが大切なのだろう。最終的にはfeel it in one's bones、その人の「骨」で感じてもらうしかないことなのだし。

三島由紀夫が金閣寺に憧れるように靖国神社を懐かしく思う、というわけではないが、より多くの日本人が靖国神社に参拝して、その何かに触れてもらうことを願わずにはいられない。

あの靖国の、夕陽。


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「耽美派の急進派」としての三島由紀夫/「無神論」という問題

2006-08-24 09:51:16 | 読書ノート
昨日。午前中は松本まで出かける。だいぶ夏の疲れが出ているようだ。もう楽になるとは言われたが。帰りに塩尻の農協直販店と知り合いの家に寄って帰る。あの直販店は何もかもべらぼうに安くて驚く。

午後は秋からの仕事の準備、また別の仕事。それなりに忙しい。

三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫、1960)を読み始める。金閣寺炎上という実在の事件を扱っているということで、今まであまり興味を持っていなかったのだが、『福田和也の「文章教室」』(講談社、2006)で取り上げられていて読んでみる気になった。まだ1割も読んでいないが、豊富なエピソードが溢れていて、三島というのは才能のある作家だと改めて舌を巻く。海軍兵学校に入った凛々しい先輩の美しい軍刀の鞘を傷つけるエピソード。海軍の脱走兵を匿った有為子という女性が銃撃戦の末に二人とも滅びてしまうエピソード。

金閣寺

新潮社

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三島は耽美的な作家だと思ってはいたが、それだけではないのはどこなのだろうと思ったのだけど、今確認のために福田の『文章教室』をちらっと読むと、「滅亡するからこそ美は成り立つ」というのが彼の美学だ、ということを書いてあって、積極的に美に関わろうとすることは美を滅ぼすこと、あるいは美を陵辱することに他ならないということを言いたいのだと理解した。しかし、考えてみたら自ら手を下さなくてもいずれ美しいものは滅びるわけで、そこにも確かに美は現前するはずなのだが、三島は自ら手を下して美を陵辱することを選択する。それは、天国はハルマゲドンの後に実現するという『黙示録』を逆読みし、ハルマゲドンを起こすことで天国の実現を早めようというアメリカのエヴァンジェリストやオウム真理教と似た発想が感じられ、そこに「テロリズム」=「至高の存在のための破壊」という等式が成り立つことになる。三島は最終的にそれに殉じて死んだわけだが、耽美派の穏健派とか急進派とか言うのがあるとしたら、三島は耽美派の急進派、あるいは過激派の走りなのかもしれないと思った。少なくとも日本右翼に三島は美的なヴィジュアルを持ち込んだといえ、「滅亡するからこそ美は成り立つ」というある種の観念論が保守派全体を支配することになるとそれはそれで危険だなあとは思う。

まあしかしそういう政治的なことを離れて三島の文章やそれが生み出す世界が美しいことは間違いない。それも太宰のようにいつ崩れてしまうかわからない、不確かなおぼろげなものではなく、確信に満ちた美であり、確かにその「美という意思」がその存在を全うするためには「完全なる崩壊劇」が必要だという主張は非常に納得できるものがある。その崩壊劇を全うしきることができるほど、人間は強くないのではないかという予感はあるが。意思と意思との戦いという点で、三島の小説の構造は非常に西欧的であると思う。

なんとなく、朝セブンイレブンまで歩いて『SUPER JUMP』を買いがてら散歩しているときに、「無神論」あるいは「日本的無神論」についてつらつら考えた。考えてみたら私はこの重大な問題を今までろくに考えたことがないのは確かだ。肌合いが合わないから避けてきたといえばそれまでだが、現実問題として相当蔓延しているこの問題について考えておかなければ、宗教の絡む問題はもちろん個人、社会、国家、それぞれの問題についても現代的な妥当性が不十分になる。これはおそらく取り組むべき相当大きな問題だ。

朝方は曇っていたのだがだんだん晴れてきた。朝夕は秋を感じさせるのだが、昼は今日も気温が上がりそうだ。





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村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』/「ステロタイプ」と「規範」

2006-08-23 14:10:41 | 読書ノート
昨日帰郷。特急の中では村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫、2002)を読了。阪神大震災に関連して書かれた6本の短編の連作、とでも言えばいいか。それぞれよく書けていると思う。村上の短編は完全に独立していると何を言っているのかよくわからないものが時にあるのだが、このように一つのテーマでの連作になると、一つの全体像のようなものが見えてくる。この登場人物の誰一人として被災地に帰ったりボランティアに出かけたりしない。被災地の出身の村上がそのような書き方をすることで、「神戸」が彼にとってどんな場所であるのか、ということがわかってくる。帰れない「Home」としての神戸。帰らないことを選択した人たち。新しい場所で、それぞれが「たたかう」べき相手を持つ。それとのそれぞれの関わり方、「たたかい」のあり方。

神の子どもたちはみな踊る

新潮社

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詳細に論じるといろいろ出てくるが、単純に感想ということで言えば、「かえるくん、東京を救う」が一番好きだ。よく言われている村上の作品の「透明感」とは裏腹に、村上が「敵」として意識しているものは、あるいはその「意識」は、かなり生々しいしどぎついし、暴力的であるし混沌としている。それがあまりストレートに現れすぎると『スプートニクの恋人』の後半部分や『ねじまき鳥クロニクル』の第3部のようにむしろ「嫌な感じ」が強くなりすぎ、少々反発を買うのではないかと思う。この村上の「敵」はサイバーパンク的なものであったり無機質であったり「虫」的なものであったり生理的な嫌悪感であったり、なんというか「村上の敵」的なものといえばああこういうもの、といえるようなものなのだが、それを別の言葉でいえばなんと言えばいいのか、ちょっとよくわからない。既成秩序とか既成権力とか、まあそのように言ってもいいのだが、その「敵視」自体に理不尽な感じがすることさえあって、まあよくわからない。

スプートニクの恋人

講談社

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今回の「かえるくん」の敵は「みみずくん」なのだが、そういう馬鹿げた設定でもなんとなく面白みを感じてしまうのがそこに村上的な世界の構築があるからで、なにしろこの「かえるくん」がおかしっくて仕方ない。「ニーチェが言っているように、最高の善なる悟性とは、恐怖を持たぬことです」とか「ぼく一人であいつに勝てる確率は、アンナ・カレーニナが驀進してくる機関車に勝てる確率より、少しましな程度でしょう」とか、かえるのくせに言うことにいちいち教養がほとばしっているのだ。今ふと思ったが、この存在は「ねじまき鳥」に出てくる加納マルタ・クレタ姉妹のような「奇妙な味方」によく似ている。村上にとって「味方」は常に奇妙なものであり、敵は常にどろどろしたものだ。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編

新潮社

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私が演劇をやっていたせいもあるが、これは舞台に乗せたら絶対面白いと思った。村上の会話はかっこつけてるとよく言われるが、舞台上の会話と考えるとどれもインパクトがあってかなりよいものが多い。村上は本質的に戯曲作家なのかもしれない。少なくともイシグロのような生来の小説家とはちょっと違うものがあるような気がする。

帰郷後夜まで仕事。忙しくもあり、忙しくもなし。こちらは本当に涼しい。夜もよく寝られるし、朝方などは寒くて厚い布団を掛けた。昼はかなり気温が上がるが、朝夕が涼しいと本当に楽だ。コスモスがたくさん咲いている。

***

昨日はオートマチック型言説、バランス型言説、オリジナル言説というようなことを書いたが、つまりはステロタイプか否か、というようなことを問題にしたかったのだと思う。この問題をさらに考えると、ある考えが「ステロタイプ」なのか「規範」なのか、という問題に行き着く。オルタナティブの言説を提出することは、現代社会においてはそれ自体に大きな困難を伴うことはあまりない。もちろん現代でも倫理規範や清潔規範のようなものはまだまだ強く、それに触れるものはかなり強く排除されるということはあるが、それは一応おいておく。

異なる二つの思想が対立するとき、その攻撃は個々の事例や言説に対する攻撃から始まるが、最終的にはその思想本体を吟味することになる。その思想を成り立たせている規範が、生き生きとしたプリンシプルであるのか、惰性で保たれているステロタイプなのか、ということがかなり重要な問題になってくるだろう。したがってお互いがお互いの思想をステロタイプであると攻撃することになり、自らの規範の有効性を主張して防衛することになる。そうなると、つまりは相手の規範が「思い込み=信仰」であるとか、「無効なもの=フィクション」であると攻撃し、相手の思考が硬直化したステロタイプなものであるとか、まあそういう議論になるわけだ。

そのように、結局最終的には神学論争になるわけだが、カトリックはまさに数々の神学論争に打ち克って樹立されてきているからなかなか手ごわい。その系統を引く西欧系の思想が強いのはまさにその論争力によってである。現在の議論では、特に日本では最終的には「科学的か否か」あるいは「民主主義的か否か」ガラスとワードとなって決まることが多いと思うが、私などは近代科学にも民主主義にも懐疑的であるからなかなか論争的には論理で勝つしかなく、聴衆の支持は得にくいだけに厳しい。

論争という範疇で考えれば以上のようなことになるが、人間が相手を説得するための手段はもちろん論争だけではなく、篠原一他編『現代政治学入門』(有斐閣双書、1965)によれば実力による威嚇、利益による誘導、論理による説得の三つがあり、現実の状況ではそれが複数組み合わされることになる。

現代政治学入門

有斐閣

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また交渉事ではお互いが譲らないとどちらも少しずつ何かを譲ることによって一得一失の妥協ということになることも多い。しかし思想上の問題はなかなかそうは行かない。

日本的な思想というものは基本的に融通無碍なので、自分が足りないと思ったものは論敵であれなんであれどんどん取り込んでしまう。特に中世思想の展開は『偽書の精神史』を持ち出すまでもなくそれが華やかだ。

偽書の精神史―神仏・異界と交感する中世

講談社

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近代天皇制というものがぬえ的なものだというのはよく言われることだが、それは天皇制に限ったことではなく、日本文化というものが本来的にそういうものなのであって、それが徐々に洗練を重ねて行くところに日本文化の骨頂があり、九鬼周造『「いき」の構造』の解説文にも書いてあったが、関西的な「粋(すい)」よりも江戸的な「いき」の方がさらに洗練が進んでいるという意見はそういう部分があるだろうと思う。

「いき」の構造 他二篇

岩波書店

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いろいろ考えてみると、思想の「良し悪し」など本当にあるのかという気もしてくる。他者を抹殺するような思想、ユダヤ人を虐殺したナチズムやブルジョアを虐殺した共産主義思想やマオイズムは少なくとも「悪い思想」だと思うが、相対的に穏健な思想の多くは「すきずき」なんだと私などは思うし、他になにか基準があるとしたら他の思想に対してどれだけ寛容であるか、狭量であるかという基準くらいしかないような気がする。

あとは洗練を取るか、美的優位性を取るか、親近性を取るか。何かの思想が相対的に優位に立って社会を取り仕切るのは仕方ないと思うし、現実にそれが民主主義であってそれが十分に寛容性を持ってふるまっている限りはそれはそれでよいだろうと思うが、居丈高に懲罰的に他者をぶったぎるような変容を見せたときには他の思想は立ち上がり自らの存在権を主張するしかないのだと思う。

思想的少数者の思想信奉権は十分に守られるべきだし、自らの違う思想が少し流行ったくらいで戦前回帰だのなんだのと大騒ぎをして潰そうとするのはいかがなものかと思う。

なんかメタ思想?的な話になったし、途中で時間が置かれたのでまとまりも何もなくなってしまったが、これから果たして思想というものはどういうふうになんて行くのかなあと考えた。現代文学に多少は関心を持ったように、現代思想にも多少は関心を持たないといかんなあとも思う。それ以前に日本的保守主義のようなものをもっと語りえるものにしないといけないのだとも思うが。





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