Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

阪神優勝/久しぶりにプロ野球について書く(気がする)

2005-09-30 10:35:21 | 時事・国内
阪神が優勝した。今年に関してはまあ時間の問題だったし、2年前と違ってあまり劇的な要素も感じさせなかったせいか、阪神ファン以外が阪神の好調に触れるケースはほとんどなかったように思う。巨人の低迷によってプロ野球全体の低迷感が世間には充満しているので、阪神ファンだけかなり浮き上がって見えている感がある。

しかしロッテにしろ日本ハムにしろ楽天にしろ、パリーグの球団はかなりJリーグ化して地域密着感が出てきた(同時に人事に関してもドライになっている)ところは営業的にも成功しているようだし、ソフトバンクもまた旧親会社の転変にもかかわらず成績的にも動員的にもがんばっている。王監督であるせいもあると思うが、ソフトバンクは往年のV9時代の巨人を思わせる風格がある。地方球団であるために60年代の巨人の超メジャー感はないが。これはアメリカで西海岸のチームがどんなにがんばってもヤンキースにメジャー感で敵わないのと同様で、まあ致し方ない。城島の負傷は痛いが、ぜひリーグ優勝を果たしてもらいたい。ロッテも勢いがあるが、ロッテが優勝するとJリーグ化がもっと加速しそうな気がしてしまい、まだ早いという気がしてしまう私は保守退嬰主義者か。来年ならOKだと個人的には思っているが。

一方西武はプレーオフ進出を決めたが5割を切っていて、しかもカブレラが骨折し今期絶望。オリックスはいつも閑古鳥の鳴く大阪ドームを見せられていたが仰木監督も退任。パリーグに関してはこのあたりの2チームがいろいろな意味で梃入れが必要である気がする。関西には阪神1チームで十分か。それとも昔懐かしいうらぶれたパリーグの「伝統」をオリックスに守ってもらおうということになるか。

結局より問題の根が深いのはセリーグのような気もする。巨人の低迷で視聴率も取れず、地域密着の方向もあまりはっきりしていない。巨人は原監督で息を吹き返すとは思うし、別格の阪神中日、地域性はもう一息の横浜はいいとして、広島とヤクルトだ。神宮球場ならドームより阪神戦が見やすいという程度の存在感のヤクルトは古田を監督にして巻き返しを図ろうということだろうが、ちょっと安易な気がするし、そうした球団側の姿勢に古田がどのように対処するか、このあたりかなりどんぱち有りそうな予感がする。広島も選手を育てては放出するという姿勢ではファンは納得しないだろうという気がする。

冒頭の阪神の話題に戻ると、今年の優勝のペナントレースの過程における大きな要因は交流戦である。21勝13敗と大きく勝ち越した阪神に比べ、中日は15勝21敗と大きく負け越した。この勝敗が7ゲーム分あるから、交流戦を除けば中日は1ゲーム差に肉薄した状態でまだ先がわからないという状態だった。

中日の交流戦の弱さの理由と阪神の強さの理由はよくわからないが、中日は昨年も日本シリーズで負けているし、どうも普段対戦しない相手と戦うのが苦手のように見うけられる。阪神は基本的にどこと戦ってもいっしょだという感がある(ファンも阪神しか見てないし)のが強い理由なのだろうか。そうなるとどこが出てきても阪神有利かという気もするが、交流戦の勝率ではソフトバンクもロッテも阪神より上で、両チームとも阪神に対して勝ち越しているのでそこはどうなるかわからない。この両チーム以外との対戦は17勝6敗という驚異的な勝率になる。

それにしても私自身、今年はほとんどプロ野球に関して日記を書かなかったなと改めて思う。これからはパリーグ・プレーオフ、日本シリーズとポストシーズンが残っているので比較的書きそうな気もするが、プロ野球の病弊は深いなと改めて思う。その中で、特にセリーグで、阪神はひとり気を吐いたというのは事実である。ここはひとつ阪神とタイガースファンに素直に祝意を表したいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家有機体論

2005-09-29 08:34:26 | 読書ノート
昨夜は仕事および仕事の準備。日中は書き物も一定進む。着想というものはいつどういうときに降臨するかわからないが、なかなか十分時間が取れるときに来るものでもない。昨日は比較的に運のいいときに降臨したといえる気がする。またまたそういうことがあるといいのだが。

『東アジア・イデオロギーを超えて』も読み進めた。いろいろ啓発されるところも多いのだが、疑問もいくつかある。韓国人は日本民族を倭族と読んでいるようだが、そういう文脈ではないところでも日本民族を倭族と表現している個所があり、あまりいい感じがしない。倭はもともと否定的な文脈で用いられた古語であるし、それを敢えて現代政治思想の文脈で用いるのは何か意図があるのだろうか。もう一つは江戸時代に日本版の中華思想とも言うべき皇国思想の高まりとともに中国を蔑視するようになり、中国を表現するのに「支那」という侮蔑語が用いられるようになった、というくだりである。「支那」はもともと始皇帝の「秦」に由来する「シナ」という言葉の当て字で英語のチャイナなどと同起源のはずだ。現代でもsina.netなど中国人自身が用いている。「支那」がなぜ侮りの意味があるのか、アプリオリにそう言われると疑問を覚える。

ドイツ起源の国家有機体論が日本に受け入れられるとき、その比喩を比喩として受け取ると人体の諸器官が国家の諸機関にあたるということになり、また国家に法的な人格が与えられて国家法人説が出、また国家の脳髄たる機関が天皇であり、天皇機関説が出てくるという説明は非常に明晰だ。また国家の中枢部のメンバーを「首脳」と呼ぶのも実はそうした国家有機体説に由来しているのだということがわかる。一方で国家を有機体そのものであると、比喩でなく事実として受け止めた結果が日本国家は天皇を族父とする家族であるとする思想で、これが後に国体論に発展していくという説明も非常にわかりやすかった。そのことの当否を判断するだけの材料がないのでお説を拝聴するという以外にはないが、なるほどとは思わされる。

また1987年以降、北朝鮮でこうした国家有機体論がさらに発展したかたちで採用され、「社会政治的生命体の中心である首領との血縁的連係」であるとか「父なる首領さまから永生の政治的生命をいただき」という思想教育が徹底していったという過程は興味深い。著者はこれを日本の国体思想を採用したものだと見ているが、そうかもしれない。金日成死去の時のあの嘆きの表現が天皇制の名残から来るという議論を読み、私自身もそう感じたので当時ロシアを研究していた若い友人にそういう感想を漏らしたところ、そんなことはない、強く誇りに感じている国家の指導者が死去したのだからあの位のことは当然だ、と強く反論され、その後距離を置かれるようになったことを思い出す。そのときは反論も出来なかったが、こうしてみるとそうした観測も別に外れたものでもなかったということになるだろう。

それにしても信州は寒いし乾燥している。秋分も既に過ぎたし、冬が予感されてきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お前さんの料簡が出てますよ

2005-09-28 11:08:22 | 雑記
昨日帰郷。特急のなかでは『東アジア・イデオロギーを超えて』を読もうと思っていたのだが、ちょっとハードなのでついでに買ったまま読んでいない本を読もうと思い、横手慎二『日露戦争史』(中公新書、2005)もかばんに入れる。あ、忘れていたが、月曜日銀座に行ったときに柳家小満ん『べけんや ― わが師、桂文楽』(河出文庫、2005)を買っていて、それも鞄に入れていた。結局『東アジア…』はほとんど読まず、『日露…』と『べけんや』を読んでいた。まだ三冊とも読みかけである。

『日露戦争史』はロシア側の事情から日露戦争を読み直そうというもの。「ロシアの南下政策」というのはロシア周辺の諸国にとって鬼より怖いものであったが、その政策がかなりのところ宮廷内部の勢力争いの結果生まれた場当たり的に近いものだったという話は面白い。冷徹な計画性を持って侵略を進めるなどということはどこの国でもそうはないのだろう。結果から見るとそのようにしか見えないことは多いが、それは事後には結果に反するさまざまな出来事が全て捨象されてしまうからで、そうしたぶつかり合いについて考慮されていないさまざまな政治思想論などは結局は机上の空論であり、ためにする議論に陥ってしまうのだなと改めて思う。人間も歴史も、もっと複雑なものなのだ。

『べけんや』は小満んの八代目文楽回想記。文楽という人の素敵な人柄が髣髴として微笑ましい話が多い。今までのところ印象に残った話は二つ。弟子に小言を言うのに、その都度言ってはいけない。小言の種がたまったときに、小さなことで大きく短く叱る。するとこの人にはこんなことまで見ぬかれていたのかと思う、という話。実例としては、師匠が高座で使うハンカチを洗うことを命じられた小満んが洗い張りをして干すのだがそれがなかなかうまく行かず、こんなものでいいかと風呂を出たら師匠がそれを見て「おまえだね、今日のハンカチは・・・おまえさんの料簡が出てますよ」といわれて、「このくらいでいいだろう」と思った自分の心を見抜かれたと思って震え上がった、という話が出ている。なるほどと思うが、厳しいしつけと師匠への心服、絶対的な信頼感があって初めてそういう小言の言い方が生きてくるのだなと羨ましく感じた。しかし、短く大きく叱る、ということが効果的であるのはたいていの場合そうだろうと私も思っている。

もう一つは、師匠のおこぼれをもらって、平目の刺身などを食べさせてもらったときに、「味わってお食べよ」といい、「うまいかい」「はい」「うまいと思ったら、それが芸ですよ」といった、という話である。もうこのあたりは珠玉としか言いようのない師匠であり師弟の人間関係である。「うまいと思ったら、それが芸だ」。いろいろな取りようがあろうが、私は刺身ひとつにも料理人の工夫が凝らされていて、一番うまく食べさせる技術がそこにある。食べた側を感動させるその工夫のこらしようを学び取れということと、それを感じ取れるだけの感性が芸の基礎だ、ということの二つを思った。芸を感じる心のありようというのが、結局はいつも人間関係の基本にあるのかもしれない。教師と生徒、介護者と高齢者、夫婦、親子、それぞれに「心遣い」をし、それを感じあう。その心遣いと感謝が文楽の言う「芸」なのだと思う。

昨夜は仕事が忙しくて、今朝は寝坊した。ひとつ仕事をしそこね後に回したが、『コミック乱』を買ってきて一部読む。「鬼平犯科帳」が「乳房」という題の三号に渡る長編で今号が完結編。前2回はそうも思わなかったが、今号を読んで感動した。一人一人のキャラクターが立っていて非常にいいし、しかも好ましい。「本当の悪人」は誰も出てこない。事件の構図を全て知っているのは鬼平と読者だけである、というしかけ。ここのところ池波原作にはないと思われる「オリジナル」な話が続いていてどうも詰まらんなと思い単行本を買うのもやめていたのだが、久々に感動した。これは恐らく池波正太郎の原作があるのだと思いネットで見ると、どうも番外編としてあるらしい。今まで原作で全巻読んだのはさいとうたかを版が不完全な『剣客商売』だけだったが、鬼平と梅安も原作を読んでみようかなとはじめて思った。

しばし黙考。こういう話が現代作家によって書かれないのはなぜか。感動ものというと恋愛をテーマにしているのだが、だからといってヨーロッパの作品のように徹底した個人の相克が描かれるわけでもない。なんとなく微温的で、敵は外部にあり、敵に対する心情的な同盟が組まれることを恋愛と称している感じがする。

つまり、恋愛というものが絶対的に孤独な個人と個人の運命の出会いなのではなく、世間では廃れてしまったウェットな心情の関係が擬似的な恋愛によって昇華されることが感動なのだという感じの矮小化が起こっているのではないかという気がする。そこにないのは何かというと、「心遣い」なのだろう。なんてちょっと強引につなげてみたが、西欧的な強さに憧れて日本的な強さを破壊したもののどちらも失った砂のような状態が現代日本だってことなのだなと思う。

いずれにしても、われわれは全てが失われたところからもう一度彼も我も再発見していくしかない、のだと思う。これは実は『東アジア・イデオロギーを超えて』の立論へのおぼろげな反論でもあるのだが、まだまだ切り結ぶには修行が足りない。精進あるのみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サヨクはなぜサヨクなのか/処女性とナショナリズムは邪魔なもの

2005-09-27 09:14:28 | 雑記
先日紹介したこちらのクイズだが、ネタもとのマイネ・ザッヘさんが「サヨクはなぜサヨクなのか」という問いかけをしておられて、私もちょっと考えてみた。

個人的には、私は95年ショック、つまり阪神大震災に際しての社会党首班の無能ぶりと関西の自治体の自衛隊アレルギーによる被害拡大と、一連のオウム事件と政府のそれへの対応によって、心情的左派リベラル支持から自民党支持へと大きく転回したのだが、サヨクの思想というものがおかしいと感じ始めたのは80年代の朝日新聞報道が韓国・中国べったりになってきたころからだった。心情左派といっても基本的にはノンポリで、さまざまな政治的主張に耳を傾けてこのへんかなと思っていたに過ぎないので教条の強いところにはあまり近づけなかった。気がつかないで近づいて虎の尾を踏んだりしたことはあったにしても。

で、まあこのブログの読者の方は私の政治的ポジションを右だと思っている方が多いと思うのだが、このクイズによると「大きな政府」派よりの中間派に過ぎない。「ウヨク」呼ばわりされている多くの方もこのクイズではリベラル派に入る人が多かったらしく、マイネ・ザッヘさんのブログのコメントも新鮮な驚きで大賑わいのようである。

つまり逆に言えば、自分は「右派」だと思い込まされていた人たちがなんだ実は自分はリベラルだったのだと目から鱗が落ちた、と驚いているということである。

そうすると必然的に、ではサヨクとは何だ?ということになる。

アメリカでも近年民主党支持から共和党支持に移る人が多いらしく、民主党はおかしな集団にのっとられた、と感じている人が多いという。日本ではそれはずいぶん昔から進行しているとは思うが、やはり実感として感じられたのは80年代の変化だろう。つまり、戦前世代が社会の中核を担っていた70年代から戦後第一世代、つまり団塊の世代が実権を取り始めた80年代にかけての大きな静かな変化により相当大きな変質があったように思われる。

もちろん、敗戦による大転換というのは大きいし大きく言って戦後史全てはそのトラウマから始まっているわけだが、自分自身に実感として感じられたものではないのでよくわからないところが多い。しかし、「知識人」のさまざまな言説が飲み込みにくくなり始めたのは80年代だったことは自分の経験で感じている。

この話し、今これ以上展開する気はないが、サヨクって何だ?という問題設定自体、今求められているものだなと思ったことだけ記しておこうと思う。

***

古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』読書中。中国・韓国の中華思想の分析については非常に面白いのだが、日本の政治思想の分析には偏ったものを感じてしまう。ただ、それはもう政治的スタンスに由来するとしか考えようがないので頭の中で理論闘争を展開しつつ読み続けている。こういう読書は疲れるが、こういう作業が今まで不足していたことも事実だなと感じている。

この中で中国・韓国と日本はそれぞれが「排外的な中華思想」を分有していたと見るが、現在の日本と両国の違いは丸山真男の言うところの「ナショナリズムの処女性」の違いから来るという嫌らしい議論がある。つまり、日本は維新から敗戦までの過程でナショナリズムの「勃興・爛熟・没落のサイクルを一応完結し」て処女性を喪失した、というわけである。比喩の用い方は現在のサヨク方面の方々からはクレームがつきそうだが、私はそれよりもナショナリズムと「処女性」には共通点がある、ということ自体が面白く感じられた。

つまり、現代日本においては「ナショナリズムと処女性は邪魔なもの」なのである。つまり、性交渉をそう求めているわけではなくても処女性を維持していること自体が特定の思想(あるいは事情)を持っていると見られてしまって「重い」と感じられるということである。

裏返して言えば、本来処女性、あるいは童貞性を尊重するのは「純潔の矜持」から来るものであり、日本ではそうした矜持自体が「重い」と感じられているわけである。藤原新也氏のサイトの写真で女子高生の「矜持ゼロ」を誇示している写真にそれが現れているが、この写真に「日本をあきらめない」と題をつけたセンスで私は藤原氏を見直した。ナショナリズムというのも本来ある国家の国民であることの矜持のことであると私は思うから、「国民としての矜持」を重く感じる国民性と処女性を重く感じる国民性は同じ病巣から発していることは明らかだと思うのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「面白い人間を目指す」ことの危険性

2005-09-26 08:58:31 | 雑記
生協の白石さんだが、こちらによると昨年までは早稲田の文学部生協にいたという。とすると、やはり約20年前には東大駒場キャンパスにいたという私の記憶は間違いではない可能性もでてきた…かな。しかし、当時も生協の品揃えカードへの回答を熟読している「マニア」がいたのは確かだ。「白石さん」のような回答者がいなければそんなに読まないと思うんだが。

ジーニアス和英辞典は「タイガースはセリーグ優勝に王手をかけた」などの例文が30くらい掲載されているという。一部地域では売れそうだ。

ソウルの料理店のキムチが半数は中国産だったという。嫌な予感がして冷蔵庫の中のキムチの原産国表示を見たら案の定「中国」と書いてあった。もはや韓国産は高級品か。

洗濯物を干しながら立川談志の言ったことについてつらつら考えていた。ジョークというのは短いほどいい、というのがルールだ、というのはそうだなと思う。つまり、「となりの空き地に囲いが出来たね」「へえ、かっこいい」よりも、「囲いが出来たね」「へえ」の方がいいという理論である。確かに短ければ短いほど切れ味が鋭くなるし緊張感が高まる。そしてぼんやりしているやつは置いていかれる。つまりぼんやりしているやつは置いていってしまえ、ついてこられるやつだけついて来い、という理論である。私はこういうセンスは嫌いではない。

「私は真実はないと思う、あるのは事実だけなんじゃないかな」という発言はどうか。これは、私はある意味典型的な日本人の発想で、まあいわば実証主義的なニヒリズムとでもいうべきものだと思う。真実というのは主観で、事実というのは客観だ、主観は事実ではない、といえばそうかもしれないが世界を動かすのは共同的な主観であるから敢えてそれに異を唱えるのは彼の商売からしたら正道だとは言える。ただしかし、あるジョークが面白い、というのはやはり究極的には主観的真実なのではないか。それともそれを客観的事実と認識しているのか。もしそうなら、そこに談志の天才性が実は隠れているのかもしれない。普通の人間にできない認識を持っていなければ、天才にはなれない。ただし持っていてもなれるとは限らない、ただの変人という人はいくらでもいる。

まあでも、談志という人はやはり根本的にニヒリストの面はあるんじゃないかなと思うし、だから面白いんだろうと思う。これもまた、ニヒリストであればだれでも面白いというわけではない。面白くもないニヒリストは私の一番嫌いなタイプである。

で、たぶん、好きな人が面白いとは限らんのではないかな。人にとって本当に面白いのは、本当に嫌いなやつと紙一重の人間なのかもしれない。そういう意味で、面白い人間というのは四捨五入すれば危険人物でもある。そしてそういう意味で言えば面白い人間を目指すという行き方は下手をすれば地獄への最短距離である可能性があるのだ、と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過/だれが中国をつくったか

2005-09-26 08:57:49 | 読書ノート
横綱朝青龍6連覇。稀勢の里は12勝、琴欧州も13勝を上げ横綱に迫ったがやはり横綱は強い、ということか。2敗してからはもう頑強な強さ。「やってやるぞ、と思っていた」というが、この言葉がこの人以上に似合う人はいないなと思う。賜杯を抱くときには涙ぐんでいたし、なんだかこれが横綱というものだなという感じがしてきた。地位が人を作るというのは本当だなと思う。

***

岡田英弘『だれが中国をつくったか』(PHP新書、2005)読了。簡単に言えば中国の中華思想および「正統」史観批判で、それは全くその通りだと思う。

ただ、バランスが悪いというか、時々「何で?」と思うような事柄についての記述が延々と続く。たとえば『漢書』の著者である班固の家柄についての記述が10数ページ続いたりする。まあこれはおそらく歴史家にありがちなことで、つい全体よりも部分に熱が入ってしまうというか、細部を愛してしまうということが起こったのではないかという気がする。私なども幕末維新のころの話を人前でして言いたいことが多すぎてまとまらないということはよくある。

中国史の「正統」という概念を司馬遷が『史記』によって作り上げたという議論はなるほどと思うし、「中華思想」は司馬光が『資治通鑑』によって作り上げたという議論もなるほどと思う。

発見というか、初めて認識したのは元代の中国が中央集権体制ではなくそれぞれの土地がモンゴル人部族長に与えられて世襲されていた、いわば封建的な体制であったということで、元代の僅か100年間でなぜあんなに大きな変化が中国史に起こったのだろうという疑問を今まで持っていたのがそういうことかと理解のための糸をつかんだように思った。
また元・清の異民族王朝は中国的な正統史観だけでなく中央ユーラシア(というか北アジア・中央アジア)世界の遊牧・狩猟民系統の正統史観も併せ持っていて、ある意味それが中国の正統史観にたいする有効なアンチテーゼたりうるという感触もまた興味深かった。またれっきとした科挙に及第した進士である祁韻士という中国人が乾隆帝治下で満洲語の習得を命ぜられ、満洲語の文献を渉猟して『欽定外藩蒙古回部王公表伝』という中央ユーラシア史研究の金字塔のような文書を書いたという話はちょっと感動的だった。満洲語は死語だとか漢人とほぼ一体化しているとかいう話ばかり読んでどうも嫌な歴史観を刷り込まれつつあるなと感じていた部分が解消した。中国からでなく、満洲人やモンゴル人の立場から見た中国近代史がもっと書かれるべきだと改めて思った。われわれ日本人だって中国化しなかった中国の周辺民族という点で同じ問題を抱えているのだから、考えるべき点はあるはずだからである。

***

今朝は台風一過の青空。昨日は風が強かった。区役所からの不在配達票があったので城東郵便局まで数キロ歩いて取りにいったら新しい保険証だった。西大島で新宿線に乗って銀座に出、散歩したが新しい本は買わずに帰る。ずっと『だれが中国をつくったか』を読んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一小さな政治クイズ

2005-09-25 18:35:18 | 雑記
こちらで見つけた世界一小さな政治クイズというものをやってみた。日本のおかれた状況と少々ずれるところもあるように思うが、一応日本の状況をもとにしてやってみると、私は個人的な問題では30点、経済的な問題では40点で中間派(セントリスト)ということになった。しかしドットの位置を見るとステーティスト(国家の役割重視派)との境目、つまり大きな政府を容認する方に傾き、ライトとレフトで言えば僅かにライト、という感じで、まあ大体そんなものかなと思う。全然リバータリアンでないことはまあ当たりだろうな。英語なので面倒だが、マイネ・ザッヘさんの訳を参照すればそう難しくもない。普段私が拝見している日記・ブログの作者の方々はどのあたりに位置するのだろうとちょっと興味が湧く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

90年代以降韓国が元気になった理由

2005-09-25 10:44:25 | 雑記
午前3時までかかって小倉紀蔵『韓国は一個の哲学である』(講談社現代新書、1998)を読了。この本は、韓国の国民性や韓国人の考え方を朱子学の理気二元論の考え方から説明したもので、わかりやすくなるほどとうなずけるところが多い。所々日本の立場を譲りすぎてどうかなと思うところがあるのは昨日も書いたように日本のアジア研究者の通弊だとは思うが、まあそういう部分がないと逆に中国や韓国でその国の研究をしようとするのは困難なのだろうなという現実的な理由もある気がする。

印象に残ったところは多々ある。たとえば、「理」に支配される韓国社会では没政治的・没道徳的な芸術は育ち得ず、形式的には非常に自由奔放であっても内容的には非常に強く政治や道徳に規定されているが、日本の美意識は形式的には不自由で様式的な「型」に強く拘束されているものの内容的には自由でアナーキーですらありうるという指摘はなるほどと思った。

しかし一番ひざを叩き、読みながらつい大笑いしてしまったことがある。朴正熙政権以来日本をモデルに開発独裁的工業化政策を推進してきた韓国は日本を乗り越える(克日)ことが出来ずに苦しんだ。韓国では朱子学的により低級だとみなされる「日本」をモデルにすること自体が韓国にとってはひどく傷つき「恨」の源であったというわけである。もともとものづくりは韓国では低級な仕事であり、韓国人が積極的に取り組めないという事情もあったというのである。

しかし、90年代になって風向きが変わった。世は情報化時代になったのである。韓国では「情報」を「文化」ととらえ、自らの不得意な「ものづくり」でなく「文化」が世の主流になったと考えて、俄然積極的に情報化に突入して行ったというのである。なるほどそういう背景を考えれば韓国にあっという間にブロードバンドが普及した事情も理解できるし、韓国が急に元気になって韓流に代表されるソフト産業に力を入れるようになった事情もよくわかる。つまり産業化時代には「日本に出来ることはウリ(われわれ)にも出来る」であったのが、情報化時代には「ウリは日本とは違う」「ウリは日本より優れている」と考えるようになった、というのである。このあたり、最近の韓国の変貌について分からなかった点が解消したように思え、思わず本気で笑ってしまった。

もちろんこの点をはじめ、韓国の日本認識は多くの誤謬に基づいた誤解に満ちているのだが、いくら誤解だといってもそれが彼らの思想的背景に基づく信念であればそれを「正そう」とするものならものすごい反撃を受けることは必至である。日本としてはそういう韓国の特性を飲み込んだ上で個々の事実について日本側の適正な主張を断固として続けていくしかない。全く根本的に哲学の異なる二つの国が理解しあうことはきわめて困難であるが、このような韓国の思想性・国民性を明らかにした著作が出てきたことはよい意味での緊張関係を保ちながら二国間関係を維持していくためには大きな進歩であると思う。

***

それにしてもやることが多く、がんがんやっていると職場にいたころ仕事が集中して自分にも職場の将来像にも希望が見出せない状態に悩みながら仕事のための多種類の勉強をする一方で睡眠時間2時間でフランス語や英語の文献と格闘しつつ修士論文を書き、同時に結婚に終止符を打つ話を進めていた年のことを思い出す。次の年早々に病に倒れたのも今考えると無理もなかったと思う。研究自体も本当に自分のやりたいことと少し距離が開きすぎて展望が見出せず、まさに公も私も個人としても家族という基盤も全くの八方塞がりだった。それに比べると現在は自分のやりたいことという感覚になるべく忠実に仕事が出来ているだけだいぶ状況はいい。しかしそのころに比べると人も物も金も無くなった。納得の行く仕事をしつつそれらを立て直すために頑張るしかないと改めて思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハリケーンはやくざの仕業」説/『西太后』/東アジアのトリックスター

2005-09-24 22:43:32 | 雑記
カトリーナは原爆の仕返しをしてやろうというやくざがハリケーンを起こすロシア製の(笑)機械を使っての仕業だというお天気キャスターがいたそうだが、23日にアイダホのテレビ局を退職したらしい。アメリカ人は最近ある意味被害妄想で、世界中がアメリカを憎んでいるという妄想にどこか取り付かれているのではないかという気がする。その妄想がオクシデンタリズムなどのなかばトンデモ思想に発展しているのではないかと思うが、まあ非米人であるわれわれも世界中の人がアメリカを憎んでいるのではないかという妄想には取り付かれがちなのでそこまで行くとあまり妄想でもないのかもしれない。

しりあがり寿も、ハリケーンの被害がでているのを見てもイラクに州兵を送ったツケだとか超大国のクセに自分の国の防災もろくに出来ないのかとか自分たちがCO2を大量に排出して地球を温暖化させた罰が当たって海水温が上昇しハリケーンが大型化してるんじゃないかとせせら笑う「悪魔」が自分たちの頭に住んでいる、なんてことを書いていたが、まあ全くその通りであるだけに日本的な基準ではアメリカってバカ、ってことになってしまうが、世界的に見るとどうなんだろう。自分たちのやってることが自分たちに帰ってきている、つまり天に向かって唾した罰が当たっているという点では911と同じだという意見は一定強いだろうなと思う。

まあやくざの犯行説は原爆を落としたアメリカの加害者意識による怯えのある種の反動かもしれない。しかしその加害者意識が謝罪には絶対回りそうにないのがアメリカのアメリカらしいところである。

『西太后』読了。いろいろな意味で新発見が多くて面白かったが、どうもいただけない部分もそれなりにあり。どうしても中国よりの記述がでてきてしまうのは日本の外国研究者の通弊だが。西太后という人物は近代中国を決定的に弱体化させた悪玉として共産党史観では徹底的に弾劾される一方、庶民には意外な人気があり、その美食美衣を追求する分かりやすい幸福観に庶民は共感しているということが中国らしいと思う。権力の亡者といっても則天武后のように「男勝り」に権力を振り回して統治や政戦に縦横に活躍するといういわば現代のキャリアウーマンタイプではなく、感情のままに行動し、自分の誕生日の祝いの妨げになる戦争を嫌い、お気に入りを近づけ、北清事変でほうほうの体で西安まで逃げ出したあともまるで凱旋者のように派手に帰還してかえってカリスマを高めるという究極の社交界の女王タイプとでも言うか、デビ夫人を何億倍かしたようなタイプの女性である。

まあ確かに、近代的な国際政治の基準からいえば「清朝末期の腐敗した政権の権化」であることは間違いない。しかしなんというか、あまりに類例のない怪物であるだけに中国人というものを研究する上では非常に参考になる人物像であるという著者の意見にもうなずける。

特に戊戌の政変から北清事変の後始末にいたる数年のあたりは抜群に面白い。戊戌の政変、すなわち光緒帝の幽閉の前日に皇帝が伊藤博文と引見し、その屏風の背後では西太后が隠れて会見を傍聴していたというのはコワイというかなんというか、中国というものの底知れなさを感じさせられる。こういう場面にちゃんと顔を出すあたり、伊藤の東アジア近代史におけるある意味での狂言回し的な、あるいはトリックスター的な存在感というのは非常に面白いなということも改めて思った。この不思議な魅力を持つ初代総理大臣を、現在描写されているよりもっと魅力的に描き出すことはたぶん可能だろうと思う。

日清戦争に敗れたときの清朝の朝野の緊迫感の強さの描写は今まで読んだものから受けた印象をはるかに超えている。さすがに中国文学者、現代中国のさまざまな出版物を読んでいる人にはこういう文献の渉猟にかけてはかなわないなと素直に思う。中国の存亡を心底から始めて脅かした日本を、当時の中国人が本気で恐れ憎んだということがよく分かるし、それが現代の反日の原点なのだということもよくわかった。確かにそのあたり、日本人は能天気すぎるかもしれない。実際のところあんまり悪気がないし調子に乗ってみただけなのだが、つまりは下関条約が中国にとってのパールハーバーであり911だったということなのだ。反日思想は中国におけるオクシデンタリズムだといってもいい。

そういう意味で、中国にとってもアメリカにとっても日本という国は理解しずらい国なんだろうなと思う。悪気があって攻撃したならまだ始末におえる。もちろん悪気がゼロとはいわないが、つまりは世界観の基準が違うということなのだと思う。

今では西欧基準、アメリカ基準一辺倒だが、もしアメリカが没落したらたぶん日本はあっという間に方向を転換して別の方向性を模索しだすだろうし、それにも全然悪気があるとは思えない。『七人の侍』で志村喬が最後に「本当に勝ったのは百姓だ」みたいなことを言うが、まあなんだかそんな感じである。いいわるいは別にして、ずっとそんな国なのかもしれないなと今ちょっと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『西太后』/立川談志の杉村太蔵評/嵐の海に笹の舟

2005-09-24 13:59:23 | 雑記
昨日はちょっと疲れが出ていて睡眠時間も長くなった。しかし、東京でこれだけゆっくり眠れるようになったということは、だいぶ涼しくなったということだ。今日日中の最高気温は24度だということだったし、ようやく秋が東京にも来たということかもしれない。暑さ寒さも彼岸まで。これから寒い季節かと思うと、それもまたちょっと淋しいものもある。

昨日夕刻神保町に出かける。いつも千代田線で新御茶ノ水で降り、総評会館の出口のところからエレベーターで地上に出、自然食品の店「ガイア」の前を通って餃子屋の角を左に曲がり、ビクトリアのところで交差点を渡ってはす向かいの書泉ブックマートと三省堂に行く。ブックマートではこれというものはなく、三省堂で加藤徹『西太后』(中公新書、2005)を買う。まだ読みかけだが、1861年から1908年まで47年間も実権を握り続けた例はほかにない、という指摘になるほどと思う。まあヴィクトリア女王はもっと長いが、イギリスのような立憲君主制と単純な比較が出来ないことは確かだ。北京に留学しつつ中共の国定史観とは違う見方で近代史を見直すというのは凄いことだなと思う。まだ少ししか読んでいないが、楽しみだ。

今朝も寝坊。仕事を少しずつ片付け、一方で本屋と図書館を梯子して、ビッグコミックと岡田英弘『だれが中国をつくったか』(PHP新書,2005)を買い、古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館、2003)を借りる。ここニ、三日にやるべきことが集中、これらの本もさっさと読まなければ。『韓国は一個の哲学である』も読まなければいけないし、そのほかも山積み。日記を書いている暇などない?いや、これは気合を自分に入れるための呪い。

西友で昼ごはんを買ってきて先週見損なった『談志・陳平の言いたい放題』を見る。立川談志があの杉村太蔵議員を「おもしれえやつ」「正直だ」「俺と通じるところがある」などと評価していて面白かった。いろいろ言っても、これは実際のところ「庶民」の意見かもしれない。あの底の抜けたようなキャラの魅力というのは永田町にこれまでなかったことは確かだ。役に立つかどうかは分からないが、どっちみちだれが役に立っているのかさえよくわからねえ、という乱暴なことを考えれば、立ち食いそばを食っている契約社員の彼はまさにフリーター・ニート・2ちゃんねらー代表という感じである一定の人々の支持はともかく代表はしているかもしれない。しかしまああまりにも未知数なので、とりあえずくさして置けば安全かも、というコメントにテレビなどはなっているのだろう。まあしかし、こいつ(呼ばわりだが)を日朝協議などに連れて行ったら大変なことになるのは確かだろうとは思う。真っ先に美女軍団の餌食かもしれん。抜き差しならない国益の絡んだ外交交渉に出られるようになるのはまだずっと先ではあろう。

しかしおそらく、マスコミの意図とは違い、あるいは自民党本部の意図とも違い、この人の人気はかなり一人歩きしている感じがする。一体どういうことになってしまうのか、本人もまさに嵐の海に笹の舟で乗り出したような心地に違いない。まあ、人のことなど心配している余裕が私にあるわけではないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする