精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

人を愛すること

2012年01月25日 | ひふみ神示(日月神示)
ひふみともこ先生が神様から頂いた神示を掲載

二〇〇〇年六月一日 人を愛すること

神から人へ。人から神へ。
今ようやくに最後の時なり。最後の教えの終わりなり。
教えの終わりに最後に伝えん。これから後に起こること、心し準備す幾つかのこと。
そなたの問いも残りあらん。聞いておきたきこともあらん。
なれどみ役は変わりゆき、更に高次のことをなすべし。
なれば我等の教えも言葉も、今は終わりて、次を待つべし。さにて本日何を問うや。
なれど最後の教えとなさん。
この後聞きたきことあらば、その都度聞きて残さばよからん。
さにて本日、最後の問いと答えとなさん。

(人を愛するとき、どうしても我というものが入ってしまいます。
自分が相手に好かれたいとか、或いは、独占欲のあまり、
その人が自分以外の人間に優しくすると嫉妬するとか、その人物のみの幸せを考えて、
他の人は排除するとか・・・・・・。そうした愛を神様はお許しくださるでしょうか)

欲望、本能、人の根源。そこに本来 我はなけれども、自己と他者との違いを知りて、
己の優越、選良意識、そが芽生えぬる時、我は強まらん。
人は本来一人で生きる、孤独の生にあらざれば、
他との調和を重んじて、共存共栄 願うものなり。
なればさらにも浄めてゆかば、必ず人は神に近づき、
慈愛の心、寛容の愛、そに目覚めゆくもの、気付くもの。
我の曇りにて、気付かざれど、人とは神の愛を持ち、いつでも人を愛せるものなり。
なれば人を愛するときに、我の混じりぬるは、改むべし。
己の愛に我の混じりなば、さなる愛は汚れとなりて、相手も汚し、己も貶む。
人を愛すは難しきこと。正しく愛し、正しく尽くせよ。
あやまち我欲に迷いなば、かえりて双方、汚れを積まん。
相手の幸せ願うはよからん。なれど幸せ、そをあやまつな。
相手に金銭物質与え、物にて顕す愛は汚れよ。
真の愛とは、相手の心、魂満たす、それのみなれば。
なれば最も明らかな愛は、ことばによりて伝えらるべし。
愛の深さは音にも表れ、目にも表れ、顔にも見えん。
なれば饒舌、巧言要らぬ、ただに心と心の還流、そにて充分 伝わるゆかん。
我とは本来、己への愛。自己のみよかれの心ならずや。我の入る愛とは、己のためなり。
相手の真の幸せよりも、己の満足、自己中心。相手の迷惑省みず、己の偏愛、強制す。
全ては我のなす仕業なり。なれば人は、人を愛すも、安易に考え、あやまつなかれ。
人を愛すは、神の行い。神の行いなせる者のみ、真の愛を顕せるもの。
神の愛とは公平なり。
差別もなくば、偏りもなし。全ての生を等しく愛し、全ての生の救済願う。
なれど愛にも差異はあり。最も深く強き愛。最も大きく寛き愛。最も高く熱き愛。
愛に違いはなけれども、顕す愛に、違いあり。人それぞれに見合う愛、神は等しく分けて与えり。
なれば人はそに倣い、神の愛にも近づくべけれ。人は人とし、人の愛を、正しく顕し、行うがよし。
家族の愛もまた然り。親子の愛に兄弟の愛。子弟の愛に恋人の愛。愛にも幾つか違いはあらん。
なれどいずれの愛にても、独善の愛に真実はなし。
相手に押しつけ、嫌われて、悲惨な終わりを迎えなん。
独善の愛は厳に戒め、宇宙の心で人を愛せよ。
全ては神の子。汚れぬ魂。その本来の 愛に目覚めよ。
幾多の生に出会うも縁なり。その縁を守り、広げていけよ。
一人一人の努力と協力。そのみが地球を。宇宙を救わん。
今人に神は全てを預けたり。人の最期の献身と努力の姿を、神に示せよ。
必ず宇宙は一人を守り、一人は宇宙を救いてゆかん。一人一人が神と結べよ。
一人が全てを救うにあらず。一人が一人を救うなり。
一人一人の帰依の姿が、神の光を強め、高めん。
なれば一人の努力の姿は、千にも万にも価せん。
一人を侮り、軽んずなかれ。一人の重みは 人には量れず。
人の尺度や基準に量れぬ、神の世界の尺度を知れよ。
そも適わずば、神を信じよ。ただひたすらに、愚かに信じよ。
無垢なる心の信仰こそが、神にも通じ、人をも変えん。なれば愛とて同じこと。
我にて愛する愛は慎み、一途に祈れよ、人の幸せ。
陰にて祈る心こそ、尊き愛の始めなり。
なれば相手に露に示し、押しつける愛は、我のみの偽善。よく戒めて、高めてゆけよ。
神の愛とは見返りも、感謝も求めぬ、ひたすらの帰依。
さにて相手が喜ぶ姿を、見守ることにて、満たされなん。
さなる愛こそ、抱きて生きよ。儚く短き生ならん。
神の愛にも昇華させ、あの世に帰らば、神は祝わん

さにて本日、神に近づく愛を教えたり。
明日にも問いはあるなれど、明日には別のみ役を与えん。なれば心し、神に向かえよ。
さにて。