精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

『担板漢(たんばんかん)』    武井哲応老師

2011年05月05日 | 『癒しの言葉』サイトより
『担板漢(たんばんかん)』
   
【頭が固くて反対側が見えない】

 人間、年を取るに従って身体が固くなる。
足腰が固くなって困る。
しかし、もっと困るのは頭が固くなることだ。
こころが固くなることだ。
 柔軟体操なんていってね、人間は自分の身体の固くなるには気が付くから一生けんめい予防につとめる。
しかしね、頭が固くなること、こころの固くなることには案外気がつかない。
 こころが固い、というのは、どういうことかというと、自分の立場、自分の都合しかわからぬことだ。
つまり、相手の立場や反対の立場が全くわからぬことだ。
自分の立場や自分の主張だけが絶対で、その他のものはみんな悪い、なんてね、そういう人いっぱいいるでしょう。
頭の固いのを頑固、頑迷、石頭、という。
 中国のことばに、「担板漢」というのがある。
「板をかついだ男」という意味だ。
大きな板を片方の肩にかつぐと反対側が見えなくなる。
片側しか見えない。
つまり、物の両面が見えなくなる。
物の両面が見えないから物事の正しい判断ができなくなる。
そういう人間のことを「担板漢」という。
どうです、皆さん、担板漢には年寄りだけがなりますか?
「漢」という字は、「男」て、ことですが、担板漢は何も男や年寄りに限ったことではない。
女にだっていっぱいある。
 「自分の子さえよければ・・・」
 「我が子さえ幸せであれば・・・」
 「うちの子さえいい学校にゆけば・・・」
みんな担板漢でしょう。
自分の子さえよければひと(他人)のこはどうだっていい-、
そういう人、いっぱいいるんじゃないかな、
教育ママなんていっちゃってね、(笑)
 それからね、若い人の中にだって担板漢がいるんだな。
何がなんでも一流大学にゆかなければ、とかね、
一流会社に入らなければダメだとかね、
一流とかいうものに固執してしまう。
或いは又、主義やイデオロギーなんてものにもすぐ固執する。
鉄帽かぶったり、ハチ巻なんかして、「我々ハ、!!我々ハ、!!」と叫んでいる者達、
あの若者達には、若者達なりの立場や考えがあってやっているんでしょうから、
表面の現象だけ見てね、一概に否定も肯定もできないけれどね、
自分達の主義や主張だけが絶対に正しい、という、「主義」に固着して身動きできないかぎり、
やっぱり担板漢だな。


【禅や仏教だってあぶない】

 ひと(他人)ごとじゃない。
禅や仏教だってあぶない。
禅や仏教に凝り固まちゃってね、「ああ、ありがたや、ありがたや」なんて単純にのぼせ上がる。
そして、禅や仏教の臭いがプンプンと身体にくっつく。
なんでもくっつけばそれは執着だ。
何年座禅したってなんにもならない。
禅や仏教学んでのぼせたんでは困る。
のぼせ上がれば頭が熱くなる。
のぼせを下げて頭を冷やし、こころをやわらかくするのが仏教ですからね。
信仰なんてものもまちがえば非常にあぶない。
こころの柔軟体操を忘れぬように・・・。