精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

「苦しみの終焉」

2011年04月16日 | Weblog
「苦しみの終焉」  エックハルト・トール

全てを甘受して生きていきたい。ということですが、
それは「今この瞬間にある状態をありのままに受け入れて」初めて可能になります。

でも、あなたが「すべて甘受して生きる」ためには、
「いい加減苦しみには飽き飽きした」というところまで行きつかなくてはなりません。
あなたがある苦しみのところまで行き着いた時、
その苦しみのほとんどは自分で創り出していたのだと気がつくはずです。
それはあるがままの状態に対する抵抗から生まれたものであり、
そこにあるものに意味を付けた事で創られたものだと気がつくのです。
それは自分が意味づけした思考から生まれたものであり、
その状態そのものから生まれたものではありません。
ですからあなたが…「苦しみは十分体験した」と本当に気づいて実際あなたが人生において、
十分な苦しみを体験したのであれば、あなたは「もう苦しみはごめんだ、十分だ」という事ができるところにきたのです。

「苦しみ」は色々なことを教えてくれる素晴らしい先生です。
ほとんどの人にとって「苦しみ」だけが、唯一のスピリチュアル・ティーチャー(霊的指導者)です。
また「苦しみ」はあなたを豊かにするものです。
苦しみは徐々に襲ってきてエゴの自分に気がつかせてくれるものです。
そうやって、ある人達は「苦しみは懲りごりりだ、もう十分だ」と気づくとこまで到達するのです。

たとえば、私のリトリートに来る人たちのほとんどは、そのような人たちです。
彼らに聞いてみればわかると思いますが、彼らはみな、人間の苦しみをたくさん経験したのです。
そうでなければ、彼らは苦しみからのメッセージに心を開くこともできなかったでしょう。
彼らは人間の苦しみをたくさん体験したからこそ
「もっと違う生き方がある」というメッセージを受け取る段階にきたのです。

その生き方とは「もう自分で苦しみを創り出すことはしない」・・・というものです。
なぜなら大体において、人間は自分で苦しみを創り出しているからです。
ですから、あなたがそのメッセージに耳を傾ける準備ができたなら・・・

そのメッセージはそんな宗教にもあるものです。
仏教の中心的なメッセージも「苦しみの終わり」であり
また、イエスの教えの中心的メッセージにさえ
素晴らしい値打ちのある真珠、天の御国は今ここに、あなたの心のなかに見つけなさいとイエスが言ってますが
それもまた「苦しみに生きることが終わる」という状態を言っているのです。
ですから「苦しみ」は「苦しみはもう十分だ」と分かっていくために必要なものだと言えるのです。
矛盾しているかも知れませんが、そういうことなのです。

もし私に苦しみの体験がなかったら、この教えも存在してなかったでしょう。
ですから究極の苦しみの果てに、苦しみの終わりはあるということができます。
なぜなら私たちは「苦しみ」を体験しなかったら、
人間として霊的に進化することはできないからです。
ですから「苦しみ」は私にとって、もっとも大切な先生なのです。
多くの人にとっても同じです。
それから準備が整った人は、実際にスピリチュアル・ティーチャー、霊的な教えに出会っていくのです。
そして「もうこれ以上苦しむ必要がない」という目覚めた人生へと加速していくことができるのです。

ブッダは2600年前、このことだけを言っていたのです。
自分自身を苦しめることには終わりがくる・・・と言っていたのです。
あなたが自分自身に対して苦しみを与えなくなると、誰も、何もあなたを苦しめなくなります。
あなたの思考があなたを苦しめているのです。
現状でもないのです。
苦しみは100%あなたがその状態に意味付けした思考からくるのです。

だからそれがわかってくれば、他の生き方があるとわかるでしょう。
それは「もうこれ以上あるがままの状態にああだこうだと言うのをやめよう」という生き方です。
これが自分自身を苦しめることから開放されることなのです。
そして、もうこれ以上自分自身を苦しめることはしないという人生を歩みだしたら、
他の人を苦しめることももうなくなるのです。
なぜならこの二つはいつも一緒だからです。