精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

#509   「いいえ、あなたはおかしくありません」  1

2009年07月24日 | Weblog
Arrived Energy On Earth トピックより

#509 「いいえ、あなたはおかしくありません」-サブパーソナリティを扱うこと
By Alexandra Mahlimay and Dan Bennack
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44899788&comm_id=1730147


親愛なる聖ジャーメイン、私は息子が成長するのをずっと待ってきました。
今は、自分のための時間をより多く持つことができるようになっていますが、自分が千個のピースにバラバラになったかのように、とても忙しいです。
それなのに今、子供が5歳になろうとしているので、もうひとり子供を産むことすら考えています。
おかしなことに思えるかもしれませんが、これが今の私です。
また私は、私が最も愛している人たち~夫と息子が最も酷く私に接する者たちだと気づいています。
私はこれまでの人生で神経質になったり動揺することは決してありませんでしたが、今、私はいとも簡単に忍耐を失い、彼らに怒鳴ってしまいます。
私の振る舞いにあるこうした矛盾について説明していただけませんか?
私はまた瞑想すべきでしょうか?
瞑想は私にとって、うまく働くので。
それから、私自身がこんな危機的な時間にあるにもかかわらず、ガイアを助けたいとも思っています。
けれどもそれが自分にどのようにフィットするかがわかりません。
特に、もうひとり赤ちゃんを産んでその世話をすることを考えると…。
あなたもご存知のように私はスピリチュアルなことに通じている人間で、自分の行動の全責任を負っています。
ですが時々、私がすぐに何らかの安堵を得られなかったら、精神病院に行くことになるんじゃないかと思ったりもします。
私を助けることができますか?


- この質問は個人セッションを依頼したクライアントが提起したもので、彼女の許可を得てシェアしています -


親愛なる友よ。
私たちは聖ジャーメインとイェシュア。
アレクサンドラとダンと一緒です。私たちはあなたがその懸念・疑問・内なる矛盾を表明したことに感謝します。
私たちはそれが困難だということを承知しています。とりわけ、現在の状況でどの路をとるべきかについて混乱し・圧倒されている時には…。

私たちは、あなたが私たちに向けた言葉・エネルギーに注意して聞いていました。あなたの人生・あなたの経験がまさにそのままであることを受け入れ・尊重するよう、今から私たちに加わるようお願いしましょう。
ここ…この場で私たちと集うことで…そして暫くの間深い呼吸をすることで…内側を鎮めてください。

さぁ、すべてはその核心では、すべてが完璧であり、まさにあるがままであるのを感じてください。
あなたはこのことを知っているはずです。
そして、自分がわかっていることを必要以上に理解しようというニーズを手放しさえすれば、あなたにはそれを受け入れることができます。

易占いでよく言われるように、「ハートは絶えず考えます。それは変わることはできません。けれどもハートの動き(つまり、ひとりの男性・ひとりの女性の考え)は、考え自体を身近な状況に限定させるべきです。それを越えて進んでいく考えは、単にハートを痛くするだけです。」


□ 対立するサブパーソナリティ

親愛なる友よ。
あなたは様々な点でとても強い人です。
強い身体をしています。
強い意志があります。
強いマインドも持っています。
あなたは時折…僅かな瞬間の自分の経験ですら…自分自身を荒々しい戦士だと感じていますね。
しかしまた、非常に穏やかで同情的で、愛情のある人物として自分自身を経験することもできます。
どちらも真実です。

しかしあなたが、この2つの非常に異なった自分の部分が心の中で互いに衝突しているのに気づいた時、その時、矛盾が現れてきます。
これらのサブパーソナリティはそれぞれに異なる価値を持っているかのようです。そして、それぞれのサブパーソナリティが「私のニーズを先に満たして!」とあなたに要求します。
あなたが片方に注意を払えば、もう一方が無視されたと感じ、抗議し始めます。
この2つのサブパーソナリティの価値もニーズも正反対です。
要するにこれが、今のあなたの心の中の混乱・人生にある矛盾の源となっているわけです。

あなたがすべきことは、2つの部分が一緒に共演できるような協調的な役割分担~バランスの取れた表現・調整をみつけだすことです。
こうしたサブパーソナリティは、あなたの個性の要素ですが、“ほんとうのあなた”ではないということを思い出してください。
あなたがサブパーソナリティを過度に自分と同一視していれば、このサブパーソナリティがあなたの心の中に対立を引き起こします。
なぜならあなたは、「自分は本当は2つの(サブパーソナリティの)うちのどちらなのか?」ということを考えることになるからです。


□ 矛盾と対立は、どのように働くか

あなたがこれらのサブパーソナリティの片方と同盟して先にそのニーズを満たそうとするたびに、もう一方サブパーソナリティが不満を言い始めます。
片方のサブパーソナリティとの同盟が長くなればなるほど、ニーズが満たされていないもう一方サブパーソナリティの動揺や不満・要求の訴えによって、結局あなたの心の平和は砕かれることになります。
けれども、ニーズが満たされていないサブパーソナリティのニーズを満たそうとあなたが同盟先を変えれば、すぐさま、先にニーズが満たされていたサブパーソナリティが「無視された」と感じ、同じような戦略を始めて、不満・嫉妬・怒り・要求をあなたにぶつけ、結局またしてもあなたの心の平和は砕かれることになります。こんなことが繰り返し起きると、あなたはまるでテニスコートで戦いあう2人のプレイヤーから交互に強く打ち付けられ、激しく滅多打ちにされ、回され、転がされているテニスボールになったかのような気持ちを経験せざるを得なくなります。
あなたが時折、自分が狂気に瀕していると感じるのも不思議なことではありません。

荒々しい戦士のエネルギーは母親・恋人・友人のもつ優しさ・憐れみと混ざり合う必要があります。しかし、これら2つの面が衝突している時、あなたは、混乱して「どうしたら私は自分の内側にあるこの2つの矛盾した面とやっていけるのだろう?」と問いかけている自分に気づきます。
そうしてあなたは自分の分別を疑うようになり、自分の精神バランスを危惧するようになります。


□ ダビデ?それともゴリアテ? 

では、“ほんとうの自分”というもののコアへ行きましょう。
それは、あなたの姿勢を保つ背骨と同じです。
そう、それはあなたという素晴らしい存在として、あなたを背高くまっすぐ立たせるものです。
コアではあなたは、自分が強く、賢く、パワフルで、また憐れみ深く、優しく、親切であることを知っています。
あなたはしっかりしていますが、同時に自分が愛する者たちに、いえ見知らぬ人にすら寛大です。
それを~あなたのコアをご覧なさい。
そして自分の中にあるこのバランスと統合を感じなさい。
これこそ、あなたの神格化されたセルフです。
それは、あなたである~神の子です。
あなたは神の子であり、また神でもあります。
これこそが、あなたという者の真実です。

しかし、エゴは罪人であるとして、マインドはこの真実を分けてしまっています。エゴ(“ほんとうのあなた”ではないあなた)は、あなたに“ほんとうのあなた”を思い出させる代わりに…そして、あなたの完全性・完璧さを思い出させる代わりに…あなたの注意をエゴに固定させようとします。
その手法が、サブパーソナリティを絶えず交替させることです。
まるでサブパーソナリティが仮面であるかのように、次のを、また最初のに戻って、また次のに…といったように、交互に仮面を付け替えるのです。
そしてこの切り替えこそが、あなたを混乱させ、“ほんとうの自分”というものを思い出すことをできなくさせているのです。

あなたのエゴがまっさきに「あなたは愛情深い母親である」とあなたに信じさせたとき、それからあなたはその1種類の特定の自己像にほぼ自動的に閉じ込められることになります。
たとえば、出産した後の母親が大方そう思うように、あなたは自分のことを「慈しみの心を持ち、優しいが、傷つきやすい」と思うかもしれません。
あなたは自分に聖書に登場する若きダビデを重ねるかもしれません。
羊の群れの中にいる子羊のような~消極的で、どうすることもできない羊飼いを。しかしあなたが自分が演じるこの役割に対して過剰に一体感を持つと、たとえあなたにどれほど意志の固い戦士のような面があるとしても、優しいながらも同時に強くパワフルでもある自分自身を思い出すことが難しくなってしまいます。

それでは、どうしたら、繊細で思いやりのある母親が、同時に直接的で力強い兵士のようでもありえるのでしょうか。
そのイメージは大衆意識では容易に描かれるものではありません。
そしてそのイメージは、確かに古代のゴリアテでも現代神話のランボーとも違います。

それで、あなたは自分に問いかけます。
「どうしたら私は母親として子供に対して積極的に振舞えるんだろう?子供に対して表現したいと思う献身的な愛と、子供とは別の自立した個人として自己主張するニーズは完全に両立しないように思えるんだけど…。」 
そうしてあなたは、エゴの微妙なガイダンスの下で子供に(また他の人たちにも同様に)降伏することを決めるかもしれません。

しかし、あなたにある独断的な面が、まずは自分の生活で他の人たち皆に貢献するのに飽き飽きしたとき、そのニーズを押し出してくるようになります。
そうして戦士の面が現れてきます。
その面に邪魔になるものすべてに対して激怒しながら…。
そうしてあなたは暫くの間、再びエゴの指示の下で戦士(ゴリアテ)を演じることになります。
あなたは、他の人の感情を踏みにじる罪の意識があなたの同情的な面を目覚めさせるまで、ゴリアテを演じ続けることになります。

そうしてまた、あなたは自分が就く側を切り替えることになります。
あなたはゴリアテをダビデとを切り替え続けることになるわけです。
自分でこれをしていることに気づかない限り、あなたは何度でもこのサブパーソナリティの切り替えのサイクルを続けることになります。
この切り替えはほんとうに腹立たしいものです。
ほとんどの人がこの切り替えをしています。
中には切り替える仮面がいくつもある人もいます。


□ なぜ、エゴはサブパーソナリティの間で変わるのか?

エゴは、マインドにあるたった一つの目的のためにこうしたサブパーソナリティを絶えず切り替え続けます。それは、あなたに“ほんとうの自分”というものを思い出させないようにするためです。エゴは、あなたに自分の神性を思い出させたくなくて、自分のほんとうのアイデンティティに関して混乱・混沌のありさまにあなたを留め続けようとするのです。「自分の真実と整列して生き始めれば、エゴは存在しえなくなる」とエゴは思い込んでいるため、エゴはこのようなことをするわけです。

あなたは神の子であり、また神でもあるという真実…あなたがこれを思い出していれば、あなたの中にあるすべての矛盾・違いは和解します。ダビデとゴリアテの物語にも解決策がもたらされます。ゴリアテが死すのではなく、ゴリアテが再調整されてダビデとマージすることになるわけです。

自分でも自分にあると認めている強さ・パワーと闘うためにあなたが演じてきた~かよわい母親の役割も、必要のないものです。あなたは、ダビデとゴリアテをひとつにまとめなければなりません。これらの2つの元型を一緒に結合させ一体化させてください。彼らが互いに戦う必要などありません。その代わりに、神の子としてのあなたである完全性と彼らを融合させてください。

自分の人生を見てください。自分の身体的・感情的な強さにチャレンジしている状況にあるときには、自分の相反する2つの面にこの新しい観点をもたらしてみてください。あなたの神性の観点をもたらしてみてください。自分が自分の本当に真実と整列するというエゴにとっての脅威と戦うために自分の中にあるとても強い戦士を表に出す~そのために自分をか弱く傷つきやすい者と感じる必要などありません。

たとえばあなたが息子と一緒にいる際、息子があなたの心の平和を脅かすと思うのは…自分が再びバランスを取り戻すための自分の時間を見つけるのを妨げているのは息子だと思うのは…誰ですか?息子があなたにとっての脅威なのではありません。ただ、あなたが時折そのように認めるだけです。しかし、そのような認識が活発にされれば、責任感の強いサブパーソナリティが怒りだし、あなたが本当に不快・不安定を感じるような方向であなたを攻撃するようになるかもしれません。その結果、あなたは不安になり、脅かされるようになり、自分が狂っているかのように感じることとなります。それもみな、あなたを鼓舞する愛の原則と正反対の方向であなたが行動しているからです。ですから、ほんとうにバランスを再び見つけることが肝要なのです。