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晃ちゃんの喫茶室

皆さんと語る憩いの場です。

祝 北海道日本ハムファイターズ クライマックスシリーズ優勝!

2016-10-17 09:48:41 | Weblog
 わが 「北海道日本ハムファイターズ」 がクライマックスシリーズに  優勝 して4年ぶり「日本シリーズ」進出を決めた  こんな嬉しいことはない このシリーズの第5戦は今シーズンの「ファイターズ」 の戦いぶりにみた象徴的なゲームだった。初回に4点先制されたのはシーズン前半の11.5差を思い嫌な感じだったが、中田翔のホームランで流れを呼び、近藤のタイムリー・中島のスクイズはまさに15連勝を彷彿とさせた。最後9回には大谷翔平が登板し、なんと日本野球史上最速の165キロを出し締めた 大谷翔平で始まり、大谷翔平で終わる。まさにドラマチックである。

 結果的には 「ソフトバンクホークス」 に4勝2敗で勝利し優勝した この第5戦のみならず、レギュラーシーズン・クライマックスシリーズと 栗山監督 の采配が冴えていた。栗山監督の言葉より”誰よりもぼくが一番感動した!”

 さあ、10年ぶり 《日本一》 の栄冠を獲得しよう 

房総紀行(館山)

2016-10-10 10:13:43 | Weblog
10月6日はボクの 誕生日 である。それを祝って館山にいる息子が1泊2日の旅に招いてくれた。都内に住む孫息子が車で迎えに来てくれる。薄日の漏れる旅日和、圏央・関越・都心を抜けアクアラインに入る「海ほたる」は満車で通過する。最初に立ち寄ったのが内房線「那古船形駅」   館山で息子夫婦・孫娘と合流する。とりあえず、近くの中華料理店で昼食を摂る。 車で10分、第1の観光地 「船形山 大福寺 崖観音」 に行く。歩き出すと門前に見上げるような石段「こりゃあ無理だ!」とつぶやくと息子が負ぶってでも上るという。ならばと、杖を突きマイペースで上る。途中に「お不動さま」 あり、更に行くと絶壁に朱塗りの「観音堂」 が立っている。本尊は「十一面観世音菩薩」 で、祠に浮彫り磨崖仏として安置されている。途中にも切り立つ崖に仏様が彫ってある。
このお堂からの眺望がまた素晴らしい絶景で、この写真が眼下の「鏡が浦」(館山湾)を望む。参詣を終え、息子の家に行く。単身赴任なのでいかにも昭和風の平屋建てだ。少憩後、今夜の宿 たてやま温泉 「千里の風」 に向かう。 4時半チェックイン。少し寛いで息子と温泉浴  晴れていれば、ここからの夕日がきれいだというが、残念ながら曇っている。晩餐がすごい 「大漁大船盛り」に様ざまな刺身が満載だ 
”Birthday”記念旅行 というので、サプライズあり。バースデーケーキ・抱えきれないほどのプレゼントに紫のちゃんちゃんこと帽子で記念撮影。”Happy Birthday” を歌ってくれる。
 部屋に戻ってからが、これまた楽しい 家族そろって「ブロックズ」「手足タッチ」のゲームにキャッキャ・
キャッキャ笑いながら興じる。”これぞ家族団らん!” かくて房総の夜は更けてゆく

 (2日目)
 小雨が降っている。孫と朝の露天風呂 10時過ぎにチェックアウト。息子の家にちょっと寄り、サンドスキーが出来る「砂山」を見て、フラワーラインを南下し「渚の駅 たてやま」 のミニ水族館を観る。そして、最後は「道の駅 保田小学校」  廃校になった小学校を利用して町おこしの「道の駅」に改装して1年目だそうだ。体育館が「里山市場 きょなん楽市」やフラワーショップ、、校舎の1階が地元の人気名店・ギャラリー・音楽室などがあり、、2階が宿泊所になっている。ここで息子夫妻・孫娘と別れ帰途に就く 
帰りは 「海ほたる」 に寄ることが出来た。「ゴジラ展」をやっていた。
アクアラインを過ぎるまでは順調だったが、西新宿辺りで事故渋滞に会い倍以上の時間がかかり食事して帰宅したのが午後7時過ぎ。
社会人の孫 T くんには車で往復の送迎と大変世話になった。ありがとう

息子ファミリーとの1泊2日の小さな旅、(ボクには心に残る大きな旅)本当に楽しかった。
みんな勤めを休んでまでもの「誕生日祝いの旅」ありがとう! 心よりお礼を言う。
 

野球観戦

2016-09-30 09:32:43 | Weblog
北海道日本ハムファイターズ が リーグ優勝 の前日(27日)、娘が{優勝を期待して?」西武ドームに招待してくれた  娘ファミリーと応援したが、西武のエースの岸投手の好投で 打撃陣がチャンスに打てず、完封負けを喫した。試合は早く終わったが、ソフトバンクが負けると?優勝なので多くのファイターズファンが残っている。球場の好意でバックスクリーンにその経過が映されたが、結局はソフトが勝ち優勝はお預けとなった(残念) 
折角の球場観戦だったが、明日を期待して帰路に就いた。

翌日 9月28日 わが 北海道日本ハムファイターズ は願い叶って 優勝 した 

祝 北海道日本ハムファイターズ リーグ優勝!

2016-09-29 11:33:12 | Weblog
 「北海道日本ハムファイターズ」 が4年ぶり7回目のパシフィックリーグの 「優勝」 の栄冠を手にした。(大拍手) 
一時は首位と11.5のゲーム差があったが、、15連勝もありそれをひっくり返しての奇跡の大逆転劇である ファンとしてこんなに嬉しいことはない 
今シーズンの勝因をさぐれば、その一つは栗山監督の卓越した見事な采配であろう。具体的に印象に残る3点を挙げてみよう。① 15連勝のきっかけとなった大谷選手の投手で1番打者と二刀流を活かしたこと ②不動の4番打者中田選手に代打を送ったこと ③抑えの要であった増井選手を先発に回したこと等、その他列挙にいとまがない。選手の起用も一般常識では考えらないことも多々あったが、監督の”選手を信頼する” 姿勢は終始変わることがなかった。(何事も発想の転換が大事なんだなぁ)
また選手でいえば文句なく 大谷翔平 だろう。優勝決定の西武戦は完投完封被安打1奪三振15と圧巻の投球だった 史上初の二桁勝利(10勝)二桁本塁打(22本)104安打と超一流 (スパースター)としか言いようがない。あまりの嬉しさに書き出せばきりがない。最後に栗山監督の言葉を挙げておこう 感動! ”ファイターズの選手は北海道の誇りです” そして 「北の国から2016伝説~誰もあきらめなかった~」
 北海道日本ハムファイターズ 優勝おめでとう   ありがとう 

墓参と行燈祭 (絆)

2016-08-18 09:48:54 | Weblog
 今年も恒例の兄弟姉妹とその配偶者10名が揃って、両親の眠る「秩父聖地公園墓地」 に 「墓参」 に集うた。台風7号が接近の予報だったので心配したが、なんとか風は少し強かったものの雨に降られず、天国の両親に語りかけることが出来た。良かった 
墓参を終えて、今夜の宿 「ホテル 美やま」 にチェックイン。ラウンジでウエルカムドリンクを飲みながら近況など歓談する。さあ、早い夕食を済ませ、「花火」 だ  と、外を見るとあいにく雨が降り出している。いつもは会場(霊園)でシートを敷いて、空を見上げて観賞するのだが、今夜は無理だ。2組の妹夫婦たちは(車組)残念だが帰る。(この写真は去年 義弟の撮ったものだ。)
宿泊組(6名)は一部屋に集い歓談の続きをする。時折 花火の音が聞こえ、廊下の窓から、山越しに花火が開くのを観ることが出来た 
同部屋の男兄弟は、例によって疎開・終戦のころの話から現在の政治・世相・オリンピックのことなど話題に尽きることがない。語りつかれ温泉浴  真夜中の12時を回っている 

 翌朝は台風一過青空だ 谷川のせせらぎを聞きながら朝の露天風呂に入る。なんと気持ちの良いことよ ”至福の感” 
朝食後。松戸に帰る末弟夫婦の車を見送り10時にチェックアウト。西武秩父駅の仲見世は工事中で閉鎖(ガッカリ)。時間があるので、大通りまで出て喫茶店でコヒータイム。11時半前、特急「レッド」で帰路に就く。

かくして、母の教訓 ”キョウダイ仲良く!” と 「絆」 は益々強まるのでした。

「終戦の日」 

2016-08-15 10:36:10 | Weblog
 8月15日 「終戦の日」 あの日から71年の歳月が流れた。
当時、ほとんど1年近く学校にも行かず、鹿児島の山奥の温泉地に疎開していた。当日、晴れ渡った青空のもと「玉音放送」を聴いた。”戦争が終わった!”学校は焼かれ、多くの友人は戦災で亡くなり、先輩は特攻隊として飛び立ち沖縄の海に眠っている。

あの日、あの時、国民のだれもが”戦争は嫌だ!二度と戦争はするまい!”と思い、「不戦」 を誓ったのではなかったか にもかかわらず、またこの国は ”いつか来た道” を歩こうとしている。

 戦争を体験している人が少なくなっている今こそ声を大にして言いたい 「恒久の平和」  ”戦争は絶対にイヤだ” と。

湘南紀行

2016-08-04 21:37:48 | Weblog
今年も娘ファミリーと恒例の”夏休みの思い出作り” と2泊3日の旅に出た。
 (1日目)
 高麗のわが家を9時前に出立  圏央道が貫通してから、なんと早いこと厚木経由で藤沢まで1時間半あまりで来た。ドライバーのムコドノの粋なはからいで、わが母校 「湘南高校」 に寄ってくれる。実に60数年ぶりの懐かしの学び舎である。夏休み中 グラウンドで野球部が練習していた。新湘南バイパスから、藤沢市内を抜けて江の島を後ろに見て、海岸沿いの道を鎌倉方面に向かう。ちょうど江ノ電とすれ違う。七里ヶ浜・稲村ケ崎・極楽寺あたりとこの辺はよくドラマのロケ地になる。海水浴で賑あう由比ヶ浜を右手に見て、鎌倉から葉山・逗子へと三浦半島に入る。午後1時、三浦海岸に着く。少し高台の海の見える 「マック」 でランチタイム。食後、「城ケ島」 まで  を走らせる。ここに来たのも何十年ぶりだろうか 3時過ぎ 「マホロバマインズ三浦」 にチェックインする。上の写真はホテルから見晴るかす房総半島を望んだもの。入浴  バイキングの晩餐  孫息子と12時過ぎまで飽くことなく喋り続け就寝
 (2日目)
 朝早く孫息子が大学の部活(アメフト)に行くというので見送る。
10時過ぎ今日のメイン[京急油壷マリンパーク」 に行く。まず水族館 「魚の国」 で、魚のパフォーマンスや餌付けガイドを観る。つづけて、「あしか島」「ペンギン島」「いるかのプール」 と観てまわる。小さなペンギンの群れがよちよち歩いたり、泳いだりしているのがかわいい  結構園内は広く暑かったが、更に「みうら自然館」「かわうその森」 等、それぞれ観賞する。約2時間半の”おたのしみ” を終える。  は「城が島」 の駐車場へ 。近くの 「海上イケス釣堀」 で約1時間の釣り。これも何十年ぶりの体験か ボクは”ぼうず”だったが、孫娘たちは3・40㎝はあろうか 3匹の真鯛を釣る。早速、傍の店で焼き魚と刺身にしてもらい遅い昼飯とする。
4時半 帰館。今夜は夕食が遅い予約なので、ゆっくり入浴して部屋で仮眠する(今回は2部屋) まだ、孫は帰ってこない。
9時ディナーを済ませ、孫娘と暫し喋る。午後11時過ぎ、孫息子帰って来る。
かくて、三浦の夜は更けてゆく。 

 (3日目)
 目覚ましを掛けといて早めに起床。孫息子と二人朝の露天風呂に入る。曇っていて房総は見えず。さすがに朝も夜もバイキングでは飽きる。夏休みで家族連れが多く子供たちには楽しく嬉しいだろうが… 10時過ぎチェックアウト。再び三浦半島を北上し、葉山の御用邸前から例の海岸沿いを走る。だんだん「江の島」 が近づいてくる。江の島大橋を渡り駐車場に  を入れる。ものすごい人混みである。
さすが名にし負う観光地  若者たちはみないま流行の「ポケモンGO」に夢中になっているのか?スマホを操っている。江の島は何度も来たことがあるので、奥には行かず水族館も割愛して、橋のたもとの食堂で「しらす丼」の昼食を摂る。小田急の江ノ島駅で孫息子を降ろし別れる。(彼はまたアメフト) は鵠沼(ここは湘南に通っていた頃、住んでいた所=すっかり様変わりしてしまったが懐かしいなぁ)を経て藤沢から帰路に就く。帰りの圏央道も速い。江の島から2時間ほどで高麗のわが家に無事帰着した。
相当に疲れたが、実に楽しい充実した2拍3日の旅でした。
 ムコドノをはじめ、むすめ・まごども 本当に ありがとう

JJ会 「竜泉寺温泉」

2016-07-21 14:11:41 | Weblog
昨20日 JJ会(通称長男長女のなかの1つのグループ、若いときから家族ぐるみ60年来の交き合い)で八王子片倉の日帰り温泉「竜泉寺の湯」 に行った。今回は6名参加 横浜線「八王子みなみ野」駅に集い、送迎バスで向かう。ここは若いころ片倉丘陵でハイキングに来たことがあるが、今はすっかり様変わりして新都市になっている。早速 温泉に入る  健康長寿の炭酸泉の湯「寝ころび炭酸泉」「露天炭酸泉」「美泡の壺」「ほたるの湯」「不感の湯」等16種類の風呂がある。順番に入りながら近況などを語り合う。1時間半ぐらい入っていただろうか?浴後、食事処 「一休」(ひとやすみ)で、豪華な昼食「大漁お造り」 に舌鼓を打つ。今回は久しぶりに”喋りのマドンナY子さん”がいて話に花が咲く 身も心も癒されること4時間半あまり。瞬く間に楽しい時が過ぎ、駅前の喫茶店「高倉町珈琲」 でコーヒータイム。次回 年末の旅行を約して散会する。

追悼 大橋巨泉

2016-07-21 10:40:36 | Weblog
つい先日、永 六輔 の追悼をしたら、またまた多芸多才な文化人 大橋 巨泉 が天国へと逝ってしまった。「巨泉」と言えば、まず「11PM」だろう。あのテーマ曲と共に野球・麻雀・ゴルフ・釣り・競馬等のあらゆる娯楽から政治や社会福祉・社会問題等の世相にまで歯に衣を着せぬ喋りで楽しませてくれた。”野球は巨人、司会は巨泉”のキャッチフレーズのごとく、「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」の当意即妙の名司会ぶりはいつになっても記憶に新しい。また、彼の生き方(生き様は使いたくない)に共感する。テレビ界での絶頂期の50代半ばにして、。”セミリタイアー”称し海外生活を始める。参議院議員として当選するも、”自分の意見が言えない政界にはいられない」とわずか半年足らずで辞職してしまう。
永 六輔 と共に、戦争を知る世代(昭和一桁)として、反戦・反骨の信念を最期まで貫徹した。同世代・同窓の一人として心からの哀悼の意を捧げたい。 合掌!

哀悼 永六輔

2016-07-12 15:25:24 | Weblog
  
また、ひとりかけがえのない得がたき才人 永六輔 が彼岸へと旅立った。作詞家、放送作家、執筆家、ラジオパーソナリチィーとその多彩な才能は尽きることがなかった。彼こそが巷に横行する”似非文化人” とは異なる”本物の文化人” だった。テレビの草創期に放送されたバラエティー「夢であいましょう」 は忘れられない思い出深い番組となった。テレビバラエティーのパイオニアといえよう。大ヒットした世界的名曲 「上を向いて歩こう」 は何十回聞き、何十回歌っただろうか。また、大ベストセラー「大往生」 は今でもボクのベットの枕元にある。ラジオと言えば、「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」 が好きだった。永六輔 の素晴らしさは歯に衣を着せず「むずかしいことはやさしく、やさしいことはおもしろく」軽妙洒脱な表現力にあった。ボクと同窓、同世代に生を共にした者として、反戦・反骨の精神を貫き通した彼を尊敬し、誇りにも思う。”安らかにお休みください” 合掌!