ここ 彩の国 「高麗の里」に移り住んではや33年になる。当時 都内の団地に住んでいたので、この澄んだ空気と自然豊かな里がすごく気に入っていた(日和田山)
まだニュータウンとして造成しはじめたころで、駅舎も素朴でいかにもローカルな駅といった観だった。坂道を登って行くと芒が原に赤とんぼが飛び交い、雉などを目にすることがしばしばだった。そして、住宅も次々と建築され駅も近代的になった。 (高麗駅)
人口が増えるにつれ 町 が 市 になり、病院も学校も商店街やストアーもできた。「いいところが終(つい)の住処(すみか) となった」 ・・・ あれから30余年 ・・・ 四季折々の風情は変わることはないが、少子高齢化の時代の波には逆らえず、増え続けた学級は縮小され、ストアーや駅の売店は廃業した。さらに、転居以来利用していたガソリンスタンドも来月にはなくなるという。
「自然の豊かさと生活の利便性は両立しない」 ものだろうかと、もの思う年の暮れである。
まだニュータウンとして造成しはじめたころで、駅舎も素朴でいかにもローカルな駅といった観だった。坂道を登って行くと芒が原に赤とんぼが飛び交い、雉などを目にすることがしばしばだった。そして、住宅も次々と建築され駅も近代的になった。 (高麗駅)
人口が増えるにつれ 町 が 市 になり、病院も学校も商店街やストアーもできた。「いいところが終(つい)の住処(すみか) となった」 ・・・ あれから30余年 ・・・ 四季折々の風情は変わることはないが、少子高齢化の時代の波には逆らえず、増え続けた学級は縮小され、ストアーや駅の売店は廃業した。さらに、転居以来利用していたガソリンスタンドも来月にはなくなるという。
「自然の豊かさと生活の利便性は両立しない」 ものだろうかと、もの思う年の暮れである。