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晃ちゃんの喫茶室

皆さんと語る憩いの場です。

房総(館山)ミニ旅行

2014-12-14 14:06:44 | Weblog
  去る日、例のJJ会の仲間たちと忘年会を兼ねて房総へと1泊2日の小さな旅に出た。かってはマイカーで出かけていたが、最近は(年を重ねたせいか?)もっぱら列車かバスを利用している。今回は東京駅からJR高速バスの「なのはな号」 だ。 午前9時50分出発。天候は前日までは晴れていたのにあいにくの小雨模様。約半年ぶりの再会 車中話し合ってるうちにアクアラインを通過し「うみほたる」も気づかず、はや木更津だ。 は内房沿いに南下し、11時20分館山に着く。下車するとそこはものすごい横なぐりの雨 しばし佇み雨宿り。昼食は地魚で有名な料理屋 「波奈」、で “海鮮丼”を期待したが、すでに品切れとか、“さしみご膳”にする。タクシーで20分 今夜の宿 「国民休暇村 館山」  にチェックイン。ここも以前来たことがある。雨も小降りになり、少し早めに着いたので、ロビーで待機する。部屋に入り、しばし休憩の後 温泉浴  晴れていれば富士も見えるというが、雨でけぶり海も靄っている。この写真は翌朝撮ったものだ。食後、一部屋に集まって歓談、例によって尽きることなし。

翌朝は晴れ  朝の露天風呂  (富士は望めなかったが)最高の気分なり。午前10時チェックアウト。

は国道410号を南下し「南房パラダイス」で下車。ここもこのJJ会の仲間と5年前に来たことがある。今年9月に「アロハガーデン館山」 としてリニューアルオープンしたとか。ハイビスカスやブーゲンビレア・サボテン などの熱帯植物が観察できる300mの連続温室をそぞろ歩く。印象的だったのが、「ヒインコ」が手や肩に慣れて止ったりしたことだ。園内は広く動物広場やキッズひろば・展望塔・時計塔などがあり、シンガポール館では 「マーライオン」が水を吐いていた。約2時間近くよく歩き、さすがに足が疲れた。隣接のレストラン「ワイキキ」で昼食を摂り、道の駅で土産物などを買う。

 2時半過ぎ、再び高速バスで帰途に就く。さすがにみな疲れたようで車内うとうとしている。都内に入ってから渋滞で予定より30分遅れで東京駅に着く。

つくば行

2014-12-03 16:35:16 | Weblog
 去る霜月の晦日、孫娘が在学中に是非にと念願だった「筑波大」 を訪れた。当日は息子と社会人の孫息子・前日から実家に泊まっていた孫娘と4人で(嫁は九州に行っていて不参加)午前9時高麗のわが家を出立した。天候は  は関越道から首都高・圏央道を走り、つくば牛久ICでおりる。ちょっと早めだったが、牛久名物のうなぎを老舗の「三都や」で昼食にする。 国道408号(通称サイエンス大通り)行くこと20分、つくばエキスプレスの「研究学園駅」 に着く。場所にふさわしいシンプルな駅だ。 ここから大学はすぐだ。まず、孫娘の案内でキャンパス内を散策するが、その広さに驚かされる。日曜のせいか行き交う学生はまばらだが、図書館は満席だった。さすがアカデミックな「筑波大」! 1時間半あまりいただろうか、 は筑波山に向かって進み、坂道をどんどん上って行く。晴れていれば紅葉も見ごろだが、このころは曇ってきて 霞んで鮮やかな紅葉は見られない。午後3時30分 筑波山中腹の筑波山温泉ホテル「筑波山京成ホテル」 にチェックイン  晴れていれば夕景が素晴らしいのだろうが… 明日は天気が悪くなるというので、夜景を見ようとロープウエイに乗り 「女体山」 (877m)に登る。山頂は靄っていて視界ぜろで、瞬時 雲が流れ麓の灯りがちらほらと見えるぐらい。ぶるぶる!なにしろ寒い!早々と帰館して温泉浴  夕食後、遅くまで社会人2年めの孫息子と歓談する。

 翌朝 師走の朔日は雨  濡れながらの朝の露天風呂は気持ち良い。10時チェックアウトして山を下る。途中「がま公園」 で少憩。 筑波山は「がま」 が有名だ。若い時、登頂して買い求めた「がまの置物」が”無事に帰る(カエル)”と縁起をかついで未だに玄関先においてある。
 午後から孫娘 授業があるので、昼食を済ませ研究棟まで送る。年明けて3か月イタリアに留学するという孫娘の無事を願って別れる。

 一泊二日だが、実に充実した楽しい小さな旅だった

菅原文太 逝く!

2014-12-02 14:58:58 | Weblog
  また一人高倉健 につづいて、昭和の銀幕を飾ったスター菅原文太 が天国へと旅立った。彼の映画「仁義なき戦い」や「トラック野郎」はさて置き、ボクの記憶に残っているのは大河ドラマ「獅子の時代」だ。秩父困民党事件を描いたこのドラマは忘れられない。ボクが菅原文太 に惹かれるのは、その晩年の生き様だ。少年時代に戦争を体験し「絶対に戦争をしてはならない」という強い信念貫き通し、「反戦」「脱原発」にと精力的に活動してきたことだ。同時代を生きた者として共感を禁じ得ない。こうした人物が一人、また一人と去って逝くのは残念で辛いことだ。 合掌!