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晃ちゃんの喫茶室

皆さんと語る憩いの場です。

「新年会」 (絆) 

2014-01-23 11:35:45 | Weblog
今年も正月の22日。恒例の兄弟姉妹とその伴侶たちの「新年会」 を行った。場所は馴染みの上野公園内にある江戸情緒の風情ある創業明治8年の老舗「韻松亭」今年は、昨年義弟の令兄が亡くなったので、”冠婚葬祭”の順に従って追悼の献杯。そして、もう一人の義弟の「喜寿」 と、一同が健やかに新年を迎えたことを祝って乾杯する 
例によって、杯を交わしながら近況報告やら、幼き日のことなど喋り合い和気あいあい歓談する。昨年は両親の「慰霊祭」 もでき、この日も天国の両親は微笑んで見下ろしていることだろう。記念写真を撮り、一層の「絆」 を強め散会した。

今回は末弟との会話の中で、政局がらみの社会問題がのぼり、「兄貴 ブログをやってんだから、憲法改正・秘密保護法案・輸出3原則・集団的自衛権・沖縄問題等々自分の意見をどんどん発信しなくちゃだめだよ!」と直言されたのが応えた。「表現の自由」 が失われた時に戦争が始まる。

年越しの旅

2014-01-03 14:47:19 | Weblog
例年娘家族と「年越しの旅」に出かけるのだが、今年は息子家族(息子夫婦・新社会人になった孫息子・4月から大学院生になる孫娘・パル)と信州方面へ小さな旅に出た。
大晦日は快晴の旅日和。9時半に高麗の我が家を出発  圏央道も中央道もすいすいと走る。途中 談合坂SAで少休止、犬(パル)  同伴なので、「ドッグラン」なる所で解き放ち遊ばせる。結構犬を連れてる人の多いのに驚く。安曇野インターで高速を下り、近くのラーメン店で昼食  にする。ガイドで調べてくるのか?小さな狭い店だが超満員で待たされる。昼食後、安曇野を  走る。ここは何回来たことだろう。「いわさきちひろ記念館」「わさび田」などなつかしいなぁ  147号線を北上して行くと左手に雪化粧した北アルプスの山並みが冬の晴れ渡った青空に映えて美しい。 (穂高岳)
(ホテルの窓からの北アルプス)
 4時前 今夜の宿 大町温泉「黒部ビューホテル」  にチェックインする。少憩後、孫と温泉浴  さすが信州 浴槽にりんご がぷかぷか浮いている。晩餐後、部屋に戻って嫁さんや孫たちと歓談する。楽しきことこの上もなし。ゆく年 くる年 が始まるころ、みなは(ボクは道が凍ってていて危ないというので行かず) 近くのお寺に二日詣 に行く。
かくて大晦日の夜は更け、元旦になる。     ”明けましておめでとうございます” 

 元日の朝 カーテンを開けると北アルプス颪か?小雪が乱舞している。リンゴ風呂に初湯 おせち料理と雑煮を頂く。小雪舞うなか、10時過ぎチェックアウト。昨夜ボクが行けなかった「祥龍山 泉嶽寺」  に初詣、”安全と多幸” を祈願する。 は安曇野から松本市内へと入って行く。 もう何度か訪れたことのある国宝「松本城」 だ。
  
 いつ来ても素晴らしい名城だ。元日の観光客で賑わっている。正月なので入場無料だが、天守閣には登れず、城内の庭園から観賞するのみ。城を後にして松本インターから帰途に就く。中央道を  走るころはもう晴れ渡り、車窓からの美しい八ヶ岳連峰が遠望される。

 高麗に帰り着くと、娘ファミリーが来ており久しぶりに息子・娘家族そろっての年始だった。
    ”めでたし! めでたし!” 

2014年(平成26年)正月

2014-01-01 18:09:13 | Weblog
 
寿 初春
                                     
       ”明けましておめでとうございます”
 ”初春や 思ふ事なき 懐手” (紅葉)
 余りにも「思うこと、考えさせられること」の多い多事多難な昨年でした。
今年こそ「良きこと」の多々ありますように… 

「生きていることって、なんて素晴らしいことなんだ」と思えるような年にと願って    

ミニ旅行(忘年会)

2013-12-14 10:33:59 | Weblog
 例年、このJJ会の「忘年会」は八王子の日帰り温泉で行なってきたが、今年はボクが秋の箱根旅行に眼の手術で行けなかったので、拙宅近くの山あいにある吾野 の「国民休暇村 奥武蔵」(旧あじさい館)で催してくれた。
 ここはかみさんと二人で、またダンスのグループで来たことがある。
当日は快晴の旅日和東飯能駅で落ち合い、飯能の「ホテル ヘリテイジ飯能」の11階「天空レストラン 銀河鉄道」 で飯能の街並みを見下ろしながらバイキングの昼食を摂る 吾野駅から送迎バスで5分 3時前チェックイン。しばし少憩して温泉浴  晩餐後、例によって遅くまで”年忘れ”の歓談 尽きることなし。

 翌朝 いかにも山間の冬の宿という感じの庭園はうっすらとした一面の霜景色。眺めながらの朝風呂  に入る。
 チェックアウト後、西武線で秩父へ行く。近くの札所巡りをしようということになった。西武秩父駅からお花畑駅を経て、最初が札所13番「慈眼寺」  正面に観音堂があり、古色蒼然とした彫物が素晴らしい。旅の安全を祈る。境内に「めぐすりの木」があり、眼の手術後視力が上がり目の前が明るくなったことを感謝してそーっと触れてみる。そこから北上して、秩父霊場発祥の地「今宮神社」(八大龍王宮) 札所14番「今宮坊」 山門を入るとすぐ右手に枯葉の浮かぶ清澄な池「龍神池」  がある。武甲山の伏流水が湧き出て「清龍の滝」 となって流れ落ちている。ここの圧巻は千年欅に龍王が顕れた姿と言われる巨木「龍神木」 だ。 秩父の街中にこんなにも閑静にして荘厳な場所があろうとは… ここをお参りしただけでも来た甲斐があったというものだ。次に昔ながらの老舗や看板のあるレトロな街中を逍遥すると、思いがけないところに「七福神」 の石像があった。 さらに、南下して(もう、このころは脚が痛くなってきたが…)15番札所 「少林寺」 ちょっと迷ったが、処々に小さな道標の石柱が立っているのが心やさしい。この札所は土蔵造りで、ご本尊の「「十一面観音」 を格子越しに拝観する。
三か所巡ったところで、正午を過ぎていたので駅の仲見世に戻り昼食にする。

 西武秩父から飯能まで、みな疲れたのかくつろいでうとうとしている。一人東飯能で別れ、他の七名は横浜なので、ちょうど元町直通の快速がありそれに乗って帰るのを見送る。

 かくて、また楽しく想い出多い今年の「忘年会」 も終わった。 

志高会

2013-11-24 14:11:40 | Weblog
昨23日(勤労感謝の日) 若き日の仲間たち(ボクにとっては5男5女=5期)が3年ぶり 還暦 を記念してクラス会を催した。場所は池袋の「第一イン池袋」 18名が集うた。中には高校卒業以来42年ぶり初めてのAくんやHさん参加で、みなも始めはだれか?分からなかったが、話しているうちに当時の面影がよみがえってきて懐かしかった。宴もたけなわになるにつれて、17.8才の高校時代に戻り、和気あいあいとを酌み交わし、歓談尽きることなく盛り上がってくる。いつものことだが、”楽しいときは瞬く間に過ぎる” ホテルの好意で記念写真を撮って一応お開きとなる。
このグループ(卒業以来「志高会」と称している)はカラオケが好きだ。二次会は近くのカラオケ店で、次から次へと大いに歌いまくっている…… 場も盛り上がり最高の雰囲気だったが、悪いけれど体調も考え途中で辞する。と、電車で帰るというボクを幹事が無理やりタクシーに乗せて送ってくれる。(池袋から高麗までだ)恐縮この上もなし

若き日に戻り、本当に楽しき集いだった。”冥利に尽きる” 
幹事のFくん、Tくん、Eくんそして、Tさん ”ありがとうございました”  心よりお礼申し上げます。

下町ロケット

2013-11-22 11:34:04 | Weblog

先頃、話題になったテレビドラマ「半沢直樹」の原作者 池井戸潤 の小説「下町ロケット」を読む。
 彼の作品は初めてだ。読後感 一言でいえば、面白かった! 一気呵成に読了した。
しがない中小企業の町工場が、その技術とプライドをもって日本を代表する大資本グループの大メーカーに対抗していくという物語。宇宙開発機構のロケット打ち上げまでのさまざまな人間関係(営業マンと技術者・メーカーと下請け・家族等)が描かれている。確かにロケット関係の専門用語(例えば、水素エンジン・キーデパイス・バルブ等々)分からない語もあるが、特許の売却・使用契約などもそれなりに読んでいったが、やはり、「目先の利益(金)より理想(夢)」 の元研究員であった町工場社長(佃航平)の信念の一言がいい。読み進めるうちにどんどん引き込まれ、エピローグでロケット打ち上げ成功の場面では思わず涙ぐんでしまった。彼のほかの作品も読んでみたい魅力にかられた。
 
 若いころ、よく読んだ 城山三郎 の経済小説を彷彿させる作品でもあった。
 

川上哲治氏 逝く!

2013-10-31 14:08:37 | Weblog
”球界の巨星墜つ” の感。

まだ、戦後間もない荒廃していたこの国に復興と希望の燈を灯してくれたのが、プロ野球の「赤バット」の川上哲治選手と「青バット」の大下弘選手だった。二人のホームランが見たくて、どんなにか後楽園球場に通ったものか

現役時代の川上選手は”打撃の神様” と言われ、その鋭い打球は「弾丸ライナー」 の野球用語を生んだ。また、「ボールが止まって見える」の名言を残した。

監督時代の川上は長嶋・王や堀内投手ら多くの名選手を育て、巨人のリーグ・日本シリーズ9連覇の偉業を打ち立てた。俗に「名選手必ずしも名監督ならず」と言うが、川上哲治 は、正しく「名選手にして名監督」 だった。  合掌!

慰霊祭

2013-10-11 14:55:19 | Weblog
 
 昨10月10日 秩父の聖地公園墓地にて、秩父神社の神官を招聘し、両親の 「慰霊祭」 (父20年祭・母10年祭)を執り行った。
われら兄弟姉妹とその伴侶 10名集い、それぞれの思いを込めて両親の御魂に”安かれ”と奉幣した。当日は10月とはいえカンカン照りの真夏日であったが、天国の両親の思いからか、儀式の間は爽やかな秋風が流れていた。

 式後、近くの料亭 「粋心亭 あじ岬」 で、杯を酌み交わして両親を偲ぶ。
また、近況を報告し合い、次弟夫婦や末妹夫婦の海外旅行の写真や孫たちの写真を回覧したりして、大いに盛り上がった宴となった。これも幼きころより、母の教え ”キョウダイナカヨク” と薫陶を受けた賜物であろう。

 楽しいときは瞬く間に過ぎてしまう。記念写真を撮り、次回(新年会)の再会を約して、それぞれ帰途に就く。 

日本ハムファイターズ Game Set

2013-10-07 14:10:26 | Weblog
わが「北海道日本ハムファイターズ」  の今シーズンの全日程が終了した。寂しい限りである。

なぜ「わが」と呼ぶかといえば、戦後、「セネターズ」 から始まって、「フライヤーズ」 時代(東急・急映・東映・日拓ホーム)そして、「日本ハムファイターズ」と何十年に渡り一貫してファンとして応援してきたからだ。

その愛するチームが64勝78敗の最下位で幕を下ろした。前年度覇者が最下位になったのは、実に32年ぶりとか。また、最下位になったのは12年ぶり
「フライヤーズ」 時代にも、つねにBクラスで、弱い時期もあったが、ここのところ、北海道に移転してからは、優勝 か、ほとんどAクラスだった

それが今シーズンはなんだ その原因を考察してみよう。まず、フロントだ。なぜ生え抜きで球界を代表する糸井選手を出したのか? つぎに、いまさら言っても仕方がないが、ダルビュシュのような絶対的エースがいない。そして、栗山監督の采配だ。日々猫の目のように選手の打順を変える。捕手は固定しなくちゃだめだ。鶴岡だ・大野だ・近藤だと前日好調だったにも拘わらずかえてしまう。(好捕手のいるチームは強い)特に後半負けが混んできてからは、内野・外野関係なく恣意的に起用している。投手も同じだ。方程式といえばカッコいいが、ワンパタン過ぎる。攻撃も攻めるよりも消極的だ。これらは、監督だけではなくコーチ陣にも問題があるのではないか。

ボクは「ファイターズ」 が勝ったときだけスポーツ紙を買う(優勝した時は全紙)今年は130円×64で8320円の出費だった。年間1万円を超えるくらいじゃなくちゃ優勝は無理だ。

いずれにしても、今シーズンは終わってしまった。来年に期待しよう

山崎豊子 逝く!

2013-09-30 20:27:29 | Weblog
 作家、山崎豊子 死去の報。ショックである。
私の好きな作家のひとりだった。「暖簾」から始まって、「運命の人」に至るまで全作品読んでいる。初期のころの"船場もの”とよばれる作品(「花のれん」「ぼんち」等)は、いかにも直木賞作家にふさわしい読みやすくストーリが面白かった。

それが、「白い巨塔」から意識を持って社会問題をテーマにした作品に取り組んでいく。綿密な取材と膨大な資料をもとに社会派作家と呼ばれ、それは巨大な組織や国家・社会の不条理を決して許さない反骨精神となって表現してゆく。一時”女清張”と呼ばれたが、松本清張に比肩すべき社会派作家であった。「不毛地帯」「華麗なる一族」「大地の子」「二つの祖国」「運命の人」どの作品が好きか?と問われても困る。なぜなら、一作一作ごとに彼女が命を削るように精根を込めて描いた作品で、私の心を魅了して止まないからだ。一作読み終えるたびに次作を期待し待たれたものだ。長編小説を一気呵成読ませる作家は層々いない。

惜しい作家を失った。 合掌!