1年ぐらい前からどうも目の具合が悪い。時折、眼前に薄黒い斑点が出るのだ。
そこで近くのA眼科で診てもらった。Dr「まあ、白内障の入口ですね。目薬をさしていれば治るでしょう。」多くの同年輩の知人や友人が、手術をしているので、「手術は?」と聞いたところ、Dr「気長に治療していればいいでしょう」と。
ところが、一向に良くならず視力も落ちてきた。読書が趣味なのに長続きせず、1時間もしないうちに疲れてしまう。そこで、ネットテで検索しセカンドオピニオンとしてH眼科に行ってみた。
「病院と店は混んでいる方がいい」というが、ものすごい混みようである。
眼圧・眼底・視力・屈折・角膜・視野等々なんと10何種類かの検査をした。その間待ち時間を入れて、4時間半。やっと、院長の診察「白内障 です。手術した方がいいでしょう。予約が詰まっているので、早くて9月7日です。」と。それから2日検査通院し、師長に手術についての説明を1時間ぐらい受ける。
さて、検査当日。なにしろ生まれて初めての眼の手術。数日前から「不安」と「怖さ」で、夜もほとんど眠れないくらい。その日は10人の手術を行うという。ボクは7番目、あえて「ラッキーセブン」と胸の内でつぶやく。手術着に着替えて控室(個室)に入ったのが12時半。眼孔を開く点眼液を3回、抗生物質の点滴を手術直前まで腕に流している。午後4時、局所麻酔をさし安定剤を服用する。
手術台に横たわり、始まる。医者や看護師の声が聞こえ、時折眼球に水が流れるのがわかる。眼内レンズを入れるときにチックとするが、それも流れで気にならなくなる。「はい、終わりました」時計を見ると約20分。不安と緊張でいっぱいだったが、思いのほか心配することもなく、無事・簡単に終わった。右眼に眼帯をし送迎車で家まで送ってもらう。帰宅5時。片目は不便だなぁ!珍しく9時過ぎにベッドに入る。 次は27日 左眼だ。
ちなみに、手術名は「超音波水晶体乳化吸引術及び人工水晶体挿入術」
わが陋屋も築30数年が経った。近所のあちこちでは増改築がされているが、
うちは屋根や外装その他ちょっとした所はリファーム・修繕している。が、
毎年困るのが、下水道である。
夏場になると各排水溝(6か所)の出口付近に
雑草が繁茂し流れが悪くなる。いつもは自分で雑草を撤去・清掃するのだが、
今年は異常でとても自分ではできない。水道屋に頼んだところ、2万円かかるという。
それも2・3日後とか。
仕方ないので、地区の「おたすけ隊」に依頼したら、すぐ来てくれて、わずか30分で
雑草を取りスムースに流れるようにしてくれた。しかも、300円でいいという。
大いに助かり、ありがたかった
うちは屋根や外装その他ちょっとした所はリファーム・修繕している。が、
毎年困るのが、下水道である。

雑草が繁茂し流れが悪くなる。いつもは自分で雑草を撤去・清掃するのだが、
今年は異常でとても自分ではできない。水道屋に頼んだところ、2万円かかるという。
それも2・3日後とか。
仕方ないので、地区の「おたすけ隊」に依頼したら、すぐ来てくれて、わずか30分で
雑草を取りスムースに流れるようにしてくれた。しかも、300円でいいという。
大いに助かり、ありがたかった

心臓のバイパス手術をしてちょうど10年にごとなる。いまのところ、心臓は順調に動いている。
現在 月に1回立川の病院に通っている。半年ごとに精密検査を受けるのだが、そのときに提出した検体の2本のうち1本が陽性になった。そこで、主治医から「もう、5年前になるから大腸の内視鏡検査 をしたら」といわれた。
この猛暑の最中ではあったが、検査入院 することにした。1週間前から血液サラサラの「バイアスピリン」の服用を中止して入院する。
(1日目)
午後1時半入院。5階の南病棟6人部屋の窓側。病室は冷房が適温で快適だが、夏の日差しがまぶしくカーテンを閉める。
夕飯は抜きで、午後9時下剤(ラキソベロン)と吐き気止め(エリーテン9をのむ。午後10時消灯。神経が不安定でなかなか寝付かれず。
(2日目)
検査当日。5時半には目が覚める。午前7時 下剤の水薬(ニフレック)1時間に1リットルくらいのペースで2リットル飲む。これが大変にきつい。さあ、それからが大変だ。1時間ぐらい経つと、間なしに便意をもよおしてくる。ベットの脇に便器を置き、そのたびにナースコールを押す。仕事とはいえ、看護師さんに申しわけないような気持ちだ。やっと透明になり、検査の準備ができる。午後2時 検査室に入る。検査は女医さんだ。横になり、内視鏡が徐々に腸に達するのをモニターで見る。ここまでは腸に空気が入り、下腹部の張りと放屁で参ったが、まだ良かった。。そこで、女医さんに「ポリープが数個あり大きいのを切除しますか?」と聞かれたので、「取ってください」とお願いした。ここからがきつく大変だった。「大きく息をすって、ハイ、止めて!おならは我慢してね」と助手のナースの声、「ガンバッテ!」とそのナースが背中をさすってくれる。4個切除(4・5ミリはあったろうか).検査から切除まで約2時間。もうぐったりである。気力なく病室まで車いすで送ってもらう。フルーツジュースを飲みほっとひと息。夕食はお粥の病院食、あまり食欲もない。それでも無事終わり安心したのか、夜はぐっすりと眠れた。
(3日目)
午前6時 看護師さんの声で目が覚める。検温・血圧・血便も出ず異常なし。朝食後、安静にして9時半には退院の許可が出る。10時過ぎ、会計を済ませ退院する。(費用は思いのほか安かった)
外は相変わらずの猛暑である。最寄りの東飯能駅からはタクシーで家に帰る。
かくて、二泊三日の検査入院は無事に終わった。
現在 月に1回立川の病院に通っている。半年ごとに精密検査を受けるのだが、そのときに提出した検体の2本のうち1本が陽性になった。そこで、主治医から「もう、5年前になるから大腸の内視鏡検査 をしたら」といわれた。
この猛暑の最中ではあったが、検査入院 することにした。1週間前から血液サラサラの「バイアスピリン」の服用を中止して入院する。
(1日目)
午後1時半入院。5階の南病棟6人部屋の窓側。病室は冷房が適温で快適だが、夏の日差しがまぶしくカーテンを閉める。
夕飯は抜きで、午後9時下剤(ラキソベロン)と吐き気止め(エリーテン9をのむ。午後10時消灯。神経が不安定でなかなか寝付かれず。
(2日目)
検査当日。5時半には目が覚める。午前7時 下剤の水薬(ニフレック)1時間に1リットルくらいのペースで2リットル飲む。これが大変にきつい。さあ、それからが大変だ。1時間ぐらい経つと、間なしに便意をもよおしてくる。ベットの脇に便器を置き、そのたびにナースコールを押す。仕事とはいえ、看護師さんに申しわけないような気持ちだ。やっと透明になり、検査の準備ができる。午後2時 検査室に入る。検査は女医さんだ。横になり、内視鏡が徐々に腸に達するのをモニターで見る。ここまでは腸に空気が入り、下腹部の張りと放屁で参ったが、まだ良かった。。そこで、女医さんに「ポリープが数個あり大きいのを切除しますか?」と聞かれたので、「取ってください」とお願いした。ここからがきつく大変だった。「大きく息をすって、ハイ、止めて!おならは我慢してね」と助手のナースの声、「ガンバッテ!」とそのナースが背中をさすってくれる。4個切除(4・5ミリはあったろうか).検査から切除まで約2時間。もうぐったりである。気力なく病室まで車いすで送ってもらう。フルーツジュースを飲みほっとひと息。夕食はお粥の病院食、あまり食欲もない。それでも無事終わり安心したのか、夜はぐっすりと眠れた。
(3日目)
午前6時 看護師さんの声で目が覚める。検温・血圧・血便も出ず異常なし。朝食後、安静にして9時半には退院の許可が出る。10時過ぎ、会計を済ませ退院する。(費用は思いのほか安かった)
外は相変わらずの猛暑である。最寄りの東飯能駅からはタクシーで家に帰る。
かくて、二泊三日の検査入院は無事に終わった。
去る7日 娘ファミリーと西武ドームに野球観戦に行った。
日本ハムファイターズと西武ライオンズ の試合である。
なにしろ婿どのは長崎の海星高校野球部の出身で、いろいろと投球・打撃・守備・作戦等)分かりやすく説明してくれる。
孫息子は自分ではやらないが(現在大学でアメフトをやっている)プロ野球はもとより、高校野球・メジャーとやたらに詳しい。孫娘二人は(中3と中1)は父親の血を引いたのか、ソフトボールで頑張っている。上の子は 大谷翔平 のファンで、何枚も写真を撮っていたが、その1枚がこれ
試合の方はトーマスと十亀で始まったが、取っては取られのシーソーゲーム。九回日ハム1点リードで、守護神 武田久 投手。これが浅村選手に劇的な逆転3ランを打たれ、西武のサヨナラ勝ち
日ハムファンとしては残念な結果だったが、孫たちと一緒に観戦できたことは、限りない喜びであり幸せである

日本ハムファイターズと西武ライオンズ の試合である。

なにしろ婿どのは長崎の海星高校野球部の出身で、いろいろと投球・打撃・守備・作戦等)分かりやすく説明してくれる。
孫息子は自分ではやらないが(現在大学でアメフトをやっている)プロ野球はもとより、高校野球・メジャーとやたらに詳しい。孫娘二人は(中3と中1)は父親の血を引いたのか、ソフトボールで頑張っている。上の子は 大谷翔平 のファンで、何枚も写真を撮っていたが、その1枚がこれ

試合の方はトーマスと十亀で始まったが、取っては取られのシーソーゲーム。九回日ハム1点リードで、守護神 武田久 投手。これが浅村選手に劇的な逆転3ランを打たれ、西武のサヨナラ勝ち

日ハムファンとしては残念な結果だったが、孫たちと一緒に観戦できたことは、限りない喜びであり幸せである

過ぐる日 元ダンスサークルの仲間15名と日帰りの「小さな旅」に出た。
関越道を北上し
沼田ICで高速を下りる。ここから九十九折りの山道をぐんぐん上って行くと左方にダムが見え隠れし、走ること約40分。「玉原高原」 に着く。
「たんばら ラベンダーパーク]
正面のゲートを入ると、もう高貴なラベンダーの香りが漂ってくる。遊歩道を歩いてもいいのだが、、何しろ上りの坂道だ。この足では無理だと往復700円を払いリフトに乗る。これが谷あいをゆらゆら揺られながらのなかなか快適な10分足らずのの空中遊歩。そこは標高約1300mの暑さ知らずの高地。 一面紫の絨毯を敷きつめたようなラベンダー畑が広がっている。
吹く高原の風も爽やかで、しばし避暑の気分を満喫する。「お~ぉ 来て良かったなぁ…」
また、道を挟んでの咲き乱れた黄色いニッコウキスゲが対照的だ。
ちょうど昼過ぎ、レストランで高原の涼風に吹かれながらの昼食を摂る。食後の休憩ののち、
は一気に高原を下る。
そこは、道の駅「田園プラザ かわば」 ここは、以前JJ会の仲間たちと来たことがある。

武尊山の麓の川場村にある道の駅だ。ミート・ミルク・ピザなどの工房や物流センターなどがあるが、なにしろ高原から下りた身には耐えられないほどの猛暑である。
池を眺めながら木陰で憩う。
は更に南下し、今日の最後の目的地 白沢高原温泉 「望郷の湯」 に着く。
ここで、赤城山と赤城高原を望む絶景の露天風呂に浸り、日ごろの疲れを癒やす。
かくて、また関越道から帰途に就く。実に充実した楽しい「小さな旅」 でした。
関越道を北上し


正面のゲートを入ると、もう高貴なラベンダーの香りが漂ってくる。遊歩道を歩いてもいいのだが、、何しろ上りの坂道だ。この足では無理だと往復700円を払いリフトに乗る。これが谷あいをゆらゆら揺られながらのなかなか快適な10分足らずのの空中遊歩。そこは標高約1300mの暑さ知らずの高地。 一面紫の絨毯を敷きつめたようなラベンダー畑が広がっている。

吹く高原の風も爽やかで、しばし避暑の気分を満喫する。「お~ぉ 来て良かったなぁ…」

また、道を挟んでの咲き乱れた黄色いニッコウキスゲが対照的だ。

ちょうど昼過ぎ、レストランで高原の涼風に吹かれながらの昼食を摂る。食後の休憩ののち、

そこは、道の駅「田園プラザ かわば」 ここは、以前JJ会の仲間たちと来たことがある。

武尊山の麓の川場村にある道の駅だ。ミート・ミルク・ピザなどの工房や物流センターなどがあるが、なにしろ高原から下りた身には耐えられないほどの猛暑である。


ここで、赤城山と赤城高原を望む絶景の露天風呂に浸り、日ごろの疲れを癒やす。

かくて、また関越道から帰途に就く。実に充実した楽しい「小さな旅」 でした。

わが 「北海道日本ハムファイターズ」 の二刀流に挑んでいるルーキー大谷翔平 選手が、楽天の永井投手から遂にプロ第1号のホームランを放った。

「いつ打つか、いつ打つか」と待っていただけに ”いまでしょ” と、プロ初ホームラン


今後の更なる活躍を大いに期待する。”フレー! フレー! 翔平

去る日曜日。ボクの末っ子たち(アラフォー)の女子グループ5名が、アメリカから一時帰国したR子さんをを迎え、Y子さんの声かけでランチタイムの宴を催した。その席にボクも招かれ、卒業以来初めてというT子さんも交え、和気あいあい楽しいひと時を過ごすことができた。
みな高校時代の17・8才の、乙女にに戻ったかのようにワイワイガヤガヤ喋りまくっている。姦しい?(いや、そんなことはない。むしろ快いおしゃべりである) それにしても、さすがは名にし負う都立K高校の卒業生 会話にセンスがあり、華がある。懐かしい当時の話から始まって、いま真っ盛りの子育て論に至るまで尽きることがない。
楽しいときは瞬く間に過ぎ、素敵な5人の女性に囲まれての記念写真を撮り、再会を約し散会する。
この会をまとめてくれたY子さん 本当に ありがとうございました
みな高校時代の17・8才の、乙女にに戻ったかのようにワイワイガヤガヤ喋りまくっている。姦しい?(いや、そんなことはない。むしろ快いおしゃべりである) それにしても、さすがは名にし負う都立K高校の卒業生 会話にセンスがあり、華がある。懐かしい当時の話から始まって、いま真っ盛りの子育て論に至るまで尽きることがない。
楽しいときは瞬く間に過ぎ、素敵な5人の女性に囲まれての記念写真を撮り、再会を約し散会する。
この会をまとめてくれたY子さん 本当に ありがとうございました

かって「怪童」と呼ばれ、元 東映フライヤーズ で華々しい活躍をした 尾崎行雄 が、天国へ旅立った。
もう、半世紀以上も前になるだろうか、甲子園の高校野球で、浪商の尾崎投手と法政二高の柴田投手の投げ合い全国制覇した彼の雄姿は今でも鮮明に覚えている。当時のフライヤーズの水原監督から引き抜かれ、高校2年で中退しプロに入った。1年目から20勝し新人王を獲得する、剛速球でならし「最後のバッターは必ず三振で取る」と豪語していたが、そのシーンは後楽園球場で何度見たことか! 酷使されたのがたたったのか、活躍した期間は短かったが、「(太く短く生き)記憶に残る昭和の名選手」 だった。 合掌!
もう、半世紀以上も前になるだろうか、甲子園の高校野球で、浪商の尾崎投手と法政二高の柴田投手の投げ合い全国制覇した彼の雄姿は今でも鮮明に覚えている。当時のフライヤーズの水原監督から引き抜かれ、高校2年で中退しプロに入った。1年目から20勝し新人王を獲得する、剛速球でならし「最後のバッターは必ず三振で取る」と豪語していたが、そのシーンは後楽園球場で何度見たことか! 酷使されたのがたたったのか、活躍した期間は短かったが、「(太く短く生き)記憶に残る昭和の名選手」 だった。 合掌!

サッカー2014年ワールドカップブラジル大会の出場権を獲得した

昨夜のアジア地区最終予選の対オーストラリア戦。ハラハラドキドキの連続だった。日本は再三再四好機がありながら点にならず、逆に後半81分相手に先制を許してしまう。あ~ぁ負けかぁ



ザッケローニ監督のすぐれた采配はもとより、選手諸君の活躍に心より拍手を送りたい

心の友を失って、とてもその心境になれなかったが、旅六会(小学校時代の竹馬の友6人)の年1回の旅行でもあり、それに「Kちゃん 行ってこいよ!」と言う彼の声も聞こえてきて、出かけることにした。
夜来の雨もあがり絶好のの旅日和。東京駅で6名集い、新幹線「こだま651号」で出発。車中で昼食をとり、約2時間浜松に到着。右の写真は浜松駅前広場の出世大名「家康くん」
東海道線に乗り換え舞阪で下車。ホテルの送迎バスで10分 浜名湖湖畔の雄踏温泉「浜名湖ロイヤルホテル」 に3時半チェックイン。少憩して温泉浴
晩餐は和食の「遠州会席」もちろん地酒を酌み交わす
食後部屋に戻って歓談、尽きることなし。
翌日 舘山寺観光。 ここは以前から来たかった所で、やっと念願が叶う。浜松駅で定期バスに乗り北上すること約40分「浜名湖パルパル」で下車。「かんざんじロープウェイ」に乗る。湖上をわたる《4分》頂上 「大草山展望台」 360度雄大な浜名湖の景観が一望できる。どこまでも広がる蒼い空と紺青の湖。「恋人の聖地」と銘うってミュージカルカリオンが美しいメロディを奏でる
(大草山展望台から俯瞰した浜名湖)
ロープウエィを降りて、湖畔沿いの遊歩道をのんびり逍遥する。途中 桟橋のように突き出た「浮見堂」 があり、そこに中国の「寒山寺の鐘」のレプリカが飾られている。遊歩道は薄い緑色に敷きつめられ、湖の紺青色とマッチして歩きやすく心が安らぐような気がする。また、少し行くと、見事な「水神の松」が茂り、その根元は足湯
になっている。
のんびり30分ほど歩いて、東海の名刹 「曹洞宗 舘山寺」 にたどり着く。曲がりくねった石段の上に建立されている。、この足ではちょっと無理かとも思ったが、せっかくここまで来たのだからと上り、旅の安全を祈願する。 ”舘山寺 松山隠し 湖に来て ここは小春の 入江さざ波”(北原白秋) 参道は月曜日のせいか人出はあまりなく、みやげ物店もほとんどシャッターを下ろしていたが、さすが浜名湖名物の「うなぎ」の店舗は軒並みに開いている。写真撮るのも忘れるほどの美味さだった。
再びバスで浜松に戻り、市内観光の予定も時間がないので、そのままホテルに帰る。温泉
に入り、晩餐
これがすごい豪華といおうか、ゴージャスといおうか
夜景の浜名湖を見下ろすムードあふれる13Fのレストランで、「フランス料理」 ワイン
からはじまりフルコース 料理はもとよりその雰囲気を満喫する(なにしろ、浴衣・スリッパはダメというのだから本格的だ)
食後部屋に戻って、また深夜まで語り続ける。
帰路は早め2時には東京に帰着し、再会を約して惜別する。
震災以後「絆」 という語がよく言われが、文字通り今回の旅は傷心のボクを癒してくれた「友情の絆」 だった。

夜来の雨もあがり絶好のの旅日和。東京駅で6名集い、新幹線「こだま651号」で出発。車中で昼食をとり、約2時間浜松に到着。右の写真は浜松駅前広場の出世大名「家康くん」



翌日 舘山寺観光。 ここは以前から来たかった所で、やっと念願が叶う。浜松駅で定期バスに乗り北上すること約40分「浜名湖パルパル」で下車。「かんざんじロープウェイ」に乗る。湖上をわたる《4分》頂上 「大草山展望台」 360度雄大な浜名湖の景観が一望できる。どこまでも広がる蒼い空と紺青の湖。「恋人の聖地」と銘うってミュージカルカリオンが美しいメロディを奏でる


ロープウエィを降りて、湖畔沿いの遊歩道をのんびり逍遥する。途中 桟橋のように突き出た「浮見堂」 があり、そこに中国の「寒山寺の鐘」のレプリカが飾られている。遊歩道は薄い緑色に敷きつめられ、湖の紺青色とマッチして歩きやすく心が安らぐような気がする。また、少し行くと、見事な「水神の松」が茂り、その根元は足湯


再びバスで浜松に戻り、市内観光の予定も時間がないので、そのままホテルに帰る。温泉




食後部屋に戻って、また深夜まで語り続ける。
帰路は早め2時には東京に帰着し、再会を約して惜別する。
震災以後「絆」 という語がよく言われが、文字通り今回の旅は傷心のボクを癒してくれた「友情の絆」 だった。