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晃ちゃんの喫茶室

皆さんと語る憩いの場です。

行燈祭(墓参)

2019-08-18 19:48:37 | Weblog

8月16日 今年も恒例の兄弟姉妹とその配偶者が両親の眠る「秩父聖地公園墓地」 に集うた。今年は義弟が体調を崩したので、甥が参加。残念ながら去年急逝した三弟の姿はない。
それぞれがその思いを天国の両親に語りかけ手を合わす。
墓参後、これも定宿「ホテル 美やま」 に向かう。
ロビーでウエルカムドリンクを飲み、各自近況報告をする。次弟や妹夫婦の海外旅行の写真を見ながら土産話に花が咲く。2時間余歓談して、日帰り組は帰る。ぼくと弟夫婦二組は部屋に入りしばし寛ぐ。入浴後豪華な和食の晩餐。
また食後、宿泊組五人は部屋に集まり楽しく語る。例によって末弟とは政治・マスコミ論を中心に12時近くまで語り続けた。
秩父の夜は更けてゆく

かくて、今年もキョウダイ会の墓参の行事も無事終わった。この集いがいつまでも続くことを願い、その「絆」がますます強く為っていくのを実感した一日だった。

孫の結婚式

2019-07-29 10:43:29 | Weblog
7月27日(土) 孫息子(息子の長男)の結婚式が、目黒の「雅叙園」  で催された。私にとっては初めての孫の結婚式である。これまで息子や娘をはじめ50組近い結婚式に参列したが、またひとしお感慨深いものがある。
当日午前7時 婿の車で高麗を出立する。台風大雨の予報だったが、幸いにも降られず二人の前途を祝福するかのように薄日さえさしてきた。9時「雅叙園」到着。出迎えてくれた嫁(新郎の母)と孫娘(新郎の妹)の美しい和服姿にしばし魅せられる。
10時より教会で厳かに式が挙行された。(プライヴェイトなので)後ろ姿の新郎新婦です。 式後、教会前の芝生での折り花シャワーは風に舞い圧巻だった。
少憩の後 100名余の披露宴が大広間で開かれた。現代の若者らしく非常にオリジナルな手作りの宴だ。
最後の新婦の両親への感謝の文は感動した。また、息子の謝辞が型にはまらずなかなか良かった。
瞬く間に2時間余の宴がお開きとなる。
”前途洋々たる新郎新婦に幸多からんことを!”

祝 古希の同期会

2019-05-27 10:09:47 | Weblog
昨5月26日 若き日の友(通称3女・3男)の古希を祝って、5年ぶり同期会 が催された。

場所は池袋の東京芸術劇場 イタリア料理の「AL TEATRO」  懐かしい顔・顔の50数名が集うた。教師3名の挨拶の後、古希と再会を祝して乾杯。
あとは、それぞれ中学時代に戻ったかのようにワイワイガヤガヤと当日の猛暑に負けぬほどに熱く歓談する。ぼくのところに代わる代わるきて近況や当時の思い出など話すが、全員は無理でそれでも半分以上の人とは話しただろうか。楽しき宴は瞬く間にに過ぎ、お開きになる。

「二次会」はそのまま50名ぐらいが近くの居酒屋「はなの舞」に移動する。ここで久しぶりに酒を口にする。1時間ばかりいて辞去する。

 疲れたが実に充実した楽しく喜ばしい集いだった
総幹事のKくんをはじめ、各クラスの幹事のみなさん ありがとうございました

初夏の集い

2019-05-16 08:58:30 | Weblog
 昨5月15日 例の「旅六会」(小学校時代の竹馬の友)5名集うて、「初夏の集い」を催した。

昨年・一昨年と恒例の連休明けの旅行もできず、新年会・忘年会も流れたので、実に1年3か月ぶりの再会である。
今回は遠路遥々群馬県の安中からNくんの参加がうれしい

午後3時 池袋の喫茶店「フラミンゴ」 で落ち合って、久闊を叙してまずはティタイム 2時間弱近況報告をする。みな年だから病気のことは仕方ないが、それにしても思った以上にみな元気そうだ。

午後5時 いつもの馴染みの「築地竹若」 で「うたげ」だ。まずは再会を祝して乾杯今宵の料理は活魚コース「潮騒」 ”活真鯛姿造り”が絶品だ。写真を撮るのを忘れるほどの旨さだ 
懐かしい話と料理の旨さに時の過ぎるのを忘れる。安中のN君を見送り、また会える日を楽しみにお開きとする。

国会議員の暴言1

2019-05-15 09:54:13 | Weblog
このニュースにはどうしても発言せざる得ない
丸山穂高衆議議員が「北方領土は戦争で取り戻すのはどうか?」の発言だ。
この議員の見識を疑うと共に、あきれて憤慨に堪えない 国会議員の資格はない。即刻 罷免すべきだ
所属党の除名処分では生ぬるい。平和主義の憲法をなんと心得ているのか。
あ~ぁ イヤなニュースだ

 ”戦争は二度と起こしてはならない”

朋友(とも)遠方より来たる!

2019-04-24 11:05:09 | Weblog

”朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや
昨23日 若き日の卒業生(通称 次女・次男 73才)のS子グループ13名(女性5名・男性8名)が、遠路遥々横浜から飯能までやってきて、「惜春の集い」 を催してくれた。
場所は名栗川を見下ろす四季をりふしの美しい「清河園・蜻蛉亭」である。
まずは、久しぶりの再会を祝して乾杯 旬の料理に舌鼓し杯を交わしながら、各人の近況報告から始まって中学時代の思い出話など当時に戻ったかのように話に花が咲く 和気藹々のうちに宴は進み、はや4時間あまり、楽しいときは早く過ぎる。記念写真を撮ってお開きとなる。
飯能駅で再会を約し、一人ひとりと握手して見送る
 幹事のSちゃん・名司会のAくんいろいろとありがとう
実に充実した得も言われぬ楽しき集い でした。

エイプリルフール14

2019-04-01 09:05:08 | Weblog
 久しぶりに ひとり旅 に出た。
場所は誰もが必ずいく(逝く)処で、帰って来た人がいない処だ。
家を出てからひたすら歩いた。どのくらい歩いただろうか?川のほとりに出た。休んでいると、「三途の川」 とあり、船頭が呼んでいる。舟に乗る。それほど広くない川で、10分ぐらいで対岸に着いた。
舟を下りると、そこは実に不思議なところだった。今まで旅したところがすべてパノラマのように次から次へと映っている。
また、両親をはじめ、親戚・知人・友人たちが別れた時の姿そのままで迎えてくれる。が、そして、それはすべて止まっている。「時」 が止まっているのだ。
大変なところに来てしまった それでもなぜか嬉しいのだ 
 
 2019年4月1日 のことでした。

物書き三人組

2019-02-02 09:46:33 | Weblog
 昨夜 「物書き三人組」(自称)の夢を見た。あまりにも懐かしく目覚めても思い出されてならないので、二人のことを述べる。
既に旅立ってしまった二人は早稲田の文学部の先輩で、短い間だったが同じ職場で勤めていた。すごく気が合い年長からHさんは姓で、Gさんは名で、ボクはBやんと呼ばれていた。
転勤後・退職後も時折会っては話し合ったものだ。池袋で飲みいつも終電だった。それが高じて旅行することもたびたびだった。
話の内容は文学論はもとより人生論・政治世相論・世界観・スポーツ・恋愛から下の話まで多岐にわたり尽きることがなかった。

二人に就いてちょっと述べてみよう。Hさんは師範を出て小学校の教師をしながら早稲田に学んだ。中学・高校の教師を歴任して大学の教授になった苦学力行の人である。性は温厚で多く人から慕われた。ぼくは”長屋の大家さん”と呼ぶこともあった。
もともとは詩人で童話作家であり、新美南吉や中原中也の評論がある。ボクと出会ったころは歴史小説を書き始め、その草稿を共に推敲したものだ。彼と大河ドラマの話をするのが楽しかった。また、野球が好きで、よくプロ野球の話に興じた。

Gさんは長野の人でなぜか郷里のことを嫌っていた。性は孤高ではないが狷介で、自分でも友達は少ないと言っていたが、ボクは例外だったようだ。彼の毒舌ぶりは鋭く、文章は風刺・批判は抜群でぼくらは「評論家」と呼んでいた。
彼とはHさんが亡くなった後、よく二人で花見・紅葉狩り・飲み会等会うことが多かった。
晩年 認知症になりあの理知的なGさんがと会いに行っても辛く悲しかった。亡くなってはや3年の歳月が流れた。

HさんGさん わが人生において共に忘れ得ぬ二人である。

新潟行

2019-01-06 09:24:22 | Weblog
娘ファミリーと恒例の年末年始旅行は孫息子の住む新潟 となった。孫の息子(ぼくのひ孫)に会いに行こうというのである。
 (12月31日)
 高麗のわが家を10時10分出発。晴れ渡っている旅日和、 関越道を北上する。寄居PAで少憩 水上辺りから雪もよいとなり長い関越トンネルを過ぎるとそこはもう雪国だった 六日町を過ぎ越後川口SAで昼食を摂る。 は長岡を経て北陸自動車道になり新潟亀田ICで高速を下りる。ホテル「クラウンブラザ」 に午後4時半チェックイン。今回の旅行は急に決まったので温泉の家族部屋は取れず、駅前のホテルで別々の部屋だ。とりあえず孫夫婦と挨拶して曾孫と初対面する。この旅はひ孫に会うのが主目的なのでもうこれで幸せ 感動 
晩餐は料理人が目の前で作る鉄板焼きだ。部屋に戻って父親になった孫息子と夜の更けるまで話し続ける。嬉しきこと限りなし

(1月1日)
6時半起床 新潟のホテルでの初日の出を拝む 朝食後 「新潟ふるさと村」に向かう。時折雪が舞うが、市内はほとんど雪がない。ここは道の駅で名産品やお土産ものなどを販売している。元旦なので笛・太鼓の獅子舞を観る 2階の食堂で名物の”長岡生姜ラーメン”のお昼。孫のマンションに立ち寄り、ホテル「ジュラク スティ」 にチェックイン 
夜は外食で新鮮な寿司 孫娘が風呂を沸かしてくれ”初湯” に入る。

(1月2日)
7時起床 バイキングの朝食 11時ホテル チェックアウト。
 は日本海方面に向かう。運良く晴れて佐渡ヶ島が遠望される。(冒頭の写真)
 ”荒海や佐渡に横とう天の川”(芭蕉)さすが日本海 海辺に寄する波が荒い!
再び孫のマンション行き、可愛らしいひ孫を抱く。小さな手で指を握ってくれる。愛しいなぁ孫夫婦と曾孫に見送られる。惜別の思いしきりなり
午後1時 新潟西ICから高速道にのり、一路帰途に就く。途次、越後川口SA・赤城高原SAで休み、暮れなずむ頃には上里を過ぐ。午後7時高麗のわが家に無事帰り着いたころはもう全くの宵闇になっていた。
次代を担うであろう曾孫に逢うことが出来た素晴らしい最高の旅だった

この息子と娘の二つの旅は弟に先立たれたぼくの傷心を癒してくれた子や孫たちの思いやり溢れる旅だった。
息子と娘のファミリーよ  ありがとう 

伊豆長岡行

2019-01-04 11:00:29 | Weblog
旧臘 28・29日 息子ファミリー(息子夫婦と孫娘、孫息子は仕事で残念ながら不参加 犬のリク)と伊豆長岡方面に一泊二日の旅に出た。高麗のわが家を8時半過ぎに出立、圏央道から中央道を西に走る。藤野PAで小休止して大月から河口湖方面に向かう。快晴である、絶好の旅日和(この写真は車窓からの霊峰富士)御殿場を経て三島に至る。「鐘庵」”さくらえびそば” の昼食。「三島大社」に詣でたかったが、何回か来ているので割愛する。和菓子屋「つぐみ」に寄り、”生クリーム小豆どらやき”を賞味、旨い
午後3時 伊豆長岡温泉 ホテル「香湯楼井川」にチェックイン。
少憩して息子たちは犬の散歩、ボクは横になってウトウト…息子と温泉浴 
夕餉は一応懐石だが、仕立てが珍妙豪華・珍味の連続に写真を撮るのも忘れる。食後 歓談のうちに伊豆長岡の夜は更けていく。

(2日目)
 以前なら早起きして朝の露天風呂だが、気力なくパス。豪華な朝食を済ませ10時チェックアウト
近くの「江間いちご園]
”イチゴ狩り” ボクは座っているだけで息子や孫が持ってきてくれる。 旨い 満喫  次は13日にオープンしたばかりの「めんたいパーク」  明太子の工場見学・種々の明太子販売となかなか面白い処だ。ここから は冬晴れの伊豆縦貫道を走る。富士が間近に望められるが雲がかかっている。昼過ぎ道の駅「富士吉田」着。近くの「ふもとや」で”きんぴらうどん”の昼食 食後、河口湖ICを通過して帰路に就く。途中渋滞はあったが、午後4時過ぎ無事帰宅する。
良い旅だった 終わってみると、一抹の寂しさが湧くのはこの年でこれが…という思いか