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門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

神仏の国、サービス立国

2013-11-24 08:44:06 | 日記
日本の未来について、もっと多くの人が意見を積極的に交わすべきと、ぼくは常々考えています。

ものづくりもITも昭和・平成の日本を牽引してきた、とても大事な産業だと考えています。
しかし、世界に類を見ない歴史と文化をもつ日本の観光やサービスに、国と政府はそれほど目を向け、力を入れてきたとはとうてい思えません…。みんな民間にまかせっきりでした。
60-70年代はものづくりが日本の成長をリード、90-00年はITが脚光を浴びました。そして、10-20年代こそ日本の真のサービス力を世界に問う時代なのでは、と考えています。

ハードよりも、ソフト。新規なアイデアや着想のみ追い求めるのではなく、より豊かな心と深い精神性に基づくサービスを全世界に知らしめるべき。たとえば、絶対平等と生命重視を根本とする日本の仏教に、未来のサービスのヒントがあるのでは…とひそかに考えています。
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失せ物は、奇想天外な場所から出てくる

2013-08-30 19:34:31 | 日記
財布、定期、携帯、めがねケース…。

外出しようと思ったら、何か必要なものが身の回りから
忽然と消え失せて、あせりまくった経験ありませんか?

認知症の足音が聞こえてきますが、ぼくも年に一度か二度、そういう経験があります。

今日、午前1箇所、午後3箇所へ、外出の予定がありました。
午前中の用事を済ませ、午後外出しようとするとタバコがない…。

…あれれ、どこいったかなあ?

しょうがなく新しい封の切っていないタバコをもって出かけました。

いまだ、そのタバコは出てこないのですが、過去の経験によると、
明日かあさって、あるいは1週間後、半年後に、

1.冷蔵庫のチルドルーム
2.観葉植物の鉢の中
3.クロゼットのタオルの間
4.下駄箱
5.郵便受け
6.カーテンレールの上

など、思いも寄らない場所からひょっこり姿をあらわすのです。

「う~~む、ここにあったか。でもなんで、ここなんだ?」

探し物は、天才的な隠れ上手。
なかなかてごわい相手ですね。
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能の伝説と物語「西行」第六回

2010-10-05 18:30:37 | 日記
道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ
新古今集、山家集

西行がとりわけ桜を愛したことから、西行庵にある老木の桜を題材に能「西行桜」が世阿弥によって作られました。室町後期になって、観世信光(1435~1516)は、西行が那須芦野で詠んだこの歌の柳を主題にして、能「遊行柳」を創作します。むろん、大先達世阿弥の名曲「西行桜」を意識したものであることはいうまでもありません。とかく比較対照されやすい西行ゆかりの名曲二曲。故観世栄夫師は「(西行)桜より、(遊行)柳は強く」と、芸の秘訣を近藤乾之助師に語ったとか。
今回は「遊行柳」をご紹介しましょう。


■能 遊行柳(ゆぎょうやなぎ)
【分類】三番目物(鬘物)
【作者】観世小次郎信光
【主人公】前シテ:老翁、後シテ:老柳の精

あらすじ

遊行柳 相模国(神奈川県)藤沢の清浄光寺(遊行寺)の遊行上人一行が念仏勧進して白河の関を越えたところまで来ると道が幾筋かに分かれている。
広い道を行こうとすると、老人が現れ、先代の遊行上人も通った道だと昔の街道を教え路傍にある名木「朽木の柳」に案内した。
上人は朽木の柳のたたずまいを見て謂われをたずねると
「昔、西行法師が、道のべに清水流るる柳かげ、と詠んで以来、今の世までも語り傅えられた名木である」
と教え、上人に十念を授けられるとそのまま柳の陰に姿を消してしまうのであった。
上人は所の人に朽木の柳のいわれを聞き、読経し、念仏を唱え月の冴え渡る中、仮寝の床につく。やがて烏帽子狩衣の典雅な姿の柳の精が白髪の老人となって現れ、上人の十念によって草木の身ながら成仏出来たことを喜び、さらに柳にまつわる和漢の故事を語り、報謝の舞を舞うが、「とてもその身は朽木の柳、風に漂うように倒れ臥す…」と見て上人の夢は破れ、ただ柳の古木が残るだけであった。

この能は、本来なら優美な舞を女に舞わせる「三番目物」に準じた曲。しかしシテは朽木の柳の精であり、装束・面は神体のいでたちである。閑寂な情趣の中に品位をもった、優美とはまた異質の美しさを作り出している。

「隣忠秘抄」に、「西行桜の対の能にて位甚だ大事なり。茲にかようの習ありという事はなし、只一番の大意を一番の習とす。上手、年功の外、若輩のせざる能なり」とあり、この能の狙いを的確に言い当てている。

また戦国期、松永貞徳「戴恩記」によれば、諸芸に通暁した細川幽斎が打った「遊行柳」の太鼓を聞き、当時、太鼓方第一人者であった金春又右衛門が感動のあまり涙を流したという。

作者、観世信光は、「船弁慶」「安宅」「道成寺」などショー的要素の強い作品を意欲的に作った能作者である。晩年世阿弥の閑雅幽玄の世界に触発されて、この能を作ったといい、世阿弥の自信作、老体の桜の精をシテにした能「西行桜」を意識した作品だといわれる。
世阿弥の理路整然とした作風に対し、この能は和漢の故事や詩歌・教典が、物語の展開に脈絡なくつづられているようにも思われる。一つ一つの事柄はそれぞれ味わい深く、例えばサシからクセにかけての展開のように、理解を超えた複合味の感銘を覚えるのだ。

遊行聖は時宗の僧。時宗の開祖一遍上人は鎌倉中期の人で、熊野権現の啓示を受け「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた名号札を配って遊行した。歴代の法主も、これに習って全国を巡教し念仏勧進。これを遊行と呼び、遊行上人、遊行宗、遊行寺の名が生まれた。

『奥の細道』で芭蕉は、この地を訪れ

田一枚植えて立ち去る柳かな

の句を残した。西行ゆかりの柳の下にたたずんで思わず時を過ごしてしまったとの感懐で、西行の「しばしとてこそ」を「田一枚植えて」に具象したという。
二つの歌と句をならべて鑑賞する時、一本の老柳を介して五百年の時間を、詩魂は一瞬にして飛び越え、感応しあうのだ。
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明日10/4夜「寺子屋 素読ノ会」あります。

2010-10-03 20:06:08 | 日記
名作古典をみんなで音読する「寺子屋素読ノ会」。
明日、17:30~東京新橋で開催します。

武士道「葉隠」、能「風姿花伝」を読んでいます。
申し込み不要。入会金不要。参加費1回¥1500です。
途中からの初参加、1回のみの見学、大歓迎です。
お気軽に覗いてみてください。
http://bit.ly/alUNRw

※現在、葉隠は岩波文庫(上)聞書一、風姿花伝は第五奥儀に賛嘆して云くの章段を読んでいます。
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能の伝説と物語「西行」第五回

2010-10-02 21:59:46 | 日記
西行をモデル、題材とした能では以下の三番が著名です。

「江口」
「西行桜」
「遊行柳」

西行自身がワキとして登場するもの、また西行の歌をモチーフとしたものがあります。
今回は能「江口」をご紹介。西行が江口の遊女の家に宿を借りたことは、撰集抄第九に見られます。

 一つ家に遊女もねたり萩と月 (奥の細道)

後世、撰集抄を読んだ松尾芭蕉は”清き歌聖”西行法師が遊女に宿を借りる着想の面白さについ筆が弾み、虚構「一振」を奥の細道にさしはさんだのです。


■能 江口

江口(えぐち)
【分類】三番目物(鬘物)
【作者】金春禅竹
【主人公】前シテ:里女、後シテ:江口の君

能本作者註文では世阿弥の作とし、二百十番謡目録では金春禅竹の作としている。また、禅竹集収録の一休題頌に、この曲のクセに相当する文章が含まれていることから、長い間、一休の作とも考えられていた。

 現在では、「江口能 金春殿」と頭書した世阿弥直筆の謡本が残っていること、また、世阿弥の著書である五音の中に「江口遊女 亡父曲」とあることから、観阿弥が原作したものを世阿弥が引き継ぎ、それをさらに禅竹が譲り受けたものと思われる。
 なお、禅竹の歌舞髄脳記には、閑花風の例としてこの曲を挙げている。

 西行が江口の遊女の家に宿を借りたことは、撰集抄第九に、次のように出ている。
「過ぎぬる長月二十日あまりの頃、江口といふ所を過ぎ侍りしに、家は南北の川にさしはさみ、心は旅人の往来の船を思ふ。 遊女の有様いとあはれにはかなきものを見立ちし程に、冬を待ち得ぬ村時雨の、さえくらし侍りしかば、賤が伏屋にたち寄り、晴間待つ間をかり侍りしに、あるじの遊女許す気色の見えざりしかば、何となく、

『世の中を厭ふまでこそかたからめ、かりの宿りを惜しむ君かな』
とよみて侍りしかば、あるじの遊女うちわらひて、

『世をいとふ人とし聞けばかりの宿に、心とむなと思ふばかりぞ』
と返して、急ぎ内に入り侍りき。 ただ村雨のほどの暫しの宿とせんとこそ思ひ侍りしに、この歌の面白さに、一夜のふしどとし侍りき。 この主の遊女、今は四十余りにもやなり侍らん、みめことがらさまもあてにやさしく侍りき」


 この贈答歌は新古今集巻十の覇旅歌にも、西行の歌として出ていて、その詞書には、

「天王寺へ参り侍りけるに、俄かに雨降りければ、江口に宿をかしけるに、かし侍らざりければ、よみ侍りける」

として、返歌の主を「遊女妙」としている。

 また、遊女が普賢菩薩となって現れたことは、撰集抄第六のほか、十訓抄第三、古事談などにも見られる。ちなみに十訓抄第三では以下の通り。

「書写の性空上人、生身の普賢を見奉るべき由寤寐に祈請し給ひけるに、或夜転経疲れて、経をにぎりながら脇息によりかかりて、暫しまどろみ給へる夢に、生身の菩薩を見奉らんと思はば、神崎の遊女の長者を見るべき由示すと見て夢覚めぬ。 奇異の思ひをなして、かしこへ行き向ひて、長者が家におはし着きたれば、只今京より上日の輩下りて遊宴乱舞のほど也。長者横座に居て鼓を打ちて、乱拍子の次第を取る。その詞に曰く、『周防むろづみの中なるみたらひに、風は吹かねどもさざら波立つ』と。
 上人閑所に居て信仰恭敬して、目をふさぎて居給へり。この時長者忽ちに普賢菩薩の形に現じ、六牙の白象に乗りて、眉間より光を放ちて、道俗貴賎男女を照らす。 即ち微妙の音声を出して、
『実相無漏の大海に五塵六欲の風は吹かねども、随縁真如の波の立たぬ時なし』
と仰せらる。感涙仰へ難くて、目を開きて見れば又もとの如く女人の姿となりて、周防むろづみの詞を出す。 眼を閉づる時は又普賢の形と現じて法門を演べ給ふ。かくの如き度々、敬礼して泣々帰り給ふ時、長者俄かに座を立ち、間道より上人の許へ来りて、『この事口外に及ぶべからず』といひて、即ち俄かに死す。異香空に満ちて甚だ香ばし」

 以上のように本曲は、西行が江口で遊女に宿を借りようとした話と、遊女が普賢菩薩になったという話を組み合わせて、脚色を加えたもの思われる。


●白州正子著『老い木の花 友枝喜久夫の能』書評より。

友枝喜久夫(81歳)喜多流能の名人が演じた「江口」を観て幽玄という言葉では表現しきれぬ至芸に感動。友枝さんの美しい芸に報いたいという想いで筆を起こした後世に残る一冊。
さて、この演能で、白州さんは友枝喜久夫の謡いが水晶の玉のように透明で澄み切った音声。人間の肉声でなく、他界からひびいてくる精霊のささやきのようだと表現する。
さらに舞、装束のまといかた、足はこびに幽玄という言葉であらわしきれない新鮮な感動を伝えている。
この感動を次のように表現。
「この歳になって(来年80歳になる)、こんな美しいものに出会えるとは夢にも思わなかった。また気が付くと前の席の若いお嬢さんが涙をこぼしている。ジーパン姿の青年、ネクタイ姿の会社員風まで涙を拭いている。」
また白州さんは次のようにもいう。
「能を難解なものにしたのはインテリが悪いので、世にもありがたい”芸術”に祭あげ、専門家がそれに乗っかって、一種の権威主義を造り上げたのだ」
友枝喜久夫がかくも能に縁遠い若者や外国人に共感を与えるのは、
「ひたすら己を虚しうして稽古に打ち込んでいるいるからで、もはや芸というよりも魂の問題である」
としめくくった。
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