海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

ピアノ曲の佳品~《フーガ》作品15-3

2020年05月27日 | ピアノ曲
リムスキー=コルサコフが習作のフーガをたくさん書いたことは以前触れましたが、彼の書いたピアノ曲のフーガで一番気に入っているのが、《3つの小品》作品15の3曲目のものです。

リムスキー=コルサコフ: 3つの小品,Op.15 3. フーガ (YouTube)
pf.ミハイル・カンディンスキー:MikhailKandinsky

どんよりと暗い灰色で満たされた一室。
落ちてくる雨のしずくとともにひっそりと思索にふける。
過去におかした罪の苦しみか、将来への漠然とした不安か。
一瞬わずかに輝いた思いも、絶え間ない雨だれに洗い流されていく───


何だか漢詩かポエム(?)のようになってしまいましたが、私がこの曲から受ける印象です。
どこか同じ作曲者のピアノ三重奏曲ハ短調の第一楽章を想起させるものがありますね。
さらにはこの内省的な雰囲気は、ショスタコーヴィチの作品にも通ずるとおもうのですが、いかがでしょうか。

リムスキー=コルサコフの作風を称して、「外見的な描写には優れるが、内面的な感情の発露に乏しい」などと言われることがあります。
その指摘についてはこの作品も当てはまるのかもしれません。

彼の場合、確かに曲にどっぷりと入り込んで感情を爆発させ、苦悩を共有し、作品と聴き手とが同一化するというものではないのでしょう。
そういうことができる作品が優れているとするならば、確かにリムスキー=コルサコフの作品はその点で欠けているのかもしれません。

ただ私はリムスキー=コルサコフのような、感情が前面に出されるよりもそれが抑制され、外形的な優れた描写の中にほのかに感じられる、といった曲に魅力を感じるのです。
その点、かのシャリャーピンはこのように評しています。

リムスキー=コルサコフの音楽を聞くとその喜びが、実人生におけるように陰鬱で無口で遠慮がちに、そして静かに、諸君の心を満たす。

リムスキー=コルサコフの作品にも悲しみはある。しかし奇妙なことには喜びの感情を呼び起こすのである。諸君は彼の悲しみには全然個人的なものがないことに気づかれるであろう。───それは暗い翼をもって地上はるかに飛んでいる。

(内山敏・久保和彦訳『シャリアピン自伝~蚤の歌』共同通信社)


なかなかうまいことを言うものだとすっかり感心してしまいます。
シャリャーピンはリムスキー=コルサコフの作品や人となりについてほかにも言及していますが、どれも正鵠を得ていると感じ入りますね。

シャリャーピンがこのフーガを聴いたわけではないでしょうけど、彼の卓越した見解はこの小品にもすっかり当てはまると思わずにはいられません。

ピアノ曲の佳品~《歌》

2020年05月27日 | ピアノ曲
リムスキー=コルサコフのピアノ作品(というか全作品)の中で、もっとも頻繁に演奏されるのは、間違いなく《熊蜂の飛行》でしょう。
ただし《熊蜂の飛行》は、歌劇《サルタン皇帝の物語》の一節を編曲したものなので、純粋なピアノ作品とは言い難い面があります。

では《熊蜂の飛行》以外でもっとも人気があるピアノ作品はというと、私は《歌》だと思うのです。

A Little Song (YouTube)
Margaret Fingerhut

この作品はロシア語では「Песенка(Pesenka)」といい、これは「Песня(Pesnya)」(=歌)の指小形(愛称形)で、「小さな」「愛らしい」というニュアンスが付け加えられるようです。
ただし「小唄」と訳すと日本の俗謡的な意味になってしまうので、ここではそのまま《歌》としておきます。

人気があると書きましたが、数値的な根拠があるわけではありません。
そもそも《熊蜂の飛行》の圧倒的な知名度に比べられば、その他の作品は所詮どんぐりの背比べ。
その中でも《歌》は比較的録音の種類などもあり、個人的に好きな作品ということもあって、ここで推しておこうと思います。

《歌》は1901年の作曲ですから、リムスキー=コルサコフの晩年の作品です。
ピアノ曲として書かれた作品としては最後のものになりますね。

この作品、何が良いかというと、異国風のノスタルジックな感じがなんとも素敵なのです。
用いられている「ドリア旋法」にそうした効果があることはずっと後になって知ったのですが、古代ローマを舞台にした歌劇《セルヴィリア》と同じころに作曲されているので、リムスキー=コルサコフはこのとき教会旋法に関心を抱いていたのかもしれませんね。

さてこの作品は、帝政ロシア時代に活躍した著名な画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの死を追悼するために書かれたとのこと。
アイヴァゾフスキーはウクライナ出身ですが、両親はアルメニア人だったようで、そのためリムスキー=コルサコフは東洋的な旋法を用いて作曲したのでしょうか。

両者の繋がりはよく判りませんが、二人とも「海」の表現に長けていたという共通項があります。

 ───アイヴァゾフスキーは絵筆で海を奏で、リムスキーは音符で海を描く

朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の《シェヘラザード》のジャケットには、 アイヴァゾフスキーの《第九の波》が使われていますね。

《歌》は、1903年にアイヴァゾフスキー追悼のアルバムに収録されました。
このアルバムと称するものは、音楽作品や論文から構成されたものだったようです。
音楽作品ではリムスキー=コルサコフのほかに、キュイ、セルゲイ・タニェエフらのものが収録されていたようですが、情報があまりなく詳細は不明。
(キュイはアイヴァゾフスキーを追悼する歌曲を作っているので、これが取り入れられたのかもしれません)

さらに1907年になって、アルメニアの飢饉を支援するための曲集「涙」に加えられたようです。
このような経緯をたどっていくと、この作品はアルメニアと深い関係があるということが分かりますね。
アルメニア人がこの作品をどのように感じているのか訊いてみたい気がします。