海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

モスクワ街角点描~偉人の館

2022年01月10日 | モスクワ巡り
歴史的に著名な人物の過ごした家を博物館や資料館として整備して公開する例は、ロシアでも数多くあります。

リムスキー=コルサコフで言えば、生活の拠点だったペテルブルクのアパートメント、生まれ故郷チフヴィンにある幼少期を過ごした生家、晩年に購入したリュベンスク・ベチャシャの夏の別荘(ダーチャ)の3箇所が彼の記念博物館として公開されています。
(誰もホメてくれませんが、この“三大聖地”を制覇したのが私のささやかな自慢です)

さて、ここモスクワと言えばチャイコフスキーですね。



チャイコフスキーの博物館としては、彼が晩年に過ごしたモスクワ郊外のクリンの屋敷がよく知られていますが、モスクワにも、その名も「チャイコフスキーとモスクワ博物館」が2007年に開館しました。



当ブログで詳しい訪問記を掲載していますので、ご興味があればご覧ください。


ここからは「外から眺めただけ」になります。
リムスキー=コルサコフと関係のあった人物の博物館に絞って見ていきましょう。

まずはシャリャーピン博物館。



この建物は大通りを挟んで「チャイコフスキーとモスクワ博物館」の対面に所在しています。
シャリャーピンその人については改めて説明するまでもないでしょう。不世出の大オペラ歌手ですね。



リムスキー=コルサコフとも交流があり、彼のオペラでも重要な役を担いましたが、最も有名なのは《プスコフの娘》でのイヴァン雷帝役になりましょうか。
あまり知られていませんがシャリャーピンの自伝には、リムスキー=コルサコフに言及した箇所がいくつかあり、同時代人の証言としても貴重です。
しかも、彼が書いたリムスキー=コルサコフの音楽の素晴らしさについては、これ以上のものはないだろうと思えるほど私は感銘を受けたものでした。ここで少しだけご紹介しておきましょう。

リムスキー=コルサコフの作品にも悲しみはある。しかし奇妙なことには喜びの感情を呼び起こすのである。諸君は彼の悲しみには全然個人的なものがないことに気づかれるであろう。───それは暗い翼をもって地上はるかに飛んでいる。

『キーテジの町』を聞いた人は誰でも、彼の音楽の清澄さ、抒情的迫力に驚かされるにちがいない。私はこのオペラをはじめて聞いたとき、精神的幻影を見て喜びに身震いした。‥‥‥神秘なこの遊星の上で人間が生き、そして死んでゆく。騎士、勇士、国王、皇帝、高僧、無数の人間が住むこの遊星は、しだいに暗黒に蔽われてゆく。やがて暗黒の中ですべての顔は地平線に向かう。彼らは清らかに、信仰に輝く暁の明星を待ち望んでいる。生きる者も死せる者も、名もなき霊感にあふれた祈祷者を誉め讃えて唱和する‥‥‥。
この祈りこそリムスキー=コルサコフの魂の中に住まうものであった。

『シャリアピン自伝~蚤の歌』内山敏・久保和彦訳、共同通信社 FM選書28



続いてはスクリャービン博物館。
観光地としても有名なアルバート通りのすぐ近くにあります。



私は彼の作品をほとんど知らないのですが、全く共通項が無いと思われるスクリャービンとリムスキー=コルサコフには、意外にも接点があったりするのです。
リムスキー=コルサコフを中心とした音楽サークルの作曲家たちの合作による作品がいくつかありますが、弦楽四重奏による《ロシアの主題による変奏曲》にはなんとスクリャービンも名を連ねています。
また二人は「色聴」の持ち主であったことも共通していますね。



陽も出てきて汗ばむ陽気になったのでクワスで一服。アルバート通りの近くのスーパーで買いました。




こちらの木造住宅はオストロフスキー博物館です。
アレクサンドル・オストロフスキーという名前にはあまりなじみが無いかもしれませんが、ロシアではよく知られた劇作家です。
近代演劇の推進者としても知られ、ボリショイ劇場の隣にある演劇専門のマールイ劇場の正面には、彼の功績を記念して石像が置かれています。

チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフによって音楽化された『雪娘』の原作は彼の書いた戯曲です、と言えば「ああ、そうなのか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
リムスキー=コルサコフは《雪娘》に大変感銘を受けて(ただし初めは全く理解できなかったそうです)、この作品をオペラ化する際、原作者に許可を得るべくモスクワを訪れ、彼から非常に丁寧な応対を受けたエピソードを自伝に書き記しています。


こちらはレフ・トルストイ博物館。
たまたま通りかかっただけでヘボい写真しか撮りませんでした。



トルストイと言えば故郷ヤースナヤ・ポリャーナが有名ですが、モスクワにも彼の博物館がいくつかあるようです。
これはその一つですが、こことは別のハモブニキという場所にある博物館の方がよく知られているようです。

ハモブニキのトルストイ邸には、リムスキー=コルサコフが夫人とスターソフと一緒に訪れたことがあります。
リムスキー=コルサコフとトルストイは芸術を巡って議論を戦わせましたが、どうやらあまり話が噛み合わず、世紀の対談(?)はお互いにあまりいい印象を持たずに終わったようです。

リムスキー=コルサコフはトルストイの芸術観に不審を抱いたらしく(彼の発言にいろいろと矛盾点を見出したようです)、彼との面会後はトルストイが芸術について述べた本は二度と読みはしないと言ったとか。
対するトルストイはトルストイで、日記に「昨日。スターソフとリムスキー=コルサコフ。コーヒー。芸術について下らない話」と記したそうです。

対談そのものは長時間にわたり、トルストイは帰ろうとしたリムスキー=コルサコフをわざわざ「差しで話がしたい」と引き留めて、結局彼らが辞去できたのは深夜零時半になってから。
帰る際に夫人のナデジュダがすっかり遅くなってしまったことを詫びると、トルストイは「お構いなく。今日は直接<闇>に対面できてうれしかったよ」と謎めいた返答をしたのです。
スターソフはこの発言にぎくりとして、リムスキー=コルサコフのコートを間違えて取って、逃げるように帰ったのだとか。

トルストイの言う<闇>(英訳で「darkness」)が、リムスキー=コルサコフ(の芸術観)の文字どおりの「暗い面」のことを言っているのか、無知蒙昧だと非難しているのかは不明ですが、リムスキー=コルサコフは後日、トルストイのこうした独特の言葉を「金色の板に刻み、さらなる啓蒙のために机の上に置きたい」と皮肉を込めて語ったそうですよ。




最後はプーシキン博物館。
ギリシャ古典建築の意匠を取り入れた立派な建物です。
前述のトルストイ博物館の近くにあります。

ロシアの詩聖とも呼ばれるプーシキンの作品は多くの作曲家によって音楽化されていますが、リムスキー=コルサコフもまた《モーツァルトとサリエリ》《サルタン皇帝の物語》《金鶏》をオペラ化したほか、ロマンスも多く作曲しています。


長々と書いてきましたが、今思い返すと、ちょっとの時間でも中に入って見ておけば...と少々後悔。
まあ、これは次回モスクワ訪問をした時の楽しみに取っておきましょう。

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