海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《ロシアの復活祭》覚書その12~日曜日の序曲?

2021年12月01日 | 《ロシアの復活祭》
《ロシアの復活祭》(輝く祝日)には副題があって、ロシア語を直訳すると、「オビホードからの主題による日曜日の序曲」となります(「オビホード」は18世紀に編集されたロシア正教における聖歌集です)。

Светлый праздник, Воскресная увертюра на темы из Обихода


私な以前からこの「日曜日の」というのがひっかかっていて、「日曜日の序曲」とはどういう意味なのか、英語でも「Easter Sunday Overture」などとされることがあり、字面ではまるで「ビューティフル・サンデー」のごとき陽気な曲が連想されてしまって、荘厳な復活祭とのギャップをぬぐい去ることができずにいました。

ロシア語の「日曜日の」(воскресный)に復活祭的な意味があるのでは?と辞書で調べてみても特に日曜日以外の意味は見当たらず、そうすると年に一度の復活祭の序曲ではなく、7日おきにやってくる日常的な「日曜日の序曲」ということになってしまうのです。

いろいろと調べてみると、私たち日本人が「日曜日の序曲」にピンとこないのは、どうやら日曜日を週に一度の単なる休日としか捉えていないことに大きな要因があったようで、ロシア語での曜日の元の意味をたどっていくと「なるほど」と思ったので、ご紹介しておきましょう。



こちらの記事を読んでみると、ロシア語の曜日の名称が日本語や英語などの命名法とはまるで違うことに興味を引かれますが、ここで注目すべきは「土曜日(安息日)」と「日曜日(復活)」です。

言うまでもなくこれはユダヤ教やキリスト教由来の名称で、特に「日曜日(復活)」は、イエス・キリストが安息日の翌日に復活したとの聖書の記述にちなんで付けられたとのこと。
キリストの復活した日がいつの日曜日だったかは具体的にはわかりませんが、安息日の翌日はキリストの復活を記念して教会に集まって偲びしましょう、というのがロシア正教に限らずキリスト教での基本的な考えのようです。

ロシアでは、それが曜日の名称にも反映されていて、воскресныйには復活に関連するどころか、復活そのものの意味合いが込められているということになりますね。知りませんでした。

そして、そのたくさんある日曜日の中でも、年に一度、春の特定の日曜日を特別にお祝いするのが「復活大祭」ということになるのです。
つまり、воскресныйを日本語に訳す際にはこうした背景を踏まえて、宗教性の希薄な「日曜日の」ではなく「復活日の」とすれば多少は意味が通りやすくなるようです。

ということで、《ロシアの復活祭》のタイトルは、原語的には「晴れ晴れとした祝日~オビホードからの主題による復活日の序曲」といった感じになるでしょうか。


《ロシアの復活祭》覚書その11~禁じられた御前演奏

2021年07月13日 | 《ロシアの復活祭》
リムスキー=コルサコフの作品は、体制側からしばしば(というか結構)にらまれて一悶着を起こすことがありますが、《ロシアの復活祭》もご多分に漏れなかったようです。

作曲家の妻であるナデジダがヤストレプツェフ(リムスキー=コルサコフの伝記作家)に語ったところによると、ロシア皇帝アレキサンドル3世はリムスキー=コルサコフの作品を好んでおらず、《ロシアの復活祭》が皇帝のために演奏された後に「二度と私の前でこの曲を演奏するな」と言ったというのです(『リムスキー=コルサコフの思い出』1895年4月14日の記事)。

もともとアレキサンドル3世は、リムスキー=コルサコフのみならず、新ロシア楽派の作品に全く関心がなかったらしいのですが、その一方で彼は自らトロンボーンを吹く演奏家でもあったようで、皇太子時代にはリムスキー=コルサコフに命じて、トロンボーンとオーケストラの演奏会をさせていたとも言われています(ロシア語版ウィキペディア)。

まさか演奏禁止の理由は、トロンボーン演奏家として《ロシアの復活祭》のソロ部分が気に入らなかった、なんてことはないでしょうね(?)

《ロシアの復活祭》覚書その10~《キーテジ》に使われていた聖歌

2021年07月12日 | 《ロシアの復活祭》
《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しで、どうにも手がかりが得られなくて手詰まり感のあった<聖歌2>「天使は嘆く」(「嘆く」は誤訳と思われますが、面倒なのでそのままにしておきます)ですが、ひょんなことから、リムスキー=コルサコフの歌劇で用いられていたことに気付きました。

それは彼の晩年の大作《見えざる町キーテジ》。第3幕第1場で、タタール軍に攻められ、大キーテジの町(城壁都市)に立てこもる人々が、凄惨な状況の中で聖母に救いを求めて合唱する場面です。

この聖歌は、はじめは男声のみの3オクターブのユニゾンで歌われますが(練習番号161の4小節目。下の譜例)、少年兵やユーリ公の台詞を挟んで、2度目(練習番号167)は女声の対旋律が加わり、3度目(練習番号)はカノン風へと形を変えるなど、表現力を増しつつ繰り返し歌われます。



《キーテジ》のこの聖歌は《ロシアの復活祭》で用いられたメロディーと比較すると、出だしの音が四分音符で刻まれていたり、音の長さが一部異なっていたりしているものの、経時的な音の上昇下降はまさに同一です。

むしろ《キーテジ》のほうが慎ましく厳かで、聖母に祈りを捧げるためのもの、まさに聖歌という雰囲気を保っており、これは想像の域を出ませんが、リムスキー=コルサコフが引用した元の聖歌もひょっとしたら上の譜例のようなものか、あるいはそのものだったかもしれません。

私は、彼の作品の中で《ロシアの復活祭》以外に「天使は嘆く」が登場しているなどとは思いもよらなかったので、この発見(?)には少々びっくりしました。

これまで「天使は嘆く」の元ネタを相当しつこく探してきましたが、なかなか突き止めることができないので、「本当にこれは聖歌なのか」という疑いも実は起きつつあつたのですが、この《キーテジ》での用例を知ったことでそれも払拭できそうです。

さて、リムスキー=コルサコフが《キーテジ》を作曲する際に、故郷チフヴィンの修道院(彼の生家からは当時この修道院がよく見えた)を思い起こしたという話があります。

私がこの生家博物館の学芸員から聞いた(と、うっすら記憶している)「リムスキー=コルサコフは、《ロシアの復活祭》での聖歌をチフヴィン修道院で歌われていたものから採った」という話と合わせると、子供の頃に聞いた「天使は嘆く」のメロディーは、生涯にわたって故郷の記憶として彼の心の中にとどまっていたということになるでしょうか。

《ロシアの復活祭》覚書その9~楽譜扉の聖歌

2021年05月25日 | 《ロシアの復活祭》
ベリャーエフから出版された《ロシアの復活祭》四手編曲版の楽譜の扉(というのかわかりませんが)に記された聖歌を改めて見てみました。



今まであまり気にしていませんでしたが、この古めかしい楽譜、こちらのサイトの記事により「キエフ表記」(キエフ記譜法)なる方法によって記されていることを知りました。

なごや聖歌だより 福音者聖イオアン修道院ペテルブルグ 2006年3月号
西日本主教区冬季セミナー資料から みんなで歌おう、聖体礼儀

http://www.orthodox-jp.com/music/news/2006-3.html

現代の記譜法とのもう少し詳しい対応は、こちらの記事から(ページの下の方になります)。

図書館員のコンピュータ基礎講座
Unicode 表記法 音楽記号

http://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/ref/unicode/u1d100.html

これらの内容を踏まえた上で、《ロシアの復活祭》の楽譜に記された聖歌を現代風にすると以下のとおりになりました。
(楽譜作成ソフトが拍子なしに設定できないので4分の4拍子にしています。少々見づらいですがご容赦を)
合わせてピアノで弾いたMP3データも貼っておきます。


<聖歌1>(上段)


《ロシアの復活祭》ベリャーエフの楽譜の扉の聖歌(上段)MP3ファイル


<聖歌3>(下段)


《ロシアの復活祭》ベリャーエフの楽譜の扉の聖歌(下段)MP3ファイル


上段の聖歌は《ロシアの復活祭》冒頭のテーマそのものですね。
下段は、音符に付点がついているものがあり、キエフ表記にそのようなもの(概念)が存在するのかわかりませんが、現代と同じく音の長さを1.5倍にしてあります。
《ロシアの復活祭》では少し変形して用いられていますね。

さて<聖歌1>と<聖歌3>の身元はほぼ特定できました。
<聖歌2>は身元不明のままです。
このメロディ、<聖歌1>や<聖歌3>に比べるとあまり聖歌らしくないような感じもしますし、本当に聖歌なんでしょうかね?
ちょっと疑い出しています。


《ロシアの復活祭》覚書その8~本作品に言及した論文

2021年05月19日 | 《ロシアの復活祭》
ネットを徘徊していたら、次のような論文があることを知りました。

増田 桃香 (2016)
S.ラフマニノフのピアノ作品におけるロシア正教聖歌の要素 : ロシア正教聖歌の変遷と《徹夜禱》作品37からみるラフマニノフの一音楽書法
東京藝術大学 学位論文 博士(音楽)
https://geidai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=709&item_no=1&page_id=13&block_id=17


この論文、表題のとおりの内容ですが、本題のラフマニノフの記述の前に「ロシア正教における音楽のあゆみ」(第1章)、「聖歌旋律について」(第2章)がまとめられており、これらはロシア聖歌を学習するうえで大変参考になるものでした。

そして、第2章第6節が「リムスキー=コルサコフ」として譜例込みで10ページほどが割かれており、《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌に関して詳しい言及がされています。
詳細は本論文をご覧いただくとして、個人的に大収穫だったのは、<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう)と、<聖歌3> "Христос воскресе" (キリストは復活した)の旋律の原型の譜例が記載されていたことでした。

さっそく、これらをMIDIで入力してみました。

譜例2.15 パスハのスティヒラ≪神は起き Да Воскреснет Бог≫
(ズナメニィ聖歌)冒頭部分

♪<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう)MP3ファイル


譜例2.18 パスハのトロパリ≪ハリストス死より復活し Христос из мертвых≫
(ズナメニィ聖歌)

♪<聖歌3> "Христос воскресе"(キリストは復活した)MP3ファイル


リムスキー=コルサコフが《ロシアの復活祭》で用いた旋律とは少し違いますが、いかがでしょうか?
<聖歌1>については、例えば以前ご紹介した次の動画とも違っていますが、本論文に掲載された方が古いものということなのでしょうかね。
時代や地域、教会によって同じ(ような)聖歌も様々に歌われていたようです。

"Да воскреснет Бог" Стихиры Пасхи Зосимовой пустыни гарм. иером. Нафанаил
https://www.youtube.com/watch?v=Z76baGeei9M

さて、<聖歌2>については、本論文では「パスハの早課第九歌頌のカタワシヤ『神の使い』ギリシャ聖歌」と記載されていましたが、その脚注に「この聖歌はオビホードに収録されておらず、出典は不明である。」とあり、特定することができなかったようです。

そもそもこの<聖歌2>なるものは、作曲者が存命中に出版された《ロシアの復活祭》の楽譜の扉絵に掲載されておらず、自伝中に「『主を呼び起こそう』に基づいたテーマを主体に、(中略)教会の典礼聖歌『嘆く天使』と交替するように書いた」との記述があるものの、このくだりはもう少し吟味した方がよさそうな気がします(「交替するように書いた」ってどういうことでしょう?)。

この謎解きはまだまだ続きそうです。







《ロシアの復活祭》覚書その7~トロンボーンソロに代わって...

2021年04月29日 | 《ロシアの復活祭》
《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しは、今でも時おりYouTubeで検索してロシア聖歌の動画を手あたり次第聴いたりしていますが、いまだに<聖歌2> "Ангел вопияше" (嘆く天使)と<聖歌3> "Христос воскресе" (キリストは復活した)が特定できないままです。

その代わりにこんな動画を見つけました。

Rimsky Korsakov - Russian Easter Festival Overture, Op. 36
- National Philharmonic, Charles Gerhardt
(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=B_pAxxPzk2o

この演奏、数多ある《ロシアの復活祭》の一つかと思いきやさにあらず、作品の聞かせどころである中間のトロンボーン・ソロに代わって重厚な男声合唱が入っているんですね!(7:12あたりから)

トロンボーンのソロは、この作品に関する自伝での言及部分、「司祭の象徴的で美しい節回しの福音書の誦経」を指していると思われるので、もともと聖歌の旋律(というか誦経の節回し?)を借用したものであっても不思議ではありません(ただし具体的な聖歌名などは自伝には示されていない)。

この演奏で男声合唱を用いたのは、単に奇をてらってそれらしく置き換えただけなのか、それなりに「正しく」聖歌を引用したのかは不明で、そのあたりは情報がなくてよくわかりませんでした。
途中で「ゴスポディ」(=神)と歌っているのが聞こえるので、ロシア語(教会スラブ語?)ではあるようです。

それはそうと、復活祭の典礼でこの男声合唱のように教会内で歌われていたとしても違和感はありませんね。
聖歌の元ネタ探しの副産物のような感じですが、興味深い演奏に出会えました。


【おまけ】
こちらの演奏は意図的にか偶然かハープの音がやたらと目立っております。
オーケストラの中ではハープこれほどはっきりとは聴こえてこないので、面白いです。

RIMSKY KORSAKOV A GRANDE PÁSCOA RUSSA OSES 110719 ANDRÉ CARDOSO(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=hWjv3GSHiSs





《ロシアの復活祭》覚書その6~補足など

2020年03月11日 | 《ロシアの復活祭》
《ロシアの復活祭》覚書は、今回でいったん終わりにしますが、いろいろ調べているうちに「?」と思ったことをいくつか挙げておきます。
覚書その3でも書きましたが、この作品に関して巷で言われたり、書かれていたりするものが不正確なことが案外あるようなので、その指摘です。

***

<聖歌2>は「嘆く天使」とか「天使は嘆く」などと訳されていますが、どんな歌詞なんだろう(何を嘆いているのか?)と調べてみると、キリストの復活を聖母マリアに「天使が告げる」という内容のようです。
復活祭の喜ばしい時になぜ嘆くことがあるのかと思っていたのですが、これはどうやら誤訳のようです。
キリストの復活を告げるのであれば、まさに復活祭にふさわしい聖歌ということになりますね。

***

オイレンブルク・スコアの日本語訳ですが、【練習番号D】からの「恐れ多い光明を表現」の部分を「曲がアレグロに移行すると」としていますが、これは明らかにアレグロに入る直前の音楽を指していますから、「曲がアレグロに移行する前には」などとすべきと思います。

***

同じくオイレンブルク・スコアの日本語訳ですが、「意気揚々とした大天使たちのトランペットのような...」の部分もしっかり読むと少々おかしい気がします(というか、曲と対比すると何を言っているのかよくわからない)。
自伝でこのくだりは一文がやたらと長く、構文がつかみにくくて今一つしっくりしませんが、おおよそ次のような意味になりそうです。

トランペットのような荘厳な大天使の声は、ある時には輔祭たちの流暢な誦経に、またある時には司祭の象徴的で美しい節回しの福音書の誦経に変化しながら、喜びに満ちた、まるで踊っているような鐘を模した音色に取って替えられた。


時系列的な観点ではやや難ありかもしれませんが、私は「輔祭たち(複数形)の流暢な誦経」が弦や木管で奏でられる<聖歌3>、「司祭(単数形)の象徴的で美しい節回しの福音書の誦経」がトロンボーン・ソロに対応しているとみました。
「喜びに満ちた、踊っているような鐘を模した音色」はわかりやすくて、【練習番号K】や【練習番号U】の部分ですね。

ちなみにですが、この作品でトロンボーンのソロを第2奏者が吹くこと(《シェヘラザード》にもあり)の理由についてはいろいろと憶測があるようで、「リムスキー=コルサコフがオーケストラのトロンボーン第2奏者と仲良しだったから」とか、「第2奏者がリムスキー=コルサコフの妻と不倫をしており、懲らしめるためにわざと難しい旋律を書いた」(!?!)とか諸説あるようです...。

***

今回の《ロシアの復活祭》に関する探究はアレグロ(・アジタート)の部分を中心に行いましたが、いろいろ調べていく過程で新しく知ったり、理解することができたりして楽しいものでした。
なんといってもそのきっかけとなったのが、覚書その1ではじめにご紹介したティンパニ奏者の女性ですね。
もともと好きだった《ロシアの復活祭》がこんなにも凶暴に(笑)太鼓が鳴っているのに気付かされましたし、それによってよくわからなかったアレグロの曲想も自分なりに理解もできました。

彼女は見ていても、鳴らす音に反して(?)エレガントでチャーミングな感じもして、アップで映らないのは残念ですが、反面曲の最初から最後まで動きを見ることができて、繰り返しになりますが、私の眼はずっと彼女にくぎ付け状態なのです。
名前などもわかりませんが、ささやかながら彼女に感謝の気持ちをささげようと思います。

(了)

《ロシアの復活祭》覚書その5~アレグロが表現すること

2020年03月05日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その5は、私がこの作品に抱いていた疑問────アレグロの曲想が何を表しているのかについて改めて考察してみようと思います。
リムスキー=コルサコフの自伝では、次のように記しています。(和訳はオイレンブルク・スコア「《ロシアの復活祭》序曲」解説より。以下同じ)

アレグロの冒頭部『憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう』のくだりは、ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気を醸し出す。


このアレグロの激しい曲想が「ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気」なのでしょうか?
もちろん、私はロシアの復活祭の朝を経験したことはなく、したがって実体験と比較して雰囲気が云々と言うことはできません。
しかし、キリストの復活を祝う朝は、曲想のような雰囲気とは違うのではないかと普通に思ったりしてしまうのですね。

ここで、アレグロの部分がどのような音楽なのかを今一度振り返ってみましょう。練習番号はオイレンブルク・スコアに付されているものです。

【練習番号Dの途中(アレグロ・アジタート)】<聖歌1>"Да воскреснет Бог"の終結部分を変形させながら弦主体で短い導入部を作ったのち、【練習番号E】ファゴット・チューバと木管で<聖歌1>の掛け合いがあり、それがティンパニも加わった全楽器の激しい全体の動きに飲み込まれていく。

【練習番号F】そして弦のうねり上がるような音型になおも低音で<聖歌1>が現れ、【練習番号G】再び導入部のメロディーが登場し、絶妙な間隔のスフォルツァンドを伴って繰り返される。

ティンパニの連打に導かれるように弦がうねり続けながら、【練習番号H】今度はトゥッティで新しい音型が登場する。教会内の重厚な合唱を模したもののように「タータタ・タータタ・タータタ・タタタタ」のリズムで力強く奏される。この合唱に弦が激しく動いて応え、さらにもう一度合唱と弦の呼応が繰り返される。

【練習番号I】弦のうねりに木管も加わって輝きを増す中、トランペットが高らかに鳴り響いたのを合図に急速に静まっていく────


***

このアレグロの部分を何度も聴いているうちに、気が付いたことがあります。
私はそれまで自伝に記された「ロシア正教会の復活祭の朝の祝祭的雰囲気」にとらわれていましたが、むしろ重要なのは『憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう』の方であるということです。
アレグロの曲想を理解するための回答は実はこの一節にあったのですね。

「主を呼び起こし、敵を退散させよう。憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう。
煙が追い払われる如く、彼らを追い払おう。炎の前で蝋が溶ける如く、邪悪な者を主の御前で消滅させよう」

────ダビデ詩篇68編


この『憎しみを...』の部分は、旧約聖書のダビデ詩編68編(ちなみに正教では67編と一つずれるようです)からの引用ですが、作曲者はなぜこの一節をわざわざこの作品のプログラムの一つとして掲げたのでしょうか。

***

私はこの聖書の引用を特に気にも留めていなかったのですが、よくよく読むと、ものすごいことが書いてありますよね。
(翻訳によっては、文末が神への「願い」だったり、そのようになるといった「予定」だったりしますが、ひとまず措くとします。)
にわかには復活祭とは関連しそうもないないように思えますが、それにしても仕返しするとか一矢報いるとかのレベルではなく、敵の存在そのものを地上から消し去ってしまおうというのです。

もちろんそれはよみがえった神によって実行されるのでしょう。
それこそが再び現れるであろう神に民が望んだことなのです。
われわれ日本人にはなかなか想像できないことですが、苛烈な運命をたどったイスラエルの民は、(少なくともイエス・キリストの登場以前は)敵に対してこのような激しい感情を抱いていたのですね。
このような理解を前提にすれば、キリスト教の復活祭には、単にキリストが復活したことへのお祝いにとどまらず、その先にあるユダヤ教時代の名残としての再臨した神による敵への復讐への「期待感」と、それがやがて成就されるであろうという「喜び」の要素も含まれているということになるのではないでしょうか。

***

そうすると、《ロシアの復活祭》のアレグロの曲想は、「再臨した神により敵が消滅させられる様子を描いたもの」ではないか────と考えられるわけです。
いったんこう解釈すると、今までよくわからなかった曲想がとたんに理解できるようになるのです。
つまり、うねるような弦は、神の御業によって引き起こされる、敵を煙のように追い払う強烈な嵐や、敵を焼き尽くす渦巻く炎を描写しているもの。
勇ましいティンパニは神の軍隊を鼓舞するためのもの。
高らかなトランペットは天使の告げる勝利...。
なるほどね...。

個人的にはこれで一応の結論が得られました。
もちろん私の解釈ですし、間違っていたり、共感できなかったりする方もいらっしゃることでしょう。
(自分がわかっていなかっただけで、ほかの人には初めからわかりきった内容である可能性もありますね。)
ただ、このことに触れたものは少なくとも日本語では目にしたことがなかったので、今回つらつらと書き連ねてみました。


《ロシアの復活祭》覚書その4~タイトルを考える

2020年02月19日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その4は《ロシアの復活祭》のタイトルについて考えてみたいと思います。
とはいえ毎度のことですが、専門家でもないわたくしがグダグダと推論を述べているだけで、間違っていることも大アリということをはじめにお断りしておきます。


(モスクワ旅行の際の一コマ。おタマゴ様のオブジェが教会内に...)


さて、すでに述べたとおり、この作品のタイトルはロシア語とフランス語(に代表される「ロシアの復活祭」という題名)が並記されていますが、両者の違いは、この作品を聴く上での一つの手掛かりになると思うのです。

まずロシア語のタイトルである「Светлый праздник」は一般に「輝く祝日」というような訳語があてがわれています。
ロシア語の「светлый」には様々な意味があり、手元の博友社ロシア語辞典でも「明るく光る、輝く」「明るい、晴れた」「透明な、澄んだ」「晴ればれした、楽しい」といった意味が掲載されています。
一方の「праздник」は「祝日、祭日」「休日」「(宗教・風習上の)祭日」「お祝いの日」。

それぞれ一つ目の訳語を組み合わせると<輝く祝日>などという奇妙な邦訳タイトルが誕生するわけですが、これだけをみてもわれわれ日本人(というかロシア以外の外国人)にはピンときませんよね。
この場合の「светлый」は、どちらかというと「晴ればれした、楽しい」のほうが相応しいと思えますが、面倒なのでここではいったん「Светлый праздник」を「輝く祝日」としておきます。

(ついでながら、ショスタコーヴィチに《明るい小川》 Светлый ручей という、これまた妙なタイトルのバレエ作品がありますが、陽キャじゃあるまいし、こちらの「светлый」は、水面がキラキラ輝くとか、水が澄んでいるとかいう意味なのではなかろうか...。)

それゆえ、ロシア以外にはわかりにくい「輝く祝日」ではなく「ロシアの復活祭」というタイトルにしたということなのですが、むべなるかなですね。
今確認できませんが、そのような説明をどこかで読んだことがあります。

ここで、この「Светлый праздник」については、解説書の類では「ロシアでは復活祭のことを<輝く祝日>と呼ぶので、一般に「ロシアの復活祭」というような訳題を付けている」(前掲「名曲解説」)ともっともらしく語っていますが、本当にそうなのでしょうか?

ロシア語では「Пасха」という復活祭を示す単語がちゃんとありますので、「Светлый праздник」が「復活祭」そのものを指しているわけではないように思います。
「Светлый праздник Пасхи」(復活祭の輝く祝日)という言葉もあるくらいなので、「復活祭のことを<輝く祝日>と呼ぶ」とするのは厳密には誤りのような気がします。

やはり「Светлый праздник」は字義どおり「輝く祝日」としてとらえるのが妥当でしょう。
先ほどの解説に手を入れるなら、「ロシアでは復活祭が行われる日を<輝く祝日>と呼ぶのだが、ロシア以外ではわかりやすさを優先して「ロシアの復活祭」というような訳題を付けている」となるでしょう。

「Светлый праздник」とは、あくまで「復活祭が行われる、晴ればれとした楽しい祝日」のことであって、教会行事としての復活祭だけでなく、その周辺も含めての空間的な広がりや、春を迎えた気象や風景、さらにはその日のうきうきした人々の生活や気持ちまでをも混然と含んだ、1年で最も素晴らしい日のことを表しているのではないかと思うのですね。

そして、その日の情景を表現したのが《ロシアの復活祭》という作品であると考えれば、作曲者がこの作品について「(Русская) Пасха」とせずに「Светлый праздник」というタイトルを付けたことや、この作品に関する自伝の記述内容もなんとなく見えてくるものがあるように思えるのですが、いかがでしょうか?

《ロシアの復活祭》覚書その3~聖歌の元ネタ探し

2020年02月18日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その3は、《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しです。
自伝で言及されている3つの聖歌のオリジナルがどのようなものなのかを確認しようとする企てです。
結論を先に書くと、作品の冒頭で聴かれる聖歌以外は突き止めることができず、継続調査ということになりました。(スミマセン)

さて、自伝で挙げられているのは次の聖歌です。
題名は自伝でのロシア語表記と、かっこ書でオイレンブルクの解説の日本語訳の邦題、その下に参考までに音楽之友社『作曲家別名曲解説ライブラリー「ロシア国民楽派」』の《ロシアの復活祭》の解説(以下「名曲解説」)で用いられている邦題と譜例番号を記しておきます。

<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう) 
名曲解説‥‥願わくは神おきたまえ [譜例1]

<聖歌2> "Ангел вопияше" (嘆く天使) 
名曲解説‥‥天使は嘆く [譜例3]

<聖歌3> "Христос воскресе" (キリストは復活した) 
名曲解説‥‥キリストは起てり [譜例6]

名曲解説では、以上のほかにアレグロの冒頭のメロディ(譜例4)も、聖歌「神をにくむものは御前より逃げ去らんことを」としていますが、これには疑問があります。
このメロディーは<聖歌1>の終わりの部分から派生したものであるように感じられることと、自伝では「 ”да бегут от лица Его ненавидящие”」 (憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう)と書かれていて、曲名のように最初の文字が大文字となっていないことから、聖歌の題名ではなくプログラムで記された聖書の文章を引用した部分ではないかと考えられることがその理由です。

3つのうち重要なのは、<聖歌1>と<聖歌3>です。
覚書その2でご紹介した四手版楽譜の扉に記されていたのがこの2つの聖歌です。
<聖歌3>については自伝にも「この序曲の第2の主題を形成するといえる『オビホード』からのテーマ『キリストは復活した』」と書かれていますね。
「第1の主題」については明言されていませんが、<聖歌1>であることに異論は出ないでしょう。

前置きが長くなりましたが、ネットで見つけられたのは<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう)だけでした。
この聖歌が聞ける動画は数種類ありますので、それをご紹介します。

"Да воскреснет Бог" Стихиры Пасхи Зосимовой пустыни гарм. иером. Нафанаил
https://www.youtube.com/watch?v=Z76baGeei9M
手書きの楽譜・歌詞付きの動画です。

Пасхальный тропарь Хор Сретенского
https://www.youtube.com/watch?v=cZM6xY0ldVk
上記のものとは少し違います。いろいろなヴァリエーションがあるようですね。

Учимся петь: стихиры Пасхи
https://www.youtube.com/watch?v=oA__eI7asp4
こちらは練習用なのでしょうか。歌詞付きの動画です。登場する二人も妙なる組み合わせです。

Да воскреснет Бог! Христос Воскресе из мертвых. Праздник в Духовной Академии Christ Is Risen! Russia
https://www.youtube.com/watch?v=WahhtaaAIio
実際の復活祭での様子を収めた動画です。<聖歌1>が登場するのは3:41あたりから。

聖歌は同じ題名でもいくつものメロディーがあって特定するのはなかなか大変です。
探し方が悪いだけかもしれませんが、<聖歌2><聖歌3>とも題名で検索をかけても《ロシアの復活祭》で用いられたメロディとは異なるものしか出てこなくて、頓挫してしまいました。

ところでかなり前の話ですが、私がチフヴィンのリムスキー=コルサコフ生家博物館を訪れた際に、学芸員の女性が《ロシアの復活祭》のメロディーをハミングしながら、リムスキー=コルサコフは幼年時代に家のすぐ近くにある修道院で聞いた旋律をこの作品に取り入れたのだと教えてくれました。
そのメロディーは<聖歌2>だったと記憶しているのですが、今となってはもうはっきりとは思い出せないのが残念です。