海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

モスクワ街角点描~犬も歩けば劇場の街

2021年12月25日 | モスクワ巡り
犬も歩けば劇場に当たる───そんなことわざがあっても良いのではないかと思わせるほど、モスクワには多くの劇場がありました。

今回のモスクワ旅行では、実際に観劇をした「モスクワ・オペレッタ劇場」「ヘリコン・オペラ」「モスクワ室内音楽劇場」の他にも、外から眺めただけですが、いくつかの劇場などを巡ってきましたのでご紹介したいと思います。



まずは「スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場」。
オペラとバレエの公演を行っており、バレエ団はしばしば日本公演も行っていて、わが国でもわりと知られています。



1回では絶対に覚えられない長い名称ですが、俳優にして演出家、ロシア演劇の代表的人物の一人であるスタニスラフスキーと、劇作家、演劇指導者であるネミロヴィチ=ダンチェンコの2人の名前を冠しています。
後者が複合姓(でいいのかな?)となっていて余計にややこしいですが、例えるなら「チャイコフスキー&リムスキー=コルサコフ」みたいなものでしょうかね。
モスクワではボリショイに次ぐ高い地位を占めているようですよ。

次は「ノーヴァヤ・オペラ劇場」。エルミタージュ庭園の一角に存在しています。



「新しい(ノーヴァヤ)」とは裏腹に建物はロシア風アールヌーボーの意匠となっていますが、1991年の旗揚げ当時は意欲的なプログラムで注目を浴びた劇場です。
この劇場の主要演目の一つ、リムスキー=コルサコフの《雪娘》は高い評価を受けています。
本日の演目はプロコフィエフの《マッダレーナ》です。



「チャイコフスキー記念コンサートホール」。言わずと知れたモスクワ・フィルの本拠地ですね。
構成主義建築の名残が感じられる建物です。



コリドーの様子。カフェ「チャイコフスキー」が併設されています。



日本でもおなじみ指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの85歳を記念するコンサートのポスター。
彼を祝うポスターはここだけでなく、ボリショイ劇場をはじめいたるところで見かけました。
モスクワの全楽壇が祝福しているようです。



チャイコフスキーとくれば「モスクワ音楽院」。
付属のコンサートホールには有名作曲家の大きな肖像画が掲げられており、その中にはリムスキー=コルサコフもあります。
残念ながら今回は見送り。次回訪れる時の楽しみに取っておきます。



続いて「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ記念オペラ・センター」。
ボリショイ劇場の名花と呼ばれた著名なソプラノ歌手の名前を冠しています。



私はモスクワに行って初めて知った存在だったのですが、オペラ歌手の育成の他、コンサートなども行っているようです。
ちなみに下のポスターに掲載されているオペラは、左上から時計回りにリムスキー=コルサコフ《皇帝の花嫁》、グノー《ファウスト》、ヴェルディ《リゴレット》、チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》、ビゼー《カルメン》、チャイコフスキー《イオランタ》です。



音楽関係の劇場だけでもご紹介できないものがまだありますが、これからは音楽劇場以外のものも見ていきましょう。


まず「マヤコフスキー劇場」。モスクワ音楽院の近くにあります。



日本でも愛好者の多い革命詩人マヤコフスキーの名を冠しています。
アヴァンギャルドな名前に違和感ありまくりですが、演劇のための由緒ある劇場です。
ゴーゴリの作品などに定評があるようですね。

こちらはアルバート通りに面する「ヴァフタンゴフ劇場」。



ここまでくると、私もチンプンカンプンでまったく知らない世界ですが、名前を冠されたヴァフタンゴフはスタニスラフスキーの弟子だとか。
ここも由緒あるモスクワの劇場のようです。

「ナーツィ劇場」。訳すと国民劇場でしょうか。
赤を基調にした民族風の外観はマヤコフスキー劇場にそっくりですが、こちらは19世紀後半に設立された劇場で、かつては個人所有のものだった(!)らしいですよ。




地図を見ると劇場はまだまだたくさんあります。それだけ需要があるということなのでしょう。
モスクワっ子は音楽にバレエ、演劇と、ひいきにしている演奏家やダンサー、役者を観に劇場に足しげく通ったりしているのでしょうね。


さあ、そしてラスボスはもちろん「ボリショイ劇場」。
大幅なリニューアル工事を経て蘇った、ロシアのオペラ・バレエの総本山ともいうべき大殿堂です。



今回は見たい演目がなかったので観劇はしませんでしたが、個人的にはどこかふわっとした感じのマリインスキー劇場よりもボリショイの重厚なサウンドの方が好み。
ボリショイで観たいのはもちろんリムスキー=コルサコフの作品ですが、バレエではプロコフィエフの《イワン雷帝》ですね。

私ははじめバレエには全然関心がなく、チャイコフスキーなどのバレエを観ていても少しも面白いと思わなかったのですが、ある時ボリショイの《スパルタクス》のテレビ放映を観て衝撃を受け、以後男性陣が主役になる演目や《春の祭典》みたいなイカれた作品ならば好んで観たりしています。
ボリショイの《スパルタクス》は日本公演をしてくれましたが、《イワン雷帝》も生でぜひ観てみたい作品です。

ところで、ボリショイ劇場には影武者?があり、それがこちらの「ボリショイ新劇場」。
ちっとも新しくないですが、本家の大改装中にはこちらで公演を行い、工事完成後もそのままサブステージとして用いられるようになったそうです。



おまけですが、知る人ぞ知るボリショイ劇場近くの地下道に設置された日本の自動販売機!



私が初めていった海外旅行はフランスでしたが、日本では当たり前のようにあるコンビニや自動販売機が無いことにびっくりしたものです。まさにカルチャーショックでしたが、どちらかといえば日本が少数派だったということを後から知ったものでした。

ここモスクワでも自動販売機は見かけませんでしたが、こんなところに日本語表示のままダイドーの機械が設置されているのを見て、なんだかうれしくなりましたよ。
もっとも、飲み物の金額は日本の倍くらいしましたので、どれほど利用されているのかは不明ですけど。

モスクワ街角点描~中世をしのばせる教会

2021年12月24日 | モスクワ巡り
ロシアの教会といえば葱坊主のドームをいただいた、おとぎ話に出てきそうな建物ですね。
京都や奈良の神社仏閣のように、モスクワには街中のあちらこちらにロシア正教会の建物があります。



一番知られているのはこの「聖ワシリー寺院」。
正式には「堀の生神女庇護大聖堂」というらしいのですが、一般には聖ワシリー寺院の名称で知られていますね。

私がこの建物の写真を初めて見たのはレコードのジャケットだったと記憶していますが、そのときはてっきリアラビアかどこかの建物だと思っていました。
このような不思議な意匠がロシア正教会のものだと知ってびっくり。
西洋の教会建築とはまるで違うので、宗教施設だなんてこれっぽっちも思わなかったのです。



次はモスクワ川のほとりにその威容を誇る「救世主ハリストス大聖堂」。
驚くなかれ、この内部には1万人が収容できるとか。
スターリンの命令により爆破され、その後2000年になって元通りに復元されたという、曰く付きの聖堂です。
とにかく大きくて目立つので、モスクワの街にあってはランドマーク的な存在。



聖堂の前ではロシア正教会の写真展が開かれていました。
いずれも息をのむような美しさでした。



クレムリンの内側にある聖堂群。中央に「アルハンゲルスキー聖堂」、その陰に「ウスペンスキー大聖堂」を遠望。右側にそびえ建つのは「イヴァン大帝の鐘楼」です。その高さなんと81m。

ロシア正教会の建築様式にも様々なものがあるようですが、それらをまとめて観ることができるのが、「ヴィソーカ・ペトロフスキー修道院」。観光客もあまりいなくて、静かに散策するにはおススメの場所です。



私が訪れたときは復活大祭後の光明週間で、境内には復活祭のカラフルなお卵さまのオブジェが配されていましたよ。



案内板にそれぞれの聖堂の建築年代が記されていました。ほとんどが17世紀後半の建造なんですね。

バガヤヴレンスキー修道院(神現修道院)」。



色合いだけ見るとまるでファッションホテルですが、モスクワでも最古級の由緒ある修道院だそうです。
ロシアで見かける教会は色使いが多彩であるのも魅力ですね。

さて、モスクワの教会はこうした有名な大聖堂だけでなく、むしろ、街角にひっそりとたたずむ、こぢんまりとしたものに魅力があるといってもよいでしょう。



その代表選手、「プチーンカのロジュジェストヴォ教会(聖母マリア降誕教会)」。
彫りの深い意匠の凝らされた純自の壁面に、空に伸びていくようないくつもの尖塔。その頭に金色の十字架をいただく紺青色の葱坊主。
清楚で可憐な少女のようです。



高層建築の陰にひっそりとたたずむは「シメオナ・スタルプニカ教会」。
新アルバート通りの「ドム・クニーギ(本の家)」の近くにあります。
こちらのドームはエメラルドグリーン。これもまた美しいですね。

「クリシキの全聖者教会」。
スターラヤ広場を南に下ったところにあります。



美しい教会として知られているようですが、なんとなく鐘楼部分は右に傾いているような......?
モスクワの斜塔ですね。

モスクワにはそのほかにも紹介しきれないほどの教会がたくさん。



モスクワの街歩きをしていると、時おり「チャンチャンチャンチャン......」と教会の鐘の音が聞こえてきます。
中世のモスクワをしのばせるひと時ですね。
いろいろな教会に出会えるのもモスクワ歩きの醍醐味です。



モスクワ街角点描~グム百貨店

2021年12月23日 | モスクワ巡り
赤の広場に隣接する巨大な建築物「グム百貨店」。
観光名所としても知られている旧国営百貨店です。



正面ファサードは商業施設であることをほとんど感じさせません。
少々威圧的な感じさえ漂う、堂々とした造りですね。
入り口のアーチ上部にはイコンが埋め込まれています。





ところが内部に入ると雰囲気は一転。
トップライトからの陽光が降り注ぐ大きな吹き抜け空間の両脇に店舗が並ぶ、イオンモールのようなしつらえ。
もちろん、こちらの方が大先輩になります。



そしてここでもロシア人の「見せ方」に感心。
噴水に春を感じさせる桜のような木を配置。
空中に浮かんでいる構成主義っぽいオブジェも、半透明の素材を用いて主張しすぎず、トップライトのフレームを配して空間に溶け込むように。



1階フロアでは何かの展示をしていましたが、美しいパネルを規則的に並べてリズムを作っています。



視覚的にも柔らかく、観光名所になるのもうなずける話で、旅の合間の一服の清涼剤になりました。

モスクワ街角点描~壁面アート

2021年12月22日 | モスクワ巡り
モスクワの中心地にひときわ目立つこの壁面。
「Я💛MOCKBУ(ヤー・リュブリュー・マスクヴー)」と書いてあります。
お察しのとおり、「アイ・ラブ・モスクワ」ですね。
トリックアートでしょうか。いい感じに文字が空中に浮かんでいるよう。



こちらは「ГTO」、ローマ字なら「GTO」となります。まさかオニヅカ先生ではないでしょうが、いったい何でしょう?
びっちり文字が書き込まれていますが、面倒なので意味までは探るのはやめておきましょう。



お次は、有名な映画監督エイゼンシュテイン。ご尊顔もアヴァンギャルドです(笑)。
彼の監督した「戦艦ポチョムキン」は映画史上に燦然と輝く作品ですが、個人的には「イワン雷帝」の方に惹かれます。
私の中では、雷帝の妻を演じたリュドミラ・ツェリコフスカヤさんは、18歳の岩下志麻さん、ウルトラセブンのアンヌ隊員演じたひし美ゆり子さんと並ぶ三大美女ですからね。



こちらのイケメンはイヴァン・レオニードフさん。妄想系構成主義建築家です。
背景に彼のデザインした超高層ビルが描かれていますね。

なんでしょうね.....こうした壁面アート、悪目立ちすることもなく風景に溶け込んでいるような気がします。
こうしたところにもロシア人のセンスや美意識が感じられますね。

ブダペスト・ホテル(宿泊)

2021年12月21日 | モスクワ巡り
モスクワ滞在に利用したのがここブダペスト・ホテル。
ボリショイ劇場から北側へ少し歩いたところにあり、今回の旅行の目的である各劇場へは徒歩で行ける便利な場所です。

ブダペスト ホテル モスクワ
http://budapest.moscowotel.ru/ja/


ホテル巡りが好きであれば、毎夜場所を替えることもあるかもしれませんが、いちいち荷物を持って移動するのも面倒だし、私はここに4日連泊しました。

部屋の中はこんな感じ。控えめなインテリアですが、天丼が高くてゆったりしています。



「お湯が出ないと死んでしまう日本人」などと椰楡されることもありますが、ここはお湯もしっかり出ましたし(笑)、特に不満はありませんでした。



このブダペスト・ホテル、レーニンにもゆかりがあったようで、外壁にプレートがはめ込まれています。



実は私は2日目か3日目の昼間の外出から戻った際に、ホテル内で部屋のカードキーを落としてしまい、真っ青になって廊下を探していると、人なつこそうなほほえみをたたえたホテルの年配の男性従業員さんが「探しているのはこれでしょ」と目で語りながら、わざわざ届けに来てくれたのでした。

そのときは緊張が解けて全身の力が抜けていくようでしたが、モスクワでこのような親切な対応を受けたことに感激したものでした。



これといって派手な特徴はありませんが、落ち着いた感じで、静かに過ごすにはいいホテルだったと思います。

モスクワ街角点描~大祖国戦争戦勝記念

2021年12月20日 | モスクワ巡り
赤の広場、ワシリー寺院の前に鎮座するは、第二次大戦におけるヨーロッパ戦線での勝利を祝う「大祖国戦勝記念日」の巨大なオブジェ。
「5月9日」と書いてあります。



そういえば、モスクワ滞在中にしばしば耳にしたのが空から降り注ぐ爆音。
どうやらこれは戦勝記念日のプレイベント的にモスクワ上空を様々な軍用機が飛行していたからなのですね。
ミグかスホーイか、遠目にもしっぽ(尾翼)が二つあるとわかる戦闘機の編隊飛行も見られ、ミリオタなら感涙ものだったことでしょう。


よくは知りませんが、MIG31でしょうか

そしてこちら。



この状態になる前のまだ空が明るい夕刻、劇場に向かう道すがら、とある大通り周辺に大勢の警官がいて、なんだか物々しい雰囲気。
重大事件でも起きたのか、不審者に間違えられてタイホされないように足早に立ち去ったのですが(笑)、劇場からの帰り道、この有様を見てすべてを理解できました。

警官が多数いたのは、パレードをするために大通り上に多数の軍用車を待機させる必要があり、その交通整理のためだったのですね。
市民も多数見物にやってきていて、なんだか夜祭りのような状態に。



ミニスカートの軍服(?)をまとったおねいさんが何人かいて、人混みの中をあちこち歩き回り、バッチか何かを売って寄付を募っているようでした。


左下のサンダーバードのような帽子を被ったおねいさん二人。戦果の報告中?

さてこの光景、わが日本ではあり得ませんが、あえて例えるならば、皇居外苑での軍事パレードに備えて、内堀通のはずれに自衛隊車両が待機しているようなものでしようか。

海外に行くとカルチャーショックを受けることが多々ありますが、その一つに戦争に対する国民の考え方の違いがありますね。
それを目の当たりにしたモスクワの夜でした。

《ホメロスより》その2~細かすぎて伝わらない第3クラリネット

2021年12月14日 | カンタータ

《ホメロスより》では、リムスキー=コルサコフの得意とする海の情景描写をベースに、ライトモチーフとして勇ましいオデュッセウス(かっこいい!)や荒々しいポセイドン(《シェヘラザード》のシャリアール王を彷彿)が代わる代わる登場。途中でオデュッセウスに救いの手をさしのべる女神レウコテエのモチーフがはかなくも優美に現れます。

さて、この作品での核ともいうべき主人公オデュッセウスのモチーフを主体にしたパートは、2回登場します。
はじめは金管主体の勇壮果敢な様子で、力を頼みに筏で嵐を乗り切ろうとするさまを表していますが、ポセイドンの引き起こす大波によってあえなく沈。
筏は失われ、オデュッセウスはかろうじて残った丸太にしがみつき波間で翻弄される羽目に。

2回目はレウコテエの助言どおり、魔力を秘めたヴェールを首に巻き付け、丸太も捨てて逆巻く波の中を泳いでいく様子。今度は弦主体で演奏されますが、1回目のような力任せではなく、波に逆らわずにむしろ波に乗るように泳いでいく姿を描いているように感じられます。

リムスキー=コルサコフの作品では、同じ旋律をオーケストレーションを替えて繰り返す手法がよく見られますが、《ホメロスより》もまさにこれ。
暴風雨の迫真の情景描写と相まって、オデュッセウスの姿が物語どおりに見事に描き分けられていると思います。

ところで、私が感心したのは1回目のオデュッセウスの描写場面で繰り返し登場する、第3クラリネット(とビオラ)による連符による短い下降型の音型。
私もMIDIの打ち込みをしていて気がついたのですが、この音型が私には逆巻く暗い波間に一瞬現れる、にぶいエメラルドグリーンの帯状の筋が、ぼんやりと光彩を放っているように感じられるのです。
もっともこれを3管編成の大音響の中にあっては聴き分けるのは至難の業。というか吹いている演奏者以外にはおそらくほとんど聞こえないのではないでしょうか。



そこで、MIDIで《ホメロスより》の冒頭部分を、第3クラリネットを強調した形で聞けるようにしてみました。

Nikolai Rimsky-Korsakov : From Homer, op.60 (beginning, emphasized 3rd Cl.)
リムスキー=コルサコフ : 《ホメロスより》作品60 冒頭部分 MP3ファイル



こちらの動画では、ちょうどその部分で第3クラリネット奏者が中央に写っていて、指使いがよくわかります(笑)

Оркестр Собиновского фестиваля / Римский-Корсаков. «Из Гомера» (YouTube)
Оркестр Собиновского фестиваля
Дирижер - Юрий Кочнев



リムスキー=コルサコフの作品のデータ打ち込みをしていると、実際の演奏ではほとんど聞こえないような細工が、実はあちこちにちりばめられていることに気付くことがあります。(たとえば《皇帝の花嫁》の序曲の第2主題。ピチカートに乗って流麗な旋律を弦が奏でる裏で、木管がなんとも不思議な浮遊感のあるメロディーを吹いています。)

こうした「小細工」は、通常の演奏では聞こえなくとも、作品に彩りを添えるのに重要な役割を果たしていることがあり、それを発掘できたときは嬉しさもひとしおなのです。


《ホメロスより》その1~オデュッセウスの遭難

2021年12月13日 | カンタータ

今や「ナウシカ」といえば風の谷の少女のほうがすっかり定着していますが、元々は古代ギリシャの詩人ホメロスによる一大叙事詩「オデュッセイア」に登場する王女の名前です。ここではアニメの主人公との区別のため、オデュッセイアのヒロインは「ナウシカア」と表記することにします。ちなみにロシア語だと「ナヴシカーヤ」と発音するようですね。

さて、もうずいぶん昔のことですが、私もアニメーション映画「風の谷のナウシカ」を観て魂を抜かれてしまった一人で、当時自転車で隣市の映画館に通うこと数回。ずっと後になってから、リムスキー=コルサコフがオデュッセイアの一節を題材にして歌劇《ナウシカア》の構想を持っていたことを知り、さらにこの未完の歌劇の遺児ともいうべき《ホメロスより》を聴くことができたのは、はるかウクライナの業者さんからメロディアの25センチレコードを入手してからのことでした。

プレリュード・カンタータ《ホメロスより》(作品60)は、この歌劇の前奏曲として、オデュッセウスがナウシカアに出会うまでの出来事をいわば「交響的絵画」として描いたもの。
すなわち、故郷イタケめざす海路の途中、海神ポセイドンの怒りに触れたオデュッセウスが、荒れ狂う海の中で遭難し、海の女神レウコテエの助けを借りながら、這々の体でようやくナウシカアの住むスケリエ島に漂着するという話を音楽化したものです。

この部分の要約は、《ホメロスより》の楽譜の冒頭にプログラムとして掲げられています(見出し画像参照)。
和訳はネット等でも見当たらないようなので、ここで訳出しておきましょう。

運命を海にゆだねたオデュッセウスは、十七日間というもの、順風を受けながら筏のかじを操り航海を続けた。
十八日目になって突然、大地をも揺るがす海神ポセイドンは、三叉の矛で海を湧き立たせ、嵐を巻き起こし、逆風を呼び集めた。
突如として黒雲が海と空を覆いつくし、上天からは闇が下ってきた。

オーケストラ
東風エウロス、南からは南風ノトス、それに西風ゼピュロス、晴朗の上天から生まれた力強き北風ボレアスら風神たちはみな深い波を揺り動かした。
オデュッセウスは怯え、膝や心臓は打ち震えた。
「なんたる災いだ!天界はとうとう私に苦しみを与えることを決定されたのだ!」
そのような中で、カドモスの娘レウコテエがオデュッセウスを目にとめた。
女神に列せられ、海原にあって不死の身となった彼女は、頭のヴェールを取り去り、それをオデュッセウスに差し出した。
すぐさま彼はこの霊力のこもったヴェールを胸に巻き、波間の中へ飛び込んでいった。
二日間、彼は荒れ狂う波間に弄ばれた。
そして彼は何度も死を目前にした。
しかし、三日目になって巻毛の輝く女神エオスが現れると、嵐はたちまちにして勢いを失い、海面には輝きが戻ってきた。

声楽
ばら色の指をした暁の女神エオスが暗闇からお姿をあらわしになられました。
美丈夫ティトノスの眠る床からいち早くお立ちになられて。
女神は祝福された神々と死者のために天空で光り輝く。

(ホメロスによる)


「オデュッセイア」の物語は、ありがたいことに岩波文庫から上下2冊で日本語訳が出ています。
上記の訳(適当です)も本書を参考にしました。

ホメロス オデュッセイア(上)
松平千秋 訳(岩波文庫)


リムスキー=コルサコフの《ホメロスより》に相当する部分は上巻の「第五歌」の後半 になります。
こちらの方も読めば、この音楽作品の描写力のすばらしさがより理解できるのではないかと思いますよ。


リムスキー=コルサコフ「歌劇全集」

2021年12月09日 | 歌劇
「Profil」という聞き慣れないレーベルから、リムスキー=コルサコフの歌劇全集と称するCD25枚組セット(!)が発売されました。



(ちなみに同じレーベルからムソルグスキーチャイコの歌劇全集も出ています。)

リムスキー=コルサコフの歌劇のセットものとしては、これまでにもゲルギエフ指揮マリインスキー劇場によるもの(11枚組)や、Capriccioからリリースされたもの(8枚組)がありましたが、今回は「Complete Operas & Fragments」と記されているとおり、15作すべてがセットになった正真正銘の「全集」となっているようです。

「全集」というからには、あの唯一全曲盤のない《セルヴィリア》もついに出たのか!!!と思ったのは早合点で、今回収録されている彼のオペラは、ボリショイ劇場などによる旧録音を中心にしたもの。
《セルヴィリア》もオニシム・ブロン指揮の既知の抜粋盤でした。

《セルヴィリア》は長らく上演等の機会がありませんでしたが、近年モスクワのポクロフスキー劇場で取り上げられたり、マリインスキー劇場でのリムスキー=コルサコフ生誕175年記念フェスティバルで実に117年ぶりに再演されたりと再評価の兆しがあり、今回「全集」と聞いて、私はてっきりその模様が収録されたものと勘違いしました。...残念。

今度こそ《セルヴィリア》全曲が出たのかと早合点した背景には、モスクワのポクロフスキー劇場で復活上演がされた折りに、ロジェストヴェンスキーの指揮によって全曲が録音されたらしい...ことがあったためなのです。

実際、私も2016年に《セルヴィリア》の復活上演を観にモスクワに滞在している時に、ホテルのテレビで《セルヴィリア》のCM(のようなもの)がやっていて、スタジオで指揮するロジェストヴェンスキーやオーケストラなどの映像を見たことがあります。

そのときは、てっきり《セルヴィリア》の全曲盤も復活上演と合わせてそのうちリリースされるのだろうと思っていたのですが、待てど暮らせどそのような気配はいっこうに無く、今日に至っているという状態。海外の掲示板だったか、ロシアでは「学術的」な趣旨で録音をすることがあるらしく、一般には公開されずにお蔵入りのままになることがあるとのことですよ(ケチ!)。

とはいえ、リムスキー=コルサヨフの歌劇を全て網羅したセットがリリースされるのは、おそらく今回が初。旧録音で構成されているものとはいえ、なかなか壮観です。
早速入手して、よくよく録音リストを眺めてみると、未聴のものも含め、初めてCD化される音源もあったりして、単なる寄せ集めではない、かなり意欲的な企画であったことがわかりました。



15作の歌劇とプレリュード・カンタータ《ホメロスより》が収録されていますが、これらの中で、(おそらく)初めて世に出るもの(当然CDも初)を【初リリース/CD化】、レコード等では出ていたもので今回初めてCD化されたものを【初CD化】として表示すると以下のとおりとなります。

◆歌劇《モーツァルトとサリエリ》
グリクロフ指揮レニングラードフィル【初リリース/CD化】

◆プレリュード・カンタータ《ホメロスより》(未完の歌劇《ナウシカ》の前奏曲)
ゴロヴァノフ指揮モスクワ放送響【初リリース/CD化】

◆歌劇《サルタン皇帝の物語》(ライブ)
エリツィン指揮マリインスキー劇場【初リリース/CD化】

◆歌劇《バン・ヴォエヴォーダ》
サモスード指揮モスクワ放送響【初CD化】

さて、個人的にツボだったのは、オペラになり損ねた「プレリュード・カンタータ《ホメロスより》」。独立した作品ですが、今回の全集では「Fragments」扱いです。
マイナーな作品ながら、これまでにスヴェトラノフ指揮のメロディア旧盤や、ジーヴァ指揮のセゾン・リュスの新盤(後にBrilliant Classicsから再リリース)が出ていました。

そして、今回はなんとあのゴロヴァノフ。初めて聴く録音です。
この作品、スヴェトラノフ盤では原曲にない小太鼓が追加されていて、さすがリムスキー=コルサコフ、荒れ狂う海のしぶきを見事に表現しているとすっかリダマされていたものですが、実はこの細工はゴロヴァノフが先輩だったことがわかりました。

さすが「怪獣ゴロヴァノフ」、暴れるだけでなく小細工も巧みに施しているなあと、妙に感心してしまいました。


レフ・メイの原書を入手

2021年12月01日 | R=コルサコフ
珍しいロシア語の書籍を購入しました。

ロシアの作家、レフ・メイ(1822-1862)とアポロン・マイコフ(1821-1897)の作品を収録したものです。
ロシア語をろくに読めないのになぜこのような本を手に入れたかというと、両者ともその著作がリムスキー=コルサコフの作品の題材となっているからなのです。

特にメイは、リムスキー=コルサコフのオペラ《プスコフの娘》《皇帝の花嫁》《セルヴィリア》の原作者であり、今回の本にはその3作すべてが掲載されていることから、リムスキー=コルサコフ関連のコレクション(?)として、是非とも入手しておきたいと考えてのことでした。

メイは日本ではほとんどなじみはありませんが、これはロシア本国でもそうらしく、自身の作品よりもむしろリムスキー=コルサコフのオペラの原作者として知られているようです(リムスキーもメイもどちらも二流で…みたいな悪口をどこかで見たことがあります)。



さて、ページをぱらぱらとめくってみると、わからないなりにも面白い発見があります。
たとえば《皇帝の花嫁》。リムスキー=コルサコフのオペラでは最高傑作とも言われるこの作品ですが、原作ではオペラに登場していない人物がいるのですね。主人公の親衛隊員グリゴリー・グリャズノイの兄弟らしき人物がいたことにはびっくりです。

そして、オペラ第1幕の冒頭で歌われるグリャズノイのアリア。出だしのレチタチーヴォの「あの美女が忘れられない!」、単純ですが印象的なこの台詞で原作も始まるのかと思いきやどこにも見当たらず。
そもそも原作はグリゴリーの独白で始まるのではないのですね。
その後の宴会シーンではなじみのあるオペラの合唱の歌詞が出てきたりしましたが、全体的に構成などオペラとは少々違っているような感じです。

ということは、オペラ《皇帝の花嫁》の特徴でもあるドラマチックな進行は、台本作家イリヤ・チュメネフに負うところが大きく、《皇帝の花嫁》の成功の幾ばくかは、彼の功績ということになるのでしょう。

私は、オペラの台本作家の仕事は、原作を適当に間引いてまとめるだけだと誤解していましたが、こうやって原作とオペラの詞章を見比べてみると、そんな単純なものではなさそうだということが今更ながらわかりました。

不成功に終わったオペラの原因としてよく挙げられる「台本が弱い」というのも、台本の重要性があるからこそであって、台本作家はオペラの成否を握る重要な役割を担っているということなのですね。