海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

ストラヴィンスキー《葬送の歌》(2)

2020年05月31日 | 関連人物
2016年12月2日、ストラヴィンスキーの《葬送の歌》が100年以上の時を経て再演されました。

20世紀を代表する大作曲家が亡き師の追悼のために書いた作品───
革命の混乱により行方知れずとなっていた幻の曲───
再演はゆかりの地ペテルブルグ。演奏は現代の楽壇を代表するゲルギエフが率いるマリインスキー劇場管弦楽団───
一つの音楽作品の演奏として、これ以上のお膳立てはそうそう考えられないでしょう。

この貴重な作品はすでに内外の演奏会でも取り上げられ、CDもリリース。楽譜も出版されました。

Stravinsky - Funeral Song (Official Score Video) (YouTube)
Boosey & Hawkes

そして多くの方がこの作品に関した記事を書かれておられるので、私の出る幕などないのですが、リムスキー=コルサコフのファンの視点から少々コメントしておきます。

再演前に私が関心を持っていたのは、ストラヴィンスキーが自伝に記した「管弦楽のあらゆる独奏楽器がそれ自身の旋律を花輪のように供えながら、次々に大家の墓前を通り過ぎるものであった」という部分。
構想としては実に見事なもので、自伝を読んだ時にはさすがと思ったものです。

管弦楽法の大家と呼ばれ、ソロ楽器の際出たせ方にも長けていたリムスキー=コルサコフ。
その弟子たるストラヴィンスキーは、師を送る想いをどう譜面にしたためたのか。
否応なく興味をそそられるのではないでしょうか。

しかしこの点については、期待していたのとは違っていました。
少なくとも「あらゆる独奏楽器が...次々に」という文面から受け取れる印象とは、少々異なっているようです。
そのような部分がないわけではありませんが、ソロ楽器の目立たせ方はあまり明瞭ではないと思いました。

これは、音色が特徴的なコールアングレのソロが少々出しゃばりすぎて他の管楽器ソロを曇らせてしまったためか。
フルートやクラリネットのオクターブで重ねた旋律が、ピアノで奏するとの指示によりあまり目立たずに沈んでしまったためか。
作曲というより、演奏や録音の問題なのかよくわからない面もあるので、とりあえず私はそんな風に感じたと書き留めておきます。

この曲には、もう一つ期待していたことがあります。
それは、「管弦楽のあらゆる独奏楽器がそれ自身の旋律を」との点について、これらのメロディーがリムスキー=コルサコフの作品から引用されているかもしれないということ。
こちらは完全にハズレでした。
さすがにストラヴィンスキーはそんな俗っぽい手法は採らなかったということですが、個人的には少々残念ではありました。

とはいえ、この作品の素晴らしさは改めて言うまでもないですね。
主題となる旋律は、曲の中で変化しながら故人を回想してこみ上げてくる懐かしさと、彼がもう居なくなってしまったという喪失感とを見事に表している。
ワーグナーや師リムスキーコルサコフの影響が濃いなどと言われますが、独創的な部分も多く、私は見紛うことなきストラヴィンスキーの作品と感じました。

***

さて、この作品、師匠が聴いたらどう評価したでしょうか。
存命中のリムスキー=コルサコフは、ストラヴィンスキーが持ってきた作品に対してこんなことを言ったそうです。
(言うまでもありませんが、《葬送の歌》ではありませんよ)

「ひどい!胸が悪くなる!こんなナンセンスな曲は、60歳になるまで書いちゃいかん。」


60歳になったら書いていいのかとツッコミを入れたくなりますが、一方で同じ日の晩、妻に向かってはこう語ったそうです。

「わしの生徒たちと来たら、まったくかすばかりだ。一人として、今朝イーゴリ(=ストラヴィンスキー)がもってきたようながらくたすら書ける者はおらん!」


「はいはい」と笑って聞いている奥さんの姿が目に浮かぶようです。 
果たして師匠は《葬送の歌》を天上で どんな思いで聴いたのでしょうね。

(上のリムスキーの言葉の出典は、リチャード・バックル著、鈴木晶訳『ディアギレフ──ロシア・バレエ団とその時代(上)』リブロポートからです。)