海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

モスクワ室内音楽劇場

2016年05月30日 | モスクワ巡り
ポクロフスキー記念モスクワ室内音楽劇場。
日本では「モスクワ・シアター・オペラ」の名で知られています。
今回のモスクワ訪問の大本命です。

かつてこの劇場が来日公演を行ったときに、私もはるばる東京へ観に行ったものでした。
演目はショスタコーヴィチの《鼻》。
これはこれで楽しめたのですが、後でテレビ放映されていた同じ作曲者の《賭博者》+《ラヨーク》の公演のほうが面白かったなあなどと思ったり。
まあ、それはともかく、モスクワ劇場めぐり第三夜です。



モスクワ室内音楽劇場もパッと見劇場らしさがありません。写真中央の朽葉色の庇が劇場の入口です。
この劇場はニコリスカヤ通りに面していますが、この通りは「ホコ天」で車の通行はありません。
ショッピングなどがゆったりと楽しめ、写真の左奥方向に歩いていけばグム百貨店の前を通って「赤の広場」に出ます。




なにせ大本命なので、モスクワ滞在中は毎日場所をチェック(笑)。これは小雨の降る中のモスクワ室内歌劇場。




反対側から眺めるとこんな感じ。




演目案内の垂れ幕の最上段には《セルヴィリア》の文字が。




エントランスです。
この劇場の音楽監督でもあるロジェストヴェンスキーの85歳記念イヴェントの垂れ幕が下がっていますね。


いよいよ公演当日。チケットです。




エントランス脇の公演ポスター。




扉を開けて入るとセキュリティチェック。クロークは左側にあります。
エントランスホールの奥に写真のような階段。ここを上がってホールへ。



左には「鼻」閣下が写っていますね。
この劇場は《鼻》のイメージが強烈だったのですが、自分たちも《鼻》の公演を誇りに思っているようです。




階段からエントランスを見下ろすとこんな感じ。
白黒の市松模様の床がモダンな雰囲気です。




ホール横のホワイエ。
ここには写っていませんが、手前で公演プログラムなどを売っていました。
壁面にはこの劇場に名前を冠している演出家、故ボリス・ポクロフスキーに関する写真などが展示されています。
写真右側の空いている扉は、ポクロフスキーの記念室への入口です。




この奥が記念室。
その途中には各国での《鼻》の公演ポスターが。
日本での公演時のポスターも2種類ほど貼られていましたよ。




《セルヴィリア》の公演プログラムの内側。
全部ロシア語ですが、なかなか気合の入った解説記事です(想像)。




面白いのは、当日の演者が鉛筆で1部ずつチェックが入っていること。
オペレッタ劇場のプログラムでもそうなっていましたが、当日の演者にチェック入れをするのはプログラムを販売するおばさま方のミッションになっているようです。




ビュッフェ。手ブレすみません。




ホール内部です。
幕間時に撮影しましたが、開演前も同じく客席後部などにわずかに照明が当てられていているだけでほぼ真っ暗。
そのため、様子がわかりづらいかもしれませんが手持ちのカメラではこれが限界です。

この特徴的な内装、私は「メタリック・オールド・ローマン仕様」と勝手に呼んでいますが、今回の《セルヴィリア》の上演に合わせてしつらえられた特別のもののようです。
他の公演の時がどのようなものかわからないので比較できませんが、《セルヴィリア》では、客席も古代劇場をイメージしてわざわざつくったようですね。
ホール内をバルコニー状に巡る通路も効果的に用いられていました。
観客も含め、この空間自体が古代ローマの世界であるという意図でしょう。

この劇場は「室内音楽劇場」と名乗るだけあって、見てのとおり非常に小さいものです。
オケピットはなく、中央舞台の後方でオーケストラは舞台左手の指揮者のほうを向いて演奏するという独特のスタイル。
歌手も舞台右手の階段と指揮者の後ろの扉、それから観客が出入りする舞台左脇の扉を使って登場・退場します。
観客と演者が同じ扉を使って出入りするなんて!
このようなスタイルは日本の劇場ではあまり見られないことで、あり合わせのもので工夫して、逆に効果的に利用してやろうという意図が好ましく感じられました。

考えようによっては劇場の仕様としては貧相、というか欠陥ありなかもしれませんが、そんなことを全く感じさせず(ホールの容量上、音響にはやや難ありかもしれませんが)、むしろポクロフスキーが望んだ、観客と演者の一体感を十分に味わえるものでした。
私の席は一番前でしたが、何しろ歌手の口臭が濃厚に漂ってくる!
公演前に焼き肉食いましたか?と聞きたくなるほど(笑)
あるいは、足を引っ込めていないと演者が通る時に邪魔してしまう...という、普通では気にしない配慮も必要です。

面白いと思ったのは、歌手は指揮者を後ろにして歌わなければならないので、合図を確認するためと思われるモニタが客席後ろに設けてあったこと。
このモニタで出だしのタイミングなどをチラ見しているようでした。
また、合唱も舞台とバルコニー席とに二分し、指揮者の見えるバルコニー側が主導的に歌うようにしている感じ。
確証はありませんが、変則的な配置であるが故の工夫がされていると思った次第です。


今回は《セルヴィリア》の公演でしたが、違う演目ではまた別の演出や工夫がされているのでしょうね。
このちいさなホールで、観客よりも多い演者による濃密な公演。
私は十分に堪能させていただきました。









ヘリコン・オペラ

2016年05月26日 | モスクワ巡り
モスクワでの観劇二日目は「ヘリコン・オペラ」。
あまり聞きなれない劇場ですが、芸術にゆかりの深いギリシャの山の名から取られたものだそうです。
ロシア語では「ゲリコン」と綴るのでゲリコン・オペラとも呼ばれているようです。

場所はモスクワ音楽院の前の坂道を上ったところ。
ボリショイ劇場などが集まる地区からはやや離れていますが、自分の泊まっていたホテル・ブタペストからは十分徒歩圏です。

写真は一日目に偵察に行った時のもの。あいにくの通り雨で、雨宿りをしながらパチリ。




外から眺めてもあまり劇場らしくなく、入口も中央の大きなアーチ型の開口部、ではなくその左の小さな扉からなのです。
らしさが無いので外観を知らずに出向くと、劇場はどこだろうと現地でわからなくなってかなり迷う気がします。
わかってしまえばどうということはないのですが、後ほど述べるようにこの劇場のつくりは日本のものとは勝手がかなり違っていて、中に入っても戸惑うことが多いです。




本日の演目はプロコフィエフ《3つのオレンジへの恋》。




エントランスの横にある飲み物などの売店。
左奥のブースではグッズなどを販売しています。




売店の反対側(アーチ型開口部の内側)に回るとアトリウムになっていて、明るく広々とした空間になっています。
床は古代遺跡の遺物の出土状況の展示のように見えますが、シャリャーピンの邸宅跡から出てきた建築部材の破片のようです(解説板がありましたがしっかり見てきませんでした。スミマセン)。




こちらはビュッフェ。天井は低いですがゆったりとしたスペースです。


ではホールに入ってみましょう。
こちらの絨毯敷きの階段を上っていくのですね...




ホール背面のホワイエに出たかと思いきや、何か違う。




ポクロフスキー・ホールや...




オブラスツォーヴァ・ホール。
エレーナ・オブラスツォーヴァは2015年に亡くなったソ連時代を代表するメゾ・ソプラノです。
彼女が来日公演で歌った《皇帝の花嫁》からの3曲は素晴らしかった!
壁に掛かっているのは、彼女の当たり役だった《スペードの女王》の伯爵夫人でしょうね。




などとセルフ解説をしながらうろうろするのですが...
肝心のオペラを観るホールがどこかわかりません!


階下に戻って今度は地下への階段を下ると、人がいっぱいいて、「ははあ、なんだこちらでしたか」と思ったのですが...




こちらも違う。トイレやクロークへの階段でした。
ただここは名所(?)らしくて、エッシャーの絵の表面を水が流れていておシャンティな感じ。
ご覧のとおり、ここで記念撮影をする人多数でした。


結局のところ、大ホール(ちなみにストラヴィンスキー・ホールという名称)への入口はすでに行ったアトリウムやビュッフェの奥でした。
アトリウムはともかくとして、ビュッフェの奥がホールだなんて思いもしませんでした。
日本と勝手が違うとはこのことで、我が国の建築規制では避難用の経路にビュッフェの部屋を通っていくなんてことはまずないと思います。
(建築確認申請を出せば「通路部分はきちんと区画しろ」と指摘されるはず)
そう思うと、ここは劇場用途であるのに入口は一般家庭の玄関と変わらない幅ですし、火災が発生した時に安全に避難できるのかと余計な心配をしてしまうほど。
ロシアの建築規制は知りませんが、古い建築物を有効に使うためにそのあたりは何らかの緩和措置があるのかもしれません。
まあ、単に自分が迷子になりかけただけなのですけどね。


それはともかく、ようやくたどり着いた大ホール。




思わず「おお!」とつぶやいてしまいました。
これまでのインテリアは部屋によって西洋風だったりモダンだったりと、それはそれで調和がとれているような感じでしたが、ここは一転ロシア風の建築意匠。


振り返るとこんな感じ。




客席後部中央にあるのは貴賓席でしょうか。




なんでホール内に屋根なんかあるのだろうと思いましたが、周りをよ~く観察すると、なるほどここは「屋外」という設定なのかと気づきました。
外壁面のような内装仕上げ。
天井の明かりは暗闇に輝く星々。
室内でありながらロシア風野外劇場で観劇をするという趣向のようです。
非常にユニークな空間であると感じました。

インテリアだけでなく、この劇場で気に入ったのは舞台が非常に見やすいということ。
階段状に配置された座席は見通しが良く、前の人の頭が気になることはありません。

ところでこの劇場で不思議に思っていたことがもう一つ。
ここでの公演の様子はYouTubeで見たことがあったのですが、なぜ字幕用の電光掲示がプロセニアムの上や左右ではなく、オケピットの上についているのか。
が、これも急な勾配の客席のためと現地に行って判明。
客席からはどちらかというと視線が水平よりも下に行くので、オケピットの上くらいに字幕があったほうが視線移動が小さくて済むからなのでしたね。なるほど。


この劇場でも開演の少し前に幕がするすると上がり、舞台装置が観れます。
今のうちに写真撮っとけ、ということなのでしょうか。




さて《3つのオレンジへの恋》は、舞台で観るのも全曲通して聴くのも初めてです。
前衛的な演出とあらすじをあまり知らなかったこととで、よくわからなかったというのが正直なところ。
ただ有名な行進曲はキレッキレで非常に良かったです。
歌手もオケも上出来だったように思います。

休憩中の電光掲示には、リムスキーの《皇帝の花嫁》の公演日の案内が何度も出てきました。
いつかこの劇場で観てみたいものです。





モスクワ・レーリッヒ記念館(2)

2016年05月25日 | モスクワ巡り
記念館の中を観ていきましょう。
買ったチケットを入口のおばさまに見せて展示室に入るのはここでも同じ。




初めの部屋は何やらアヤシイ雰囲気。
新興宗教の施設(想像)のような感じで、レーリッヒのことを知らなければ少し引いてしまうかもしれませんね。

以下の説明は必ずしも観て回った順番どおりではありませんのでご了承を。




ここはペテルブルク時代の部屋と称していて、初期の作品や関連資料などが展示されていました。




こちらには舞台関係のデザインなど。
写真ではわかりづらいですが、左右両端の額縁内はレーリッヒの舞台デザインをジオラマっぽく再現しているものです。
ちなみに左が《春の祭典》、右が《イーゴリ公》です。
ここまでは主に「画家」としての展示なのですが...




ここら辺からだんだんと宗教的な色合いが深まっていきます。
左の台に積まれているのは、古今東西の聖人たちです。
写真右上の絵はジャンヌ・ダルクですね。




まるで祭壇です。






展示物は上の写真のようなレーリッヒに関連する様々な資料ですが、中には面白いものもありました。




このノートは何か音楽の研究でしょうか。旅行先で採譜したのかもしれません。




旅道具一式。タイプライターまで持ち歩いたのですね。




こちらも旅道具ですかね。手術道具のようなものまであります。




さて、レーリッヒは晩年、はるばる日本にもやってきました。
左側の写真は奈良に滞在した時のものです。
九州から東京まで縦断したようですね。






再び展示室の様子。




こちらはチベットを探検した時の足跡がジオラマで示されています。
探検時、レーリッヒは数日間行方不明になり、以前とは違う様子になって帰ってきたとされています。
実はここで彼は「シャンバラ」への秘密の扉を見つけ、かの国へ行ってきたのではないかとも言われています。
彼自身はそのことについて口を閉ざしていて真相は永遠にわかりません。
一説によれば、シャンバラの住人から各国首脳へ平和を希求せよとのメッセージを託されたとか。
彼のその後の活動を考えるにシャンバラではないにしても、何か神秘的な体験をしたのかもしれませんね。






レーリッヒの平和に関する活動が全世界にわたって受け入れられていることを示す展示。
「新興カルトの預言者」などと評されもしているようですが、多方面に影響力があったことは否めません。


モスクワ・レーリッヒ記念館(1)

2016年05月24日 | モスクワ巡り
ニコライ・レーリッヒ――――あまり馴染みのない名前かもしれませんが、彼ほど深く、汲み尽くせぬ人物もそうはいないことでしょう。
彼の肩書は、一般には「ロシア生まれの画家」ということになりましょうが、それにとどまらず、考古学者、文学者、探検家、平和活動家など多彩な顔があります。
《春の祭典》の舞台や衣装を手がけたことがよく知られていますが、私的には彼がリムスキー=コルサコフの墓のデザインをしたこと、ここに大きな関心があります。

そんなレーリッヒの記念館がモスクワにあるというので、自由散策2日目に訪れてみることにしました。

ただこの施設は日本ではあまり情報がなく、事前に知りえたのは「プーシキン記念美術館(ヨーロッパ・コレクション部)の奥にある」ということくらいでした。
行ってみても休館日だったり、改修中だったりとかで中に入れない可能性もあったのですが、場所はあっさり見つかりました。




ヨーロッパ・コレクション部の脇の道を奥に進むと、つきあたりに看板が見えます。




看板のアップ。訳せば「N.K.リョーリフ記念博物館」となるのでしょうが、この施設に定着した邦訳は無いようなので、ここでは「モスクワ・レーリッヒ記念館」としています。
彼の名前はロシア語の「リョーリフ」という呼び方よりは「レーリッヒ」のほうが通りが良いのと、ニューヨークにもあるらしい同様の施設と区別するためです。

柵の間からのぞき込むとこんな感じ。
横長のファサードの中央にペディメントと列柱を配する建築意匠は、モスクワ市中のいたるところで見かけました。
あいにくの天候でしたが、晴れていれば緑が映える光景だったことでしょう。




どうやら本日は開いているようです。門を入っていくとこのような小路になっています。




建物の端までやってきて眺めてみます。手前のひさしのある部分がエントランスです。その左にあるのは、レーリッヒ夫妻の銅像。




さてエントランスの扉を開けて中に入っていくと、前日に訪れたチャイコの博物館と同様、すぐに施設というわけではなく、入口のセキュリティチェックが。
もっとも空港のセキュリティゲートのようなものはなく、やる気のなさそうなおじさんが机一つ、椅子にはだらしなく腰かけているだけです。
「カッサはどこ?」と尋ねると、面倒くさそうに上を指さすのみ。前日に多少の免疫は出来上がっていましたが、日本人には戸惑ってしまうおもてなしです。

見上げると、彼の描いた絵が数枚、シャンバラの聖印ともいわれるマークを染めた布を広げる女性像(彼の絵画作品にしばしば登場する)が目に入ります。




階段を上って右側が事務室然としたチケット売り場、その左奥が荷物置場になっています。(記憶違いはご容赦を)
続きます。

グリンカ中央音楽博物館

2016年05月14日 | モスクワ巡り
モスクワに行ったらぜひ見たいとずっと思っていたのが、グリンカ中央音楽博物館。
ロシア音楽関係の書籍で紹介されていた建物が眼前に。





私の関心事であるリムスキー=コルサコフはペテルブルクの人だったので、彼ゆかりの旧跡はモスクワにはあまり無く、ゆえにモスクワにはあまり興味もありませんでしたが、唯一例外だったのがここ。

なぜなら、ここには 「ロシア音楽300年の歴史について、著名なロシア人作曲家の生涯と業績を中心に、自筆譜や手紙、写真などが数多く展示」(『地球の歩き方「ロシア」2014〜15』より) されているからでした。
リムスキー=コルサコフだけでなく、ボロディン、ムソルグスキーの関連資料も収蔵していそうです。
ということで、モスクワに着いて自由行動初日はまずここへ向かいました。

と・こ・ろ・が!

実際に訪ねてみたら、肝心の作曲家の展示が無い!?

下手なロシア語で係のおばさまに訪ねても要領を得ない。
これはどうしたことかと困っていたら、英語のできる別の人を連れてきてくれて、「ここは世界の楽器を集めた博物館。作曲家のことを知りたいなら、この博物館の別館の『チャイコフスキーとモスクワ博物館』へ行ってみたら?」とのこと。

どうやら3階にあった目当ての展示は無くなってしまって(3階は「レクチャールーム」になっていました)、楽器専門の博物館となっていたようです。あちゃー...

ここは入館してまずは2階の楽器の展示を見るわけですが、私は作曲家の展示をメインに来ていたので、このフロアは適当に眺めて早々に3階に移動するつもりでした。確かに楽器のコレクションとしては素晴らしく、展示方法も例によって美しいものです。楽器に関心がある方ならじっくりと楽しめる博物館だとは思います。

ということで内部の写真は数枚だけ。










帰国してからネットで調べたら、以前の様子はこちらの方のブログで知ることができました。リムスキーのコーナーもあったのですね!

みーしゅかさんの「モスクワの真ん中でチャイとプリャーニキ-have a chai and pryaniki at center of Moscow-」
http://ameblo.jp/petite-bonbon/entry-10724279809.html


そんなことで、当初はここで半日くらいは過ごすつもりが、当てが外れてしまいました。
リムスキーや他の五人組の展示があれば、委細漏らさずチェックしておこうと思っていましたが、完全な肩すかしです。

係の方が紹介してくれた「チャイコフスキーとモスクワ博物館」のことも良く知らず、「地球の歩き方」の地図に場所のみ記されていたのを思い出して、「そういえばそんなものもあったなあ」と思った程度。むしろ胡散臭そうな私設博物館かなと考えていました。
早々に博物館を出て、このあとどうしようかと途方に暮れていましたが、まあ、教えてくれたチャイコの博物館はここの別館というくらいなので、そこそこの展示はしてあるのだろうと、降り出した雨の中を歩き出しました。

結果的にこれが正解でしたけどね。
あまり日本で知られていないっぽい「チャイコフスキーとモスクワ博物館」を、今回当ブログの記事でご紹介できたわけでもありますし。




モスクワ・オペレッタ劇場

2016年05月14日 | モスクワ巡り
モスクワ・オペレッタ劇場は、劇場広場を囲んで新旧ボリショイ劇場やマールイ劇場(2016年5月時点で改修工事中)などが集まる地区の一角にあります。
モスクワでの劇場巡りの初日は、ここオペレッタ劇場で《こうもり》を観劇いたします。
紫地にレトロっぽい書体で「オペレッタ」と書かれた縦看板がいい感じ。



実はこの劇場はリムスキー=コルサコフに大変ゆかりのある場所なのです。
彼の15作ある歌劇は、ペテルブルグのマリインスキー劇場と、当時ソロドフニコフ劇場(のちにジーミン劇場)と呼ばれたモスクワのこの劇場で初演されたものがほとんどを占めています。
「ソロドフニコフ劇場」については、私は当時の劇場内部の古い写真を見たことがあっただけで、ほかにあまり情報が無かったこともあり、建物自体はとうに取り壊されて現存していないものだとばかり思い込んでいました。



「N.A.リムスキー=コルサコフ」(ムージカ社・1988)より。上はイリヤ・レーピンの描いたサーヴァ・マモントフの肖像画。


ところが、今回のロシア旅行にあたりあれこれ下調べをしていたら、ソロドフニコフ劇場はオペレッタ劇場として現在も公演をしているということが判明。リムスキー党としては、ぜひとも訪ねておかねばなりません。
この歴史的な劇場で現在も観劇ができるとは、考えただけでも胸熱です。

ではさっそく行ってみましょう。
映画館のように見えますが、ここが劇場のエントランスです。




建物の壁の中に舞台側からみた客席の状況が解る模型が展示されていました。バルコニー席は正面と両サイドで段違いになっているのが特徴的ですね。




チケットを見せて中に入ると半地下になっていて、ここがエントランスロビーです。



写真の左手が入り口で、その正面(画面の右)がクロークになっています。


ホール内部へは開演15分くらい前にならないと扉が開かないので、それまで中を探検してみましょう。

エントランスロビーの上の1階ロビー。



劇場にゆかりのある人物の写真などが展示されていました。
窓側中央には、かのシャリャーピンをはじめ、ザベラ=ヴリューベラなどの歌手を擁した私設歌劇団を率いてロシアのオペラ文化に貢献をしたマモントフの胸像。




もうひとつ上に上がるとビュッフェになっていて、ここで飲み物や軽食がとれます。ビュッフェは別にもう一カ所あって、そちらの方がにぎわっているような感じでした。




さて時間となったようで、劇場のおばさま達がホールへの扉を開けて回っています。
私も高鳴る胸を抑えながら入ってみましょう。



うわぉ!

これが「ソロドフニコフ劇場」!
ここでかつて《サトコ》や《皇帝の花嫁》が初演され、シャリャーピンが歌ったのです。

内部は赤や金色が基調となって、さながらボリショイ劇場を小さくしたような感じですね。
照明やスピーカーなどの吊りものが少々邪魔ですが、それでも当時の劇場の雰囲気を十分に味わうことができます。

天上を見上げると...



こんな感じ。天井画の中に目ざとくリムスキー=コルサコフを発見!




今晩の演目は超有名なオペレッタの傑作《こうもり》。



翌日訪れたゲリコン・オペラでもそうでしたが、開演5分くらい前に幕が開いて舞台装置が見れるようになります。
そういう習わしなのかどうかまでは知りませんが、観客向けのサービスかもしれません。

こちらがパンフレット100ルーブルなり。《こうもり》の紹介は4ページで、残りのほとんどがほかの劇場も含めた公演情報でした。(すべてロシア語)




《こうもり》ですが、私はこの作品については「トムとジェリー」でやっていた序曲しか知らず、ゆえに序曲を聴いていると「トォイン!」といったアニメの効果音が勝手に脳内補完される始末。

そもそもオペレッタを観ること自体が初めての経験で、今回は建物を見ることが主眼だったので、あらすじを少しだけ予習していっただけで、観たのですが...。


みなさん、役者ですね〜

ロシア語の台詞でしたから私にはチンプンカンプンでしたが、ロシア人の観客には大受け。
上演中は常に客席のあちこちから忍び笑い、決め台詞でどっと盛り上がる、というような感じでしたね。

ロシア人のお客さんは、役者(じゃなかった歌手)の放った決め台詞を繰り返し自分でつぶやいて噛み締めている、というような人が多いようです。これもロシアの文化なのでしょうかね。


公演が終了しました。
帰るお客さんの流れに逆らってにバルコニー席に向かい、内部をパチリ。



パチり。




劇場を出るとさすがに真っ暗。こちらは夜8時になってもほんのりと明るいのですけどね。
でも通りはまだまだにぎやか。折しも「モスクワの春」のイベント期間中で、ご覧のようなデコレーションが夜のモスクワを飾っていました。





大満足のオペレッタ劇場でした。










チャイコフスキーとモスクワ博物館(3)

2016年05月13日 | モスクワ巡り
見学の続きです。
今度の部屋はこちら。



淡い水色の壁に調度類も置かれ、おシャンティな雰囲気です。
壁に掛かった数々の写真に順に目をやっていくと...



フォン・メック夫人キタ━━━(゜∀゜).━━━!!!


そしてこちらにはおホモ達のダヴィドフさんとのツーショット写真。



お上品な部屋の感じではありますが、チャイコの濃ゆい人間関係が垣間見えるようで、少しばかり頭がくらくらしてしまう空間です。



続いてお隣の小部屋です。



チャイコの動画が壁面に映写されています。
彼が組んだ足をぶらぶら、足元のちびワン公が吠える、わかりにくいですが後ろの茂みを鳥の群れが移動するというもの。
本物なのか写真を加工した動画なのか、よくわかりませんでしたが、本物だとしたらなかなか貴重な映像。
(チャイコの映像があるというような話を聞いたことがるような気がしますが、これでしょうか?)



次の部屋はかなり大きめ。
もっともここまでくると、疲れも出て集中力を欠いてしまっているので写真だけ。









さらにその奥に小部屋があり、チャイコと交友のあった人物の写真が展示されています。



「五人組」やグラズノフ、タニェエフなど。私の敬愛するリムスキー=コルサコフはちんまりと。右下は若きラフマニノフですね。





同じような小部屋がもう一つ。



チャイコが教授を務めたモスクワ音楽院の関係の資料などでしょうか。




モスクワ音楽院と教授連。チャイコは中央上の人物(たぶんニコライ・ルビンシュテイン)の右隣りです。



いよいよ最後の部屋です。




ここではチャイコのバレエやオペラの映像作品が放映されています。




そして奥のほうへ目をやると...



出ましたデスマスク。
石膏なのでしょうが、なかなか生々しい感じです。
リムスキー=コルサコフのデスマスクも彼が亡くなったリュベンスクの家(現在は博物館)に展示されていました。




よくわかりませんが、チャイコの晩年に各方面から授与された栄誉賞のようなものでしょうか。



展示室はこれでおしまい。入口のあった吹き抜けへは廊下を通って戻りますが、ここの壁には演奏会などのポスターが所狭しと貼られています。




吹き抜けに戻っても何やら壁に展示が...
これはチャイコフスキーの名前を冠した建物などを地図に示したものでした。





やれやれこれで本当に見学は終了です。
私は1時間ほどかかりました。丹念に見ていけば倍はかかるでしょう。

私は以前、ツアーでしたがクリンの博物館にも行ったことがあります。ただそこへはバスで2時間ほどかかるので、モスクワにこんな立派な博物館があるなら、「チャイコフスキー命」という方でなければ、わざわざクリンまで出かけることはないのではと思えました。
これまで見てきたように、モスクワのこの博物館は展示方法も美しく、チャイコフスキーの生涯に触れてみたいという目的に対しては十分に満たしてくれる施設です。

私はリムスキー党で、チャイコフスキーは詳しいわけではありませんので、この博物館の展示物にはわからないものも多くありましたが、それでもチャイコフスキーの人生にも少しばかり興味がわいてきました。
チャイコフスキーに興味がある方にはぜひおすすめしたい博物館です。





チャイコフスキーとモスクワ博物館(2)

2016年05月12日 | モスクワ巡り
さあ展示室の中へ入っていきましょう。

展示室は大小10室ほどあり、それぞれの部屋にテーマが決められ、それに沿った展示がされているようです。
ご覧いただければわかるかと思いますが、各部屋の壁は自筆譜などをあしらったパステル調の色合いとなっており、展示方法も配慮の行き届いたもので、とても好感が持てるものでした。
この手のロシアの博物館に行ったときにいつも感じるのですが、ロシア人のこうした展示に関するセンスは抜群ですね。

今となっては手遅れですが、私はそれぞれの部屋のテーマや展示物のメモを取ってこなかったので、内容は今一つ不明確で、これから記していく記事も多少怪しいところがありますが、その点はご了承を。
では、まず初めの部屋からです。



ここはチャイコフスキーの生い立ちに関する内容の展示です。




家系図です。中央上、やや左の茶色の四角がピョートル・イリイチ。下方がご先祖様になります。
「チャイコフスキー」という姓は「お茶(=チャイ)」に由来するのかと思っていましたが、曾祖父の姓は「チャイカ(=かもめ)」、その妻が「チャイチハ(=?)」のようで、その子供、つまり作曲者の祖父の代から「チャイコフスキー」を名乗るようになったようです。




子供のころに書いた絵でしょうか。
まさか、こんな絵が100年以上あとに公衆にさらされるとは夢にも思わなかったことでしょう(笑)
それにしてもよくまあこんな絵が残っていたもので...





次の部屋(次の次だったかも)です。




左下の本は確かロシア語訳聖書だったと思います。




夜会用の衣服でしょうか。ステッキにシルクハットもありますね。




その次の部屋。左のキャビネットにはメトロノームと蔵書が収められています。




自筆譜のコピー。自由にめくって見ることが出来ます。




大きなタブレット状の端末があり、自筆譜などを閲覧することが出来ます。


ここまでで全体の3分の1ほど。丹念に見ていくと結構時間がかかりそうな感じが伝わりましたでしょうか。
続きます。




チャイコフスキーとモスクワ博物館(1)

2016年05月12日 | モスクワ巡り
今回のモスクワ旅行でまずご紹介するのが「チャイコフスキーとモスクワ博物館」。
チャイコフスキーが1872年から1875年まで住んでいた家を改装して、「グリンカ中央音楽博物館」の分館として2007年に開館したようです。
http://glinka.museum/en/contacts/muzey-p-i-chaykovskiy-i-moskva-.php


左側はカフェになっていて、博物館は右側半分の2階になります。

この博物館は、サドーヴァヤ・クドリンスカヤ通り沿いにあり、スターリン様式の巨大建築「文化人アパート」の対面に位置します。
近くには「シャリャーピンの家博物館」もあります。


文化人アパート。見よ!この堂々たる建築様式を!


シャリャーピンの家博物館。今回は外から見ただけ。


外壁にはチャイコフスキーが住んでいた旨プレートで表示されています。

円柱のあるところが玄関で、ここから博物館に入ります。
扉を開けると薄暗い殺風景な雰囲気。警備員の女性に不審そうな目で睨まれて面喰いますが、右手にカッサ(チケット売り場)があり、ここで入場券を購入。料金は200ルーブルなり。写真撮影は100ルーブルの追加料金が必要です。
入場券を買ったら手荷物を荷物置場に預けます。自分で置くだけですが、荷物は警備員が見張ってくれている(はず)。
そして反対側に回り、奥の階段を上って、展示室のある2階で待ち構えるおばさまに入場券を渡します。


1階階段室の壁に博物館案内表示。展示室は2階ですが、1階にはサロン、3階には小ホールもあるようです。


階段を上がって2階に出ると吹き抜けのある空間に出ます。写っていませんが右手のほうから展示室に入ります。シャンデリアの下にちらりと見えるのが1階のカッサ。

このあたりの流れはややわかりにくく、私は1階のカッサの右奥が展示室と思って入っていったら、別の部屋だったようで呼び止められる羽目に。
また2階の展示室に入る前に、床が汚れないように靴の上に(下に?)草履のようなものをはかされますが、私は靴を脱いではこうとして、これまた笑われてしまいました。
(そこで急に記憶がよみがえりましたが、ロシアの美術館や博物館ではこうした「お作法」のいるところがありましたね!)

さて、この博物館では「オーディオ・ガイド」といって、入場時にヘッドホンがつながった写真のような円柱状の機械を手渡されます。



これを展示室内の「i」の部分に向けてボタンを押すと解説が聞けるというもの。
言語はロシア語と英語のみ。1室に1か所ありますが、一つ聞くのに5分かそこらかかりますので、全部屋で解説を聞くのは結構しんどいかも。
ちなみに「♪」に向けてスイッチを押すと、チャイコの作品が聞けます。

次回からは展示内容をご紹介していきます。


《セルヴィリア》モスクワ公演観劇記

2016年05月09日 | 《セルヴィリア》
モスクワに行ってきました。



ご存じポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)

目的はもちろん《セルヴィリア》の観劇。
それだけ果たせれば自分としては満足だったのですが、ちょうどゴールデン・ウィーク中でもあり、せっかくなので、4泊ほどして市内を徒歩であちこちぶらぶらしてきました。
昼間は博物館や美術館、そしてそこら中にある教会を見て回り、夜は劇場でオペラを観るといった、なんとも贅沢な自由行動。

モスクワに来て「トレチャコフ美術館」を外すことはできませんが、以前から行きたいと思っていた「グリンカ中央音楽博物館」(ただしここは楽器専門の展示になってしまっていてがっかり...)や「モスクワ・レーリッヒ記念館」、それに「チャイコフスキーとモスクワ博物館」(ここは比較的最近オープンしたと思われますが、展示物はかなり充実。クリンまで出向かなくて良くなりそう)などを巡りました。

劇場は、オペレッタ劇場《こうもり》、ヘリコンオペラ《3つのオレンジへの恋》、そして本命モスクワ室内音楽劇場の《セルヴィリア》。
これらの訪問記についてはまた後日。



「チャイコフスキーとモスクワ博物館」内部。オサレな雰囲気でした。


さて《セルヴィリア》ですが、思うところが山ほどあって、頭の整理もできていないのでぼちぼち書いていきたいと思います。
これまで、《セルヴィリア》については、要点を述べるなら

1)上演にも録音にも恵まれなかった不遇の作品。15作あるリムスキー=コルサコフのオペラの中で(今のところ)唯一全曲録音がない。
2)古代ローマを舞台とした作品で、あまり「国民性」にとらわれることなく自由に作曲された音楽。舞踊曲などはビザンチン色や東洋色で味付け。
3)セルヴィリアのアリア「花たちよ」は作曲者が一番出来がいいとみなしていた佳品。このアリアのみ単独でよく歌われる。

といったものでしたが、今回のモスクワ室内音楽劇場の公演を観て、

4)劇として非常に面白い!

を新たに加えたいと思います。

ロシア歌劇に限らず、有名なオペラでも途中で「かったるい」と思うことはままありますが、《セルヴィリア》に関してはドラマとしても非常に面白く(もちろん優れた演出に依るところも大)、2回の休憩をはさんで3時間以上かかりましたが、まったく退屈せずに楽しむことが出来ました。
具体的な内容はちびちび書きてまいりますが、今日は備忘録的に今回公演の楽譜との違い(もちろんわかる範囲ですが)を中心にメモを記しておきます。

・公演は、第1幕(続けて)第2幕~休憩~第3幕~第4幕(続けて)第5幕という構成。19:00に開演し、終了が22:10頃。
・カットは私が気づいた範囲では、第1幕の「戦いの踊り」(とそれにつながる合唱)のみ。ここは前後にアテナを称えるほぼ同じ内容の合唱に挟まれているので、省略されても不自然さがなく、自分も少したってから気が付いたほど。
・第1幕の「ポレンタ売りの少年」(コントラルト役)は本当に少年が演じていた。ただし声の線が細いので、その後の男声合唱との差が大きすぎてややバランスが悪い。
・第3幕の冒頭の合唱のアントニア(セルヴィリアの乳母役。メゾ)のパートは合唱隊の一人が歌っていた(ので、アントニア役は歌手でないのかと思いきや、その後のパートはしっかり歌っていた)。
・「花たちよ」の最後のところ、「スカジー」でなく「スカザーチ」と楽譜どおり歌っていた(細かっ!)

本日の最後は証拠写真(笑)



当日販売されていた《セルヴィリア》のプログラム(100ルーブル)。詳細な解説が記されていると思われますが、残念ながらすべてロシア語でした。