海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

モスクワ訪問記──2016年春(目次)

2022年01月10日 | モスクワ巡り
2016年春、モスクワ。
この地での初演から実に100年以上の時を経て上演された、リムスキー=コルサコフの「幻の歌劇」《セルヴィリア》。
リムスキー愛好家を自認する私はなんとしてもこの作品を観たくて、ゴールデンウィークを利用してモスクワヘ4泊の旅行をしました。

主目的はもちろんモスクワ室内音楽劇場での《セルヴィリア》観劇だったのですが、滞在中モスクワをあちこち歩いてみると、案外ぶらぶらするのが楽しい街なんだなということに気付かされました。
2016年はちょうど復活大祭(5月1日)後の光明週間と重なり、長い冬を終えて春を迎えた喜びが街中に満ちあふれているような感じだったのです。



場所にもよるのでしょうけど、大都会でありながら田舎の雰囲気も併せ持つ、ちょっと不思議な感じもあって、これはモスクワの「広い空」がどことなくのんびりした気分に一役買っているのかもしれませんね。

では「大いなる田舎」モスクワのぶらぶら歩きの様子をご紹介していきましょう。




<モスクワ街角点描>
偉人の館
生き残った構成主義建築
犬も歩けば劇場の街
中世をしのばせる教会
グム百貨店
壁面アート
大祖国戦争戦勝記念

<宿泊ほか>
ブダペスト・ホテル(宿泊)
モスクワ巡り摂食事情



<オペラ観劇>
モスクワ・オペレッタ劇場~喜歌劇《こうもり》
ヘリコン・オペラ~歌劇《三つのオレンジへの恋》
モスクワ室内音楽劇場~歌劇《セルヴィリア》

<ミュージアム>
グリンカ中央音楽博物館
チャイコフスキーとモスクワ博物館(3部)
モスクワ・レーリッヒ博物館(2部)


モスクワ街角点描~偉人の館

2022年01月10日 | モスクワ巡り
歴史的に著名な人物の過ごした家を博物館や資料館として整備して公開する例は、ロシアでも数多くあります。

リムスキー=コルサコフで言えば、生活の拠点だったペテルブルクのアパートメント、生まれ故郷チフヴィンにある幼少期を過ごした生家、晩年に購入したリュベンスク・ベチャシャの夏の別荘(ダーチャ)の3箇所が彼の記念博物館として公開されています。
(誰もホメてくれませんが、この“三大聖地”を制覇したのが私のささやかな自慢です)

さて、ここモスクワと言えばチャイコフスキーですね。



チャイコフスキーの博物館としては、彼が晩年に過ごしたモスクワ郊外のクリンの屋敷がよく知られていますが、モスクワにも、その名も「チャイコフスキーとモスクワ博物館」が2007年に開館しました。



当ブログで詳しい訪問記を掲載していますので、ご興味があればご覧ください。


ここからは「外から眺めただけ」になります。
リムスキー=コルサコフと関係のあった人物の博物館に絞って見ていきましょう。

まずはシャリャーピン博物館。



この建物は大通りを挟んで「チャイコフスキーとモスクワ博物館」の対面に所在しています。
シャリャーピンその人については改めて説明するまでもないでしょう。不世出の大オペラ歌手ですね。



リムスキー=コルサコフとも交流があり、彼のオペラでも重要な役を担いましたが、最も有名なのは《プスコフの娘》でのイヴァン雷帝役になりましょうか。
あまり知られていませんがシャリャーピンの自伝には、リムスキー=コルサコフに言及した箇所がいくつかあり、同時代人の証言としても貴重です。
しかも、彼が書いたリムスキー=コルサコフの音楽の素晴らしさについては、これ以上のものはないだろうと思えるほど私は感銘を受けたものでした。ここで少しだけご紹介しておきましょう。

リムスキー=コルサコフの作品にも悲しみはある。しかし奇妙なことには喜びの感情を呼び起こすのである。諸君は彼の悲しみには全然個人的なものがないことに気づかれるであろう。───それは暗い翼をもって地上はるかに飛んでいる。

『キーテジの町』を聞いた人は誰でも、彼の音楽の清澄さ、抒情的迫力に驚かされるにちがいない。私はこのオペラをはじめて聞いたとき、精神的幻影を見て喜びに身震いした。‥‥‥神秘なこの遊星の上で人間が生き、そして死んでゆく。騎士、勇士、国王、皇帝、高僧、無数の人間が住むこの遊星は、しだいに暗黒に蔽われてゆく。やがて暗黒の中ですべての顔は地平線に向かう。彼らは清らかに、信仰に輝く暁の明星を待ち望んでいる。生きる者も死せる者も、名もなき霊感にあふれた祈祷者を誉め讃えて唱和する‥‥‥。
この祈りこそリムスキー=コルサコフの魂の中に住まうものであった。

『シャリアピン自伝~蚤の歌』内山敏・久保和彦訳、共同通信社 FM選書28



続いてはスクリャービン博物館。
観光地としても有名なアルバート通りのすぐ近くにあります。



私は彼の作品をほとんど知らないのですが、全く共通項が無いと思われるスクリャービンとリムスキー=コルサコフには、意外にも接点があったりするのです。
リムスキー=コルサコフを中心とした音楽サークルの作曲家たちの合作による作品がいくつかありますが、弦楽四重奏による《ロシアの主題による変奏曲》にはなんとスクリャービンも名を連ねています。
また二人は「色聴」の持ち主であったことも共通していますね。



陽も出てきて汗ばむ陽気になったのでクワスで一服。アルバート通りの近くのスーパーで買いました。




こちらの木造住宅はオストロフスキー博物館です。
アレクサンドル・オストロフスキーという名前にはあまりなじみが無いかもしれませんが、ロシアではよく知られた劇作家です。
近代演劇の推進者としても知られ、ボリショイ劇場の隣にある演劇専門のマールイ劇場の正面には、彼の功績を記念して石像が置かれています。

チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフによって音楽化された『雪娘』の原作は彼の書いた戯曲です、と言えば「ああ、そうなのか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
リムスキー=コルサコフは《雪娘》に大変感銘を受けて(ただし初めは全く理解できなかったそうです)、この作品をオペラ化する際、原作者に許可を得るべくモスクワを訪れ、彼から非常に丁寧な応対を受けたエピソードを自伝に書き記しています。


こちらはレフ・トルストイ博物館。
たまたま通りかかっただけでヘボい写真しか撮りませんでした。



トルストイと言えば故郷ヤースナヤ・ポリャーナが有名ですが、モスクワにも彼の博物館がいくつかあるようです。
これはその一つですが、こことは別のハモブニキという場所にある博物館の方がよく知られているようです。

ハモブニキのトルストイ邸には、リムスキー=コルサコフが夫人とスターソフと一緒に訪れたことがあります。
リムスキー=コルサコフとトルストイは芸術を巡って議論を戦わせましたが、どうやらあまり話が噛み合わず、世紀の対談(?)はお互いにあまりいい印象を持たずに終わったようです。

リムスキー=コルサコフはトルストイの芸術観に不審を抱いたらしく(彼の発言にいろいろと矛盾点を見出したようです)、彼との面会後はトルストイが芸術について述べた本は二度と読みはしないと言ったとか。
対するトルストイはトルストイで、日記に「昨日。スターソフとリムスキー=コルサコフ。コーヒー。芸術について下らない話」と記したそうです。

対談そのものは長時間にわたり、トルストイは帰ろうとしたリムスキー=コルサコフをわざわざ「差しで話がしたい」と引き留めて、結局彼らが辞去できたのは深夜零時半になってから。
帰る際に夫人のナデジュダがすっかり遅くなってしまったことを詫びると、トルストイは「お構いなく。今日は直接<闇>に対面できてうれしかったよ」と謎めいた返答をしたのです。
スターソフはこの発言にぎくりとして、リムスキー=コルサコフのコートを間違えて取って、逃げるように帰ったのだとか。

トルストイの言う<闇>(英訳で「darkness」)が、リムスキー=コルサコフ(の芸術観)の文字どおりの「暗い面」のことを言っているのか、無知蒙昧だと非難しているのかは不明ですが、リムスキー=コルサコフは後日、トルストイのこうした独特の言葉を「金色の板に刻み、さらなる啓蒙のために机の上に置きたい」と皮肉を込めて語ったそうですよ。




最後はプーシキン博物館。
ギリシャ古典建築の意匠を取り入れた立派な建物です。
前述のトルストイ博物館の近くにあります。

ロシアの詩聖とも呼ばれるプーシキンの作品は多くの作曲家によって音楽化されていますが、リムスキー=コルサコフもまた《モーツァルトとサリエリ》《サルタン皇帝の物語》《金鶏》をオペラ化したほか、ロマンスも多く作曲しています。


長々と書いてきましたが、今思い返すと、ちょっとの時間でも中に入って見ておけば...と少々後悔。
まあ、これは次回モスクワ訪問をした時の楽しみに取っておきましょう。

モスクワ街角点描~生き残った構成主義建築

2022年01月04日 | モスクワ巡り

「ロシア構成主義」という言葉をご存じでしょうか?
西洋美術史ではあまり触れられることがない、ロシア革命後のごく短い期間に燃えさかったアヴァンギャルドな芸術運動のことです。

「構成主義」とは、非常に大胆かつ雑に言えば、大衆の身近にある鉄やガラス、木材など、あるいは丸とか三角とか四角といった単純な図形を「構成」することによって、それまでのチャラチャラしたブルジョワ芸術とは一線を画した、民衆革命にふさわしい(と彼らは考えた)芸術手法が発端となっています。
革命によって、それまでの貴族のためのものであった芸術を大衆に取り戻すという思想が根底にあった、と言われれば「なるほど」と思いますね。

さて、この「ロシア構成主義」には絵画、彫刻(らしきもの?)をはじめとして様々な分野またがっていますが、建築の分野でも他には見られない非常にユニークな作品が登場しました。
私の勝手な分類ですが、この建築分野における構成主義には大きく二つの潮流がありました。

一つは「妄想系」。
革命による民衆の熱気をありありと感じさせ、未来社会への希望に満ちあふれているものですが、発想がユニークすぎて現在の眼から見てもぶっ飛んだデザインが特徴です。
ウラジーミル・タトリンによる「第三インターナショナル記念塔」がその代表格で、エル・リシツキーの「雲のあぶみ」やイワン・レオニードフの高層建築物などが知られています。

これらはもちろん実現することなく、スケッチや模型、せいぜいが仮設的な建築にとどまっており、ゆえに「妄想系」となるわけです。

これに対するのは「実在系」。
「妄想系」に対比して、文字どおり実際に建築されたものを指します。

実在する以上は機能的にも常識の範囲になっており、奇抜さや余計な装飾を排したシンプルなデザインです。
直方体やシリンダーなどのシンプルな立体要素を「構成」するデザイン手法という点では「構成主義」たる思想の名残が感じられるものの、今となっては見た日には多少レトロ感のあるモダニズム建築といった風で、インパクトは妄想系には遠く及びません(しかし、現在私たちが街中で見かける見慣れた建築デザイン手法でもあるがゆえに、後世の建築デザインに地味に影響を残したともいえましょうか)。

さて、前置きが長くなりましたが、モスクワの街巡りに戻りましょう。
若い時にかじった構成主義建築のことなど、この時はすっかり忘れていたのですが、街巡り初日に出くわしたのがこれ。



んん―?どこかで見たことがある建物...
視覚情報は結構記憶に残るとみえて、ほどなくロシア構成主義建築の一つ「イズベスチヤ本社」だったことを思い出しました。

実際に建築された実在系構成主義建築も、建築年代が古いので、私はモスクワ・オペレッタ劇場と同じくとうの昔に取り壊されているものと思い込んでいたのですが、今こうやって目の前に「実在」していることにびっくり。

私は写真の右半分の建物部分を年代感あふれる自黒のパースでしか見たことがありませんでしたが、今でも建設当時の姿をとどめています。構成主義建築の傑作ともいわれ、「実在系」では代表選手といってもよいのではないでしょうか。

さらに大通りを歩いて行くと、なにやら建物のてっぺんにオブジェが。



「ややややややや」と椎名誠風に目をこらしてみると、これはあの「第三インターナショナル記念塔」ではないですか!
もちろん、これは本物ではなく、何かオマージュ的なものとして、ビルの頂上に置かれたものでしょう。
よお―く見てみると、この記念塔の特徴でもあるらせん部分が階段になっていて、物見塔のようになっていますね。



本物(?)の大きな模型は、トレチャヨフ美術館の新館で展示されていましたが、写真は撮り損ねました。

ロシア構成主義は皮肉なことに革命後の体制側には受け入れられず、やがては「社会主義リアリズム」が主流になると、構成主義は建築以外の芸術分野でもあだ花のごとく歴史の狭間の中に埋もれていってしまいました。
建築分野では「スターリン様式」なるものに取って替えられ、構成主義建築が表舞台に立ったのは1920年頃からせいぜい20年間のことです。

ちなみに構成主義からスターリン様式への過渡期に登場したのが、「国立レーニン図書館(現ロシア国立図書館)」。



列柱が立ち並び、ファサード上部にギリシャの神殿のごとく彫刻が設置されて、古典的な表現手法への回帰が見て取れて興味深いものがあります。

今回は建築目的の旅行ではなかったので、ぶらぶら歩きの最中にたまたま見つけたものしかご紹介できませんが、教会建築なども含め、モスクワには面白い建築物が多くあります。
モスクワの建築巡りをしようとする際におすすめしたいのがこの本。



シア建築案内 単行本 – 2002/11/1
リシャット ムラギルディン (著), Rishat Mullagildin (原著)



モスクワのみならず、ペテルブルクやその他の主要都市に存する建築物をこれでもかと紹介してくれる本です。
正直、どのような需要層に応えようとしたのか謎ですが、建築好きであればこの本を手にロシアの街歩きをしても楽しめるのではないかと思います。


モスクワ街角点描~犬も歩けば劇場の街

2021年12月25日 | モスクワ巡り
犬も歩けば劇場に当たる───そんなことわざがあっても良いのではないかと思わせるほど、モスクワには多くの劇場がありました。

今回のモスクワ旅行では、実際に観劇をした「モスクワ・オペレッタ劇場」「ヘリコン・オペラ」「モスクワ室内音楽劇場」の他にも、外から眺めただけですが、いくつかの劇場などを巡ってきましたのでご紹介したいと思います。



まずは「スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場」。
オペラとバレエの公演を行っており、バレエ団はしばしば日本公演も行っていて、わが国でもわりと知られています。



1回では絶対に覚えられない長い名称ですが、俳優にして演出家、ロシア演劇の代表的人物の一人であるスタニスラフスキーと、劇作家、演劇指導者であるネミロヴィチ=ダンチェンコの2人の名前を冠しています。
後者が複合姓(でいいのかな?)となっていて余計にややこしいですが、例えるなら「チャイコフスキー&リムスキー=コルサコフ」みたいなものでしょうかね。
モスクワではボリショイに次ぐ高い地位を占めているようですよ。

次は「ノーヴァヤ・オペラ劇場」。エルミタージュ庭園の一角に存在しています。



「新しい(ノーヴァヤ)」とは裏腹に建物はロシア風アールヌーボーの意匠となっていますが、1991年の旗揚げ当時は意欲的なプログラムで注目を浴びた劇場です。
この劇場の主要演目の一つ、リムスキー=コルサコフの《雪娘》は高い評価を受けています。
本日の演目はプロコフィエフの《マッダレーナ》です。



「チャイコフスキー記念コンサートホール」。言わずと知れたモスクワ・フィルの本拠地ですね。
構成主義建築の名残が感じられる建物です。



コリドーの様子。カフェ「チャイコフスキー」が併設されています。



日本でもおなじみ指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの85歳を記念するコンサートのポスター。
彼を祝うポスターはここだけでなく、ボリショイ劇場をはじめいたるところで見かけました。
モスクワの全楽壇が祝福しているようです。



チャイコフスキーとくれば「モスクワ音楽院」。
付属のコンサートホールには有名作曲家の大きな肖像画が掲げられており、その中にはリムスキー=コルサコフもあります。
残念ながら今回は見送り。次回訪れる時の楽しみに取っておきます。



続いて「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ記念オペラ・センター」。
ボリショイ劇場の名花と呼ばれた著名なソプラノ歌手の名前を冠しています。



私はモスクワに行って初めて知った存在だったのですが、オペラ歌手の育成の他、コンサートなども行っているようです。
ちなみに下のポスターに掲載されているオペラは、左上から時計回りにリムスキー=コルサコフ《皇帝の花嫁》、グノー《ファウスト》、ヴェルディ《リゴレット》、チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》、ビゼー《カルメン》、チャイコフスキー《イオランタ》です。



音楽関係の劇場だけでもご紹介できないものがまだありますが、これからは音楽劇場以外のものも見ていきましょう。


まず「マヤコフスキー劇場」。モスクワ音楽院の近くにあります。



日本でも愛好者の多い革命詩人マヤコフスキーの名を冠しています。
アヴァンギャルドな名前に違和感ありまくりですが、演劇のための由緒ある劇場です。
ゴーゴリの作品などに定評があるようですね。

こちらはアルバート通りに面する「ヴァフタンゴフ劇場」。



ここまでくると、私もチンプンカンプンでまったく知らない世界ですが、名前を冠されたヴァフタンゴフはスタニスラフスキーの弟子だとか。
ここも由緒あるモスクワの劇場のようです。

「ナーツィ劇場」。訳すと国民劇場でしょうか。
赤を基調にした民族風の外観はマヤコフスキー劇場にそっくりですが、こちらは19世紀後半に設立された劇場で、かつては個人所有のものだった(!)らしいですよ。




地図を見ると劇場はまだまだたくさんあります。それだけ需要があるということなのでしょう。
モスクワっ子は音楽にバレエ、演劇と、ひいきにしている演奏家やダンサー、役者を観に劇場に足しげく通ったりしているのでしょうね。


さあ、そしてラスボスはもちろん「ボリショイ劇場」。
大幅なリニューアル工事を経て蘇った、ロシアのオペラ・バレエの総本山ともいうべき大殿堂です。



今回は見たい演目がなかったので観劇はしませんでしたが、個人的にはどこかふわっとした感じのマリインスキー劇場よりもボリショイの重厚なサウンドの方が好み。
ボリショイで観たいのはもちろんリムスキー=コルサコフの作品ですが、バレエではプロコフィエフの《イワン雷帝》ですね。

私ははじめバレエには全然関心がなく、チャイコフスキーなどのバレエを観ていても少しも面白いと思わなかったのですが、ある時ボリショイの《スパルタクス》のテレビ放映を観て衝撃を受け、以後男性陣が主役になる演目や《春の祭典》みたいなイカれた作品ならば好んで観たりしています。
ボリショイの《スパルタクス》は日本公演をしてくれましたが、《イワン雷帝》も生でぜひ観てみたい作品です。

ところで、ボリショイ劇場には影武者?があり、それがこちらの「ボリショイ新劇場」。
ちっとも新しくないですが、本家の大改装中にはこちらで公演を行い、工事完成後もそのままサブステージとして用いられるようになったそうです。



おまけですが、知る人ぞ知るボリショイ劇場近くの地下道に設置された日本の自動販売機!



私が初めていった海外旅行はフランスでしたが、日本では当たり前のようにあるコンビニや自動販売機が無いことにびっくりしたものです。まさにカルチャーショックでしたが、どちらかといえば日本が少数派だったということを後から知ったものでした。

ここモスクワでも自動販売機は見かけませんでしたが、こんなところに日本語表示のままダイドーの機械が設置されているのを見て、なんだかうれしくなりましたよ。
もっとも、飲み物の金額は日本の倍くらいしましたので、どれほど利用されているのかは不明ですけど。

モスクワ街角点描~中世をしのばせる教会

2021年12月24日 | モスクワ巡り
ロシアの教会といえば葱坊主のドームをいただいた、おとぎ話に出てきそうな建物ですね。
京都や奈良の神社仏閣のように、モスクワには街中のあちらこちらにロシア正教会の建物があります。



一番知られているのはこの「聖ワシリー寺院」。
正式には「堀の生神女庇護大聖堂」というらしいのですが、一般には聖ワシリー寺院の名称で知られていますね。

私がこの建物の写真を初めて見たのはレコードのジャケットだったと記憶していますが、そのときはてっきリアラビアかどこかの建物だと思っていました。
このような不思議な意匠がロシア正教会のものだと知ってびっくり。
西洋の教会建築とはまるで違うので、宗教施設だなんてこれっぽっちも思わなかったのです。



次はモスクワ川のほとりにその威容を誇る「救世主ハリストス大聖堂」。
驚くなかれ、この内部には1万人が収容できるとか。
スターリンの命令により爆破され、その後2000年になって元通りに復元されたという、曰く付きの聖堂です。
とにかく大きくて目立つので、モスクワの街にあってはランドマーク的な存在。



聖堂の前ではロシア正教会の写真展が開かれていました。
いずれも息をのむような美しさでした。



クレムリンの内側にある聖堂群。中央に「アルハンゲルスキー聖堂」、その陰に「ウスペンスキー大聖堂」を遠望。右側にそびえ建つのは「イヴァン大帝の鐘楼」です。その高さなんと81m。

ロシア正教会の建築様式にも様々なものがあるようですが、それらをまとめて観ることができるのが、「ヴィソーカ・ペトロフスキー修道院」。観光客もあまりいなくて、静かに散策するにはおススメの場所です。



私が訪れたときは復活大祭後の光明週間で、境内には復活祭のカラフルなお卵さまのオブジェが配されていましたよ。



案内板にそれぞれの聖堂の建築年代が記されていました。ほとんどが17世紀後半の建造なんですね。

バガヤヴレンスキー修道院(神現修道院)」。



色合いだけ見るとまるでファッションホテルですが、モスクワでも最古級の由緒ある修道院だそうです。
ロシアで見かける教会は色使いが多彩であるのも魅力ですね。

さて、モスクワの教会はこうした有名な大聖堂だけでなく、むしろ、街角にひっそりとたたずむ、こぢんまりとしたものに魅力があるといってもよいでしょう。



その代表選手、「プチーンカのロジュジェストヴォ教会(聖母マリア降誕教会)」。
彫りの深い意匠の凝らされた純自の壁面に、空に伸びていくようないくつもの尖塔。その頭に金色の十字架をいただく紺青色の葱坊主。
清楚で可憐な少女のようです。



高層建築の陰にひっそりとたたずむは「シメオナ・スタルプニカ教会」。
新アルバート通りの「ドム・クニーギ(本の家)」の近くにあります。
こちらのドームはエメラルドグリーン。これもまた美しいですね。

「クリシキの全聖者教会」。
スターラヤ広場を南に下ったところにあります。



美しい教会として知られているようですが、なんとなく鐘楼部分は右に傾いているような......?
モスクワの斜塔ですね。

モスクワにはそのほかにも紹介しきれないほどの教会がたくさん。



モスクワの街歩きをしていると、時おり「チャンチャンチャンチャン......」と教会の鐘の音が聞こえてきます。
中世のモスクワをしのばせるひと時ですね。
いろいろな教会に出会えるのもモスクワ歩きの醍醐味です。



モスクワ街角点描~グム百貨店

2021年12月23日 | モスクワ巡り
赤の広場に隣接する巨大な建築物「グム百貨店」。
観光名所としても知られている旧国営百貨店です。



正面ファサードは商業施設であることをほとんど感じさせません。
少々威圧的な感じさえ漂う、堂々とした造りですね。
入り口のアーチ上部にはイコンが埋め込まれています。





ところが内部に入ると雰囲気は一転。
トップライトからの陽光が降り注ぐ大きな吹き抜け空間の両脇に店舗が並ぶ、イオンモールのようなしつらえ。
もちろん、こちらの方が大先輩になります。



そしてここでもロシア人の「見せ方」に感心。
噴水に春を感じさせる桜のような木を配置。
空中に浮かんでいる構成主義っぽいオブジェも、半透明の素材を用いて主張しすぎず、トップライトのフレームを配して空間に溶け込むように。



1階フロアでは何かの展示をしていましたが、美しいパネルを規則的に並べてリズムを作っています。



視覚的にも柔らかく、観光名所になるのもうなずける話で、旅の合間の一服の清涼剤になりました。

モスクワ街角点描~壁面アート

2021年12月22日 | モスクワ巡り
モスクワの中心地にひときわ目立つこの壁面。
「Я💛MOCKBУ(ヤー・リュブリュー・マスクヴー)」と書いてあります。
お察しのとおり、「アイ・ラブ・モスクワ」ですね。
トリックアートでしょうか。いい感じに文字が空中に浮かんでいるよう。



こちらは「ГTO」、ローマ字なら「GTO」となります。まさかオニヅカ先生ではないでしょうが、いったい何でしょう?
びっちり文字が書き込まれていますが、面倒なので意味までは探るのはやめておきましょう。



お次は、有名な映画監督エイゼンシュテイン。ご尊顔もアヴァンギャルドです(笑)。
彼の監督した「戦艦ポチョムキン」は映画史上に燦然と輝く作品ですが、個人的には「イワン雷帝」の方に惹かれます。
私の中では、雷帝の妻を演じたリュドミラ・ツェリコフスカヤさんは、18歳の岩下志麻さん、ウルトラセブンのアンヌ隊員演じたひし美ゆり子さんと並ぶ三大美女ですからね。



こちらのイケメンはイヴァン・レオニードフさん。妄想系構成主義建築家です。
背景に彼のデザインした超高層ビルが描かれていますね。

なんでしょうね.....こうした壁面アート、悪目立ちすることもなく風景に溶け込んでいるような気がします。
こうしたところにもロシア人のセンスや美意識が感じられますね。

ブダペスト・ホテル(宿泊)

2021年12月21日 | モスクワ巡り
モスクワ滞在に利用したのがここブダペスト・ホテル。
ボリショイ劇場から北側へ少し歩いたところにあり、今回の旅行の目的である各劇場へは徒歩で行ける便利な場所です。

ブダペスト ホテル モスクワ
http://budapest.moscowotel.ru/ja/


ホテル巡りが好きであれば、毎夜場所を替えることもあるかもしれませんが、いちいち荷物を持って移動するのも面倒だし、私はここに4日連泊しました。

部屋の中はこんな感じ。控えめなインテリアですが、天丼が高くてゆったりしています。



「お湯が出ないと死んでしまう日本人」などと椰楡されることもありますが、ここはお湯もしっかり出ましたし(笑)、特に不満はありませんでした。



このブダペスト・ホテル、レーニンにもゆかりがあったようで、外壁にプレートがはめ込まれています。



実は私は2日目か3日目の昼間の外出から戻った際に、ホテル内で部屋のカードキーを落としてしまい、真っ青になって廊下を探していると、人なつこそうなほほえみをたたえたホテルの年配の男性従業員さんが「探しているのはこれでしょ」と目で語りながら、わざわざ届けに来てくれたのでした。

そのときは緊張が解けて全身の力が抜けていくようでしたが、モスクワでこのような親切な対応を受けたことに感激したものでした。



これといって派手な特徴はありませんが、落ち着いた感じで、静かに過ごすにはいいホテルだったと思います。

モスクワ街角点描~大祖国戦争戦勝記念

2021年12月20日 | モスクワ巡り
赤の広場、ワシリー寺院の前に鎮座するは、第二次大戦におけるヨーロッパ戦線での勝利を祝う「大祖国戦勝記念日」の巨大なオブジェ。
「5月9日」と書いてあります。



そういえば、モスクワ滞在中にしばしば耳にしたのが空から降り注ぐ爆音。
どうやらこれは戦勝記念日のプレイベント的にモスクワ上空を様々な軍用機が飛行していたからなのですね。
ミグかスホーイか、遠目にもしっぽ(尾翼)が二つあるとわかる戦闘機の編隊飛行も見られ、ミリオタなら感涙ものだったことでしょう。


よくは知りませんが、MIG31でしょうか

そしてこちら。



この状態になる前のまだ空が明るい夕刻、劇場に向かう道すがら、とある大通り周辺に大勢の警官がいて、なんだか物々しい雰囲気。
重大事件でも起きたのか、不審者に間違えられてタイホされないように足早に立ち去ったのですが(笑)、劇場からの帰り道、この有様を見てすべてを理解できました。

警官が多数いたのは、パレードをするために大通り上に多数の軍用車を待機させる必要があり、その交通整理のためだったのですね。
市民も多数見物にやってきていて、なんだか夜祭りのような状態に。



ミニスカートの軍服(?)をまとったおねいさんが何人かいて、人混みの中をあちこち歩き回り、バッチか何かを売って寄付を募っているようでした。


左下のサンダーバードのような帽子を被ったおねいさん二人。戦果の報告中?

さてこの光景、わが日本ではあり得ませんが、あえて例えるならば、皇居外苑での軍事パレードに備えて、内堀通のはずれに自衛隊車両が待機しているようなものでしようか。

海外に行くとカルチャーショックを受けることが多々ありますが、その一つに戦争に対する国民の考え方の違いがありますね。
それを目の当たりにしたモスクワの夜でした。

モスクワ巡り摂食事情

2016年07月24日 | モスクワ巡り
海外旅行での楽しみの一つが現地での食事。
ただ今回のモスクワ旅行では、

・別に食事目的で来たわけではない
・食事で時間を取られるよりもいろいろ見て回りたい
・異国の店で一人で食事をするほど語学力も度胸もない ←コレ

ということで少々考えてみました。

朝食はホテルでビュッフェ式のものが利用できましたので、当然これを選択。
ビュッフェ式=食べ放題ではないとの説がありますが、できるだけビュッフェでおなかに詰め込みます。
食い散らかすと迷惑ですので、あくまでお上品に。

私が泊まったブダペスト・ホテルの朝食はこんな感じ。



フランスのホテルなんかだと、朝食はパン、フルーツ、ヨーグルト、飲み物程度と、簡単なものしか出てこないことが多いようですが、これだけ食べられれば(おかわりもします)言うことありません。
今日食べることができるのは今しかない!というくらいの気合で(しかしお上品に)挑みます。



さて問題は昼。
メシで時間を取られるのはイヤだけど、腹はそれなりに減ってくる。
朝あれだけ食べておいても、日中あちこち歩き回っているので無理もありません。

そこで「行動食」なるものを導入。
登山の用語のようですが、山歩きでは、昼間になるべく距離を稼ぎたいのと、移動中にガスコンロなどで調理するのが面倒くさいといった理由で、カロリー高めの携行食品で休憩時間に食事を済ませることがあります。

「行動食」というと大げさですが、登山用品店で売っている舶来ものでなくても、コンビニで手に入るやつで十分です。
私が日本から持っていたのはこいつら。



ちょっと小腹がすいたなと感じたら、公園などで休憩がてらこっそり食べます。
もちろん一度に全部食べることもないので、その都度適当な場所で。
時間もとらないし、なかなかいいやり方だと感じました。
街歩きが主体で食事にこだわらない旅行ならおすすめです。



最後は夕食。
私の場合、夜は観劇でしたので、昼間歩き回って夕方ホテルに帰投、シャワーを浴び着替えて劇場に出撃する前にちょっと食べておくものです。



日本が誇るインスタント・カップ麺。
これ一択です。
日本のホテルのように湯沸かしポットは部屋に置いてありませんので、東急ハンズで買ったものを持参。
軽くてそんなに高くもないので重宝しました。
購入時に使用可能電圧を確認することと、旅行時に変換プラグを忘れないこと、これを怠ると終了ですからね。

日中街を歩いていると、敷居の高くなさそうなスーパーがあったりして、ちょこっと覗いてみて何か買ったりもできます。
2日目の晩飯はこれ。



スーパーで売っていたおにぎりが追加。
ひらがなで「おにぎり」と書いてあったのが少々感動。
味はまあまあでした。

3日目です。ビールがあるということは劇場から帰ってきてからだったかも。



てまりずしっぽいのとサラダ。右上の小さいカップはつまみ用の何かのタネです。
見た目は豪華?になりましたが、残念ながらてまりずしはパサパサしていて美味しくはありませんでした。
サラダはそれに比べればマシな程度。
これらは残念賞でしたが、ビールが手に入ったのは良かったです。しかも安い。ミネラルウォ-ターよりも安いんですね。
お土産用に数本購入したほか、寝る前に晩酌でグビグビ。
やっていることが日本に居る時と同じですね...。