海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

キュイの歌劇(その3)~《ペスト流行期の酒宴》

2004年09月29日 | 関連人物
キュイの歌劇で唯一全曲盤がリリースされている《ペスト流行期の酒宴》は、ロシアの大詩人プーシキンの生誕100周年を記念して作曲されたものです。

「ペスト流行期の酒宴」とは歌劇らしからぬ奇妙なタイトルですが、原作となったプーシキンの小悲劇の題名をそのまま使っているものです(英訳の'A Feast in Time of Plague'のPlagueは、プラハPragueではありません。念のため)。

プーシキンの創作の中で「悲劇」に分類される作品は、未完も含めると7作ありますが、もっともよく知られているのが『ボリス・ゴドゥノフ』でしょう。
言うまでもなくムソルグスキーの同名の歌劇の元となった作品です。
以下「小悲劇」として、『ペスト流行期の酒宴』のほかに『吝嗇の騎士』『モーツァルトとサリエリ』『石の客』、未完のものとして『ルサルカ』『騎士時代からの場面』があります。

もうお気づきでしょうが、最後の作品を除けばこれらは全てロシアの作曲家たちによってオペラ化されています(ダルゴムィジスキーの歌劇《ルサルカ》は、未完の部分を自ら補って台本として使用)。
これまでただ一つ『ペスト流行期の酒宴』のみが録音の機会に恵まれなかったのですが、今回シャンドスからリリースされたことによって、目出度くプーシキンの悲劇を原作として作曲された歌劇は、全て聴くことが可能になったわけです。

マイナーな歌劇を楽しもうとするときにネックになるのが、その話の内容です。
筋書きに関係なく、オペラを純粋な音楽として聴くことも一つの方法でしょうけど、私は舞台の時代背景などにも詮索してみたいクチで、あらすじ位は押さえておかないと話になりません。
外国語に堪能であれば、CDに付いているブックレットの英語の解説やテキストなどを頼りに理解していくことはできるのでしょうけど、私のような数行読んだだけで頭痛がする人間は、やはり日本語でラクに済ませたいところです。

有名な文学作品が原作であれば、その邦訳を探すのが一番手っ取り早いです。
ありがたいことに『ペスト流行期の酒宴』はプーシキン全集の中にちゃんと収録されていて(河出書房新社刊「プーシキン全集」第3巻)、しかもキュイはこの作品のオペラ化に際して原作にほとんど手を入れずにそのままテキストとして使用したそうですから、図書館に行く労さえ厭わなければ、簡単に「歌詞カード」や「解説」を手に入れることができるわけです。
最初に聴いたときにはわからなかった、途中に挟まれる重苦しい音楽は、ペストで死んだ人々を乗せた荷車が傍らを通り過ぎる時のものであるということも、日本語を読みながらだとすぐにわかるのですから、ラクチンですね。

《ペスト流行期の酒宴》は30分ほどの短い歌劇です。
ペストの流行する17世紀のロンドン。
日は我が身かと絶望しつつも、路傍で酒盛りをして気を紛らわす数人の男女たちの様子を描いた作品ですが、「狂乱の酒宴」というよりは、死を面前にして淡々と酒を酌み交わすといった表現のがふさわしい情景です。

この歌劇の中核をなすのは2つの歌───「メリーの歌」と「ワルシンガムのペスト賛歌」です。
キュイはこの2つの歌をちゃっかり自分の過去の歌曲から転用していますが、悪くはありません。
途中、周囲の者たちがワルシンガムを称えて囃し立てる箇所だけは、ロシアの歴史オペラにおける民衆の合唱ばりに盛り上がってしまい、ついニヤリとしてしまいますが、全体に手の込んだ、熟達した筆による佳品であるように思います。

この歌劇(小悲劇)の主題は、プーシキン全集の解説によれば、プーシキンの他の悲劇と同じく、「極限状況における人間の心理を描き出す」ことにあるとされています。
ペストによる死を面前にした人間の振るまいは、この劇の中では「忘却」「宗教」「運命愛」としてそれぞれの人物に投影されているというのです。
特に、「宗教」と「運命愛」については、この話のオチに相当する部分───妻を亡くして気の狂ってしまった司祭と宴会を取り仕切るワルシンガムが実は親子とわかる───によって、より先鋭に対比されているようでもあります。

二人が「親子」ということについては、解説には触れられておらず、私も今ひとつ確証がもてません。
しかし、司祭がワルシンガムの亡母のことを持ち出して彼に改悛を迫る場面で、ある女に「埋葬された奥様のことをうわごとのように言っている」とつぶやかせ、この二人の関係はあるいは───とうかがわせておき、最後に「さらばじゃ、我が子よ」と司祭がワルシンガムに言って別れるのは、単に宗教的な指導者と信徒という関係から「子」と呼んでいるだけではなく、実は本当の親子ではないか───ということを、依然謎をはらみつつもほのめかしているように私には思えます。

《ペスト流行期の酒宴》の結末の何とも言いようのない後味の悪さ───《モーツァルトとサリエリ》もそうでしたが、1回かそこら聴いただけではわからない 「何か」───日常の生活ではあまり感じない漠然とした不安感──に引き込まれて、何度も聴くうちにだんだんと深みにはまっていってしまう、そんな危険な香りのするオペラであるといえるでしょうか。

***

そして2020年の今。
新型コロナで世界中がひっくり返っています。
歴史上の出来事でしか知らなかった世界が、今まさにわれわれに降りかかってきていますね。


[この記事は「コルシンカの雑記帳」に掲載していたものに加筆修正して再掲しました]

キュイの歌劇(その2)~実はオペラの大作曲家?

2004年09月25日 | 関連人物
キュイの作曲家としての知られざる面として取り上げたい「オペラ大作曲家」の顔。
ただし、そうだったかもしれない、という注釈付きでトーンダウンしてしまうのは、何しろ、作品の数はともかく、その質───肝心の内容がどのようなものなのか、ほとんど全く知る手がかりがないからです。

私の知る限り、キュイの歌劇の全曲盤の録音は今回の《ペスト流行時の酒宴》が初めてで、他はあったとしても断片的なものにとどまっているようです。【注】
旧メロディアなら全曲盤が出ていた可能性もありますが、残念ながら私は知りません。

キュイの歌劇の作品目録を一応記しておくと、次のようになります。

 《中国役人の息子》 全1幕
 《コーカサスの捕虜》 全3幕(プーシキンの長編詩)
 《ウィリアム・ラトクリフ》 全3幕(ハイネの戯曲)
 《ムラダ》 (ボロディンらとの合作)第1幕のみ
 《アンジェロ》 全4幕(ユーゴーの戯曲)
 《海賊》 全3幕(ルシュパンの戯曲)
 《サラセン人》 全4幕(デュマの戯曲)
 《ペスト流行時の酒宴》 全1幕(プーシキンの小悲劇)
 《マドモアゼル・フィフィ》 全1幕(モーパッサンの戯曲)
 《マテオ・ファルコーネ》 全1幕(メリメの戯曲)
 《雪の勇士》 全1幕※
 《大尉の娘》 全4幕(プーシキンの小説)
 《赤ずきん》(ペローの童話)※
 《イヴァンのばか》 全3場※
 《長靴をはいた猫》 全3幕(ペローの童話)※

他に未完の作品もあるようですが、上記で全15作。
数だけなら「ロシア最大のオペラ作曲家」であるリムスキー=コルサコフと並びます。
キュイの15作品のうち、子供向けの児童歌劇4作(※印)と、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ミンクスとの合作予定で未完に終わった《ムラダ》とを除いた、「一般的な」歌劇としての作品数ならば10になります。

さて、今回リリースされた《ペスト流行時の酒宴》以外のキュイのオペラは聴いたことがありませんから、「どれが最高傑作か」などという話は私には出来ませんが、彼の小伝などで比較的目にするのは《ウィリアム・ラトクリフ》でしょうか。
スターソフもこの歌劇を褒め讃えていたようです。
音楽的な内容についてはもうこれ以上先に進めませんが、ただ、上記の作品目録を眺めているだけでもいろいろと興味が引かれるところがいくつかあります。

まず、「ロシア国民楽派」のキュイは、歌劇の目録を見ても、ロシアの土着的な匂いは希薄であること。
プーシキンの原作も3作ありますが、そのうち《ペスト流行時の酒宴》はイギリスが舞台。
プーシキン以外はフランス系のものが多く、この点は、ボロディンやムソルグスキー、リムスキー=コルサコフとは明らかに異なっています。
これはやはり父親から受け継いだ「血」なのでしょう。

2つ目は「児童歌劇」が4作もあること。
「児童歌劇」なるものがどのようなものか、私は全く知らないのですが、辛辣な批評で名を轟かせたキュイが子供向けの歌劇を書いているなどと聞くと、まるでブラックジョークです。
このジャンルの創作が晩年に集中しているのも何か理由のあることかもしれません。

3つ目は《ムラダ》。
未完となったこの合作による歌劇を後にリムスキー=コルサコフが単独で完成させたことは比較的知られていますが、元の方の《ムラダ》もキュイに割り当てられた第1幕は彼がすでに完成させていたのです。
ということは、《ムラダ》の第1幕に関しては、キュイのものとリムスキー=コルサコフのものとがあるということで、その両者の比較をしてみるのは面白そうです(可能ならば、ですが)。

他には《大尉の娘》。
これは小説(岩波文庫にあり)が面白かったので、音楽作品としてもぜひ聴いてみたいという個人的な期待感からです。
もちろん、他の作品も機会があればぜひ聴いてみたいと思っています。
繊細でエレガントな彼の作風が音楽劇となるとどのように感じるか───物足らないと思うかもしれませんが、他のメンバーのようなアクの強くない音楽も悪くないのではないでしょうか。

***

【注】今回(2020年5月)、改めてキュイの歌劇の録音を調べてみたら、旧ソ連時代(1949年)の録音で《イヴァンのばか》がCD化されていることを知りました!
入手できるかな?


[この記事は「コルシンカの雑記帳」に掲載していたものに加筆修正して再掲しました]

キュイの歌劇(その1)~人物像

2004年09月23日 | 関連人物
ロシアの作曲家ツェーザリ・キュイの歌劇《ペスト流行期の酒宴》のCDが発売されました。

A Feast in Time of Plague (amazon.co.jp)
Andrei Baturkin (baritone)
Alexei Martinov (tenor)
Dmitri Stepanovich (bass)
Ludmila Kuznetsova (mezzo-soprano)
Tatian Sharova (soprano)
Russian State Symphony Orchestra
Valeri Polyansky (conductor)

これはロシア歌劇の愛好者にとっては特筆すべき記念的な出来事なのです。
というのは、キュイの歌劇が完全な形でリリースされたのは、レコード時代も含めておそらく初めてのことだったからです。

ツェザーリ・アントノヴィチ・キュイ(1835-1918)というと、どのような人物像が浮かぶのでしょうか。
一般的にはおおよそ次のようなところでしょう。

 1 ロシア五人組のメンバーの一人
 2 歌曲やピアノ作品などの小品で(多少)知られている
 3 毒舌の批評家

私は4番目として「実は大オペラ作曲家(らしい)」を加えたいのですが、それはさておき、これらの一つひとつを、彼の生い立ちや社会的地位を交えながら検証していくと、彼がいかに複雑で矛盾に満ちた人物であるかということが見えてきます。
その考察は別の機会にするとして、ここでは3つ目の「毒舌の批評家」という点に少々触れておきます。

「もし地獄に音楽院があり、...」と、ラフマニノフの交響曲第1番の初演に対してキュイが寄せた有名な批評があります。
若きラフマニノフをノイローゼに追い込んだ遠因の一つとも言われる曰く付きのものですが、もちろんこれだけではなく、彼が書いた辛辣な、時として仲間からも悪意に満ちているとすら受け取られた批評のおかげで、彼は多くの「敵」を作ってしまったようです。
それが伺える当時のカリカチュア(風刺画)があります。
これがなかなか味わい深い(?)ものなので、ご紹介しておきましょう。

古代ローマの円形闘技場。
皇帝の観覧席に座っているのがキュイその人です。
キュイの名前のフランス語読みセザールCesarは、いうまでもなくカエサルCaesarに語源を持つものであり、音楽論壇におけるこの「独裁者」を古代ローマ皇帝になぞらえているわけです。
そして、試合場からその皇帝キュイに向かって剣を高々と上げて拝謁する4人の剣闘士たち。
古代ローマにおいては、戦いの前に皇帝の面前でこうするのが習わしだったそうですが、よく見るとこの剣闘士たちの出立ちはどこかおかしくて、色々な国の民族衣裳のようなのです(この点に注目)。
さらに剣闘士たちが剣とは反対の手に持っている楯には何やら文字が刻まれています。
実は、これらはそれぞれキュイが作曲した4つのオペラのタイトルとなっているのです。

このカリカチュアは二重の意味でキュイを皮肉っています。
すなわち、この4つのオペラの中で、生き残っていくのは果たしてどれか、時代の試練に耐え後世に伝えられていくほどの「力」のある作品はどれか、という問いかけに加え、さらにあなたのアイデンティティは一体どこの国のものなのか───という、キュイの出自にも関わる、ある意味差別的で陰湿な「仕返し」をもしているわけです。

2番目の意味については少し補足が必要です。
キュイのオペラの作品リストを見ると、ロシア以外の作品を原作としているものが数多くあります。
今回発売された《ペスト流行期の酒宴》も、ロシアの大詩人プーシキンの原作ではありますが、舞台はロシアではありません。
オペラ以外でも、どちらかと言うと上流社会向きのサロン風音楽が多いとされており、「ロシア五人組」「国民楽派」の一人であっても、キュイに限っては他のメンバーほどのロシアの土着性は感じられず、明らかに彼らの中では浮き上がった存在です(その彼が「五人組」の急先鋒として論陣を張るという何たる矛盾!)。
よく指摘されるように父がフランス人、母がリトアニア人であるという複雑な彼の「出自」が、音楽作品にも反映されているということなのでしょう。

話をオペラに戻すと、彼の作品の舞台はロシアだったり、イギリスだったり、フランスだったり、中国だったりと多様なのですが、先ほどの剣闘士たちも実は楯に刻んだオペラの舞台となった国の衣裳を身につけていたわけです。
彼らの中で生き残るのは、どの「国」なのか、すなわち、カリカチュアには帝政ロシアの老臣たるキュイは、何人として振る舞うべきなのかを問いただすという強烈な当てこすりをも織り込んでいるのです。

実はこのカリカチュアには、もう一人の人物が試合の進行を司る役人として剣闘士たちの横に描かれているのですが、残念ながらこの人物が誰なのか私には分かりませんでした。
この人物とキュイだけが、リアルスティックな似顔絵で描き込まれているのです。彼が誰なのか身元が割れれば、さらにこのカリカチュアを面白く見ることが出来るかもしれませんね。



[この記事は「コルシンカの雑記帳」に掲載していたものに加筆修正して再掲しました]