海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《アンタール》の「版」に関するメモ6

2008年02月21日 | 《アンタール》
【6】真相は明らかに...?

上野へ行ってきました。文化会館の資料室で不明だった点を確認、結論としては次のとおりです。

(1) スヴェトラノフの演奏は「第3稿」(1898年)
(2) ヤルヴィの演奏は実は「第4稿」(1903年)
(3) 版の混乱の原因(の一つ)は「第4稿」が「1898年版」として出版されている(らしい)こと

結局、ヤルヴィ盤の解説での記述は、実は「第4稿」(1903年)による演奏であったにもかかわらず、それに気付かないまま決定稿である「第3稿」(1898年)であると思い込んでいたため(何しろ楽譜には「1898年版」と書いてある!)、ということになりそうです。

本日確認できた点は以下の項目についてです。


■手持ちの「第3稿」の楽譜は、全集の「第3稿」と同じか?

比較したところ、「creschendo」が「<」と表記されているなどの差異はあるものの、内容的には同じものでした(疑っていてごめんなさい)。ということは、もう一つの手持ちの楽譜は「第2稿」であると信頼してもいいでしょう。


■「初稿」と「第2稿」の違いは?

まず、以前書き漏らしたことですが、「初稿」の楽器編成の特異性としてもう一つ、ハープが2台というのがありました。

違いですが、楽器編成を一般化したことなどに伴う変更があります。
「初稿」では第1楽章冒頭の不安げな茫洋とした和音はファゴット3本で奏されているのが、「第2稿」以降ではファゴット2本にホルン1本、「初稿」ではハープで奏されている分散和音が、「第2稿」以降では弦のピチカートに置き換わるなど。もちろん、他にも細かな変更点はたくさんあります。

基本的な曲の構成は変化ありませんが、分かりやすいところでは、「初稿」の第4楽章は導入部がなくいきなりアラビア風のメロディで始まります。あと、これはよく分かりませんでしたが、第1楽章以外は、いずれも途中の経過部が少し違っている箇所があるような感じです。


■「第4稿」について

上野にあったのは、Boosey & Hawkes 社のものでした。
このポケットスコアの扉には「1897年版」と明記されているのですが、

・全集(手持ちの楽譜もそう)の1897年とは明らかに異なる
・全集の解説に「1903年版」の特徴として示されている、各弦楽器の数が書かれている
・内容的に「第2稿」とほとんど変わらない
・扉に「By arrangement with W.Bessel & Cie」と書かれており、ベッセル社の意向で編曲されたものであることがうかがえる

ことから、これこそが「第4稿」(1903年)であると見て間違いないと思います。
と同時に、この楽譜が「第3稿」として世間に多く出回ってしまったがために、実は「妥協の産物」であるこの版が、作曲者の望んだ最終稿であるとして誤って受け入れられてしまったようです。


■「第2稿」と「第4稿」の違いについて

基本的にほとんど変わりません。
例えば、第1楽章冒頭のファゴットとホルンで奏される不安げなメロディが2回目以降に繰り返されるとき、「第2稿」では途中まで1オクターブ低くなっているとか、第3楽章の最後で、「第2稿」では演奏されていない楽器を「第4稿」では加えて厚みを出している、といった程度のものです。これは「版を彫り直さなければならないような変更はしない」として出版社がしぶしぶ受け入れたとされる「第4稿」誕生の経緯とも整合しています。


以上のことでとりあえず《アンタール》の「版」に関する疑問点のかなりの部分は払拭できました。細かい点ではまだおかしいと思うことはあるものの、おそらく、それらは指揮者による「編曲」や、あるいはライナーノートを書いた人の単なる勘違いの部類のものではないかと考えられます。
まあ、諸悪の根源(?)は「第4稿」を「第3稿」とした出版社にあるということなのでしょうかね。

《アンタール》の「版」に関するメモ5

2008年02月11日 | 《アンタール》
【5】さらなる混乱ととりあえずのまとめ

先に述べたように私はずっとヤルヴィ盤《アンタール》が正統版「第3稿」だと信じていましたので、例えば、スヴェトラノフの演奏による《アンタール》は「第2稿」あるいは「第4稿」、つまりは「海賊版」であると思っていました。

スヴェトラノフはその生涯において実に4回も《アンタール》を録音しておりますが、それらはいずれも同じ「版」によっていると思われます。その「版」は、くどいですが、手持ちの楽譜が正しいとすれば「第3稿」なのです。つまり、スヴェトラノフのものこそが正統であって、ヤルヴィのものが海賊版ということになってしまうのです。

考えてみれば、スヴェトラノフは自伝中でもリムスキー=コルサコフに対する思い入れというものを至る所で語っていますし、どの「版」が正統であるのかくらいは先刻承知であったとも思われます(《アンタール》に関する言及はありませんが、演奏に際して用いるべき「版」に注意すべきといったことも書かれています)。そう考えると4回の録音についても一貫として「第3稿」を用いているのも納得が行くところです。ところが、です。4回目の録音となったCDには「1876年版」つまり「第2稿」であると明記されているのです...。(【2015.9.28追記】ここでは「1875年版」を初演した1876年により「1876年版」としているものと思われます。)

ここでこう考えてみましょう。単純に手持ちの楽譜の「第2稿」と「第3稿」が入れ替わっているのだと。
楽譜で「第2稿」とされているのが実は「第3稿」で、「第3稿」が「第2稿」であるとすれば、ヤルヴィ盤とスヴェトラノフ盤において使用された「版」への疑問についてはあっけなく解決してしまいます。

あるいはそうかとも思ったのですが、Gerald R. Seamanの編集した「Nikolai Andreevich Rimsky-Korsakov, A Guide to Reserch」を調べると、第2楽章の冒頭の調性について、「第3稿」がニ短調であるのに対して「第4稿」は嬰ハ短調とされています(なぜか「初稿」と「第2稿」に関しては記載無し)。
「第4稿」は「第2稿」の異稿とされていますから、この資料に従えばおそらく「第2稿」についても嬰ハ短調ということになるでしょう(何しろ、版の彫り直しが面倒だからという理由で「第4稿」ができたという経緯ですから)。実はこの記述は、手持ちの楽譜と整合しています。つまり、手持ちの楽譜の「第2稿」と「第3稿」がそっくり入れ替わっているとも考えにくいのです...。


ということで、《アンタール》に関する「版」の謎は深まるばかり(?)です。
(ついでに書いておくと、バケルス指揮のBIS盤は「1897年版」つまり「第3稿」を用いているとブックレットに記されており、おおむね手持ちの楽譜と整合していますが、特徴として挙げた第2楽章のアンタールの主題を追っかけるティンパニの部分は「ダッダダン」「ダンダン」の双方が入っています。これは指揮者の「編集」ということなのでしょうか?)


まあこの問題が解決したところで、人類にとってシアワセなことが起きるわけではありませんから、最初に書いたようにどうでもいいことなのですが、とりあえずこれまでの「メモ」で私にとってどこが「気持ち悪いのか」がひとまず整理できただけでも良しとしましょう。
今度上京する機会があれば、上野に籠っていろいろと確認してみたいと思います。

《アンタール》の「版」に関するメモ4

2008年02月08日 | 《アンタール》
【4】混乱する「版」

私がリムスキー=コルサコフに少し深く立ち入って興味を持ちはじめた頃にリリースされたのが、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲全集でした。
リムスキーの1番と2番《アンタール》を聴くのはそれが初めてでしたし、イヴァン・ビリビーン風の秀逸なジャケットデザインや詳細な解説にも非常に感銘を受けたものでした。

解説はリチャード・タラスキン。高名なロシア音楽学者です(もちろん当時はそんなことは知りませんでした)。日本の書籍ではおよそ期待できないような内容がそこには記されており、私は何度も貪るように読んだものです。

そのCDの解説に《アンタール》の作曲の経緯が記されている部分がありますので、少し長いですが引用してみることにしましょう。


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以上の理由から、1868年の《アンタール》第1版は、実際には初期の「仲間」の文字通りの入門書であるとみてよかろう。リムスキーが改訂にあたって行ったことは、まずオーケストレーションを滑らかな流れるような線でまとめ、楽器を少し増やして必要なものを補うことによって、いっそう演奏しやすいものにすることであった。この改訂版は1880年にベッセル社から出版された。1897年、リムスキーはさらに徹底したオーヴァーホールを施した。細部に磨きをかけ、構造的にも拡充し、調的な統一感を増すために第2楽章を嬰ハ短調からニ短調に変更している。ところが出版社のほうは、版を彫り直さなければならないような変更はしないと言い張り、ゴーサインを出さなかった。ベッセル社が示した限界ぎりぎりまで新たなアイディアを盛り込んだ、いわば折衷版は1903年に出版された。この改訂のほうが後に行われたため、これが改訂版として広く受け入れられることになった。しかしリムスキーが本当に望んだことはここにはなく、シテインベルクが作曲者の死後出版した1897年の改訂にあるのである。今回の録音もこちらの版によっている。以上見た通り、《アンタール》は、「決定」版は「最終」版ではないという、変則的な経緯を持つ作品なのである。実際には(海賊版が多数出回っているおかげで)「最終」版がいちばん入手しやすいが、これは信頼に足るものではなく,また演奏に用いるべきではない。

「初めてのロシアの交響曲?」リチャード・タラスキン(橋本久美子訳)より

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私は長い間、ここに記されたことが真実であると信じて疑っていませんでした。《アンタール》の作曲の複雑な経緯もこの小論文で知りました。
しかし、今、実際に楽譜を見ながら演奏を聴いていると、果たして正しいのだろうかと思わざるを得ない箇所があります。

まず「第1稿」から「第2稿」の改訂に際しては、この小論文では「楽器を少し増やして必要なものを補う」とされていますが、すでに述べたとおり、「第1稿」ではファゴット3本、トランペット3本だった変則的な編成が、「第2稿」では一般的なファゴット2本、トランペット2本に変更されているのですから、「楽器を少し減らして不要なものを省く」とするのが正しいのではないでしょうか。

そして問題は「今回の録音もこちらの版によっている」とされていることです。ヤルヴィ盤をお持ちの方は聴いていただけばお分かりいただけるとおもいますが、この演奏は「第3稿」ではなく明らかに「第2稿」の特徴があらわれています。
これはいったいどうしたことでしょうか?

解説でここまで「第3稿」の正統性を力説し、他の版を「用いるべきでない」と言い切っているにも関わらず、肝心の演奏が「第2稿」によっている。あるいは「第4稿」の可能性もありますが、少なくとも「第3稿」ではないのです。

(【2015.9.28追記】どうやらヤルヴィは「第4稿」のようです。)

私がこれまでにくどいくらいに参照した楽譜が「正しいと仮定して」などと書いてきた理由は実はここにあります。いや、やはりこの小論文が正しくて、参照した楽譜が間違っているではなかろうかと。


(つづく)


《アンタール》の「版」に関するメモ3

2008年02月07日 | 《アンタール》
【3】それぞれの「版」の特徴

楽譜を見ただけでその曲がわかり、かつそれを語る...なんて能力はもちろんありませんから、その辺はご容赦を。
《アンタール》の「版」の特徴についてですが、自分の手元にあるのは「第2稿」と「第3稿」ですので、両者の比較ということになります。

その前に「初稿」「第4稿」について。

「初稿」ですが、まず、他の3つとは楽器編成が異なります。《アンタール》はいわゆる2管編成(ただしフルートは3本)の作品ですが、「初稿」のみ、ファゴットとトランペットが3本ずつとなっているやや変則的な編成です。

曲そのものについては、私は以前ロジェストベンスキーが読売日響を指揮した「初稿」の演奏を聴いたことがありますが、さすがに今となっては詳細がどのようであったかを思い出すことはできません(ただしこの時の「初稿」も少々アヤシイ点があることはとりあえず指摘しておきます)。

「初稿」のスコアを見ると、第1楽章でアンタールが夢の世界に入る時にフルート3本で奏される下降音がヴァイオリン・ソロ3本で奏されています。
この他にもいろいろとあるのでしょうけれど、これはまた上野で確認することにします。

「第4稿」については、楽譜そのものの特定が今のところできませんので、どのようなものであるかは不明。「第4稿」は「第3稿」の出版を拒否された作曲者が、「妥協の産物」として「第2稿」に最小限の改訂を加えたものである、という経緯をそのまま信じるのなら、「第2稿」とはそれほど変わっていないはずです。いずれにしろ「第4稿」については当分ペンディングです。


さて、「第2稿」と「第3稿」の違いですが、細かいところを含めるとかなりのものになりますが、分かりやすい箇所(というか、私にとって説明しやすい箇所)に絞っていえば、次のとおりです。ポイントは「打楽器」です。

■第1楽章 アンタールの槍が巨鳥に一撃を与える描写の部分(シンバルのバチ打ちの前後)
「第2稿」pで奏される大太鼓にティンパニの強打がいきなり入る
「第3稿」ティンパニはなく、大太鼓のクレシェンド/デクレシェンドのみ

■第2楽章 冒頭の「復讐の主題」が2回繰り返された後の部分
「第2稿」(嬰ハ短調)アンタールの主題が始まると、それに呼応するように2拍遅れでティンパニで「ダッダダン」と奏される
「第3稿」(ニ短調)アンタールの主題が始まって少し遅れて(2小節と2拍)ティンパニで「ダンダン」と奏される

■第3楽章 冒頭の主題の後の部分
「第2稿」冒頭の主題の後、大太鼓のみmfの一打が奏される
「第3稿」同じ部分にティンパニの装飾音付きの「ダダダン」がfで加えられて奏される


いかがでしょうか。
もっともその道の方ならもっと重要な点をご指摘されるでしょうけれど、私が文章で説明できるのはこの程度が関の山です。

さて、一応これが「第2稿」と「第3稿」の違いの分かりやすい部分であるとして(私の参照した楽譜が正しいとしての仮定ですが)、それでCDの演奏を聴き、あるいはブックレットに書いてあることを読んだりすると、あれれ?というようなことになってしまうのです。

(つづく)




《アンタール》の「版」に関するメモ2

2008年02月06日 | 《アンタール》
【2】それぞれの「版」の楽譜について

4つあるそれぞれの「版」の楽譜の特定についてですが、これが少々厄介な問題を孕んでいます。
《アンタール》に限ったことではありませんが、問題というのは、その楽譜が信頼できるものかどうか、という点です。

私は詳しくは知りませんが、楽譜には、学術的に信頼に足る権威あるものから、出版社の都合で作曲者の預かり知らないところで勝手に変更されたりしたようなものまで、様々なものがあるらしいとのこと。しかし、まあ、疑い出したらキリのない話になりますので、とりあえずは「正しいもの」であるという仮定をここではしておきましょう。

リムスキー=コルサコフの作品に関しては、本国ロシアで「全集」が出版されており、それをBelwin Mills社が版権を取得して出版したもの(The Complete Works of Nicolai Rimsky-Korsakov)がありますので、《アンタール》についても、これをベースに確定するということになりそうです。

幸いにしてBelwin Mills社の出版した《アンタール》の楽譜は、上野文化会館の音楽資料室に収蔵されていますから、それを閲覧することが可能です。もっとも「全集」で収録されているのは4つの「版」すべてではなく、「初稿」と「第3稿」の2種類のみです。

次に、Kalmus社から出版されているもの(Kalmus Orchestra Library)があり、「第2稿」と「第3稿」がネット通販で入手可能となっています。これらは私も購入して手元にあります。
そのほか上野文化会館にBereitkopf社(うろ覚え。違っているかもしれないので要確認)Boosey & Hawkes 社のポケットスコアがありますが、このスコアにはヴァージョンの記載はなく不明。ただし別の文献に示された内容から考えると「第4稿」である可能性があります。(【2015.9.28注記】「第4稿」でした。)

以上から、「全集」のBelwin Mills社「第3稿」と、Kalmus社の「第3稿」が被っていることになりますが、これが同一であると確認されれば、とりあえずは両社の残りの「初稿」と「第2稿」もまずは正しいとして良いでしょう。

問題は「第4稿」ですが、それと思しきポケットスコアを以前私が上野文化会館で見た範囲では、Belwin Mills社「第3稿」とも微妙に異なっている点がありました。これが「第4稿」として良いものか、あるいは単に出版社の都合で勝手に変更したものなのかまでは特定はできていません。(【2015.9.28注記】「微妙に異なっている」と書いていましたが、楽器編成をはじめ、「相当異なっている」と訂正します。「微妙に異なっている」のは「第2稿」と「第4稿」。)

ということで、それぞれの「版」の楽譜についてまとめると、

■初稿(1868年)
・Belwin Mills社(The Complete Works of Nicolai Rimsky-Korsakov)

■第2稿(1875年)
・Kalmus社(Kalmus Orchestra Library)

■第3稿(1898年)
・Belwin Mills社(The Complete Works of Nicolai Rimsky-Korsakov)
・Kalmus社(Kalmus Orchestra Library)

■第4稿(1903年)
Bereitkopf社ポケットスコア(?)Boosey & Hawkes 社
・Elinbron社【2015.9.28追記】
・Serenissima Music社【2015.9.28追記】(楽譜に「1875 version, rev.1903」と明記)

ということになりましょうか。
実はこの他にも、先に書いたElinbronからも《アンタール》が出ているのですが、こちらは未購入。そんなに高いものでもないので次回注文するときにでも併せて購入しておきましょうか。(【2015.9.28追記】Elinbron社は第4稿。)
(つづく)

《アンタール》の「版」に関するメモ

2008年02月05日 | 《アンタール》
《アンタール》とは、リムスキー=コルサコフが1868年に作曲した交響曲第2番に付けられた標題であり、6世紀に実在した詩人アンタールを主人公とした物語をアラビア風の旋律を多用して描いたものである。オリエンタリズム溢れるその作風は、後の《シェヘラザード》の先駆をなすものとして知られている───この《アンタール》を巡って最近頭を悩ませている問題が少々。まあ、すっきりしなくて「気持ち悪い」というレベルのもので、どうでも良いといえばそれまでの話なんですけど。

それは演奏に用いられる「版」の問題です。
(ムソルグスキーの《ボリス》じゃあるまいし、どうでもいいじゃない、という声...)
この作品には4つの版があるのですが、CDの様々な演奏を聴いていると、どうもそれらの版がかなり混乱して用いられ、語られているのではないか───という疑問。しかもそれが正されることもなく、あるいはそれが疑問にすら思われていないようであること───。

もっともCDのブックレットでいちいちどの「版」の演奏です、なんて断っていないものがほとんどなのですが、はっきりと「この演奏では○○の版を用いている」と書いてあっても、実はそれが全く違っている(らしい)こともあって、実際のところ、何が正しくて何が間違っているのか、というのがさっぱりわからなくなってしまっているのです。

この問題について、少し本格的に調べて見よう───と思ったのはいいのですが、やはり少々手に余るかなというのが正直なところ。それでも、とりあえずはたどり着いたところまではメモとして整理しておこうというものです。



【1】4種類の「版」について

4種類の「版」について、ここで書いておいたとおりです。ポイントとしては、最終版が作曲者の望んだ「完成形」ではないということですね。
http://homepage3.nifty.com/rimsky/notes/notes_04_antar1.html

まずこのメモでのそれぞれの「版」の呼び方を決めておきます。
いろいろな文献やブックレットによって、初演の年でもって○○年版とするなど、呼び方が異なっていて紛らわしいので、ここでは順に「初稿」「第2稿」「第3稿」「第4稿」とし、必要に応じて作曲年を加えて「初稿(1868年)」などと呼ぶことにします。

ここで「版」ではなく「稿」としたのは、作曲が完了した時点を基準とするためで、「印刷物」が連想される「版」とすると、特にこの《アンタール》の場合は「稿」と「版」の順が入れ替わるものがあるから、というコダワリからです。ということで一般名詞的には「版」も使いますが、特定のヴァージョンを指す場合は「版」ではなく「稿」とします。


(つづく)