松島は、瑞巌寺や自然公園など見所が多いのですが、ゴールデンウィークで車の混雑が予想され、パス
松島の街を迂回し、女川へ
テレビなどの報道により女川周辺の津波被害を見ていたので、観光客として訪れることに強い抵抗感があったのですが、被害の状況を自分の目で見て知ること、記憶にとどめることも必要と考え、おじゃましました。
この写真は、被災地の一部です。
この周辺は女川の市街地だったと思うのですが、転倒したビルや積まれたがれきの他、何も残っていません。
これ以上の写真をアップすることは、この地にお住まいだった方々の心情を考慮するととてもできません。
女川から牡鹿半島へ向かう途中には、仮設住宅が点在しています。
今は春、暖かくなってきましたが、仮設住宅にお住まいの方々は、この冬、大変な生活を送られたのではないかと思います。
お見舞い申し上げます。
牡鹿半島の中程にある、女川原子力発電所ピーアールセンターを見学し、牡鹿半島の先端部へ向かいます。
先端部に近い鮎川港も、地震と津波の被害で壊れた漁船や建物が・・・
この光景を見ると何も言えなくなります。
鮎川港は捕鯨の港として賑わってたのでしょう、その面影を閉鎖された「おしかホエールランド」で窺い知ることができます。
人通りも少なく、たくさんのカモメの姿を見るだけです。
鮎川港からは牡鹿半島先端部はすぐそこ
先端部の高台にある唐船番所跡から、金華山が見ます。
金華山は島全体が黄金神社の神域とされ、信仰の島とされているそうです。
西側には、鮎川港と松島湾方向が見えます。
ここから綺麗な夕日を見ることができそう。
牡鹿半島の付け根部分に「月の浦」があります。
伊達政宗の命を受け、遣欧使節としてローマへ赴いた支倉常長(はせくら つねなが)が出港した港です。
丘の上に支倉常長の像が建っています。
月の浦の港も、地震と津波の被害を大きく受けていました。
遣欧使節が使用したサン・フアン・バウティスタ号(サン・フアン・バウティスタ・パーク)
松島の街を迂回し、女川へ
テレビなどの報道により女川周辺の津波被害を見ていたので、観光客として訪れることに強い抵抗感があったのですが、被害の状況を自分の目で見て知ること、記憶にとどめることも必要と考え、おじゃましました。
この写真は、被災地の一部です。
この周辺は女川の市街地だったと思うのですが、転倒したビルや積まれたがれきの他、何も残っていません。
これ以上の写真をアップすることは、この地にお住まいだった方々の心情を考慮するととてもできません。
女川から牡鹿半島へ向かう途中には、仮設住宅が点在しています。
今は春、暖かくなってきましたが、仮設住宅にお住まいの方々は、この冬、大変な生活を送られたのではないかと思います。
お見舞い申し上げます。
牡鹿半島の中程にある、女川原子力発電所ピーアールセンターを見学し、牡鹿半島の先端部へ向かいます。
先端部に近い鮎川港も、地震と津波の被害で壊れた漁船や建物が・・・
この光景を見ると何も言えなくなります。
鮎川港は捕鯨の港として賑わってたのでしょう、その面影を閉鎖された「おしかホエールランド」で窺い知ることができます。
人通りも少なく、たくさんのカモメの姿を見るだけです。
鮎川港からは牡鹿半島先端部はすぐそこ
先端部の高台にある唐船番所跡から、金華山が見ます。
金華山は島全体が黄金神社の神域とされ、信仰の島とされているそうです。
西側には、鮎川港と松島湾方向が見えます。
ここから綺麗な夕日を見ることができそう。
牡鹿半島の付け根部分に「月の浦」があります。
伊達政宗の命を受け、遣欧使節としてローマへ赴いた支倉常長(はせくら つねなが)が出港した港です。
丘の上に支倉常長の像が建っています。
月の浦の港も、地震と津波の被害を大きく受けていました。
遣欧使節が使用したサン・フアン・バウティスタ号(サン・フアン・バウティスタ・パーク)