Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

それは、ただの日付変更

2022年01月04日 21時06分37秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

まずは。

明けまして。今年も、どうぞよろしくお願い致します。

2022年です。

なんだか、ついこの間まで201X年に生きていたので

"22"の並びに違和感しかありません。

念の為『201X年に生きていたので』を解説しますが

2020年、そして2021年は

確かにその一年を日数的には過ごしましたが

とても17,520時間も過ごした気分じゃないんです。

私の時は2019年末くらい

どれほど譲歩しても2020年2月くらいで止まっている気分なんです。

と、いった意図の発言です。

こちらも念の為に述べますが

私は、タイムスリップをした時空トラベラーなんかではありませんから。

今年も変わらず長い前置きはこれくらいにして。

三ヶ日も終わり、今日から日常が戻りつつある訳ですが

年末年始はいかがお過ごしだったでしょうか。

年末の私は、夢の国へ旅立っていない時には公共放送を観て

民放でイケメン達を眺めながら年を越します。

ケツをシバく某番組は録画勢。

といっても、今年は無くなりましたから

録画予約はCDTVのみ。

今年は現実世界パターン。

異質な紅白を観つつ、年越し待機って感じでした。

そばも食べて、様々な気持ち悪さを抱えつつ音楽を楽しみ

23時45分からはイケメンパラダイス。

あっという間の15分。

今までの人生の中で最も呆気ない年越しでした。

隣にいた人は寝てましたしね。

爆睡ですよ、爆睡。

あ、恋人とかじゃないですよ。知ってるか。

素直ではなくなってしまった私は

いつからか、新年に

「明けましておめでとうございます」と口にする事が無くなりました。

冒頭から察して下さい。

ただ、縁や付き合い、致し方なく、嫌がらせ。

そんな様々な理由で送る年賀状には、印刷でしっかりと

「おめでとうございます」と書いてあります。

そこまでの皮肉れではありません。

別に年を越す事は珍しくないんです。

気付かぬありがたみである事は否定しませんが

果たしてそれが「ありがたい」のか

我が信じる唯一の神のみぞ知るところです。

毎年、口にして

もしくは口にしない事で

その持論を展開してきましたが

今年に関しては、わざわざ言うまでもなく。

それは、ただの日付変更。

31日から1日に変わったに過ぎない話。

そういった感じでした。

そもそも「新年」なんてものは人間が勝手に定義したものに過ぎませんから。

乗るところは乗る、反るところは反る。

それで良い気がします。

改めまして。

明けまして。

2022年も駄文を紡ぐであろう私

そして本ブログ「Konemyのベル」を

どうぞ、よろしくお願い致します。

              それでは bye! Konemy

コメントを投稿