Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

氣吹

2019年10月09日 21時10分42秒 | 日記
おはようございます。

この頃は涼しくなり始めて

少しずつ秋を感じるようになって参りました。

しかし、南には夏を象徴するようなものが。

なお、今年最強の模様。

湿った空気がやってきます。

吸い込む空気が程よい刃を持つのは

果たしていつ頃のことになるやら。

皆さんは「氣道」というものをご存知でしょうか?

日本において「道」という名を冠する者は数多くありますね。

運動でいえば、柔道・剣道・合気道など。

三代屋内芸能などと言われる

茶道・華道・香道なども「道」ですね。

一部の方向けに、乙女の嗜み「戦車道」

なんて話も添えておきます。

話を戻して「氣道」です。

『「氣道」とは文字通り、「氣の道」

自然(=生命、氣)に沿って生きることを指しています。

「氣」とは、古来中国では、天の理(ことわり)に通じる言葉であり

大宇宙と小宇宙(人体)を結ぶ架け橋である、呼吸にも関係し

そして、心に宿る思い、場の気配を伝える、奥深い言葉でもあります。

「道」と名がつくもの、武道、茶道、華道などは 日本において伝統的な体系ですが

これは、お稽古場の中で行うことだけでなく

本来、暮らしのあらゆる側面に、その思いや鍛錬の結果が現れるよう

日々歩んでいく「道」といえましょう。

氣道とは、一生を通じ、健やかな身心を育んでいく道です。』
(氣道協会HPより)

まぁ、ここまで長々語ってきましたが

今からする話は「氣道」から外れます。

氣道ですが、「氣道」ではありません。

「呼吸」というものは不思議なものです。

人間、呼吸をしなければ

生命活動維持のために必要な酸素の取り込みが出来ません。

植物だって呼吸をしています。

そんな日々の中で無意識に当たり前に行われている行為

仕方って分かりますか?

逆に考えてみましょうか。

呼吸の仕方が分からなくなった事がありますか?

これはとても怖い現象です。

意識がある状態。

自分が呼吸をしていない事を認識する。

しなくては。

そう思った刹那、呼吸の仕方が分からないのです。

息が出来ない。

今はまだ苦しくない。

でもいずれ苦しくなるだろう。

息が出来ない、空気が吸い込めない。

こんな恐怖です。

端的に分かりやすく説明するなら

見知らぬ誰かに首を絞められているが

絞めている人物の気配はない状態に似ていますかね。

全然分かりやすくないですね。

呼吸の仕方を考えてしまうと呼吸ができなくなってしまう人もいるので

あまり深く考えないように。

最近放送されていたアニメの中で

呼吸によって身体機能を向上させる描写があるものがありました。

まぁ、創作物ですから非人間的面があっても構わないですし

もしかしたら、大正時代の日本人は

呼吸次第で瞬間移動じみた事が出来たのかも知れませんね。

冗談はさておき。

呼吸で身体機能の即時強化はなかなか厳しいものがありますが

間違いなく集中力を向上させる事は可能です。

それが「道」に内在する氣道です。

経験で語るのが一番しやすいので。

剣道。

今でこそ竹の棒を使った叩き合いですが

もとは真剣。

人を殺す為のもの。

剣の道とはそういうもの。

一瞬の隙が死に繋がる。

形は違えど、現在の剣道も似たようなもの。

その為には集中する必要がある。

ある意味、格闘技的要素もある剣道で

呼吸で集中を高めるのは難しいと思われるか。

確かに難しいだろう。

だが、出来る者は剣の道を見るに至ったのだと勝手に思っている。

茶道。

茶を点て、客に提供する。

その過程で点前は無駄だと合理主義者は思うだろう。

同感だ。

ただ

見事な点前を経た茶はやはり

うまさが違う。

一連の点前は

たった一服の茶を出す為の儀式なのだ。

ここに邪念が入るか入らないかは大きな問題となる。

点てる直前

呼吸で集中力を高め、点てられた茶は

経験の差を埋めかねない。

もちろん流派の免許皆伝者たちには遠く及ばないだろう。

だが、微々たる経験者が点てる

邪念混ざりの泥水なんかよりもずっと見事な茶だろう。

今ここで挙げた例は

「道」の中のものだが

そもそも「道」とは日常生活の延長線上に存在するものだろう。

今日を境に、何気ない「呼吸」という行為を意識してみるのも一興ではないだろうか。

それでは bye! Konemy