Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

相対と調和の美しさ

2019年08月26日 22時33分28秒 | 日記
おはようございます。

ちょうど一年前くらい。

私は身近な人の多くに言われました。

「笑うようになったね。」

これは現在の友人はもちろんの事

以前からの友人や

感情が芽生える前の私を知る人たちからも

言われた言葉である。

現在の友人からしてみれば

一年前の私はATフィールド全開の

近寄りがたい存在だったものが

長時間の付き合いにより認識が改まった。

そう考えれば不思議ない。

だが、私の幼少期を知る人が

今の私に対して

「笑うようになったね。」

と言うのは一体どういう事だ。

アルバムを見返してみてみれば

笑わないどころか笑顔しかなかった。

まぁ、小5くらいから笑わなくなっていたが。

それはあくまでもアルバム上の話では。

そう思っていた私が馬鹿なのだ。

アルバム上、笑顔がなかった時代。

普段全く笑わない訳ではなかっただろうが

笑顔の少なかった時代。

この頃の私が述べた言葉。

「笑顔は醜い。」

ただの厨ニ発言だと思っていたが

今現在、私自身の笑顔が増えた事でようやく分かった。

不思議と昔から鏡を避ける癖がある。

実のところ、自分の顔はよく覚えていない。

久方ぶりに直近の写真を見た。

笑顔溢れる写真だ。

普遍的な考えは

笑顔の写真=幸せの象徴

なのだろう。

しかし、その写真を見て私が思った事。

あぁ、笑顔は醜い。

かつての私は他の誰でもなく自分に言っていたのだ。

本物の笑顔というものは

左右対称なんです。

心からの笑いは

半分でも美しいのです。

今の私の笑顔が作り笑顔だとは認めたくありませんが

偽心に満ちた笑顔を繰り返した私に

もう心からの笑顔は出来ないのであろう。

最期のシンメトリースマイルは

小学校低学年の頃だった。

さよなら、かわいかった笑顔。

それで最近何故そんなにも

他人付き合いが出来るようになったのか

なんとなく分かる気がする。

私の周りの笑顔は

左右対称。美しいのです。

是非笑ってください。

それでは bye! Konemy