Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

それは無駄な事。

2019年08月25日 20時09分24秒 | 日記
おはようございます。

何もやる気が出ない。

何も抱えていない時に思う分には

無駄な事をせずに済む為、悪くないかもしれない。

ただ、そんな事は稀なのではないか。

「人生の夏休み」を満喫していると雖も

日々は忙しい。

その「人生の夏休み」の夏休みとて

何も抱えていないなんて口が裂けても言えない。

どうせバイトに明け暮れ、推し事に忙しく、本分なんて二の次だと思われているのでしょう。

お言葉ですが

私は無職です。

主な収入源は生きる事と本分。

抱える推し事は特になく

主な出費は収入源を支える為に行う食事代。

改めて見ると

堂々と言えるようなことではありませんね。

まぁ、世間様に思われているような者ではないと理解して頂ければ。

話を戻して

やらなければならない事がある時に

やらなければならない事を片付けるのは当たり前ですね。

しかし、抱えるものを処理していると思うのです。

何を生き急いでいるのか、と。

実際問題、そんな理屈は通りません。

それでも思ってしまうのです。

生まれた時が人としての「入口」でしょう。

ならば死ぬ時が「出口」だ。

誰もが出口に向かって日々進む。

これが進んでいるのか、向こうが寄ってくるのか。

見方が違うだけで

現在地と出口の距離が近づいている事実は変わらんので

ここでは議論しないこととする。

人は出口の場所を知らない。

もしかしたら目の前にあるかもしれない。

既に足元かもしれない。

私の持論にこう告げたものがいる。

「出口まで近道がしたいならすぐそこにあるじゃないか。一歩踏み出せば。」

徒歩で帰宅する途中だった。

目の前は県道。

車は切れ間なく。

友人が本当に言いたい事はなんとなく伝わったか。

もう昔の話だが

黄色い線の誘惑と戦っていた時期を私は否定しない。

否定したくない。

何故ならあの頃の過去が今を作っているから。

また話が逸れた。

語るとどんどん行方不明になる。

そろそろ結論へ向かいたい。

やらなければならない事を片付ける時

何故か生き急いでいると感じてしまうという事は

やらなければならない事を片付ける時に

全く違う無駄な事を始めれば

生き急いでいる感覚はなくなるのでは。

無駄は決して悪い事じゃない。

それでは bye! Konemy