Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

祈”理”

2019年08月10日 19時09分56秒 | 日記
おはようございます。

私たち人間は何がないと生きていけないんですかね。

他人?

酸素?

水?

唯一これさえあれば生きていけるなんてものはないように感じます。

確かに単純に考えれば他人って邪魔ですが

いなければ生きていけません。

酸素も濃度によっては毒ですが

現状である大気中に20パーセントほどは

なくてはなりません。

水さえあれば七日間生きていけると言われるほど

水は必須ですが、水だけでは生きていけません。

そんな生きる上で必要不可欠なものの一つに

「食事」というものがあるでしょう。

諸説ある三大欲求の中にも

食事を求めることである食欲が

必ずと言って良いほど含まれています。

かつてはこの食事というもの

獲れたそのまま食していたようですが

今ではあまり行われないと思います。

せいぜい、いちご狩りや野山に咲く果実を食す機会ぐらいではないでしょうか。

正確な時期は分かりませんが、人類は農業を始める前から

「調理」というものを行なっていました。

有名どころを挙げれば切る、煮る、焼く、蒸す……etc

当たり前のように行うことですね。

先日、どこかでこんなニュースを耳にしました。

確か某大国での話です。

詳細省いて主だけ伝えると

生きたままのドジョウを食べることを強制した

というものです。

有り得ないとおっしゃいますか?

正直私も野蛮だな、とは思った次第ですが

踊り食いなんてものを日本人は当たり前にやりますから

よっぽど野蛮です。

それを棚に上げて批判するのは間違っている。

私は魚が嫌いなので踊り食いなんて野蛮な行為はしません

なんて言ってみたりします。

話を戻して

なぜドジョウを生きたまま食べることが物議を醸したのか。

一つに、ドジョウであったことが挙げられるでしょう。

これがシラスや桜エビなら話は真逆だったでしょう。

個人的には度し難いですがね。

そしてもう一点の理由に

調理というものがある意味

”祈り”の意味合いを有しているのではないかというものがあります。

ここで極めて極端な例を挙げましょう。

意味が被ってますが、それほどまでに極端な例です。

今、あなたの目の前に

紐で縛られ、よく焼かれた肉塊と

紐で縛られ、微動だにしない遺体と

紐で縛られ、必死に暴れる人間が

あると仮定します。

想像力の乏しい方は是非想像しながら。

より理想的な答えに近づけるかも知れません。

想像力豊かな方は決して想像する事なく。

吐き気を催しますから、是非字面だけで。

書いてるこちらも気分が悪いです……。

さて、話を再び元に。

とってもお腹が空いているあなたは

どれを食べますか?

尚、食べないという選択肢はありません。

食事は生きる上での必須事項の一つですから。

恐らく、「紐で縛られ、よく焼かれた肉塊」を食べるというものが普遍的答えでしょう。

冗談半分で、カニバリズムに興味がある方は他二つを選ぶかもですが

それでも「紐で縛られ、微動だにしない遺体」の方を選び

「紐で縛られ、必死に暴れる人間」を食べようとする猛者はいないと思います。

「は?私は生きた人間食べるしw」

といった言葉だけの下らぬ話はいりません。

割と真面目に話してます。

三つの違いは何か。

調理されているか、いないかです。

場合によっては人間を紐で結ぶ事すら調理だ

とも言えますが、今回は条件を揃えるための項目としてであり

調理には該当しないとします。

最後のものにははっきりと明記しましたが

これは三つとも人肉です。

なぜ人肉でなければならないのか。

踊り食いなんて事をする日本人に説明するには

決して食べないもので考えるしかないからです。

別に動物愛護を主張して、踊り食いの廃止を主張する気は一切ありません。

調理されていれば、命を食べる事に抵抗が薄まり

決して食べないものであっても、知らず知らず気楽に食せるのです。

そして、調理する事によって

命に対して”祈り”を捧げているのです。

もちろん、調理が食事の多彩さを求めて行われた事を否定しませんが

調理が人間のエゴのみで形成されたものだとは思いたくない。

一つの下らないニュースから思った私氏。

              それでは bye! Konemy