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クッキングこめぞうの井戸端日記

こめぞう長屋の井戸端で縁台に腰掛けながら、暫し四方山話に花を咲かせましょう!
美味しいコーヒー入りましたよ

卑弥呼供えた?モモの種2000個

2010-09-20 20:38:31 | 考古学


中日新聞 2010年9月18日 より引用

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奈良・巻向遺跡 祭り用 果肉残るものも

 邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井
市巻向遺跡で、女王卑弥呼の宮殿の可
能性がある大型建物跡(三世紀前半~

同中ご)から、二千個以上のモモの種
が見つかった。桜井市教育委員会が十
七日発表した。モモは当時、不老長寿

の神聖な果実と信じられ、市教委は「大
規模な祭りで、大型建物エリアが特殊
な場所だったことを示している」とみ

ている。モモの種には果肉が残るもの
もあった。ほかに東海系のミニチュア
土器や絵画土器などの土器片、黒漆塗

りの弓、剣型などの木製品、竹かごが
壊された状態で見つかった。(中略)

市教委の橋本輝彦文化財係長は「これ
ほど大量のモモの種の出土は初めてで
は。集落内のモモをかき集め、遺跡全

体にかかわるような大事な祭りだった
可能性がある」と話す。

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▼卑弥呼がモモを供えて祭りを行った
のだろうか。それにしてもかなりの数
の種が腐食もせずに残っていたもので

す。東海系のミニュチュア土器も発掘
されたとあり、東海からの献上物でし
ょうか。中央の権力者として力を発揮

していたのではと想像します。このあ
たりは赤塚次郎著「幻の王国・狗奴国
を旅する」のP162を参照してください。

  こめぞう


須恵器 ~自然釉の妙~ 鈴鹿市考古博物館

2010-09-18 19:56:53 | 考古学


 「須恵器から灰釉陶器へ」と題して
城ヶ谷和宏さん(愛知県立熱田高校教
頭)の講演会が鈴鹿市でありました。

古墳時代の中ごろに朝鮮半島から生産
技術が伝わった焼きものである須恵器
時に儀礼や葬送に不可欠な特別な器と

して、また時には生活に欠かせない日
常の器として用いられ、古墳時代から
飛鳥・奈良・平安時代を通じ500年以上

にわたって生産され使用され続けまし
た。そして、その技術と伝統は中世以
降の窯業の基盤として受け継がれてい

ったのです。パンフレットより

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▼秋晴れのすがすがしい日に隣町の鈴
鹿市にある鈴鹿考古博物館に行ってき
ました。須恵器を中心に製作の際に自

然に灰によって偶然に生じた緑色の釉
の色は大変感動的です。とても古墳時
代に作られたものとも思えないくらい

素晴らしい出来栄えです。とはいえ何
時も偶然がおこるとも限らないので、
発見した時の喜びは一塩であったろう

と想像します。またそういった貴重な
ものは中央へ献上されたと聞きました。
産地として東濃、瀬戸、猿投、知多、

渥美と東海地方に窯があった。良質の
陶土が産出されたからでしよう。丁度
伊勢湾は東海湖の時代に陶土に適した

良質の粘土ができたようです。また伊
勢湾が湖であれば容易に土器を船で運
ぶことが出来たと思われます。やはり

昔も今も地域的には変わらないもので
すね。

  こめぞう

笑顔、ウインク…平安アート? 公開は16日まで

2010-08-14 20:00:10 | 考古学


中日新聞 2010年8月13日 25面より引用

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奈良・葛城の当痲寺

 奈良県葛城市の当痲寺で国宝の曼荼羅
厨子(まんだらずし)内から約五十年前
に見つかり、保管されていた男性二人の

顔が落書きされた平安時代初期(約千二
百年前)の板が、十三日から同市歴史博
物館で初めて一般に公開される。

 描かれているのは、烏帽子(えぼし)
をかぶった男性二人の横顔。目鼻立ちが
はっきりした顔立ちで、一人は大きな鼻

や分厚い唇を強調した漫画のようなタッ
チ。ひげを生やしたもう一人は左目を閉
じ、ウインクをしてほほ笑んでいるよう

に見える表情が特徴的だ。(中略)
 博物館によると、落書き板は1958
年秋、厨子の解体修理中に見つかり、収

蔵庫で保管。長さ約40センチ、幅約10
センチで、厨子内の柱を安定させるため
の木材として使われていた。約千二百年

前に厨子の製作に従事した工人が、同僚
など身近な人を描いた可能性が高い。

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▼よくよく眺めてみると確かにひげを生
やしてウインクをしているように見えま
すね。もう一人は大きな鼻が描かれてい

て唇も大きい、随分と達者な筆使いのよ
うに見えます。しかもそれが外部からは
見えないところにあったとは、なかなか

うまい事を考えたものです。まさか千年
以上も経ってから発見されるとは思わな
かったことでしょう。現代のポスターカ

ラーはゴキブリの餌になります。夏など
は一晩でせっかく描いた絵が食べられて
しまいます。その点墨は完璧ですね。

いつまでも残ります。

壬申の乱ウオーク 平城京1300年祭 その2

2010-08-08 20:54:23 | 考古学

耐震構造の大極殿


高御座





ハスの花

奈良遷都1300年祭 その2
高御座(たかみくら)ここに天皇がお座りになる。

▼ところでその朝は私自身で起きた。
というより予定より1時間も早く起
きてしまった。6時半にはまだ1時

間もあるとまた寝ていまい、きっち
り1時間後の6時半に起きて朝食を
取り出かけました。目覚ましはその

1時間後7時半にけたたましくなっ
たそうだ。相棒もこれにはびっくり
したそうだ。目覚ましのセットを1

時間遅くしてしまったのだ。ぞっと
する話です。

▼もうひとつ山中先生のバスの中で
の話に「中国で2000年前の人がその
まま発掘されてそれを見学に行きま

した」という話です。脳みそも内臓
もそのままの状態で、丁度ホルマリ
ン浸けのような効果があったとか、

水に浸かった状態で発見されたよう
でその中に漢方薬が施されていて腐
食を免れたようです。というのです

が、2000年もの間腐食もされずによ
く保存されたものですね。山中先生
ならではのお話です。


詳しくは↓
yaaさんの宮都研究

壬申の乱ウオーク 平城京遷都1300年祭

2010-08-07 23:35:22 | 考古学

古代衣装に着替えての散策。



山中教授の解説。



これは「ムラサキシキブ」と表示されていましたが、その形状から、もしかして「コムラサキ」ではないかなと、ふと思いました。東院の庭にありました。



白萩。



ヒメジォオン。



アカツメクサ。


第18回壬申の乱ウオーク平城京の道
久留倍官衛遺跡を考える会
馬場基氏(奈良文化財研究所)
山中 章先生(三重大学)

今日は気持ちよい風があって
楽しく行ってまいりました。
ほとんど平城京のみの散策で

した。特に印象に残ったのが
天皇が食事をするのに、5回
毒見があるということです。

五重の囲いごとに毒見をした
とか。


古代の地方の役所 -最近の調査成果からー

2010-06-12 20:36:45 | 考古学



坂井秀弥さん(奈良大学文化財学科教授)

昨夜のメールに鈴鹿考古博物館から
明日講演会がありますよとあったの
でお昼から出かけました。

古代の律令国家が出来る背景がテー
マでした。興味があるテーマですが
何しろ午後の一番眠くなる時間帯で

目を開けているのに必死でした。
白村江の敗戦663→迫りくる中国の
脅威。日本存亡のい危機脱出のため

中国にならい律令国家を建設した。
パワーポイントを見ながらの講座は
大変勉強になりました。

桑名多度の道コース 壬申の乱ウォーク

2010-05-12 23:45:46 | 考古学


木簡 (袖井遺跡出土1号)県指定文化財 考古資料 個人蔵

全長20,0センチ幅2,4センチ厚さ0,5センチ
昭和3年(1928)年の耕地整理の際、
地元の伊東富太郎によって日本で最初に

発見された木簡です。






愛宕社で見つけたたんぽぽ



愛宕社で撮影した躑躅



多度大社の「上げ馬神事」の会場を上
から見たところです。画面上部から馬
に乗った若者が駆け上がってきます。

今年は少し崖の高さを下げたようです。

2010年5月8日(午前9時~12時)
多度駅~かしらこ塚~尾津神社~宇賀神社
~油井城跡~愛宕社~多度神社 解散

前日の雨とはうって変って良く晴れた
日になりました。久し振りに壬申の乱
ウォークに行ってまいりました。

三重大 人文学部教授 山中 章氏のブログはこちら↓

http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/e/84e078afef1bced76eb08f0a39cc9288

三重県で一番大きな弥生式土器発掘!

2010-04-24 20:07:11 | 考古学




鈴鹿市考古博物館へスライド説明会に
行ってきました。
「須賀遺跡 第5次調査」

弥生時代の大きな土器が出土しました。
高さ100㎝を超える巨大なサイズで
す。↑の写真の右中ほどに女性が手を

かざしている左側がその土器です。
何のために作られたのかは不明です。
これだけ大きな土器を作るのは大変な

作業だったと想像できますね。表面には
筋状の模様が水平に付けられています。
愛知県の朝日遺跡にもほぼ同じ大きさの

土器が発掘されていますが、どうも同じ
ところで作られたらしいです。

第17回 壬申の乱ウォーク 桑名多度道のコース

2010-04-11 20:16:27 | 考古学




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壬申の乱は672年に起こった古代最大の
内乱です。大海人皇子や大津皇子など古
代を彩る人々の足跡を訪れる。「第17回

壬申の乱ウォーク」を上記により開催し
ます。「大海人皇子は桑名郡家で泊まら
れた」後、不破の関に向かって「多度」

の何処を通ったのでしょうか?
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楽しみなウォークになりそうです。今度
は靴を軽めにしようと思います。


山中 章教授のブログ 「yaaさんの宮都研究」は↓です。
http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/

内裏跡から「鉄甲」

2010-02-23 20:24:44 | 考古学


2010年2月19日 朝日新聞31面より引用

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京都府向日市の長岡京(784~794)跡で、
桓武天皇の居所だった内裏跡から、古代
の甲冑(かっちゅう)「鉄甲(てつよろい)」

の一部が約30点見つかった。
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朝日新聞によると脇殿(わきでん)跡から
よろいの部材となる短冊型の「小札(こざ
ね)」とよばれる鉄板27点が出土した。

うち2点からは装飾用の「組みひも」の痕跡
の有機物も見つかった。そのような鉄板が
よく長い年月、残っていたものですね。

詳しくは山中章・三重大教授(歴史考古学)↓をクリック
してください。「yaaさんの宮都研究」
http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/

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