ID非公開さん
2019/3/210:11:13
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今年の5月から新元号が施行されますが、平成31年の1月から4月に生まれた子は、いつかのタイミングで自分の生年月日を元号を選んで書く時、平成31年と書くのか、新元号の1年、どう書くのでしょうか?それとも、本人の
意思で選べたりするのでしょうか?
2019/3/718:21:24
日本では246回、改元があったはずなのに、まるで初めての改元のように慌てふためく人が多いですね。
前回の場合、昭和63年度の次が平成元年度です。
1989年生まれの場合、1月8日に平成が始まったので、その前か後かで昭和64年生まれか平成元年生まれかが決まります。
男子体操の内村航平選手は昭和64年生まれ、女優の多部未華子さんと女子柔道の中村美里選手は平成元年生まれです。
日本では「年度」は4月から始まります。
「昭和63年4月」から1年後は「平成元年4月」です。
「昭和63年度」の次は「平成元年度」です。
内村航平選手と多部未華子さんは「昭和63年度」生まれに属し、福原愛選手と同学年になります。
次に1926年生まれはどうでしょう。
菅井きんさんは大正15年度生まれ。
植木等さんは昭和元年が始まった時に生まれ、出生届が遅れたため、戸籍では昭和2年の初めに生まれたことになっているそうですが、年度で言えば大正15年度生まれでしょう。
1926年12月25日に「大正」から「昭和」へ改元されたので、1927年1月1日から昭和2年。
「大正15年4月」から1年後は「昭和2年4月」です。
したがって「大正15年度」の次は「昭和2年度」です。
1868年の場合、明治改元は年の途中でしたが、1月1日までさかのぼって「明治元年」とされるらしいので、この場合「慶応4年」は「なかった」ことになります。
しかし律義に改元前を「慶応4年」と解釈する人もいるでしょう。
だから江戸時代は1867年(慶応3年)までか、1868年(慶応4年?明治元年?)までかが問題になります。
更にさかのぼると、井伊直弼の没年は1860年、万延改元の前なので「安政7年」だったはずですが、「万延元年」没とされることがたびたびあります。
日米和親条約は1854年締結で、これは「嘉永7年」ですが、「安政元年」とされることがあるようです。
また大久保利通は1830年生まれで、和暦では「文政13年」生まれのはずですが、「天保元年」生まれとされることがあります。
西暦と元号の早見表などで
1829年=文政12年
1830年=天保元年
1831年=天保2年
1853年=嘉永6年
1854年=安政元年
1859年=安政6年
1860年=万延元年(訂正:万年×→万延)
などと書かれているからでしょう。
あと100年か200年か経ったら「明治45年」も「大正15年」も「昭和64年」も「平成31年」も「なかった」ことにされるかもしれません。
その時は、内村航平選手は「平成元年生まれ」とされるでしょう。
2019/3/718:27:12
今年生まれた人は4月30日以前に生まれれば「平成31年生まれ」、5月1日以降に生まれれば「新元号元年生まれ」とされるでしょう。
出生届が遅れれば平成31年生まれが新元号元年生まれとされる可能性もあるでしょう。
また、あと200年くらい経てば、今年生まれた人は、みな同じ元号(平成の次の新元号)の生まれとされるでしょう。
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