華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪10年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

工場最終日

2009年07月10日 23時52分37秒 | Weblog
本日、約3か月に渡った化粧品工場でのバイト最終日だった。
どこのラインに充てられるかなー?と思っていたら、過去に1回しか行ったことのない、こじんまりしたところ。一緒に作業する人には仲良しの人はおらず、かつ昼ごはんの時間も他の人とズレてしまって、ちょっと寂しい最後となってしまった。でもまぁ、一緒に過ごせばいいってもんじゃないし。縁があればまた会えるはず。年末に一時帰国するつもりやけど、その時にもしまた募集してたら応募するつもりやし(文句は言うけど、徒歩5分は魅力的)。

それにしても。
私が最終日だからといって、それを私が言わなければ誰もそのことを知らない。毎月のように新しい人が入ってきて、毎日のように誰かが辞めていく。しかもみんな毎日来ていないから、そんな中で他人を覚え、親しくなっていくのは結構時間のかかる作業。班長さんや先輩たちも私たち新人の名前を覚えるのは一苦労だろう。むろん、私たちも先輩方や班長さんの名前を覚えるのに非常に時間がかかる。

作業をしながら、この工場におけるプロ意識の希薄さや、新人とベテランさんの関係構築の難しさは、そのあたりにあるのではないか?なんて考えていた。

名前と顔を覚えてもらえず「○○係の人」と呼ばれて、工場での仕事を“私の仕事だ!!”と強く思うだろうか? 仮に失敗したとしてその時にガツーンと怒られても、翌日同じ失敗をしたところで、昨日と同じ人物だとは気付かれない。だって誰も、誰がやったかなんて覚えてないから。まぁ、これは極端なたとえ話だとしても、「○○係の人の仕事内容はこうですよ」と言われるのと、「△△さんの仕事内容はこうですよ」と言われるのでは、仕事に取り組む姿勢にずいぶん差があるような気がする。名指しされることで責任意識が芽生えるというか。「任せたよ!」と言われたようで一生懸命仕事をしそう…なんて思うのは私だけかしら??

もう一つ人間関係の構築に関して。私は以前、短い間やけど営業職に就いていたことがある。その時はお客様の名前を覚えて、挨拶するときは「おはようございます、○○さん」「こんにちは、△△さん」と必ず名前を呼ぶようにしていた。そうすることで相手は「あ、自分に意識を向けてくれている」と思うと同時に、「この人は誰だろう?」と思ってくれるもんだと思うから。その結果、営業成績はさっぱりやったけど、営業先では可愛がってもらったという自負はある。
前フリが長くなったけど、言いたいことは「名前を覚える、呼ぶ」ということは人間関係を構築していく中でとても重要だと私は信じている。なので大勢の人が出入りし、かつ働く環境下で、互いに関する高い意識や興味を持つのは難しいかもしれないけど、だからこそ名前を呼んで呼ばれて工場内に自分の居場所を作っていくのって大切じゃないかなー?なんて考えていた。自分の居場所が見つからんかったら愛着もわくことはなく、「しんどいから辞めちゃえー」につながるような気がする。

ゴダイゴだって
♪名前それは燃える命 ひとつの地球に一人ずつひとつ
♪呼びかけよう名前を 素晴らしい名前を
とうたってるしさ。

まー、これは私一人の考えなので正しいのか間違ってるのかはわからん。でも私が上司なら「名前を覚えろ」と指示を出すやろうなー。

こんなことを悶々考えていた最終日。仕事が終わった後事務所にロッカーの鍵を返しに行った。すると工場長がいた。よっぽど上記のことを奏上しようかと思ったけど、勇気が出なかった。月曜日に制服の返却に行くから、もしいらっしゃったら挑戦してみようかしら?

何はともあれ、工場でのアルバイト終了。短い間だったけど、出会いと別れを含め、いろんなことがあった3か月間だった。ここでの経験はのちの私の人生にどのように生きてくるんかな? その時を楽しみに待つとしよう。

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