1970年7月白朗が米国へ招聘されたことは何度も書いてきた。実際にはキッシンジャー側近のホルトリッジから亀田候治あての書簡となっているもので、そのコピーも公開した。文書にしてほしいとも頼まれた経緯があり、白朗はアジアの平和と進歩のために、とのタイトルで短い手紙というか、直言の文書をしたためている。その文書は富士ジャーナル誌にも公開されているものだが、改めて下記に示したい。52年前の7月の時点での、いわば「日本」からの「アメリカ」への直言であり、同時にこの文書は中国にも提示されたものである。なお、5枚目には6枚目に記したマジックでの手書き文章(白朗書)が映りこんでしまい、見にくくなってしまっていることを付記する。ここには「アメリカの要請で書いたもの…」とはっきり書かれている。この52年間、世界はより平和になったのか…しばし考えてみたいものである。(文責:吉田)










※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます