宗方小太郎日記から伊藤暗殺の1か月余り前の部分を見ると次のように記載されている。
『九月四日
大雨。午前井野に抵り,帰途領事館に至り,十一時帰る。佐原来訪。海軍々令部に南北清旅 行日程を送り,外に安村,伊集院に復書す。東京西田善蔵,波多博,奉天赤松慶太に復書す。安達謙蔵,名和少将の信至る。名和氏より暗号電碼を送来。
九月五日
晴。日曜。安達,野満,亀雄,名和少将に復書す。香港赤松宗衛,大連森茂に復書す。高島 醇来訪。昨日帰来せりと云ふ。其厳君の信を携へ来る。是日雷鳴電撃天地晦冥,大雨注ぐが如く,白 日燈火を点ずるに至る。
九月二十一日
九月二十一日
晴。朝神崎正助を訪ひ小談,帰る。海軍々令部より北清行の旅費三百円を送り来る。外 に沿岸紀要,交通 を送来す。井手来訪,六時根津の招饗に豊陽館に赴く。同座は井手,白岩,及 余の四人なり。十時辞帰。中島,佐々布,高島来訪。』
前回(4月24日当ブログ)、宗方小太郎日記の伊藤暗殺日の記載を紹介したところ、下記のような資料提供とコメントがあった。ありがたいことである。海軍嘱託の宗方小太郎~大英帝国キッチナー元帥のつながりが伊藤暗殺をキーとして浮上してきたようだ。なお、9月4日に閔姫暗殺の張本人である安達謙蔵からの手紙にはいったい何が書かれていたのか、翌5日の返信に宗方は何を書いたのか…興味あるところである。
『紫禁城秘宝目録に次の記載あり。この時紫禁城の秘宝は奉天にあった。
於宣統元年九月一三日総督錫良巡撫程徳全奉遵綸旨提出二件送英国元帥希基拉将軍「内二件、宣統元年九月一三日に総督錫良と巡撫程徳全、綸旨を奉遵してイギリス元帥キッチナー将軍に贈る」
宣統元年九月一三日とは1909年10月26日、伊藤が暗殺された当日である。
』
於宣統元年九月一三日総督錫良巡撫程徳全奉遵綸旨提出二件送英国元帥希基拉将軍「内二件、宣統元年九月一三日に総督錫良と巡撫程徳全、綸旨を奉遵してイギリス元帥キッチナー将軍に贈る」
宣統元年九月一三日とは1909年10月26日、伊藤が暗殺された当日である。
』
(文責:吉田)