リゾートホテル社長になった(地位保全仮処分申立中)脱原発活動家のブログ           ~街カフェTV/藤島利久~

どんなに苦しくても世の中が真実で満ちていればそれでいい  
どんなに辛くとも信じるに足る社会であれば人々は生きて行ける

高知市民の声 追手前小・新堀川考察

2007年09月30日 | インポート

浦戸湾を守る会会員の方の新聞投稿記事です。

「学校統合」訴える財政難の原因は?」《高知市与力町》

高知市の岡崎市長が、校舎を耐震補強する財源が無いのを理由に追手前小学校の新堀小学校への統合は「苦渋の選択」だと発表しました。市が大変な財政難であることがまず伝わってきました。だが、市の財政規模を超える公共事業をしたことが財政危機の原因で、それを子どもの学校をつぶす理由にしてはいけないと思います。

無駄な工事は今も続けられています。現に新堀川を道路にする県工事に市も毎年5千万もの出費を続けているのです。この道路は車が増えて高知駅前の電車通りの通行量が六万台にもなるから、もう一本必要とされたものですが、実際の通行量は予測の半分でしかなく、現状で行けるはずです。十三年前の県議会で決まったものだからといって、不急な道造りに付き合い、学校をつぶすことはないのです。

新堀川周辺には歴史のドラマがあり、しっかりした地域があります。川の中には豊かな動植物が復活しています。

九月九日に高知放送が「ソウルの軌跡・よみがえった大都会の清流」清渓川の高速道路と暗渠(あんきょ)を外しても渋滞なしの繁栄と安らぎが訪れ、その当時のソウル市長は大統領有力候補となっているという“シンデレラ物語”です。

高知の新堀川は、そのまま環境保全をすれば予算無しの最短コースで住民生活と観光に貢献できます。当然、学校とも共存できるのです。


日本のとるべき世界貢献の道④ 鶴の存在証明

2007年09月07日 | 歴史

日本から見て遥か東北の海上、アリューシャン列島には鶴の首の形をした海底山脈がある。

Photo_8
この「鶴」の存在は知られていないが、政治的表現として使われる「右翼」と「左翼」の語源になった?

江戸城が心臓の形をしているように、遥か上空から地球を眺めたかのように、
正確な測量術を持った人々が日本にもいて、天空に住まう神に祈りを捧げていたのか?

Photo_9

古代、政争激しい東アジアの右翼の災いから逃れようとする人々が、アリューシャン列島を東に進み「鶴」を拝みながら、左翼の安全な地域に逃れ、インカ・マヤなどの古代文明を創ったのだろうか

日本列島は1万8千年前ごろ中国大陸から離れ、湖であった日本海が海になった。その頃は最終氷期最盛期であり、数十万立方kmの氷が北欧や北米を中心とした大陸に積み重なった。

その時、海水量が減少し海面は約120m低下、海岸線は現在よりも沖へ遠くなった。この海水準がもっとも低下した時代、アジアとアラスカの間はベーリング陸橋で繋がった。そして米大陸に移住した人々がいた。

天空から見れば、この鶴は地球の真珠の首飾りのように見えただろう。

昨年、インカ・マヤの研究を進めていたドイツ隊が、南米大陸先住民族の遺跡から、「番人」と呼ぶ長身人物と「高貴な人」と呼ぶ宝飾品を身にまとった人物、2体の完全遺骨を発見し、自国に持ち帰って徹底調査した。結果、「高貴な人」の頭骨が弥生人と同じ形質をしていると発表した。

また、その頭の銅鋳物の装飾品には「木の葉」が付着いていた。アイヌがネイティブアメリカンやエスキモーと近縁であることは従来指摘されてきたが、「日本のとるべき世界貢献の道③」で述べたとおり、今般のDNA研究は、ネイティブアメリカン(北米大陸先住民族)が我々日本人から派生したことを明らかにした。

アイヌなど、古代日本国内の圧政から逃れた人々が、アリューシャン列島の「鶴」の首周辺に住み着き、やがて南北米陸に展開したことに疑いの余地はない。

結局、黒人から白人が生まれ、その白人から派生した我々東アジア人(世界貢献の道③参照)が縄文時代(約1万6千5百年前から約1万年前)より以前に、日本あるいはカムチャッカ半島方面から米大陸に渡り独自の文化を花咲かせた。その人類が今注目を浴びるマヤ・アステカ文明に繋がっているであろう・・・

本稿の「江戸城は何故心臓の形をしているのか?」で述べたように、素直に考えれば、チャックモール(心臓を生贄に捧げる時の置台)との関連が浮かび上がる。また、この「鶴の首」周辺を第二次世界時の日本軍が、多くの犠牲を払って占領していたことに興味をそそられる。

日本軍部は過去の歴史を知っていながら、多くのことを隠していたことが疑われる。軍部が美濃部達吉らの天皇機関説や歴史研究を捻じ曲げたことは既に新聞でも紹介されている。尚、詳しい情報を集めてみたい。


かちかち山の泥舟は ブルボン家フランス・スペイン王朝に対する批判?

2007年09月04日 | 歴史

画像:Hugues capet.jpg

987年、ロベール家の出身者であるユーグ・カペーが国王として推挙され、フランス王として即位することとなった。ブルボン家(Maison de Bourbon)は、ヨーロッパの王家で、フランス王家カペー家の支流のひとつ。現在のスペイン王家でもある。

ブルボン(Bourbon)の語源はケルト語で「泥」(Borvo, もしくは Borbo)の意味。

「泥」と言われてすぐに連想するのは「かちかち山」の話。もとはウサギがタヌキを散々いじめる後半部だけの内容で、江戸時代になって、前半部である、タヌキが悪事を働く部分が付け加えられ、ウサギの行為を正当化する、いわば仇討ちの物語になった。これが勧善懲悪や忠義を重んずる江戸時代の人々に受け入れられ、広まったとされる。後半の同じような動物説話は世界各地に見られるそうだ。

とすれば、世界共通の後半部分が、ブルボン王朝・フランス武力政治に対する黙示の批判であることは想像に難くない。作者不詳の物語は「圧制に苦しむ民衆運動が産んだ名作」と捉えれば理解し易い。当時の民衆に理解できたことが、今忘れ去られている・・・


商業について

ウサギは親しげにタヌキに近づき金儲けを口実に柴刈りに誘い出す。ウサギはタヌキの後を歩き、タヌキの背負う柴の束に火打ち石で火をつけて大やけどを負わせる。ウサギが背後で火打ち石を打つ音を聞いたタヌキが「かちかち言うのは何だ?」と聞き、ウサギが「かちかち山のかちかち鳥だ」と答えたのが題名の由来である。


医療について

次に見舞いの振りをしてタヌキの元に向かい、やけどの薬と偽って芥子を渡して、それを塗ったタヌキは痛みに転げまわり、散々に苦しんだ。


船=軍事・戦争について

最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出し、自分は木の舟に乗りタヌキを泥でできた舟に乗せて湖に出る。泥舟はたちまち沈み、ウサギは必死に浮かび上がろうとするタヌキを櫓で殴って沈め、溺死させる。